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第16話 取次役の真意――王都の影が迫る

前回の戦いで村は辛くも盗賊を退けましたが、東の柵は焼け落ち、村人たちは深い恐怖に包まれます。

そんな中、取次役レオンが姿を現し、冷徹な“優先順位”を語ることで、王都の影がさらに濃く迫ってきます。

一方エルは、《革新の書》の力が進化し、新たに“統合視”を得ることで敵の動きを網のように読み取る小さな覚醒を迎えます。

村人たちの怒りと不安、レオンの真意、そして次なる証拠探しへの布石――物語は大きく動き始めます。

灰の朝


夜明けの風が、焦げた匂いを村じゅうに押し流していく。

東の柵は黒い歯列のように立ち枯れ、炭の欠片が足裏で粉になるたび、昨夜の悲鳴が耳の奥で反響した。

俺――エル・アナシスタは、濡れ手ぬぐいで口を覆い、焼け跡の中を一歩ずつ確かめる。柱の焼け筋、梁の落ちた角度、地面に残る溶けた金具の形――。


「四点同時点火。油は樹脂混合……火の“広がり方”が計算されてる」

横でリナが短剣の鞘で炭をそっと持ち上げ、目を細める。「素人の“ついで放火”じゃない。押し込み線を作ってから侵入させてる」

「昨夜の指揮官の癖だ。火で人の動線を狭め、恐怖の圧で押す。……最小の兵で最大の混乱を作るやり口」


声を交わす間にも、村人たちの嗚咽と咳が混じる。

水を運ぶ男の腕は煤に真っ黒、女たちは濡れ布で子どもの顔を拭い、老人は空になった桶を抱えて呆然と座り込んでいる。

「生きてるだけ、まだ勝ちだ」誰かが乾いた冗談を言い、誰も笑わない。


俺は背伸びをして、柵の外側の地面に目を凝らした。

ひどく細い靴底の跡、踵の磨耗、同じ間隔で三歩進んで一拍置く癖――。

(昨夜も、登録試験の時も、森の偵察で見た“軍の歩き方”。村の人間じゃない。王都で訓練された足だ)


黒外套


「状況の確認は済んだか?」


灰の向こうから、レオン・ド・カルトが現れた。

黒い外套は灰を弾いて皺ひとつなく、銀糸の刺繍が朝日に冷たく光る。両脇に従う兵士は、腰の剣の角度まで同じ。動きに無駄がない。


「死者なし。負傷軽微。柵の損壊は限定的」レオンは、現場の汗と焦燥を素通りする声で淡々と告げる。「護衛としては、上出来だ」

「昨夜、あなたの兵は動かなかった」俺は正面から言う。「古堂から東柵まで五十数える距離。兵が出れば延焼も侵入も抑えられた」

「優先順位を誤らなかっただけだ」レオンは目を細める。「守るべきは“品”だ。王都は村の再建より流通の確保を選ぶ。――君も護衛なら、守る対象を選ぶことの重さは知っているはずだ」

「俺の“守る”は荷と人の両方だ」

「理想は嫌いではない」レオンの口角がわずかに揺れる。「だが理想は、枠の外に置かなければ統治が崩れる」


その「枠」という一語が、冷水のように胸に落ちた。

(こいつは“正しい言葉”を選ぶ。わざと正しさで殴ってくる。だからタチが悪い)


後ろで村人が詰め寄る。「わしらは虫けらか!」

「虫ではない」レオンは振り返らずに言う。「数だ。一人を見れば心が揺れる。統治は、揺れで壊れる」


村長の影


「村長が倒れた!」若者が駆けてきて、喉を裂く勢いで叫んだ。

俺とリナは走る。小屋の中、村長は汗に濡れた顔で上体を起こそうとしていた。

「夜半……家の裏に気配が……風みたいな足音で……」


裏庭に回ると、土が一箇所だけ“新しかった”。

指で掘ると、小さな布袋。中には薄い金属板――三重の輪の抜き印。

リナが低く吐く。「裏流通の脅し札。“逃げられない”を家の土に埋め込む趣味の悪さ」

村長は布団の上で震えながら問う。「わしら、どうすれば……」


「選ぶしかありません」俺は短く答える。「でも、その前に見て確かめる。夜の“輪”の手口と“口”――揚げ場を」


兆し


焼け跡に立ち戻った時だった。

耳の奥で、小さな鐘の音が鳴る。女神が転生の夜に触れさせた、透明な一打。

視界の粒立ちがふっと変わり、灰のパターン、風の縞、足跡の深さ、矢の刺さった角度――バラバラの手掛かりが網になって重なった。


(見える。侵入経路、退路、再集合の点。――小丘のふもと、低木が輪になって踏み固められた場所。そこが“口”だ)


「リナ」

「顔色、変わった」

「《革新の書》が進んだ。統合視……多分、そう呼べる。点が線になって、先が読める」

リナは口端を上げる。「いいわね。十歳の覚醒にしては上等」


井戸の集会


井戸の前に村人を集め、俺は灰の地面に簡素な図を描いた。

三つの矢印、三つの箱。


「道は三つあります。

一つ目、“従属”。三重の輪に従い、脅しと引き換えに短期のカネを取る。

二つ目、“断絶”。薬草を断ち、門を閉ざす。短期の安全と引き換えに長期の衰弱を受け入れる。

三つ目、“転換”。裏の記録を掴み、公に晒す。危険は大きいが、主語を取り戻す道」


ざわつき、ため息、怒り、恐れ。

レオンは鼻で笑った。「子どもの空想だ」

「空想なら、揚げ場なんて“見えない”。でもある。そこに“引合帳”と“量目札”が必ずある。裏でも流通は記録を必要とする」


沈黙。

最初に一歩踏み出したのは、昨夜水桶を抱えて走り続けた、まだ頬に幼さを残す少年だった。

「……僕、行きます。見ないと、何も信じられない」

続いて、腕に包帯を巻いた若い男。「俺も」

女将の姪という短髪の女が頷いた。「私も見る」

俺は振り返る。「カリムさん。案内と、紙の匂いを嗅ぎ分ける鼻が要る」

商人は逡巡ののち、強くうなずいた。「行こう。逃げてばかりじゃ、商いも誇りも残らん」


黒外套がゆっくり近づく。兵士二名が自然に道を塞いだ。

「許可なく村人を危険に晒すことはできない」レオンが言う。

「許し?」リナが肩をすくめる。「昨夜、あなたは“許し”を口実に動かなかった」

レオンは俺だけを見た。「二名まで。護衛のみ」

「村人の主語が抜ける。王都は“子どもの妄言”と切り捨てる」

視線がぶつかり、炎の残り香が二人の間を流れる。

数呼吸ののち、彼は懐から銀の円板を出した。

「臨時立会印だ。同行の記録を“私の責任で”受けたことにする。――ただし、自己責任を条件に三名まで」

「借ります。返すときは“証拠”を添えて」


西へ


準備は早い。水袋、固い携行食、村の古い短槍三本。

俺は紙と炭筆、リナは昨夜仕込んだ小さな糸鈴を幾つか懐に入れた。風に混じる高低二音で簡易の合図ができる。


村の西端から小丘へ。

湿った草が足首を撫で、折れた露草の汁が靴に薄い膜を作る。ときどき鳥の声が途切れるのは、風が変わる場所――音の屈折がある。

《統合視》が示す薄い線に従って茂みを分けると、円形に踏み固められた地面が現れた。

「ここだ」膝をつく。微細な紙片、油の匂い、草の繊維に絡んだ黒い糸。

カリムが目を閉じて吸い込む。「王都の油……防虫剤の配合が独特だ。間違いない」


円の外、わずかに凹んだ地点――埋め場。

ナイフで土を切り、指で掻き出す。布包み。解く。

中から薄い紙束と刻印入りの木札が顔を出した。

「引合帳、量目札、符丁……揃ってる」俺は息を整える。「この村が何を、いくらで、いつ、誰に渡しているか。――全部ここにある」

女将の姪が指で触れて、震えた声を漏らす。「冷たい……でも重い。これが“輪”の重さ」

少年が唇を噛みしめる。「こんなの、知らなかった」


「分冊する。三方向に分けて持つ」

「なぜ?」

「“一人を消せば消える”構造を壊すため。輪は、弱いところから切りに来る」


短い衝突


糸鈴を二つ、風上と風下に。細い高音と低音が風の層に滲み、距離感を狂わせる。

「伏せて!」

矢が一閃、俺たちがさっきまでいた空間を切り裂いた。

茂みから二影。顔を布で覆い、革鎧、短弓。

リナが前に出て、二歩、三歩を小刻みに詰め、二撃で弓腕を断つ。

もう一人が退く。俺は足元の土を蹴り、泥の粒を矢羽根に散らして狙いを狂わせる。

「追いすぎない」

合図で三人を背後にまとめ、丘を背に引く。糸鈴の音が風に溶け、敵の足が微かに泳いだ。

短い衝突は、短いまま終わった。

(ここで長く戦えば、彼らの土俵に引き込まれる)


井戸へ戻る


村に戻ると、井戸端は静かだった。静かすぎた。

レオンが輪の中心に立ち、兵士が二列で空間を縁取る。

俺は村長に歩み寄り、紙束の一部を差し出した。

「あなたの声で読んでください」

村長は震える手で紙を広げる。「……量、月、値……。村は、こんな、値で……」

ざわめきが怒号に変わりかけ、泣き声に飲み込まれ、やがて静まり、凝視になる。

リナが小さく肩をぶつけてくる。「止めないの? “合理の人”」

レオンは目だけで笑った。「統治は、時に怒りに輪郭を与えることだ。見せねばならない時がある」

「次は、枠に戻す?」

「戻す術を、私は持っている」


「戻させない」俺は一歩前に出る。「透明化に舵を切る。次の市で、村の代表が組合の公印商家に直接出向く。引合帳と量目札の写しを携えて」

カリムが顔を上げる。「王都で“公開の場”に出すのか」

「最初は街の組合支部だ。いきなり王都に投げれば握り潰される。段階を刻む。――今夜、この村で“写し”を作る」


火と紙


古堂の脇に、簡易の写し場を作った。板を洗い、薄紙を重ね、炭を擦る。

女将の姪は手が早い。少年は真剣に一枚ずつ乾かし、若い男は火の見張りに立つ。

俺は項番と印の順番を赤い墨で書き足し、抜かれた時にすぐわかる“欠番”を意図的に仕込んだ。

「抜かれても、抜いた痕跡で“騒げる”ようにするのね」リナが感心したように言う。

「輪は、影で動く。だから光のほうに“仕掛け”を置く」

《統合視》の網が、村の中の動線を示し続ける。見張りが一度だけ二手に分かれ、何者かが屋根の上で止まり、また戻る。

(来る。……今夜は来ない。動くのは、明日の朝か市の前)


レオンは古堂の柱にもたれて、黙って俺たちの手元を見ていた。

「君は、輪の語彙を本能で掴む」

「あなたは、輪を作る側だ」

「違う。私は輪を“回す側”だ」

「回す者は、壊す者と同じくらい責任を負う」

黒外套の視線が、一瞬だけ柔らかく崩れた。

「君が子どもでなければ、もっと話せたかもしれない」

「子どもだから、話せることもある。あなたが切り捨てる“数”は、顔と名前を持ってる」


揺れる夜


夜。

鳴子は鳴らない。だが風が時々“切れる”。

屋根の上の板がごくわずかに沈み、すぐ戻る。

(見るだけ。見張りの見張り)

こちらの“写し”を、向こうは“読み”に来ている。


俺は紙束を三つに再分割し、一つを村長の家の戸袋、一つを女将の店の床板の裏、残りを自分の荷袋の底に隠した。

リナが頷く。「分散と路線の複線化。……参謀っぽい」

「弱いから、仕組みで勝つだけ」

火がパチリと弾け、灰が白く舞った。

《統合視》の網は、村の外に薄い輪を描いている。西の小丘から、南の畦道、東の柵の外へ。

(包囲ではない。囲い込み。――逃げ道を“見せて”、誘導する輪)


「エル」

「ん」

「怖い?」

「怖いよ」

正直に言うと、リナは小さく笑った。

「よろしい。怖いまま前に出るのが、強い」


朝の前


夜が溶け、空が灰色に薄まり始める。

井戸のそばに人が集まり、子どもが小さくあくびをする。

女将がパンと乾いたスープを配り、誰もが無言で口に運ぶ。

俺はカリムと目を合わせ、短くうなずく。

「市までに支部へ“気づき”を落とす。――『印のない薬の出所は、村の名誉を傷つけている』という形で」

「正面切っての告発じゃないのか」

「最初の一歩は、面子の論法が効く。正義より、面子から崩す」


レオンが歩み寄り、銀の臨時立会印を指で弄んだ。

「君の“透明化”は、輪にとって毒だ。毒は、時に役立つ」

「褒め言葉として受け取っておく」

「褒めていない」

黒外套はそこで言葉を切り、ふと村長の方へ視線を向けた。

「今日、王都の馬車が一本入る。積み荷の調整に来る役人の臨検だ。――君たちの“写し”がどこまで生きるか、見物だな」

「見物で済めばいいですが」

レオンはひと呼吸、空を見上げた。「私には“私の枠”がある。……それでも、私は昨夜、兵を出さなかったことを覚えている」

「忘れさせない」


そして――影は迫る


朝の空気が乾き、村は“いつもどおり”の顔を無理やり被り始める。

最初の畑に人が出、井戸の列が整い、子どもが木の棒を振る。

けれど、東の柵の黒は消えない。

小丘の上で、風が一度だけ向きを変えた。

《統合視》の網が、遠くの道を細く光らせる。

砂煙。――王都からの車列だ。


俺は拳を軽く握り、開いた。

逃げない。見逃さない。いきなり殴らない。

仕組みに仕掛けを差し込み、輪の継ぎ目に楔を打つ。

十歳の参謀は、そうやって勝つ。


次回:「揚げ場への潜入――証憑を追え」

(王都の車列、支部への“気づき”、臨検、そして揚げ場の“もう一つの口”)


レオンは“悪”ではなく“枠”の体現者。だから厄介で、だから物語が熱くなる。

エルの覚醒は派手な火力ではなく、構造を見抜く知の拡張。ここから“輪”に対し、仕組みで殴る戦いが始まります。

次回は王都の車列到着、支部への“気づき”、そして揚げ場の第二の口。胸熱と爽快感、回収します。感想・ブクマ、めちゃ励みになります。

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