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第13話 村の護衛依頼――夜に忍び寄る影

第13話は、村に到着 → 宿の防備 → 夜の接近 → “三重の輪”の印(裏流通標) という流れで、王都の影を“匂わせ”から一歩進めて“見せる”回にしました。

戦わずに勝つ準備=鳴子・動線・障害物・段取り表など、エルの“仕組みで守る”哲学を強めています。第12話の緊張を引き継ぎ、明朝の古堂での対面へスムーズに繋がる構成です。

夕陽が山稜の向こうに沈みかけ、空が赤から群青へと変わり始めた頃、俺たちはようやく村の外れにたどり着いた。

粗末な木柵に囲まれた集落。畑は刈り取り前の穂を残し、風が通るたびにざわりと音を立てる。遠くで犬が一声吠え、すぐに静かになった。


「着いた……」

荷車の上で、商人カリムが安堵と疲労の混じった息を吐いた。

「門番はいないのか?」リナが柵沿いを見回す。

「日暮れには引っ込む村だ。怖いのは“外”だけじゃないという合図でもある」カリムが低く答えた。


村の入口で声をかけると、扉がわずかに開き、中から顔を出した若い男が、俺たちと荷車を見比べる。

「……カリムさんか。無事でよかった。みんな心配してた」

「心配をかけたな、エイベル。今夜は荷を下ろさず、宿で厄介になりたい。夜の道は危ない」

「もちろん。あんたらも、用心してくれ」


村の中央へ進むと、囲炉裏の煙の匂いが鼻をくすぐった。人影はまばらだ。扉は固く閉ざされ、窓の隙間からわずかな灯りが漏れる。

(人の気配が薄い。夜が来ると一気に世界が縮む村だ。――それだけ、恐れている)


宿は平屋の木造で、戸口に古い鈴が吊るしてあった。扉を開けると乾いた音が鳴り、奥から女将が現れ、カリムを見るなり表情を緩めた。

「まぁ……生きて帰ったんだね。よかったよ」

「ご心配を。連れてきたのは、護衛の若者ふたりだ」

女将は俺たちを眺め、特に俺の背丈に視線を留め、少し驚いたように眉を上げた。

「十歳? ……でも目が子どもの目じゃないね。いいさ、部屋は二つ。荷は裏の土間に入れとくれ」


荷車を宿の土間へと押し込み、覆い布を被せる。

「夜は扉に横木を渡しておけ。鍵は当てにならない」リナが手慣れた仕草で木製の横木を確かめる。

「用心深いねぇ」女将が感心するように笑い、続けて小声で囁いた。「……この村、ここ半月ばかり、夜に外を歩くと“風に足音”が混じるんだよ。風だけじゃない。誰かの呼吸がある」


風の音に足音。

(偵察の感触だ。昨昼の三人――囮の動き。夜の気配はその続きだと考えた方がいい)


夕餉は、粟粥と干し肉、野菜の煮込み。簡素だが塩気が体に染みた。

食後、俺とリナは宿の裏で、土間の隅に荷を“崩さず崩す”配置へ入れ替えた。

「樽は二つ前に、軽い袋は上。いざとなれば通路に倒して障害物に」

「了解。――それと、鳴子を仕掛ける。入口だけじゃなく、屋根裏にもひとつ」

「屋根裏?」

「板が古い。踏まれたときに鳴る仕組みを作れる」

リナは針金のような柔らかい金属と鈴を取り出し、梁と梁の間に細工を施した。触れれば高い音が鳴る。音色は細いが、夜の沈黙にはよく響く。


女将は作業をちらりと見て、「頼もしいこった」と言って厨房へ引っ込んだ。

カリムは囲炉裏の前で手を擦り合わせ、火を見つめていた。

「王都に運ぶ分は、明日の朝、村の古堂で受け取りだ。村長と薬種師、それに……王都から来た“取次役”が立ち会うはずだ」

「取次役?」

「私も詳しくは知らん。ただ、身なりが良すぎる。商人というより、役人のようでな」

(“貴族の影”を直接運ぶ者、か。王都の胃袋へ通じる喉、あるいは検閲の手)


「ひとつ聞いてもいい?」リナが火の灯りで瞳を細めた。「この村、どうして“王都筋”に薬を売るの? 市場に卸した方が安定するでしょう」

カリムはしばし沈黙し、囲炉裏の灰を崩す。

「この大陸の薬草地図を描いた学者がいてな。古い写本だが、それを手にした“誰か”が、価値のある採取地を点でつなげた。……この村は、その点のひとつだ」

「点が線になり、線が道になる。そして道は“私道”にされる」俺は呟く。「公の市場は素通りだ」

「そうだ。だから値は良い。だが、良すぎるものには裏がある」


囲炉裏の火が小さくはぜた。

夜は完全に村を包み、窓の外の闇は、まるで濃い墨で塗られたようだった。


「見回りに行く」

立ち上がると、女将が鉄製のランプを差し出した。

「気をつけな。村の外に出るんじゃないよ。闇の方が“目”を持ってるからね」

意味深な言葉にうなずき、俺とリナは宿の周囲を一周した。

柵の陰、土の匂い、家々の壁に預けられた農具。犬は吠えず、鳥も鳴かない。――音が消え、風だけが通っていく。


《革新の書》――起動。

(足跡――今夕についた新しい跡。靴底は細く、かかとがわずかに磨り減っている。村の人間にしては歩幅が一定すぎる。訓練された歩き方)

「リナ、東側の柵の外、二十歩。踏み慣れていない足が、草の向きだけ乱している」

「見えないのに、よく気づくわね」

「風の通りがひと筋だけ変わってた。――誰かが潜んでいる」


その時だ。

屋根の上――高いところから、かすかな、木が軋む音。

二人同時に視線を上げる。闇に溶けた屋根の稜線に、黒い影がひとつ。

「……降りなさい」リナが低く言う。

影は動かない。呼吸の気配だけが、風に混じってこちらへ届く。

俺は声を張らなかった。代わりに、宿の中へ向けて指先で合図し、女将に鳴子を鳴らさないよう注意の印を送る。

次の瞬間、屋根の影は風の切れ目と同じ速さで滑り、暗闇に消えた。


「追う?」

「いや。ここで追えば“道”に引き込まれる。相手の土俵だ」

「……理屈はわかるけど、血が騒ぐのよね」リナは肩をすくめ、短剣の柄から指を離した。


宿に戻り、女将に状況を手短に伝える。

「じゃあ、屋根裏の鳴子は正解だね」女将は頷いた。「裏庭の犬も、中に入れとくよ」

「犬?」

「よそ者の匂いに吠える。今夜は役に立つだろうさ」


囲炉裏の火が落ち着き、灯りが影を濃くした。

俺たちは交代で仮眠を取り、もう一人は荷の傍で見張る段取りにした。

「先に寝ろ」俺が言うと、リナは首を横に振る。

「だめ。あんたは昼間、計算を回しっぱなしだった。先に寝て、頭を冷やすの」

「わかった。――任せた」

寝台で横になると、疲労はすぐに神経の隙間へ入り込み、意識が鈍くなっていく。それでも耳は働いていた。鳴子の静けさ、犬の低い唸り、風が壁を撫でる音。

夜は長く、張りつめていた。


どれほど時間が経った頃か、ふいに細い鈴の音が一度だけ鳴った。

屋根裏。

「起きて」リナの声が低く、鋭い。

俺は身を起こし、寝台から足を下ろす。

女将はすでに囲炉裏の火に油を足し、灯りを強めていた。

「外じゃない。上だ」

鳴子が二度目に短く鳴り、ほぼ同時に、裏庭の犬が沈んだ唸りを一つ吐いた。


「外の見張りを惑わせる囮。主は上」俺は荷の位置を再確認し、土間の脇へ身を寄せる。「リナ、屋根裏の梁に近い板、ここだ」

リナは無言で頷き、短剣を逆手に構える。

次の瞬間、屋根板がわずかに沈み、埃がぱらりと落ちた。

「――今」

リナの短剣が板を穿ち、悲鳴の前に布が裂ける音。上で影が後ずさる。

「引いた」

「追わない。音を撒いて距離を測るためだ」

俺は土間の樽をわずかにずらし、落下の通路を塞ぐ。

「入るなら“ここ”しかないと見せる。――で、入らせない」


沈黙。

やがて鳴子は鳴らなくなった。

犬の唸りも収まり、夜は再び、風の音だけを残す。


「……長い夜になりそうね」

「明け方が近いほど、相手は焦る。気を抜かない」

リナは短く笑い、焚き火の火にあたりながら目を細めた。

「十歳の台詞じゃないわ」


少しだけ、呼吸が楽になった。

火の光が壁に影を揺らし、音のない時計の針のように時間が流れていく。

俺は手元で、簡素な“見張り用の段取り表”を作った。

――見回り間隔は二十呼吸、屋根裏と裏庭を交互に。

――荷の覆い布は端を結ばず、素手で剥がせるよう余白を残す。

――樽のフタは半ば浮かせ、音を出さずに中身だけ抜ける。

敵に“騒ぎを起こさずに試す余地”を残しておく。そうすれば、向こうは焦って大きく動く必要がなくなる。人は、試せるならまず試す。


「ねぇ、エル」

「ん?」

「前世でも、こんな夜を何度も越えたの?」

「似た夜はあった。結局、人間は“仕組み”で動く。なら、その仕組みの継ぎ目に居座れば、相手は勝手に疲れていく」

「ふふ。やっぱりあんた、賢者というより企業の参謀ね」

「参謀でいい。――今はまだ」


火の赤が僅かに弱まり、窓の黒に灰色が混じり始める。

夜が終わりかけている。

と、その時。宿の前の路地で足音が三つ。止まり、また三つ。

(合図だ。間を空けて“居場所を伝える”)

扉を叩く音はない。代わりに、戸口の下の隙間から、薄い紙片が差し込まれた。


リナと視線で合図を交わし、俺はしゃがんで紙片を引き寄せ、囲炉裏の灯りで広げた。

そこには、簡素な記号がひとつ。

―― 「三重の輪」。

王都の一部商家が使う“私的な流通標”だ。公式の組合印ではない、裏の印。

(ここでその印を見せつける――“お前たちを見ている”の合図か、それとも“朝は余計な真似をするな”という脅し)


紙は灰と油の匂いがした。村のものではない。

俺は紙片を折り、懐に収めた。

「朝になる。古堂に行く前に、村長の顔を見よう。誰がどこまで知っているか、線引きを確かめる」

「了解」


夜が明ける。

東の空が薄く白み、鶏が一度だけ短く鳴いた。

村の扉が打ち鳴らされる音、井戸から汲む水の音、人の息が戻ってくる。

長い夜を、俺たちはどうにか越えた。だが、越えただけだ。

この村の“喉”は、朝一番で、王都の手へと差し出される。


俺は拳を握り、ゆっくりと開いた。

――逃げない。見逃さない。だが、いきなり殴らない。

“仕組み”を見抜き、継ぎ目に楔を打つ。

十歳の少年ができる戦いは、それだ。


宿の戸が開き、女将が顔を出す。

「おはよう。二人とも、生きてる顔でよかったよ。……古堂に行くなら、裏道を通りな。誰かが“表”で待ってる気配がする」

「助かる」

俺たちは荷の結びを確かめ、樽の位置を再調整した。

「行こう。――古堂で“取次役”と会う」

リナが短剣の鞘を軽く叩き、笑った。

「ええ。さあ、劇の幕を上げましょう」


次回:「古堂の取引――三重の輪と貴族の取次役」


お読みいただきありがとうございます!

夜の不意打ちに対して追わない判断、印だけを残す威嚇――“殴り合わない駆け引き”を中心に描きました。

次回は古堂で“取次役”と初対面。表の商流/裏の商流の線引きと、村の側の本音をあぶり出します。ここから陰謀は具体的な顔を持ち始めます。感想やブクマで応援、めちゃ励みになります。

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