11.宰相夫人アナベル 2
「なんかさ、ちょっと安心」
「安心ですか?」
この年になって妻の前で泣くのも恥ずかしいがヴァージルの愛するアナベルはそんなことを気にはしない。ハンカチを受け取り涙を拭きつつヴァージルが頷くと、アナベルは不思議そうに首を傾げた。
「うん、安心。あのね、陛下が来たんだよ、今日の昼頃」
「陛下がですか?今度は何を?」
王宮に勤めたことのないアナベルにまでこの言われよう。ヴァージルの妻な上にセシリアとライオネルが報告を入れている以上当然と言えば当然なのだが、眉をひそめたアナベルにヴァージルはへらりと笑った。
「うん、見舞いだった」
「……お見舞い?何のついでにですか?」
「見舞いだった。ただの」
「………………え?」
考えるように唇に手を当てて視線を泳がせ、たっぷりと時間を置いてからアナベルが理解できないとばかりに首を横に振った。
「『タダノミマイ』ってなんでしょう?」
「あっははー!うん、文字通りのお見舞いだよ」
ヴァージルは思わず声を上げて笑った。そういえばと思い出し「あの辺に焼き菓子の箱か籠かあったりしない?」とアナベルにお見舞いの山を指さすと、いぶかし気に山へ向かったアナベルがリボンで見事に装飾された小さな籠を持って戻って来た。
「これでしょうか?」
カードが付いていたらしく不思議そうにそれを手に取り、それからぎょっとした顔で固まった。
「私に、ですか?」
「うん、そう。内宮の焼き菓子美味しいから夫人にってさ。夫人が嬉しかったら宰相も嬉しいでしょう?って」
「何てこと……」
本来であればここは気遣いに感謝したり喜んだりするところだ。この国で最も貴い人間である国王陛下からの思し召しなのだから。だが、そうはならないのがウィルフレッドという王であり、ウィルフレッドの下で国を回してきたヴァージル達との間柄だ。
愕然とした顔でカードを凝視しているアナベルに手を伸ばすと、気付いたアナベルが籠ごとカードを渡してくれた。
上質な紙にウィルフレッドの色である金の装飾がされたカードには「宰相をよろしく。 W.」と書いてある。普通であれば驚くところではないがそこはウィルフレッドだ、何度も言うようだが。
「あの陛下が、直筆のカード…しかも気遣い…………」
「ね、すごいでしょ?僕、それだけで胃が治るかと思ったもん。気のせいだったけど」
「さすがに一日では治りませんよ。魔法じゃあるまいし……」
「でも魔法みたいでしょ?」
「そうですね……陛下のカードも、王子殿下のお手紙も……まるで魔法ですね。やっと…未来を信じられる……」
「うん。育ってるんだ、当代も、次代も。もう僕らが心配しなくても、ちゃんと未来が来るんだよ」
「ふふ、ふふふ……この年になると涙腺がゆるくて本当に困ってしまいますね」
「だね、お互いね」
ヴァージルが両腕を大きく広げると、泣き笑いのような顔でアナベルが胸に飛び込んできた。そのままぎゅっと抱きしめるとアナベルのまた少し小さくなった肩がふるりと震えた。
元々小柄な人だった。初めて夜会で見かけた日にもヴァージルはまずその容姿の可憐さではなく小ささに目が止まった。この子は本当に成人しているのか!?と。それから夜会や行事で見かけるたびに目が追うようになって、気が付けば惚れていた。
小さく可憐な姿に似つかわしくないほど気が強く曲がったことの嫌いなアナベルは意外に喧嘩っ早く、どこにいても目立っていたので目で追っていたのはヴァージルだけでは無かったのだが、容姿だけで追いかけていた見る目の無い連中は早々に脱落してくれたので助かった。
ヴァージルは容姿も頭も凡人で、公爵家の跡継ぎという地位以外何も持っていなかったから。
「アナベル、待たせてごめん」
「待ってなどいません。ずっと一緒に戦ってきたつもりです」
「うん、そうだね…君がドラモンドを守ってくれるからこそ僕はここで戦えた」
「あなたが国を守ってくれるからこそ私はドラモンドで戦えました」
「やっとだ、アナ……」
「ふふふ、はい」
どちらからとも無く顔を上げ、微笑み合って唇を重ねる。いい年した大人の口づけなど誰も見たくは無いだろうが幸い、この部屋にいるのはヴァージルとアナベルふたりだけだ。メイドも医者もいない。
もう一度お互いを抱きしめあうと、「ああでも」とそのまま顔を上げてアナベルが言った。
「まだですよ、あなた」
「え?何で?」
「あなた、後継者いないでしょう。家も国も」
「ああああああああ!!」
思わず大声を上げたヴァージルにアナベルが耳を塞いでばっと離れた。「あ、ごめん」とヴァージルが謝ると、アナベルが「ほんと、締まらない人ねあなた」と涙に濡れた瞳で呆れたように笑った。
「閣下、お目覚めですか?」
こんこんこん、と扉が叩かれて外から声が掛かった。恐らくセシリアかライオネルの指示で騎士か誰かが近くに立ってくれていたのだろう。
「ああ、すいません。目が覚めたらやり残した仕事を思い出しちゃって」
「閣下……絶対に仕事をさせるなと王妃殿下、王弟殿下から厳命されております。今日の所は忘れてどうぞお休みください」
「うん、はい、大丈夫です。さすがに時間が時間ですので今日は動きません」
「明日以降も厳命されております」
「う……医者を要請します」
「緊急ではないようでしたらそちらも明日でお願いいたします」
「よろしくお願いします………」
扉の向こうは誰だろう。聞いたことがあるような無いような声だが、あのふたりが適当な者を立たせるとは思えないのでどこかでは顔を合わせているのだろう。
「それでは、ごゆっくりお休みくださいませ」
「はい、おやすみー」
その言葉を最後に扉の向こうから声は聞こえなくなった。ちらりとアナベルを見れば呆れたような顔でヴァージルを眺めていた。
「あなた、誤魔化すにしても他に言い様は?」
「いや、何か、もう、日々の癖……?」
「呆れた……」
本日何度目か分からない「呆れた」を愛しい妻からちょうだいし、ヴァージルはへらりと笑った。
「うん、そう。後継者ね。家の方はもうニールを正式指名するって決めてるんで大丈夫」
「ニールが納得すると思います?」
「するよ。僕に似て苦労性だから、あの子。お兄ちゃん大好きだしね」
「サマンサがまた泣きます」
ため息を吐いたアナベルにヴァージルは苦笑した。
「サマンサちゃんに感謝だね」
「涙目でしたものね。公子様の妻なんて無理です!って」
「そりゃあね、そもそもが子爵令嬢だしね」
「でも良い子ですわ。少し自信が付けば十分通じます」
「そうだね…後ろ盾だけはしっかりさせないとね」
第二子のニールの妻となってくれたサマンサはニールの学園時代の同級生だ。子爵令嬢でありながら成績優秀で三年間Aクラスに在籍し続けた才媛で、ニールがべた惚れに惚れて追いかけて追い掛け回して結婚まで持ち込んだ。
すでに二十六なので女性としては行き遅れなのだが、その原因となったのももちろんニールだ。宰相の家でもあるドラモンド公爵家の令息が追いかけている令嬢に手を出そうなどという家は無い。
サマンサがニールを嫌っているようであればどんな手を使ってでも早い段階で逃がしてあげようと思っていたのだが、ニールの『公爵令息』という肩書以外は好ましく思っているようだったのでニールの粘り勝ちを狙って頑張ってもらうことにした。サマンサちゃん、ごめん。
「その辺りも含めて元々タウンハウスに向かっていたらこれですものね…」
「ほんと、ごめんね、アナベル」
「ちょうど良いと言ったらあれですけど…早々に来られて良かったですわ」
そう言って微笑んだアナベルを、ヴァージルはまた手を伸ばして抱き寄せた。
「会いたかったアナ…」
「ふふふ、困った人ですね」
「宰相なんてやりたくなかった」
「今更ですよ」
そう、今更だ。過去は変えられない。変えてやれるならどんな手を使ってでも変えてやりたいがヴァージル達には未来しかない。未来なら…今なら信じられる。
「困るのは宰相の後継なんだよねぇ」
「あと三年ほどでしょう?」
「いやー、王妃殿下には『家令に定年は無い』って言われてる」
「王妃殿下らしいですね」
くすくすと笑うアナベルの肩口に顔を埋めてヴァージルはため息を吐いた。すでに風呂も済ませているのだろう。淡く石鹸の香りがする。
「もう寝ようか。考えるとまた胃痛がしそう」
「ああ、続き部屋のお隣にお部屋をいただけましたよ」
「駄目、一緒」
「呆れた……」
言葉通り呆れたように、けれど目だけはとても優しく笑って「ほら、そっちに寄ってください」とアナベルがしっしと手で払った。「うん」といそいそと脇に避けて布団を上げるとアナベルがするりと寝台に上がった。横になって思いきり抱き締めればやっとアナベルがいると心から実感する。
「アナ」
「はい」
「おやすみ」
「ええ、おやすみなさい」
くすくすとおかしそうに笑うアナベルの額に口づけると、ヴァージルはアナベルを抱えたまま目を閉じた。今度の眠りもとても良い夢が見られそうだ。




