20.王子フレデリック 2
羽目を外す予定があるわけではないのなら何だろう。ヴァージルが不思議そうに首を傾げると、フレデリックは何かを決意したように「うん」とひとつ頷いてヴァージルに向き直った。
「宰相、僕は自分がどんな王になりたいのかを考えたんだ」
「どのような王になりたいか、でございますか」
「ああ。どう守るべきか、どう考えるべきかを今回の件で考えさせられたんだ」
真剣な表情で懸命にヴァージルに話してくれるフレデリックにヴァージルは嬉しく、それと同時に寂しくなった。いつの間にフレデリックははこんなにも大きくなったのだろう。
「殿下のお答えが出たのですね?」
「いや、まだなんだ。答え、と言えるほどのものはまだ見つけられていなくて……。だが、何と言うか、自分が望む王の片りんだけは見つけたんだ」
「なるほどなるほど。ではなぜそのように悩んでおられるのでしょう?」
「それが……僕の望む王は、王らしくないと気づいたんだ……」
握り締めた両手を膝に置き俯いて視線を泳がせたフレデリックに、ヴァージルはちらりとグレアムを見るとフレデリックに視線を戻して微笑んだ。
「良いではありませんか」
「え?」
「なりたい王の姿は殿下だけのものです。その姿がたとえ一般的には王に相応しくないものであったとしても、その上であなたを支えると決めた者たちがあなたを王にします。理想も語れない国など、それこそあまりにも寂しいではありませんか」
「そう……そうだろうか?」
「ええ。どうせ選べる道は多くないのです。せめて理想を語り夢を持つことくらい許されるでしょう。理想や夢を持つことでは無く、それに溺れて現実を忘れることが駄目なのですよ」
理想や夢を語ればきりがない。だが、どうすればそこに近づけるのかを考えるのは決して無駄では無いし、足りないところは側近や周囲の者が支えれば良い。そのために側近や官吏、騎士たちがいる。
駄目なのは、理想と現実の差異に耐え切れず目を背けたり、無理やりにでも理想通りに作り替えようとする性急さだ。どちらも結局は取り返しのつかないことになるとヴァージルは痛いほど知っている。
「そうか……そうだな。まずは理想とするものが分からなければ何をどう努力すればいいのかもわからないしな」
「ええ、その通りですよ」
ぱっと表情を明るくしたフレデリックにヴァージルもにこりと微笑んだ。目をきらきらさせて「ありがとう、宰相」と頷くフレデリックにヴァージルはこれ以上無いくらい癒された。
フレデリックの代を支える次期宰相…ヴァージルの後継者探しは胃が痛いが、この素直な笑顔を支えるためならまだまだヴァージルは頑張れそうだ。
「宰相、聞いてほしい」
きらきらの瞳のままでフレデリックがじっとヴァージルを見た。
ヴァージルが返事の代わりに表情を緩めて頷くと、フレデリックも口角を上げて頷いた。
「宰相、僕は、甘い王になりたいんだ」
「ほ。甘い王ですか」
フレデリックの意外な理想にヴァージルが思わず目を丸くすると、フレデリックははにかみながら頷いた。
「ああ。うまく言えないんだが……父上のように守られるだけなのも、叔父上のように自分を犠牲にして守るのも、母上のように均衡を重視しすぎるのも僕は違うと思うんだ。どれも過ぎればきっとどこかにしわ寄せが行く。だから、僕は…その…」
どう言えば良いか考えあぐねるようにフレデリックは言葉を止めた。
「その……。『優しさと温かさを失って欲しくない』と、言ってくれた人がいるんだ。それは弱さと甘さにつながると思う。でも、不思議と僕もそうありたいと思えたんだ」
フレデリックは何かを思い出すように両の手の平を広げてそれをじっと見つめ、そうしてぎゅっと握りしめた。
「身分や、立場や、国や、文化や……。人々が培ってきたものは多種多様で、きっと相容れないものもあると思うんだ。時には我慢が必要なこともあるだろうし、誰かに合わせなければいけないときもあると思う。それでも、違うからと虐げられる人がいなくなれば良いと思う。全ては無理でも誰もがあるがままに生きられる場所が少しでも増えれば良いと思う。僕は……甘いと眉をひそめられようとも、あるがままに受け入れ、ありのままに慈しみ、そして僕自身もまた僕自身でありたいと願う…でも……」
顔を上げると不安そうにヴァージルを見てフレデリックは首を傾げた。
「僕の願いは……立太子の儀の所信表明には、相応しくないだろうか?」
甘い、とヴァージルは思った。甘すぎるほどに甘い。
フレデリックの言葉はどこまでも理想主義的で、この世知辛いしがらみばかりの世の中では失笑されて踏みにじられかねないものだ。
だが、フレデリックの願いの何が悪いとヴァージルも思う。甘くて、何が悪い。ちらりとグレアムを見ればいつもの三割り増しで笑顔が光っている。なるほど、グレアムが『わたくしの殿下』と慈しむはずだ。驚くほど父王にも母王妃にも叔父王弟にも似ていない。まるで女神の聖典を地で生きているような王子では無いか。
「殿下の願いを笑う者がいるのなら、その者は女神のことも笑うのでしょうね」
「え?」
不思議そうに首を傾げたフレデリックに「いいえ」とヴァージルは微笑んだ。
「言い方は考えねばなりませんが、立太子の所信表明として悪くないと、私は思いますよ」
「そう、だろうか?」
「ええ。それがまぎれもなく殿下の願い…目指す姿であるのですよね?」
「ああ」
「ならばそれで良いと思います。その願いを聞きどう判断するかはそれぞれです。それこそ、あるがままに」
「そうだな…賛成も、反対も、侮りも、敬いも、それはそれぞれが選んで良い。その上でどうすり合わせ共に生きていくのか…大切なのはきっとそちらだな」
「はい。ですから私はそれで良いと思いますよ」
ヴァージルがにこりと笑って頷くと、フレデリックもまた嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、宰相。少し、迷いが晴れた気がする」
「それはよろしゅうございました。先の長くない身ではありますが、殿下のその願い、確かに承りました」
「うん。宰相……先が長くないなどと言わないで欲しい。頼りにしているんだ、僕も、父上たちも」
「もったいないお言葉ですよ」
見つめ合い微笑み合っていると、グレアムが軽く咳払いをした。
「殿下、そろそろ」
「ああ、もうこんな時間か」
はっとしたようにグレアムを振り返ると、フレデリックはひとつ頷き、立ち上がってそっとヴァージルの手を取った。
「宰相……早く良くなるよう祈っている」
「ありがとうございます、殿下。さっさと治しますから安心してくださいね」
「うん。無理だけは絶対駄目だからな」
「あはは!ええ、もちろんですよ。二週間は動くなと王妃殿下より言われております」
「そうしてくれ。大事にな。夫人も、慣れない場所は落ち着かないかもしれないが大事にしてくれ」
「お気遣い痛み入ります、殿下」
「ああ」
ヴァージルの手を握る手に名残を惜しむようにきゅっと一度力を入れると、フレデリックはひとつ頷いて扉へと向かった。
その後ろ、グレアムは扉を出る寸前にぱっと振り返り「また参ります」と口元だけで言って小さく手を振り、にっと笑ってぱたりと扉を閉めた。
「あー、行っちゃったなぁ……可愛いなぁ」
本当に、実に、これ以上無いくらい、フレデリックが国王ウィルフレッドに似なくて良かったとヴァージルは思っている。可愛くないのももちろんだが、それより何よりウィルフレッドに似ればきっとこの世は生きづらい。
ヴァージルがぼんやりとふたりが出て行った扉を見つめていると、アナベルが頬に手を当てて何とも言えない顔で首を傾げた。
「あなたって、陛下やライオネル殿下よりフレデリック殿下に対して丁寧よね」
「え!?そうかな!?」
「ええ。もう話し方からして違いますよ」
「あれぇ…?陛下はまぁ、アレだけど…ライオネル殿下のことは敬ってるつもりなんだけどなぁ…?」
言われてみれば確かにライオネルたちにはもっと気安い気がする。慣れだろうか、悪い意味の。
「何にしろ、皆様あなたが良いと言ってくださるのですから。あなた、幸せな宰相ね?」
「うん、本当にそう思うよ。アナとの時間が足りないのだけが不満かな」
「ふふふ、これからはそれもきっと少しずつ増えますよ」
「わー!どうしよう!!今からそわそわする!!」
「全く、呆れた人ね」
ふふ、と声を上げて笑うアナベルをじっと見ると、ヴァージルは「なんだろ、幸せだなぁ…」と目尻を染めてぽつりと呟いた。




