夏の夜の夢
誰が言い出したのかは今となってはどうでもいい話かもしれない。
小学五年生の夏休みにあった肝試しがあんな怖い体験になるとは想像もしなかった。
かすかに聞こえるラップを尻目に僕らは真っ暗な廊下を懐中電灯とスマホの明かりを頼りに歩いている。
「あれ、たぶん人間だよな」
大柄な体格の柴田くんが声を潜めていった。いつも少年野球団の主将かつ主砲としてチームをけん引する彼が声を潜めるのはとても珍しいことだ。
「なんか幽霊っぽくなかったよね」
今川さんが言った。彼女は中学生ということもあり、頼りになった。
「でも、なんでラップなんてしていたんだろ」
前田ちゃんが言った。さっきまでとてもビビっていた彼女も次第に落ち着いてきたようでようやくまともに話した。
「さぁね、おやかたさまはどう思います?」
柴田くんが列の真ん中にいる織田ちゃんに声をかけた。織田ちゃん。僕らと同い年だがとても落ち着いている子だ。口数は少ないし、時々何を考えているかよく分からないこともあるけど存在感は柴田くんよりもあるというミステリアスな女の子だ。なぜか同級生や仲良しグループの中では「おやかたさま」というあだ名がついている。
「……明智くん」
織田ちゃんは明智くんに話を振った。たしかに明智くんの顔は何かを知っているような感じだった。
「あ、たぶん、あれはDENSETUの盟友、ハイデルン吉沢だと思います」
「知らん」
明智の考察に織田ちゃんは即座に言った。厳しい口調だが誰もフォローしない。だって知らないよ、デンセツも、ハイデなんとかも。
「あ、みんなはこの怪談をどの程度知っていましたか?」
廊下をとぼとぼ歩いていたが、小さなクラブハウスなのですぐに玄関まで来ていた。律儀に上履きを用意して履き替えていた。僕らは靴を履き替える。
下駄箱には五足の靴があった……。
「えっと、夜な夜なラップが聞こえるというのと。ここがとある有名ラッパーが死んだところだってこと。だから、ラッパーの幽霊が出るという噂が広まっていたと思うけど」
前田ちゃんが丁寧に言った。気配り上手な前田ちゃんのおかげで明智くんは気を取り直したようで落ち着いて咳払いした。
「そう、このクラブハウス『アヅチ』は伝説のラッパー『DENSETU』が凶弾に倒れた場所なんだよ」
「キョウダン……?」
「銃で撃たれたということだよ」
柴田くんが首を傾げるとすぐに明智くんが
「当時、人気の絶頂だったデンセツは社会風刺的な作詞とライバルラッパーへの挑発的なパフォーマンスでラップ界に一番注目を集めていたんだ。ところがね、それが仇となってライバルラッパー、デストロイヤー菅野の銃弾の前に斃れてしまったんだよ」
「……日本の話よね、明智くん」
壮絶な内容に思わず今川さんが言った。
「そうですよ。だから今でも日本ラップ界の伝説として語られているんです。目撃者どころか、当時は動画も出回っていたそうです」
「それじゃあ、あのうす暗いホールでひたすらラップをしていた人は?」
前田ちゃんが質問する。
「ハイデルン吉沢。デンセツの盟友。あれは弔いのラップだ。あの声、メッセージ性、なにより情熱はまぎれもなく、ハイデルン!」
「明智!」
「あ、すみません」
柴田くんが声をかけて、横目で織田ちゃんを見ていた。おだちゃんはひどく不機嫌な顔をしていた。その顔が明智くんの暴走を止めた。
僕らは外に出る。
「でもさ、そうしたら怪談じゃないよね。ただ、ハイデルンさんが友達の墓参りをしていたということだよね」
今川さんが要領よく話をまとめた。前田ちゃんや柴田くんも頷く。
「なんだか怖くなくなってきちゃったな」
「さくらちゃん、ビビってたもんな」
前田ちゃんがホッとした様子で言うと、柴田くんが大きな声で笑いながら言った。前田ちゃんは照れた様子を見せる。
「だって、実際に変な声が聞こえたから。やっぱり怖かったよ」
「僕は声を聴いて「あ、ハイデルン、来ているんだ」って思いましたよ」
「それ、おまえくらいだろ」
柴田くんが明智くんにツッコむとみんな笑った。
でも、僕だけは素直に笑えなかった。
僕らは六人で心霊スポットに来たと思っていた。でも、下駄箱にあった靴は五足しかなかった。
いまいるメンバーは、僕、織田ちゃん、明智くん、柴田くん、前田ちゃん、今川さんの六人。
上履きを持ってこなかった人がいたかもしれない、という可能性はこの際ないと言える。僕が見る限りみんな上履きに履き替えていた。靴を持って歩いていた人はいない。五人だけのはず。でも、いまは六人で歩いている。僕らは知らないうちに幽霊に憑りつかれている状態だ。このまま帰ったら大変なことになる。
考えていると、織田ちゃんが僕に視線を向けてきた。
織田 明亜。僕と同じクラスの生徒。小学五年生。とても口数が少ないのに存在感だけは学年一とも言える子だ。不思議な子で、社交的には見えないのに仲良しグループもあるし、いつの間にか話を中心で聞いている。
いや、どうして彼女がいるんだろう。誘った覚えはない。
「おやかたさま、今日はどうして参加したの?」
僕が声をかけると、織田ちゃんは眉をピクリと動かした。ポーカーフェイスというか仏頂面のクールな美少女は僕を凝視しながら口を開ける。
「少し気になった」
「誰が誘ったの?」
「明智くん」
言葉少なく彼女が言った。
彼女は幽霊か。いや、そもそもここにいるみんなは一人を除いて同じ小学校の生徒だ。だから、幽霊が入っているとすればなり替わっている可能性がある。その前に今日、肝試しに飛び入り参加した人のことを確認してみようか。僕は今川さんを見た。
今川さんは中学一年生。今日の集まりは参加予定だった松平くんから聞いていて、松平くんが参加できなくなったため代わりに来たという。恐らく、六人の中で一番怪しい人物だ。
「今川さん、あんまり怖くなかったですか?」
僕が声をかける前に前田ちゃんが声をかけた。
「う~ん、まあ最後が最後だからね。最初は怖かったけど」
「そうですよね、私も怖かったです」
「肝試しはあんまり行かない感じだもんね」
「初めてでした。今川さんは?」
「時々ね。健から聞いた時に面白そうだから参加したの」
「健くん、体調は大丈夫なんですか?」
「ああ、大丈夫よ。どうせ、家でネトゲでもしてんじゃない? 怖いもの嫌いだし」
「健くんも怖がりなんですか?」
「そうだよ、いろいろと教えてあげようか」
今川さんと前田ちゃんの話が盛り上がっているため、僕は入れなかった。この際、候補から外してもいいだろうか。ここまで溶け込む幽霊なんていないだろう。とりあえず、二人はとばして、明智くんと柴田くんについて考察しよう。
明智 そら。僕や織田ちゃんたちと同じクラスの生徒で、学級委員長でもある。真面目で勉強も運動もできる優等生。いまはギャグ担当にまわっているが、頼れるまとめ役である。
それだからこそ、いきなりラッパーについて語りだしたのがどうにも怪しい。実は明智くんを語るラッパーの霊ではないだろうか。
「明智くん」
僕が声をかけると明智くんは最初聞こえなかったのか、無視された。ムッとして、もう一度声をかけようとする。
「明智、お前さ、ラップなんて好きだったんだな」
柴田くんが僕の疑問を察したように声をかけた。さすがに柴田くんの大きな声に反応した明智くんは彼の方を見た。
「そうだよ。まあ、そんな前からじゃないけどね」
「お前、真面目だからさ。ああいうの嫌いなイメージだったけどな」
「最初は不良の聞く音楽だと思っていたけど、何度か聞くうちに面白さが分かってきたんだ。家に帰るとステッカーもいくつかあるよ」
「へぇ、今度見せてくれよ」
「いいよ」
こちらも話が盛り上がってきた。困ったものだ。これじゃあ、分からない。
でも、幽霊に憑りつかれて帰ったらなにが起きるかわかったものじゃない。インターネットでこういうオカルトの話を読むとだいたいそのまま帰ると何人かひどい目にあってしまう。友達がそんな目にあうのは嫌だ。
ふと、織田ちゃんと目が合った。それぞれ二人で組になって話しているのだから当然僕と織田ちゃんがあまってしまう。
「おやかたさま、少し相談していい」
僕が尋ねると織田ちゃんは頷く。僕は彼女の近くまで行く。
帰り道は道路沿いに歩いているので街灯が僕らを照らしていた。すでに夜十時を過ぎている。
「実はね、この中に幽霊がいるんじゃないかと思っているんだ」
「どうして?」
「さっき、下駄箱にあった靴は五足だったのに、僕らは六人いるだろう。数が合わないんだ」
僕が言うと、織田ちゃんは少し考えた後で頷いた。
「誰が幽霊なの?」
織田ちゃんは憮然として言った。
「それが分からないんだ。一緒に考えてくれないか」
「いいよ」
織田ちゃんの言葉に僕は救われたような思いがした。他の四人に気取られないように四人から距離をとって話を始める。
「まず、一番怪しいと思うのが、今川さん。僕らは今日が初対面だ。松平くんの紹介というけど、そんな証拠はない。なりすますなら、彼女だと思う」
「なりすます?」
「幽霊がそのまま僕らの中に入るとするならそのままの姿じゃないと思うんだ。誰かになりすます必要がある」
「私や木下君を含めて、ということね」
「そうだよ」
街灯に照らされた道。もう三十分も歩けば住宅街に入り、解散となる。となれば幽霊の狙いどおり、僕らは憑りつかれて一人一人餌食になってしまう。
「証拠、か。松平くんに聞いてみようか?」
「どうやって?」
「電話よ」
織田ちゃんはそう言うと、スマホで松平君に連絡を取った。
「……松平君、ああ、欠席したことはきにしてないわ。……そう。……そうよ、今川さんのことだけど……そう。ありがとう」
織田ちゃんはそう言うと、電話を切った。
「今川さんは白よ。実際、彼女に話したし、参加しに出かけるところもみたらしいから」
「でも、同一人物かは」
「そういうだろうと思って、電話番号も聞いたわ」
「さっきの会話でそこまで教えてくれたの!?」
僕が驚いていると織田ちゃんは電話をかけた。すると、今川さんのポケットから着信音が鳴った。彼女が出る。
「今川さん、織田よ」
織田ちゃんは少し話をすると電話を切った。
「シロね」
これは納得するしかなかった。電話番号までは誤魔化せないだろう。
「次は明智くんだ。彼らしくないよ、ラップなんて」
織田ちゃんは黙って聞いている。
「ラッパーの幽霊がなりすましているんじゃないかな」
僕が言うと、織田ちゃんは明智くんを見た。
「明智くん」
織田ちゃんが言うと、明智くんと柴田くんは会話を中断して織田ちゃんの近くに来た。
「なんですか、織田ちゃん」
「ラップが好きなんて意外だね」
「あ、まあ、なかなか話題にならないからね。織田ちゃんは好き?」
「嫌いじゃない」
「あ、それじゃあ、おススメの曲とかアーティストを教えようか」
「それはいらない」
織田ちゃんの一言に明智くんは肩を落とした。すると、柴田くんが明智くんを睨む。
「明智、お前キモイんだよ、織田ちゃんがラップなんて聞くわけないだろ」
「なんて、とはなんだ、柴田くん。君こそ、自分のチームの応援に織田ちゃんを何度も誘うなんて気持ち悪い」
明智くんの一言に柴田くんは動揺した。
「なっ、なんでそんなことを知っているんだ?」
「有名な話さ。君は気づいてないだろうが、噂になっているよ。織田ちゃんのことも好きなんだろう」
「て、てめぇ、人前で言うことじゃないだろう!」
柴田くんが拳を振り上げると明智くんはハッとして走り始めた。柴田くんはそれこそ鬼のような形相で明智くんを追いかける。
「二人ともシロね」
「そのようで……」
あれでどちらかが幽霊だとしたら名演技もいいところだろうし、あの怒りようは幽霊らしくないだろう。
「とすると、残るは前田ちゃんか」
僕が言うと、織田ちゃんは首を傾げる。
「幽霊が憑りつく方法って何があるの?」
「それは憑りつくくらいだから一緒にいることじゃないかな。今なら今川さんだ」
「メリットは?」
「まあ、恨みをぶつけたい。自己満足だろうね」
「詳しいね」
織田ちゃんは言葉少なく、しかし、はっきりと言った。
……織田ちゃんも候補から外れていないわけではない。しかし、今は相談相手だからそんなことは言えない。少なくとも前田ちゃんのことを考察するまでは。
住宅街まであと十五分というところだろうか。視界には追いかけっこに突かれた柴田くんと明智くんの姿も見える。
「前田ちゃんは違う」
「理由はあるの?」
僕は尋ねた。確かに彼女は肝試し中、とても怖がっていた。しかし、それが演技である可能性もあるし、初対面の年上の人と仲良くしている前田ちゃんには少し違和感がある。今川さんに憑りつこうとしている幽霊であるという可能性は消せない。
「私は視えるから」
織田ちゃんは短く言った。
「えっ?」
「あの娘は違う」
織田ちゃんは幽霊が視える、という。唐突だ。しかし、なぜ僕はドキドキしているのだろうか。
「な、なにか証拠でもあるの」
僕が言うと、織田ちゃんは鋭い目つきを、鷹の眼光のごとく鋭くさせる。僕は射すくめられた鼠のように硬直する思いがした。
「幽霊はあなたよ、木下くん」
織田ちゃんの言葉に僕は言葉に詰まった。
「そもそも今日ここにきているのは私と柴田くん、明智くん、前田さん、今川さんの五人。だから誰も違和感を持っていないの」
「で、でも下駄箱は」
「五人だから五足よ」
「僕が幽霊だという証拠は?」
僕は尋ねた。証拠なんてないだろう。僕はここにいる。実は織田ちゃんが幽霊であってもこの話は成り立つ。
「私以外と話した?」
「あ……」
言葉に詰まった。
僕を見て、話したのは織田ちゃんだけだ。
「僕が幽霊……でも、僕は確かに君たちと同級生だよ」
僕は何とか自分が幽霊でないことを示すために言った。織田ちゃんはうなずく。
「そう、それは分かる。友達よ。ただ、今日は来ていないだけ。思い出してみて、どうしてこんなことになったのか。まるで幽体よ」
「ゆうたい……幽体……どうして……あっ……」
僕は今日のことを思い返していくと、気になることがあった。その瞬間、僕は大空に舞い上がった。高速で周りの景色が動き出す。空は回転し、自分の位置が分からなくなる。ぐるぐるとまるで台風に巻き込まれたかのようだ。
時々見える風景に見覚えがある。家の周り、コンビニや病院などが一瞬だけちらっと見える。そして、家の中にいつの間にか入っているとぐるぐる回りながら、自分の部屋へとたどり着く。眼下には眠っている自分の姿が見えた。
僕がいる!
その瞬間、僕は布団から起き上がった。
ひどく汗をかいていた。時計を見ると時刻は十一時になろうかとする頃だった。
「いっ、いまのはいったい……」
起き上がって、スマホを見るとメールや電話がたくさん来ていた。明智くんや柴田くんたちからだった。
「僕は、生きているよね……」
頬をつねって生きていることを確認する。
どうしてあんなことが起きたのだろうか。まったく訳が分からない。幽霊になってみんなのところに行ったということか。どうやって? まるで幽体離脱だ。
そう思うと、ふと、布団に着く前のことを思い返す。なにかやろうとして布団に入ったという記憶があった。夏休みだし、宿題も予定通り進めているし、なにか面白いことをしようと思ったんだ。
そう面白いこと。それは……。
枕元に視線を移すと、そこには少し分厚い水色の本が置いてあった。
『完全臨死体験マニュアル ~幽霊になりたい、そんなあなたに~』
あれから同じことを試してみたが、幽体離脱することはなかった。このことを家族や友達に話しても一人を除いて誰も信じてくれなかった。ただ一人、織田 明亜という少女だけは微笑を浮かべて僕の体験談を興味深そうに聞いていた。僕にとっては、その肝試しが一番怖い体験になった。
おわり




