道草
水曜日の帰りの会が終わり、さようならの挨拶が終わると私たちの時間の時間が始まる。下駄箱で急いで靴を履き替えみんながやがやおしゃべりしているのを横目に正門を飛び出す。歩道橋を渡るといつものところに弥和ちゃんが立って本を読んでいた。
「弥和ちゃん!」
「あ、文ちゃん。もうちょっと待って」
声をかけてもいつも通り本に夢中でこっちを見てくれない。いつも通り私はボーっとする。
区切りが良くなったのか、辞書みたいに分厚い本をぱたんと閉じランドセルに仕舞う。
「文ちゃん、さ、行こ。今日はどっちから帰る?」
「先週は林のほうから帰ったから、今日はあっちの路地の裏道行かない?」
「いいね! そうしよう」
弥和ちゃんが近くにある小石を蹴る。私たちの道草の始まりだ。
「隣座ってもいい?」
初の委員会でじゃんけんに負けて入ることになってしまった美化委員。周りが見知らぬ人ばかりで心細かった時話しかけてくれたのが弥和ちゃんだった。
「はい」
「あの、岡田文ちゃんだよね?」
「そうだけど……」
「わたし遠田弥和。幼稚園一緒だったんだけど覚えているかな?」
「ああ! 弥和ちゃん!」
同じ幼稚園で近くの公園でよく遊んでいた弥和ちゃん。小学校に上がり学年が違うことからか遊ぶことがなくなった子だ。
「えへへ、覚えてくれててよかった。友達いなくて心細かったんだ」
「私も!」
思わず嬉しくて声が大きくなってしまった。そっと声を潜めてこしょこしょ声でおしゃべりをする。委員会が始まるとプリントが配られた。弥和ちゃんがプリントにおしゃべりの続きを書いてくるから返信していたら委員会は終わっていた。一緒に帰ろうとなり弥和ちゃんが私にそっと言った。
「ねえねえ、文ちゃん、道草して帰らない?」
「道草?」
「そう、いつも通らない道から帰るの。ドキドキして面白いんだよ」
弥和ちゃんが目をキラキラさせてそう言う。私が戸惑っていると弥和ちゃんが私の腕を撮った。
「さ、行こ」
手がひかれるまま、私は歩き出した。遊んでいた時もこんなことがあったなあと頭の片隅で思った。
「文ちゃん家って学校からちょっと離れているよね?」
「うん、神社の近くだよ」
「神社の裏の竹林で竹の子堀りしたとこだよね?」
「そうそう!」
「じゃ、今日は竹の子堀したところあたりから帰ろ!」
「へっ? 竹の子堀りしたとこってだいぶ遠いよね?」
「それがいいんだよ!」
弥和ちゃんに言われるがまま学校を出て歩道橋を渡り、通学路の横の路地に入る。並んで歩くには細すぎて弥和ちゃんを先頭に私が後ろを歩く。弥和ちゃんの歩く速度につられてぴょこぴょこ動くポニーテールを眺める。左右を見るとシロツメクサがちらほら咲いており周りにはいつもと違う景色が広がっている。前後で声ちょっと張りながらおしゃべりしながら進む。知らない道で私はそわそわしてしまうけど弥和ちゃんは自信をもって前へ前へとずんずん進む。
「ここから坂を上がるよ」
「はーい」
思ったより急な坂でちょっと息苦しくなるけど弥和ちゃんはすたこら登っていく。左右には竹の子堀りをした竹林が広がっている。
「弥和ちゃん待って」
「あっごめん。でもあとちょっとで頂上だよ」
足を緩めてくれない弥和ちゃんの後ろを必死についていく。
「ほらほら~」
頂上についた弥和ちゃんが腕を上げてひらひら手を振っている。悔しくなって走って駆けあがったら思いっきり息が上がってしまった。
「文ちゃん、ここ立って」
ゼイゼイしながら言われた場所に立つと一面竹林が広がり空は青とオレンジが画用紙に落とした絵の具のように混ざりあっていた。
「気持ちいいでしょ」
「うん」
思いっきり深呼吸をするといつもより綺麗な空気が肺いっぱいに広がった気がした。
「じゃあ帰ろっか」
「えっもう?」
「道草は歩くものだから長居はしないの。ほら」
ゆっくりしたかったな……と思いつつ、いわれるがまま弥和ちゃんに付いて行く。
うちの近くでバイバイして家に帰る。
「ただいま」
「お帰り、文。遅かったね」
「今日委員会だったんだ。久々に弥和ちゃんに会って一緒に帰ってきた」
「みわちゃん……? ああ、幼稚園で一緒だった遠田弥和ちゃん?」
「そう」
「それは良かったわね。さ、ランドセル置いて手洗いうがいしておいで。ごはんにしよう」
「はーい」
ご飯を食べてゆっくりお風呂に浸かると今日のことが水の泡みたいにぷつぷつ浮かんでくる。ちょっとそわそわしてしっかり疲れてとても楽しかった。また弥和ちゃんとお話ししたいな。
弥和ちゃんとお話ししたいと思うものの、弥和ちゃんのクラスに会いに行く勇気はなくて日めくりカレンダーはペラペラめくられ二週間がたった。美化委員の集まりの日ならきっとお話しできると私は意気揚々と向かった。
でも教室を見渡しても弥和ちゃんの姿はない。委員会が終わっても弥和ちゃんの姿はなかった。
翌日私はありたっけの勇気を握りしめて昼休みに弥和ちゃんのクラスに向かった。後ろからこっそりのぞくと一番後ろに座っている人と目が合った。何の用?と言いたげな目線に思わず目を逸らしてしまう。
そっとクラスを見渡しても弥和ちゃんの姿はない私はそそくさと教室に戻った。教室って一つの国みたいだ。学年とクラスの差はそんじょそこらの国境より太い。
また二週間がたった。美化委員の日だ。小さな期待を胸に美化委員のクラスに向かうと一番後ろに弥和ちゃんは座っていた。
「弥和ちゃん」
「文ちゃん!」
やっと会えた安心感で肩の力が抜ける。口も緩くなる。
「この間の道草、とっても楽しかった!」
「道草楽しいよね! 今日も道草して帰ろう」
「うん!」
思わず声が大きくなってしまいみんながこっちを見る。恥ずかしい。
それから委員会の日は一緒に道草して帰るようになった。でももっと一緒に帰りたい気持ちが募る。二人で話して私の習い事がなくて早く授業が終わる水曜日と美化委員の日は一緒に帰ることになった。
水曜日の待ち合わせは歩道橋を渡ってすぐにあるどんぐりの木の下。近くに落ちている小石をポーンと蹴ったら道草開始の合図と決めた。
「この裏道は細いね」
「そうだね。あっ、弥和ちゃんこの先階段だよ」
「はーい」
後ろでくすくすと笑い声が聞こえる。
「弥和ちゃんどうしたの?」
「文ちゃんすっかり道草にはまったな~と思って」
「そうだね。ドキドキして面白いって言ってたのすっごくよくわかるよ」
「誰を誘ってもなかなか乗ってくれなかったから文ちゃんが一緒に帰ってくれて嬉しいよ」
「前は一人で道草していたの?」
「うん。一人でも楽しいのだけど、誰かと帰ると新しい発見があったり面白いことを共有できたりするのがいいよね。お花咲いてる~とか」
「あそこも花咲いているね。あっそろそろ階段終わるよ」
最初はすぐ息が切れていたけどだんだんと息を切らさず歩けるようになってきた。階段を登りきると前が開け遠くにいろいろな家の屋根が見える。少しして弥和ちゃんも上がってくる。
「だいぶ登ったね」
「そうだね。文ちゃん息が上がってないね」
「もう慣れたもん!」
「そうかそうか。それじゃあ道草の免許皆伝だね」
「何それ?」
「道草の仙人遠田弥和、ここに文ちゃんが道草の修行を終え、免許皆伝を申し伝える」
芝居かかった言い方に思わず笑ってしまう。弥和ちゃんが一等真剣な顔をしているからなおさらだ。
おもむろに弥和ちゃんはランドセルからノートと筆箱を取り出した。ノートを開きペンを握り何かを書いている。そしてそのページを破ると私に差し出した。
受け取ると「道草 めんきょかいでん 遠田弥和道草仙人」と書いてある。
「弥和ちゃん道草仙人なの?」
「そうだよ~、道草は長いことやってきていますから」
へへんと胸を張る弥和ちゃん。
「そんな私が認めたんだからすごいことなのよ。なくさないでね」
妙に真剣な口調になった弥和ちゃんに驚きながら頷く。私がその紙をランドセルに仕舞ったのを見届けると弥和ちゃんは大きく頷いた。
「じゃ帰ろっか」
「ただいま」
「お帰り。ねえ文、最近弥和ちゃんと一緒に帰ってる?」
「うん、今日も一緒に帰ってきたよ」
お母さんは何か言いたげな表所を浮かべ言葉を探している。
「その……、元気そう?」
「元気そうだったけどなんで?」
「それならいいの、ごめんね」
そそくさと キッチンに戻っていった。何だったのだろう。
次の水曜日もその次の水曜日も待てど暮らせど弥和ちゃんはどんぐりの木の下に来なかった。委員会にも来ない。委員会が終わり緊張する手を押さえて先生に弥和ちゃんについて聞いてみるとちょっと目を逸らして「ずっと学校を休んでいるよ」といった。
お母さんに聞いてもあいまいな答えしか返ってこない。大昔の記憶をひっくり返して弥和ちゃんの家を探した。何日もかけぐるぐるぐるぐる回ってついに「遠田」という標識のある家に辿り着いた。その家は電気が消えており人気がない。もう弥和ちゃんに会えないのだろうか。
「ここの家に何か用かい?」
後ろから声がして振り返ると制服を着た男の人が立っていた。驚いて頭が真っ白になったけれど何とか言葉を絞り出す。
「あ、あの多分ここに住んでいた子と友達なんです。今どうしているか知っていますが?」
その人はああ、とうなずいた。
「知っているよ。家族で旅に出たんだ」
「旅ですか?」
「そうだよ。おれはこの家の三軒先に住んでいるんだ。ここの家の女の子弥和ちゃんとはよくお話したり散歩したりしていたんだ。弥和ちゃんは旅に出るって言ってたよ」
「そうなんですね! じゃあすぐ帰ってきますよね?」
一筋の希望を持って聞くと男の人はゆっくり首を振った。
「残念ながらそれは分からない」
「そうですか……」
うなだれた私の頭上から声が降ってきた。
「君、あやちゃん?」
「はい、そうです」
「弥和ちゃん、春から君のことばかり話していたよ。一緒に道草できる友達ができたって」
冷たくなっていた胸にほわっと温かさが灯った。
「あの、弥和ちゃんと仲が良かったんですか?」
「おれはよく夜散歩をしているからね。帰り道の弥和ちゃんに会うと近くを散歩したり話したりしていたよ。この春からは君の話ばかりだったよ。水曜日は君と道草して帰るからどのルートにしようかわくわくしながら考えていたよ」
「なんで弥和ちゃん旅に出ちゃったんですか」
「おうちの事情ってやつだよ。大丈夫きっと帰ってくる」
「あのあなたは誰ですか?」
「ああ名乗ってなかったね。おれは原田明人。人呼んで夜散歩の達人さ」
あまりに恰好つけて言うものだから思わず笑ってしまった。
「なんですか、それ。弥和ちゃんは道草仙人って言ったしみんな変なの」
「ちょっと変なくらいが面白いのさ。さ、暗くなってきたからお帰り」
促されるまま私は家に帰った。
一人で道草をしてもあまり楽しめ、私の道草ライフはしりすぼみになり、夏休みと共に静かに終了した。アスファルトをじりじりと太陽が焼く中、プールに行ったりおばあちゃん家に行ったりしているうちに夏休みは徐々に日数を減らしていく。
夏休みの終盤、ガリガリ君を齧っているとお母さんが私を呼ぶ声がした
「文~、お手紙来ているわよ」
「なに?」
お母さんから手渡されたのはピンクのお手紙だった。私の名前だけが書かれており、誰からかのお手紙かは分からない。そっと封を切ると一枚のはがきが出てきた。果てまて続きそうな海に船がぽつんと浮かんでいている絵葉書に「残暑見舞い申し上げます。文ちゃん、また道草しようね! 道草仙人遠田弥和」と書かれていた。
切手は貼っていない。もしかしたら近くにいるのかもしれない。残りのガリガリ君を口に突っ込むと頭がキーンと痛くなった。我慢してポケットに葉書を突っ込む。
「お母さん、行ってきます!」
「急にどこいくの」
「道草!」
お母さんが何か言っているけれど話を聞かず家を飛び出す。ドアの外に熱風と雲一つない青空が広がっている。私は小石をポーンと蹴って弥和ちゃん家に向かって駆けだした。




