22.先王チャールズ 2
じっと、紫の瞳と見つめ合う。ヴァージルの顔はきっと『ざまあ見ろ』と言っているはずだ。
「分かりますか?あれから約十一年、僕らはウィルフレッド陛下と向き合ってきました。ウィルフレッド陛下は間違いなく変わられた。まだまだ一般的な普通には程遠いでしょう。けれどもう、ウィルフレッド陛下はあなた方の思う『化け物』じゃないんですよ。まぁ…僕らはウィルフレッド陛下を化け物だなんて思ったことは一度も無いですけどね。今も昔も変人だとは思ってますが」
見ようによってはウィルフレッドは確かに化け物なのだろう。ウィルフレッドの頭の動きを誰も理解できないし、考えを誰も読めない。ウィルフレッド自身も人の感情や情緒を理解できないし、空気も読めない。
人は理解を越えるものに出会ったとき、その存在が自分と近しい形をしていればしているほど強く嫌悪を抱き脅威に感じてしまうものだ。
ヴァージルもその心の動きに理解は示すが、それでも先王たちがやったことに納得はしない。
じっと見つめるヴァージルの視線に何を思ったのか、苦々しく顔を歪めた先王がぽつりと言った。
「………たとえそうであったとしても、あの子が普通ではないことは今も変わらないだろう」
「そうですね。いらない苦労はしていると思いますよ。僕も、周囲も。でもね、少なくとも僕らは望んでしてるんです。僕らは女神の信徒です。違うからと無理やり排除するなど…今も昔もありえない」
「当然だ。あの子が王にさえならなければ私たちとてあの子の排除を考えたりはしなかった」
「ならば最初から王太子になどしなければ良かったんですよ。ウィルフレッド陛下はそもそも王の位を望んでいなかった。ライオネル殿下が側にいればまともに見えるからってウィルフレッド陛下の能力を惜しんで、一部から出ていた反対を押し切ってまで王太子にしたのはあなた方でしょう。何であなた方の過ちをあの子たちに無理やり負わせるんです」
「私たちの過ちだからこそ、私たちの手で正すべきだと思ったんだよ」
「何度も聞きましたが反吐が出ますね。そのやり方が汚すぎる。全ての負債を子供たちに負わせるようなやり方をしておいて自分たちの手で正す?はっ、寝言は寝ながら言ってください」
ヴァージルが鼻を鳴らして顔を歪めれば、先王は極まりが悪そうに視線を泳がせた。
「ウィルフレッドに対抗するには、セシ…王妃とライオネルを押さえるのが一番だったんだよ。そうでもしなければ、誰も本気のウィルフレッドには敵わない」
「結果的に最悪の手段を選んだ、と?」
「私たちが選んだわけじゃない。私たちは便乗しただけだ。まさかアドラムがあそこまでの手段に出るとは思っていなかった」
「自分たちの手で正すと言った口が便乗しただけ、と?」
「私たちは使えるものを何でも使っただけだ」
「はぁ……ほんと、なんでウィルフレッド陛下はこんな人たちを生かしてるんだろう……」
分かっている。ウィルフレッドの心情とすれば先王と王太后の命をただ奪うだけでは足りないくらいだろう。現状など甘すぎて緩すぎて、密かに消してしまおうと思ったことも一度や二度では無いはずだ。
ウィルフレッドが先王と王太后を生かしているのはひとえにセシリアとライオネルのためだ。ふたりが先王と王太后の死を望まないから生かしている。それだけだ。そして、それが分かるからヴァージルも現状に目を瞑っている。
大きなため息をひとつ吐くと、じくじくと鈍い痛みを訴え始めた胃を軽くさすってヴァージルは先王を睨みつけた。
言っても意味がないことは分かっている。何度も聞いたし、何度も失望した。余計にヴァージルがすり減るだけだ。それでもいつも言わずにいられないのは可愛いあの子たちのためか、ヴァージル自身のためか、それとも。
「………ただひと言、ウィルフレッド陛下に王太子を降りろと言えば良かっただけじゃないんですか?世間の評判とか気にする人じゃないんですから」
「嫌だと言われて、邪魔をされたかもしれないだろう」
「本気で言ってます?」
「セシリアが王妃なのは決まっていたからな」
「別にウィルフレッド陛下を大公にしてセシリア様を大公妃として、ライオネル殿下を国王にしてアドラムの長女を王妃にすれば良かっただけでしょう」
「王妃はセシリアだ」
「それも結局あなたたちの都合でしょう。政治的にも権力の均衡を見ても別にセシリア様が王妃である必要は無かったはずです。アドラムが嫌なら公爵家にも侯爵家にもあの頃は釣り合いの取れる令嬢が沢山いましたよね。先代のティンバーレイク公爵も別にセシリア様を王妃にとは望んでなかった」
「………フェリシアが、セシリアを望んだんだ」
「結局セシリア様を滅茶苦茶にしたのもフェリシア様……王太后殿下その人ですけどね」
「別に、フェリシアはセシリアを傷つけようとしたわけじゃない。結婚は阻止できなかったから…セシリアがウィルフレッドと共に引いてくれればそれで良かったんだ。ウィルフレッドを王にするわけにはいかない、だから警告のつもりで……。セシリアが嫌がればウィルフレッドは王太子を辞退しただろう」
「あんた馬鹿ですか。傷つけるつもりがなくて堕胎薬使うとか………は?意味が分からない」
「堕胎薬じゃない。可能性がある茶だ」
「同じだろうが!」
吐き捨てるように言って壁を思い切り叩いたはずのヴァージルの腕は大量に積まれた枕をぼふりと叩き、衝撃で積んであった枕が跳ねていくつかが崩れて床に落ちた。
十一年前、当時王太子妃だったセシリアのお腹には新たな命が宿っていた。その命は、とある侍女が淹れた『体に良いお茶』を飲んだ次の日、赤い流れとなって消えてしまった。そうしてそこからが地獄の始まりだった。きっともっとずっと前からいくつもの種は撒かれていたのだろうが。
「あんたらが馬鹿をやったからウィルフレッド陛下は引くのを止めたんでしょうが。ウィルフレッド陛下にとって王位なんて面倒で不要なもので、セシリア様とライオネル殿下さえ側にいれば何だって良かったんだ。あんたらだって分かってたはずだ」
「……王位を、望むかもしれないだろう」
「ウィルフレッド陛下がそう言いましたか?」
「………ライオネルが、自分は王位を望まないと」
「それはライオネル殿下が言ったことでしょう。ウィルフレッド陛下が王位を望んだのかって聞いてるんです」
「ライオネルが王位を望まないと言ったのなら、ウィルフレッドはライオネルのために王になるだろう。だから……」
すっと、先王が視線を逸らした。
「ライオネルの望みよりもウィルフレッドを動かす強い理由が必要だったんだ……」
項垂れもごもごと呟いた先王に、ヴァージルの中で何かがぶちりと音を立てて切れた。
「分かってたんならあんたらのやるべきことはまず言葉を尽くしてふたりと話すことだったんだ。それがあんたらの手で正す、ってことだ。なのにあんたらがやったのはただ、自分たちの失敗を失敗と思いたくなくてあの子たちに…ウィルフレッド陛下を怪物に仕立てて全てそのせいだと擦り付けて自分たちの良いように無理やり次代を作り替えようとしただけ。それが分かってるからウィルフレッド陛下も、ライオネル殿下も、セシリア様も…あの子たちはみんなあんたらを切り捨てた。他のジジイどもを切り捨てた。いつまでも被害者面してんじゃないですよ。本当の被害者はあの子たちだろうが!」
大きく声を荒げたと同時にヴァージルの胃がじくりと大きく痛んだ。顔を歪めるのも悔しくてぐっと我慢し更に言ってやろうと思ったが、隣の部屋でかたりと小さな音がして、ヴァージルはそれ以上言うのを止めた。




