18.王弟ライオネル 3
「ああ、跡継ぎが欲しい………」
「そこはまぁ……俺もうちの側近以外なら協力するさ」
苦笑したライオネルをちらりと見ると、ヴァージルは半目になった。
「殿下が宰相やればいいんじゃないでしょうか?」
「お前、国を潰す気か?」
「いやいや何を仰います。言ったはずですよ?国の中枢に近ければ近いだけ真実に気付く者はいるんですからね」
「そもそも俺はお前に何かを隠したこと自体がねえよ」
「幼い時分の恋心くらいでしたよねぇ。ばればれでしたけど」
「うるせえよ。良かったんだよ、あれはあれで」
ヴァージルもまた、ライオネルの初恋を潰した者のひとりだ。
当時、宰相補佐官であり小公爵だったヴァージルもまた現王妃セシリアを現国王ウィルフレッドの婚約者に推した。
茶会などで共に過ごすことも多く問題大ありのウィルフレッドと当時から優秀さに定評のあったセシリアの相性が良さそうだったのが原因なのだが、当時のウィルフレッドはまだセシリアに興味はなく別の理由で一緒にいただけだったと知ったのは、ウィルフレッドから少々手痛い『報復』を受けた後のことだった。
今となってはあの時セシリアを推して本当に良かったと思うわけだが。
とはいえ、初恋を淡く散らせた八歳の愛らしいライオネルが苦しい内心を押し隠し目元を赤くして「おめでとうございます、兄上!」と健気にも嬉しそうに微笑んだのを見た時にはもう、ヴァージルは心の中でむせび泣いた。
「………行けそうです?」
「無理だっつって逃げられると思うか?」
「それこそ無理でしょうねぇ」
「うちの王妃様はその辺、優しくねえんだよ……」
若干遠い目になりつつ口元を引きつらせたライオネルにヴァージルは笑った。ヴァージルもそうだが、誰もがライオネルに幸せになって欲しいのだ。結婚することが幸せにつながるとは限らない。分かってはいても、それでも。
「まぁ……あれだ。俺みたいなやつに嫁いでもうらうんだ。大事にするさ、うんとな」
「そうですね、そこは全く心配してないですよ。殿下ですからね」
「そうかよ」
ふっと、とても優しい目で笑ったライオネルにヴァージルの胸がきゅんと、うずいた。良い年したおっさんの胸すら甘い微笑みひとつで高鳴らせるのだ。ライオネルに真剣に向き合われて落ちない女性などそうはいないだろう。
そしてライオネルは相手を決めたなら絶対に誠実に、まっすぐに向き合う。たとえ恋はできなくとも、自分の伴侶として大切に慈しむはずだ。
「うちに娘がいたら絶対候補に出したんですがねぇ……」
「お前の娘とかめんど……いや、面白かったかもな」
「今、面倒そうって言いかけました?私が面倒な人間みたいじゃないですか」
「いや、そこに突っ込むところがもう面倒だろうがよ。お前の娘だったら俺も妃に貰ったかもしれないってところだけ受け取っておけって」
「そこは良いですね。花丸です」
「面倒くせえな、もう」
ライオネルは楽しそうに声を上げて笑った。本当に、ライオネルを義息子にできたらどれほど良かっただろう。年頃の未婚の娘がいる家がヴァージルは本気で羨ましい。
そうして、あと少しで年頃を迎える女性をひとりを思いだし、ヴァージルはもっとも聞きたいことを切り出した。
「………イーグルトン公女、そろそろ婚約を決めないといけない頃かと思いますよ」
「………そこを選ぶ気はねえよ」
「何が嫌なんだか」
「嫌なわけじゃねえよ。俺が駄目なだけだ」
「公女はどうなんです?」
「…シラネー」
ふい、と半目になって視線を逸らしたライオネルに、ヴァージルはにんまりと笑った。
「あ、何かありましたね?」
「うるせえよ。万が一藪蛇になったら怖いだろうが」
「出るなら大蛇ですからね。あ、竜かも」
どこを突いても出てくるものが恐ろしい。父は公爵で第一騎士団団長、母は社交界の重鎮、祖母は元王女。親友は隣国の次期王子妃でその親である公爵ももちろん味方。隣国の王子と有力貴族である側近も当然親しい友人だ。
ある一定以上の年齢の騎士にとっては女神であり光。ヴァージル達大人にとっても彼女が幼い頃からイーグルトン公女は光であり希望だ。
何よりもライオネル自体が誰よりもイーグルトン公女の庇護者だったりする。そのくせ表立っては守護しない。大切だからこそ、なわけだが。
「大事にしてますよねぇ。イーグルトン公女もティンバーレイク公女も」
「当たり前だろうが。あいつらは王国の大事な次代だぞ。モニカも隣国に嫁ぎはするが、それだって次代のための縁であり礎だぞ」
「ティンバーレイク公女も気の毒に。あんなに惚れてくれる女性そうそういませんよ?」
「だからだよ」
ライオネルは肩を竦めて首を傾げ、苦く笑った。
「モニカが俺に惚れてさえなけりゃ、俺は別にモニカでも良かったんだよ」
「またそんな」
「せめて似てなきゃ良かったんだよ。俺はあいつの向こうに別の女を見てないとはどうやったって証明できねえ」
誰にとも誰をとも互いに言わない。だが、名を出さずともそんな女性はひとりしかいない。
隣国の第三王子ベルトルトの婚約者になったティンバーレイク公爵令嬢モニカが幼い頃からライオネルに心を寄せていることは誰の目からも明らかだった。
ライオネルのセシリアに対する気持ちを知る者たちは、セシリアにうりふたつのモニカが王弟妃になるかと思っていたが、そこは『王国の天秤』であるティンバーレイク公爵が国内の権力の偏りにつながるからと許さなかった…ということになっている。
もちろんそれも事実なのだが、そんなものはライオネルがその気になればいくらでも何とでもなったのだ。
「似てるなら愛せたかもしれないでしょ」
「似すぎててどっちを見てんだか分かんねえだろ」
「まぁ、あなたがそれを許せるわけがないですよねぇ…過去だとしても」
「過去になろうとなんだろうと耳に入れば嫌な思いはさせるだろ。似てりゃ余計だ。今もそのままにして否定してねえしな」
ライオネルのセシリアに対する恋情はすでに過去のものだ。今ももちろん最も大切な女性であることに変わりはないし家族として愛している。
ただ、色々と都合が良いこともありライオネルが恋情を否定していないため一握りを除いて今もライオネルの心はセシリアにある、ということになっている。
「本当に、真面目ですよねぇ、殿下。しかも不器用」
「うるせえよ」
「そんなあなただからこそあの曲者どもが従ってるんでしょうねぇ……」
「どうだかな」
ライオネルは照れくさそうににやりと笑った。
表向きの側近も、表に出せない側近も、ヴァージルが知る限りライオネルの周りは曲者だらけだ。その曲者どもに気に入られているイーグルトン公女…やはりヴァージルの推しは一択だ。
「イーグルトン公女、全然似てませんよ」
「知ってる」
「良いですよね、公女。三年後くらいが非常に楽しみ」
「それも知ってる」
「何年待ってくれるかなぁ」
「待たせる気もねえよ」
「えーどっちの意味ですぅ?」
「だから選ばねえって!」
むっつりと唇を尖らせたライオネルに「えー、絶対良いのにー」とヴァージルもむっつりと唇を尖らせた。
そんなヴァージルに「駄目だぞ」と笑うとライオネルはここまでだ、と言うようにぽんっと両の膝を打った。
「まぁいいや。夫人が戻れないと悪いから俺は帰るぞ。宰相、大事にしろよ」
「はいはい、さっさと復帰できるよう大人しくしておりますよ」
「おう、待ってるからな!」
ライオネルはにっと笑って立ち上がると「あ、これ、フレッドに余計なこと吹き込んだやつと手引きしたやつの資料な。処理済みだから報告だけだ」と紙束をヴァージルの膝の上に置き「またな」と爽やかに笑って部屋を出て行った。
「無くは無い、かなぁ」
考えるように顎に手を当てて呟くと、「まぁ…仕込みますかねぇ」とヴァージルは悪い顔で笑った。




