2.王子の冒険
ダレルの婚約の経緯は『王妃付き侍女と国王付き侍従の恋文とその顛末について』にて。
ダレル・ストークスとヴァージルの付き合いはそれなりに長い。
色々あって現在は国王専属の侍従だが、そもそものダレルは十二歳の頃に国王の従者候補として…側近候補として二十数年前に王宮にやって来た。その頃からの付き合いなのでヴァージルとすれば実は王妃よりもダレルとの方が長いのだ。
ダレルはヴァージルの長男よりも四つ年上なだけなので最初は国王に振り回される気の毒な息子のような感覚だったのだが、気が付けばずいぶんと頼りになる青年…すでに壮年の男性になった。
「まずはライオネル殿下からお話があったかと思いますが、本日、王子殿下が離宮の森へ入ります」
「うん、聞いてる」
「先週から立ち入り禁止区域の狩りと見回りを強化していますので獣や不審者は避けられますが、危険区域の銀の森からのお客様ばかりはその時にならないと分からないためその辺りはライオネル殿下たちが先回りして確認する、とのことでした。が…」
「が?」
「陛下が離宮へ向かわれましたので……そうことはうまく運ばないかと」
「え、お茶飲んでて大丈夫?」
思わずヴァージルがかちゃりと音を立てて茶のカップをソーサーに戻すと、ダレルがふっと目を細めた。
「ライオネル殿下ですから。何とかなさいますでしょう。それに王子殿下の同行者にはリンドグレン令息がいますし、ライオネル殿下の護衛騎士はオルムステッド直系です」
「ああ、そういえば王子殿下の護衛候補の彼はリンドグレンだったかー」
深い森を己の庭のように駆けるリンドグレンは森に非常に強い。それに北の辺境を守るオルムステッドの令息であるライオネルの護衛騎士はとても強い。ヴァージルの予測だが、国王主催剣術大会で若くして優勝を掻っ攫った経験のある彼は国で一、二を争う使い手だろう。五指に増やせば恐らく、十指に増やせば確実にライオネルが入る。
安心して焼き菓子に手を伸ばし、小さな球状の菓子を口に入れる。球を半分に割った間にチョコレートが挟まれたような菓子は少し苦みの強い大人味だ。これはこれで中々美味しい。
「はい。いざとなれば陛下を置いてでもライオネル殿下は王子殿下を追われます。陛下にはライオネル殿下指揮下の第一の騎士かジェサイア君がつくでしょうし心配はいらないかと」
「軽く他人事?」
「私は何かを言える立場にありませんから」
「こじらせてるよねぇ」
「自覚はありますよ」
にっこりと綺麗な緑の瞳を細めたダレルにヴァージルは肩を竦めた。
ダレルは陛下の従者にはならず、学園卒業と同時に官吏試験を受けて官吏になることを選んだ。官吏になったその日に当時はまだ王太子だった陛下が直々に引き抜いて専属侍従となったが、ダレルは陛下直属ではなく国に所属している。王弟ライオネルの直属である護衛騎士のジェサイア・オルムステッドや従者のベンジャミン・フェネリーとは立場が違うのだ。
「まあ、侍従でも従者でも君が陛下に振り回されることに変わりは無いんだけどねぇ」
「できればもうひとり欲しいところですね」
「陛下だからねぇ…難しいだろうねぇ……」
へらりと笑ってみせたヴァージルに、ダレルもまた困ったように笑った。
「私も来年には結婚いたしますので…妻との時間を邪魔されるのは少な目でお願いしたいところです」
「あ、そっか。やっぱり増やさないと駄目だね」
国王の侍従ダレルは来年の春に王妃の護衛侍女ハリエット・メイウェザーとの婚姻が決まっている。どちらも主に忠実なので生涯独身を通すかと思ったのだが、こうなってみれば実に良い縁だと言える。何よりどちらも人が良いのでどうにか幸せになってもらいたい。
「陛下は人を選ぶからねぇ…正直あの人、王妃殿下とライオネル殿下が側にいればあとは何もいらない人だしね」
「最近は王子殿下も王女殿下も懐に入れられたようですよ」
「ああ、そっか。だからこその今日の脱走だったよねぇ」
「ええ。喜ばしいことです」
本当に嬉しそうににっこりと笑ったダレルにヴァージルは苦笑した。
奇想天外、奇妙奇天烈。この国の王は兎にも角にも何をしでかすか分からない。それは今に始まったわけでは無く幼い頃からそれはもう逸話に事欠かない。
数多くの側近候補が尻尾を巻いて逃げ出したのだがこのダレルともうひとり、今後は王子殿下の侍従となるグレアム・ブライだけは少々事情が違う。意志を持って国王の下から離れ、意志を持って今、自分たちのあるべき場所に居る。
そもそも異常事態の国王脱走を国王の成長として喜べるダレルはもう完全に国王の身内以外の何者でもないとヴァージルは思う。
「君も十分陛下の懐に入ってると思うよ、ダレル」
「どうでしょう…単に陛下が私の存在に慣れただけな気もしますね」
「野生動物を飼いならす感じか」
「不敬で叱責されますよ」
「僕が叱責すべき立場だからなぁ」
くすくすとおかしそうに笑うダレルにヴァージルも笑って肩を竦めて見せた。
「まあ、あれだ。とりあえず報告待ちだね?」
「はい。ライオネル殿下の側近と第一騎士団からふたり、それとグレアム君がライオネル殿下の指揮下で動いてます。総騎士団長および各騎士団長へも話は通してあるそうですので少なくとも生命の危機はありませんし、どこまで悪化するかはもう陛下次第としか言えませんのでライオネル殿下からの情報が入り次第こちらも動く予定にしています」
「うん、了解。そっちは任せるよ。後始末はまたライオネル殿下かな」
「陛下が動いてしまった時点で完全に隠しおおせることは無いのでライオネル殿下が動かれるかと」
視線を下げて首をふるふると横に振るダレルに、ヴァージルはしょんぼりと肩を落とした。
「やだなぁ…ライオネル殿下にこれ以上被せるの。本当に嫁が来なくなっちゃうよ…」
「余りあるほど魅力的な方ですから…その気になればすぐでは?」
「だーめ、その辺の適当な令嬢とはくっつけません。ライオネル殿下にはちゃんと殿下を分かってくれる女性との結婚を望んでるんですよ、僕は」
「それは同意いたしますが…………陛下がほんと、すいません……」
何とも言えない顔で更に視線を落としたダレルに「まぁ、陛下だからねぇ」とへらへらと笑うと、「あ、そうだ」とヴァージルは思い出したように言った。
「ダレル、次期宰相やらない?」
「次期宰相ですか?」
「うん、そう。僕ももうすぐ六十でしょ?そろそろ隠居の時機だから…次の宰相を育てないといけなくてさ。今の宰相室の連中だとちょっとうちの個性的な王族の相手は無理そうなんだよね」
「ああ、なるほど」
納得したように頷くと、ダレルは少し考えるように首を傾げ、そうして困ったように眉を下げた。
「私が陛下の侍従を離れて国が立ち行きますか?」
「あ、ごめんダレル。忘れて」
ダレルという楔が無くなった国王など水に流される浮草よりも風に舞う綿毛よりもどこに辿り着くか分からない。駄目だ。ダレルは絶対に今の場所から動かせない。
「うーん、悩ましいね。ダレルの同僚と僕の後継……今年中には見つけたいよねぇ………」
「はい。せめて一ヶ月くらいは定時に帰宅して新婚生活をしてみたいところです……」
結婚するのに休みが欲しいとすら言えないダレルに「頑張って探すからねー」とヴァージルはほろりとなった。




