第19話 外輪の封鎖――監督役の影を追え
昨日まで「誰も見なかった封」を、今日は村全体が見守っています。
第19話では、エルがついに監督役と真正面から対峙。
群衆の目が証拠になり、村と王都の間の火種がはっきりと燃え始めました。
ここからはいよいよ、表の戦いです。
隠す側と暴く側、どちらが正しいかを“記録”で争う段階へ──。
エルの怖さと覚悟、その両方をしっかり書きました。
◆公開棚の朝
夜明け前の街はしんと静まり返っていた。
支部の広間はもう人でいっぱいだ。
床板の冷たさが足裏から伝わり、昨夜の緊張がまだ消えていないことを思い知らせる。
三重封は赤黒く光り、まるで鼓動しているようだった。
俺は無意識に拳を握る。(剥がされていないか……いや、大丈夫。今日こそ、みんなが見ている)
農夫が大きな手を固く組み、若者は顎を引いて封を見据える。
子どもは背伸びし、老婆は杖を握りしめ、息をひそめている。
昨日まで「誰も見ない場所」だったここで、今は村中が“目”になっていた。
「封は昨夜のまま。欠けなし、縁合致」
臨検官の声が響く。
支部役が墨を落とすカリカリという音が、まるで村の心臓の音のように響く。
差し替えた印入りの空袋が運ばれる。
「王都商家から照会が届いた。出所を問うている」
ざわめきが走る。
レオンが笑う。「刺さったな。喉に」
カリムが拳を握る。「なら、無視できねぇ」
胸の中で冷たい波と熱い波が交互に打った。
(来る。もう見ないふりでは済まない)
⸻
◆監督役、再び
扉が軋む音。
広間が一瞬で凍りつく。
黒外套の影――監督役が入ってきた。
足音はない。音そのものが、彼を避けるかのようだった。
「ごきげんよう」
声は柔らかいが、体温を持たない氷のような響き。
「立派な公開棚だ。だが越権だ。王都の許可なく三重封を打つ権限は――」
「支部法第七条」臨検官が即答する。
「緊急時における仮封は、三名以上の立会で有効」
「立会が村の者では公正性が担保できぬ」
監督役の声が鋭くなる。
「だから群衆で補った」
俺は一歩前に出た。
全員の視線が集まり、背中が焼けるようだ。
震えはある。でも足は止まらない。
「あなたも見たはずだ。昨日、封に誰も触れなかった」
《統合視》が監督役の呼吸の乱れを捉える。
外套の裾がわずかに揺れ、心臓が半拍遅れる。
(見た。でも認めたくない。嘘だ)
「目撃は証拠にならない」
「記録になれば、なる」
俺は棚の封を指差す。
「昨日の名簿と印を並べる。それが“書かれた目”だ」
群衆の中から声が上がる。
「俺も見た!」
「封に触れたやつなんていねぇ!」
老婆が杖で床を叩く。「見たとも!」
声が波のように重なり、広間の空気が震える。
監督役の眉がわずかに動く。
「なら問おう。誰が責任を負う?」
「俺だ」
喉が震えるが、声は揺れなかった。
「俺が刺した。抜くなら、俺の目の前で抜け」
沈黙。
監督役の口元がわずかに笑う。
「君は輪にとって毒だ。本当に量を知っているのか?」
「量は怖さで測る。今、ちゃんと怖い」
一瞬、背骨の奥で何かが鳴った。
逃げ道は消えた。それでいい。
「次は王都で会おう。量を測る場所で」
監督役は背を向け、群衆の視線を背負ったまま去った。
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◆火種とほのぼの
最初の拍手は小さかった。
子どもの掌の音。
それに二つ三つと重なり、広間いっぱいの拍手になる。
「エル、よく言った!」
「村の子が村を守った!」
老婆が涙をぬぐい、若者が肩をぶつけ合う。
レオンが口角を上げる。「もう子どもの顔じゃねぇな」
臨検官も頷いた。「記録は敵より長生きする。いい手だ」
カリムが低く言う。「三年前、俺は何も言えなかった。今日、ようやく返せた気がする」
「返すのはこれから。今日のは始まりの印だよ」
女将が湯気の立つ鍋を運んでくる。「ほら、冷えるから飲んでいきな」
木椀が配られ、香草の匂いが広がる。
リナが覗き込む。「ほんとに十歳?」
「転生してなければ三十だ」
「……信じられない」
「信じる材料はこれから増やす」
「じゃ、まずはこのスープを信じる」
笑いが波紋のように広がった。
(この笑いだ。守りたいのは)
⸻
◆出立前の準備
糸鈴を四つ、紐を三種。
高さを変えて音色を確かめる。
リナが結び目を受け取り、補強する。
「震えてる?」
「少し」
「ちょうどいい。怖いときは手が正確になる」
臨検官が地図を広げる。「川沿いの獣道、ここが薄い」
レオンが頷く。「糸鈴を三段、高さ違いで張ろう」
「印の袋は?」
「今度は重い袋を軽くする。帳が狂えば、正面に引きずり出せる」
女将が包みを差し出す。「干し肉と蜂蜜だ。甘いものは怖さを小さくする」
「理にかなってる」
女将の笑顔はどんな封よりも強い印に見えた。
外の空は白から淡い青へ。
朝の冷たさが頬を刺す。
俺は最後にもう一度だけ振り返り、公開棚に頭を下げる。
(見られることを仕組みにする。書かれることを武器にする。十歳の俺ができる最大の殴り方で、今日も前に出る)
次回:「揺れる嘘――人の心を読む統合視」
ふう……この回はとても緊張しました。
監督役とエルの言葉の応酬、そして村人たちの一斉の拍手、
書いている自分も背中が熱くなる場面でした。
物語は次の段階へ進みます。
次回からは川沿いの別線封鎖の準備と踏査、
そしてエルの《統合視》がさらに深くなり、
人の心の“嘘”を読み解き始めます。
次回、第20話「揺れる嘘――人の心を読む統合視」
エルたちの作戦と心理戦にご期待ください!