15.王弟従者ベンジャミン 3
ため息を吐きつつふるふると首を横に振ったベンジャミンに、ヴァージルも一緒になって首を横に振った。
「そこ不思議だよねぇ……って言っても、僕もベンジャミン君以上にオリヴィア殿下の伴侶に相応しい令息って思いつかないんだよねぇ」
「使いやすさでしたらレオ以外に使われる気がさらさらないので判断基準になりませんよ」
「そうだよねぇ、メイウェザーだもんねぇ」
「ベンジャミン・フェネリーですけどね」
「どっちでも良いよもう」
「そうですね、どちらでも答えは変わりませんね」
「ぶれないのが憎らしいけど素敵!やっぱり宰相に!!」
「お断りします」
はっきりきっぱりと笑顔で切り捨てられた。ベンジャミンはそういう人間だ。ライオネル以外に関することは非常に厳しいし容赦がない。それゆえに明確に拒絶しないどころか拒絶の欠片さえ見せないイーグルトン公女はベンジャミンにとっても特別と判断できるのだ。半分以上ライオネルのためな気もするが。
「ぶれないなぁ……宰相断るとか、ほんと、君たちくらいだからね……」
「断らない人へどうぞ」
「僕より馬鹿には無理」
「それ、私たち以外のちょうどいい年代の若手はほぼ全員閣下より駄目って言ってますからね」
「うんそう、ほぼそう言ってる」
「閣下も大概ですよね」
「知ってる。だからこその宰相でしょ」
ヴァージルが肩を竦めると、ベンジャミンがふっと、とても楽しそうに笑った。
「閣下のことは嫌いじゃないですよ、レオが一番なだけです」
「あ、それ光栄。結構嬉しいやつだよ」
ライオネルを引き合いに出してまでヴァージルへ好意を伝えてくれた。ベンジャミンから貰える最大限の賛辞だろう。
ヴァージルが喜びでへらりと笑うと、ベンジャミンがとんとん、と手帳を指で叩いて見せた。
「はい、ということでレオのおやつの時間ですのでご都合の良い日時をどうぞ」
「あ、やっぱりそれが最優先」
「また来ますよ。心臓の薬持って」
「ははは、うん、待ってる。それまでにちょっとくらい胃の方は治ると良いなぁ」
「治りますよ。愛され宰相ですからね」
「へ!?」
突然のベンジャミンの優しい言葉にヴァージルは動揺した。
いや、別にベンジャミンに個人的に愛されているわけでは無い。それは理解している。つまり、ヴァージルは彼らに…ヴァージルが守り切れなかった彼らにちゃんと愛されているとベンジャミンは言ってくれたのだろう。
非常に嬉しいが非常に気恥しい。とっさのことに上手く反応できず、ヴァージルは狼狽えてばっと、窓際のアナベルを振り返った。
「あー………あーあーあー!ええっと、アナベルが図書館に行って良いのは昼食の後から午後のお茶の時間までって決めてるんでその間に来てもらってください!」
「ふ…くくっ…承知しました、ではちょうど明日のその時間は空いておりますので明日、昼食後にお伺いしますね。レオひとりでの訪問となります」
「分かりました、お待ちしてます!」
ヴァージルが元気良く答えると、ベンジャミンはおかしそうに、けれどとても優しい目で笑った。
「閣下……照れ隠しが不得手でいらっしゃる」
「あああーーー!おやすみなさい。寝ますね!」
「くくっ…しっかり休まれてください。夫人も何かご不便がございましたらいつでも王弟執務室へ人をやってくださいね。最優先で対応させていただきます」
「まあ、お気遣いありがとう存じます。またぜひ来てやってくださいね」
「ええ、ぜひに。次は職務ではなく正しく見舞いに参りますね」
にこりと、いつもの笑みを残すとベンジャミンは窓際のアナベルにも優雅に一礼して流れるように部屋を後にした。ゆったりと、それでいてきびきびとした動きはいつ見ても小気味良い。ぱたりと、扉が静かに閉まった。
「初めてまともにお話ししましたけど…ライリー子爵、素敵な方ね?」
「アナベルー!?」
ベンジャミンの後ろ姿を見送った後、寝台横の椅子に座ったアナベルが頬に手を当てて首を傾げた。
「なんですか?」
「素敵って、素敵って!?」
「え?ああ、もっと怖い方かと思っていたの。セシリア様が『今の王宮で一番の曲者はベンジャミン』って仰っていたから」
「あー!!ベンジャミン君にお嫁さんが来ないのってそのせい!?」
ヴァージルが大げさに頭を抱えると、アナベルが不思議そうに瞬いた。
「あら、縁談が来ないのです?」
「まさか。降って湧いてるよ。王宮に来てるやつは僕とライオネル殿下で止めてるけど」
「それ、ライリー子爵が結婚できないのはあなたたちのせいなんじゃ…?」
「いや、グレアム君のは気の毒だから全部止めてるけど一応ベンジャミン君に関しては通して良さそうなやつは通してるよ。何か、一度会っても次に繋がらないんだよね」
「御令嬢側からかしら?」
「ん-…んん~…?」
ベンジャミンがさらりと流しているのは知っている。そもそもまだまだ結婚する気が無いのだ。それどころか恋愛する気も無いらしく、結婚はしなくて良いからと言い寄る女性も全て袖にしている。不思議なのは、女性側も素直に納得した上で皆あとくされも無く引いていくことなのだ。
「あれかしらね。ライオネル殿下もライリー子爵も結婚しないのはおふたりが深く思い合ってるからっていう噂のせいかしら?」
「え、そんなのあるの!?」
「ここ三年くらいかしらね?おふたりに縁談を申し込もうにも妨害が多すぎてそういうことなのでは?って噂はありますよ。セシリア様が大笑いしていましたけど」
まさかの主従間の愛が取り沙汰されているとは思ってもみなかった。どう見ても違うだろう。
まさか『本当は強く思い合ってるのに表向きは…』という物語的展開を想像されているのだろうか。
「うわぁ…………どうしようこれ。グレアム君も巻き込まれちゃってたりするのかな」
「今の所はグレアムさんとのお話はどちらも聞かないわ。別の話は聞きますけど」
「別の話?」
「敬虔過ぎて女神に操を立てているのでは、とか」
「そっち!?」
こちらも荒唐無稽も良いところだ。何だ、女神に操を立てるというのは。神官だって結婚する世の中、なぜ一般人が女神に操を立てなければならないのだ。そもそも女神がそんなことを望んでいるなどひとつも聞いたことが無い。
「妙齢のお嬢さんのいるお家の間ではグレアムさんは理想的だけど汚したくない、という感覚のようよ?」
「いやもう…何が何だか……」
汚したくない…何だそれは。てっきりグレアムが真面目過ぎるのかと思っていたがまさかの神聖視。汚れ無き存在として守られているとかもう…。
「知らなかったのね」
「そんな突拍子もない噂話、王宮まで入って来ないよー」
「あら、これもちゃんと収集しないといけない噂のうちでは無いの?」
「そうだねぇ…言ってる連中の頭の中が不安になるから確認しておこうかなぁ」
「私が聞いたご婦人たちの名前だけでも控えておきましょうか?」
「うん、お願いー……」
ヴァージルは脱力した。ここの所連続で嬉しかった分、余計に胃に来た。これは駄目なやつだ。
「はあ…参ったな、後継者も探さなきゃだけどあの辺の結婚も何とかしないとなんだよねぇ…」
「もう良い大人なのですからそこは放っておいて差し上げたら?」
「だって勿体ないじゃないか」
「まぁそうね。お話を持って行ったらほとんどのお家がふたつ返事でしょうけど…」
「どうしたもんかなぁ……」
本当に、幸せになって欲しいのだ。苦しんだ分だけ幸せは来ると信じたい。あの子たちの未来が明るいと信じたいのだ。
「まずは王子殿下の立太子が済むのを待ってみたらどうかしら?」
「うん、そう、分かってる。そこが過ぎないとあの子たちは逃げ回るって」
「だったらその後で悩めばいいのに」
「分かってはいるんだよ~……」
それでも考えてしまうのだ。今できることが無いか、何が最善か。
「あなたも苦労性よね、旦那様」
「はぁ…胃痛が酷くなりそう」
「まったく……」
呆れたように笑ったアナベルが寝台に座るとそっとヴァージルを抱きしめた。
「そんな旦那様が大好きよ」
「アナぁぁ…」
ぽんぽんと背を撫でてくれる男前の愛妻を、ヴァージルは縋るようにきゅっと抱きしめると「幸せにしたいよね」と呟いた。「そうね」と笑ってくれる妻を、ヴァージルは更にぎゅっと抱きしめた。




