13.王弟従者ベンジャミン 1
「お断りします」
目が合った瞬間に開口一番そう言われ、ヴァージルは開きかけた口を閉じるのではなくぱくぱくとさせた。
「まだ僕は何も言ってないんだけど、とりあえず理由を聞いても良い?」
「宰相になどなったらレオの側に居られないでしょう。万が一レオが王にならざるを得ないのなら宰相になりもいたしますが…それでも国より従者の仕事を優先いたしますね」
「ベンジャミン君、不敬不敬」
「そうですか」
眉ひとつ動かさずに微笑のまま窓際で立っていたアナベルに一礼し、ベンジャミンは勧めもしないのに寝台横の椅子に座った。元々勧めるつもりだったので良いのだが。
陛下専属侍医アルジャーノンと暑苦しい…いや、熱い握手を交わし今後の協力を誓い合い、苦い薬湯を処方されて飲み干しほぼ気絶のように眠りまたも三時間が経過している。たぶん、あの薬湯には眠り薬も入っているはずだ。
「あー!そういえば君、フェネリーな上にメイウェザーの血筋でしたね?うっわ、扱いにくい!」
「お褒めに預かり光栄ですね」
にこりと、少々細めの瞳を柔らかく細めて笑みを深くすると、ベンジャミンはポケットから手帳と携帯用の筆記具を出した。
「ところで閣下。お時間が合えばレオがお見舞いに伺いたいそうなのですが…ご都合の良い時間、あります?」
「いつでも都合はつくよ、この通りなので」
「レオと夫人を会わせたいですか?」
「うん、嫌だ。いつにしようか」
びしりと寝台の上で姿勢を正すとヴァージルは真剣な顔になった。
これはどちらの配慮なのだろう。ライオネルが気遣ってくれたのか、ベンジャミンが気づいて調整に来てくれたのか…この主従ならきっと同時に気づいて同時に「行って来い」と「行って来ます」だった気がする。
「……もしかして君、メイウェザーの自覚ある?」
「無ければ宰相になれたかもしれませんね。ついでに爵位も要求したかもしれません」
メイウェザー伯爵家は特殊な一族だ。生涯を掛けられるものを血が求める。見つけてしまったら最後、その生涯を掛けられるもののために生きて死ぬ。呪いのような血だが、生涯を掛けられるものを見つけることができた数少ない者は幸せらしい。
そうして、本筋からは離れた血筋ではあるがメイウェザーの血を割と濃い目についているベンジャミンはしっかりとメイウェザーだと本人が認めた。ベンジャミンが生涯を掛けるのは王弟ライオネルその人…そういうことだ。
「うわぁ………あれ?ライオネル殿下って君に対する自覚ある?あれれ?」
「有っても無くてもレオはレオです」
「うん、ごもっとも」
手帳を開いたまま小さくため息を吐くと、ベンジャミンは顔を上げた。
「私がメイウェザーでもフェネリーでもレオは私を拾ったでしょう。私もメイウェザーでもフェネリーでもレオを選びます。それだけのことです。申し訳ありませんがそういうことでご都合を」
「えー!待って待って!もう少し!!」
「何です。もうすぐレオのおやつの時間なのですよ」
「え!宰相の僕のお願いって殿下のおやつ以下!?」
「相手が私でなければ順位は変わると思いますよ」
「あーうん、メイウェザーだね!間違いないね!!」
「お褒めに預かり、以下同文」
メイウェザーの生涯を掛けられるものに選ばれるということは、そのメイウェザーの生殺与奪を握るということ。側に置くということはその危険を分かった上で責任を持つと宣言したのと同じこと。
ライオネルはベンジャミンがメイウェザーであると…ライオネルを選んだと知った上でベンジャミンを側に置いているのだろうか。聞いてみたいが少し怖い気もする。
そう言えば王妃殿下は分かった上でメイウェザーの侍女を側に置いている。そして侍女…ダレルの婚約者ハリエットは常に王妃殿下のために文字通り命を懸けて来た。結婚もたぶん、王妃殿下のためだ。もちろん相手がダレルだから受けたのだろうが。
「うわ、雑だなぁ、僕に対する扱いー」
おかしな方向に考えが飛んでいきそうだったのでヴァージルはぶるりと震えるとわざと大げさなくらい悲しそうに眉を下げた。そんなヴァージルを見てベンジャミンの微笑がすんっと無になり、そしてついに不機嫌な顔になった。
「さっさと寝てはいかがです。あなたが元気にならないとレオがしょんぼりするんですよ」
「あー、しょんぼりなライオネル殿下は可愛いからね。今も昔も」
「ちっ」
「あ、舌打ちしたね!?僕宰相、一応不敬ね!?」
「はいはい、申し訳ございません。もうよろしいですか?」
「あー!ごめんなさい!!もうひとつだけ」
「分かりました、ひとつです」
嫌そうに眉をひそめたベンジャミンにヴァージルはへらりと笑った。ベンジャミンが嫌そうな顔をしてくれる相手は限られる。笑顔で流して消えてしまわないことが関係性が悪くない証だ。
ヴァージルは何度も首を力強く縦に振ると、「はい!」と手を上げてベンジャミンを真っ直ぐに見た。
「ひとつ!王妹殿下…オリヴィア様と結婚してください!」
「嫌です。それではご都合を」
「ちょちょちょ、理由、理由下さい」
「ふたつではないですか」
「いやいや、関連事項ですからひとつですよ」
「屁理屈を……」
面倒くさそうにベンジャミンがため息を吐いた。
「宰相にならないのと同じ理由ですよ。王妹殿下が大公位を得るならその夫では同じ大公位を得るレオの従者はできないでしょう。逆に王妹殿下が子爵である私に嫁ぐことはできません。私が伯爵に陞爵されたところで伯爵夫人では王妹殿下の行動範囲が狭まるでしょう。あの王妹殿下が我慢できると思いますか?どちらにしろ無理なんですよ」
「王妹殿下のことは嫌いじゃないんだよね?いっそ侯爵位なんてどう?」
「要りません。いっそ邪魔です」
本気で嫌そうに吐き捨てたベンジャミンに、これは駄目だなと思いつつもヴァージルは食い下がった。
「えー、きっと役に立つよー?いざとなればライオネル殿下の盾になれちゃう!」
「伯爵位で十分です」
「あ、伯爵位を受け取る気はあるんだ?」
「その予定ですよ。レオの結婚が決まったらですね。そうなれば奥様も守る対象に入りますので」
むしろこれはヴァージルとしては驚きだ。ベンジャミンは伯爵位でも嫌がるかと思っていたが、やはりライオネルのためならいらない爵位も受けるらしい。
メイウェザーは生涯を掛けるものを探し求める呪いのような血筋だが、もう片方の血、フェネリーは実務が好きな権力嫌いという厄介な性質を持っている。どちらも持っているベンジャミンは出世なぞ餌にしたところで動かないどころか笑顔で提案した人間を潰しかねない。裏から。
「ちなみにライオネル殿下の妃には誰推し?」
「一択ですね」
「あ、やっぱり?」
「地位的にも見た目的にも性格的にもおひとりしか認められません」
名前は出さないが当然ひとりはひとり。共通認識、グローリア・イーグルトン公爵令嬢だ。
「えーっと、殿下はそれを認めてる?」
「認めてたらとっくに婚約して卒業次第即、結婚です」
「あー……囲い込む気満々なんだね、ベンジャミン君」
「どう見たってすでに王妃殿下も国王陛下もそのおつもりですよ。閣下もそうでしょう?」
「うん、その通り」
嫌そうな顔から無まで復活していたはずのベンジャミンが「でしょうね」と頷くとまた不機嫌そうな顔になった。
「レオはヘタレなんですよ。割と気に入ってるくせに自分からは決定的なことは言いやしない。駄目だ無理だと言うくせに手放すこともできやしない。何だかんだとべたべた触るくせに……。嫌がらないでいてくれるのを確認してるだけにしか見えないんですよ、あのムッツリが」
「いや、ベンジャミン君、不敬ね」
若干の闇を感じるくらい目の座ったベンジャミンにヴァージルは苦笑した。ちらりと窓辺を見れば、聞いていませんとばかりに外を見ているアナベルの肩が揺れている。
「レオは気にしません」
「僕の心臓がきゅっとなって胃がぎゅっとなるんだよね」
「そうですか、胃薬だけじゃなく良い心臓の薬も探しておきますよ」
「そこは不敬をしないって選択肢はないんだね、さすがベンジャミン君」
「お褒めに預かりどうも」
「雑だなぁ……」
どんどんと対応が雑になっていくライオネルの従者に、親しいからこそ雑になると知っているヴァージルのみぞおち辺りがぎゅっとなる代わりにほんわり温かくなった。




