ある兄妹の試練1
地下鉄新栄駅のホームに突然怒気を含んだ女の叫び声がこだました。
平日の夕方、そろそろ仕事帰りの乗客が増え始めた頃だったから、ホームにも列車内にも随分と多くの人達がいてざわざわしていた。その空気を一瞬で凍り付かせるのに十分な迫力を持ったその叫び声。列車内にいた乗客達は皆一様にぎょっとした表情を浮かべその怒声がした方を見やる。その声の主であろうと思われる女はホームにいた。その恐ろし気な表情、目も口も鼻の穴も全てが大きく開いたその顔の造作のうち、特に人々は真丸に見開かれた目に注目し、それがこの列車内に注がれていることに気付き、驚きつつ少々恐れ、まさか自分ではあるまいかと怯えたようにきょときょとと、手元やら足元やらに注意を向け、いやどうやら自分のことではなさそうだ、第一自分にはあのおばさんから怒鳴りつけられる筋合いなんぞこれっぽっちもないのだからと一安心し、では一体全体何事なんだともう一度ホーム上の女の視線に注目し、その先を辿って行ったらそこには、驚愕の面持ちでその女の方を見つめている二人の子どもがいたわけだ。
そのうち一人はせいぜい小学校一年生くらいの女の子、この子はあの女の叫び声を耳にした瞬間にそちらの方に向き直り、驚く間も有らばこそ、体が勝手に動いて今まさに駈け出そうとしているかのごとき有様。もう一人は小学校三年生くらいの男の子、この子の方の動きは女の子に比べるとより緩慢で、というかのんびりしているらしく、その声に反応すること太古の巨大恐竜よろしく、おや、あら、まあと三拍子程遅れて体が動いた様子でわずかに首だけホームの方に向けているばかり、ただその表情だけは思い切り引きつってはいたけれど――――
しかし、列車の扉は無慈悲にもそのまましゅー、とん、と軽い音を立てて閉じる。そして電車の車輪はごとんと一回り、それからごろごろと回転を始め列車はホームを後にしつつあった。
ただ扉が閉まる直前、ホームの女は手振りを交えながら列車内の二人の子どもに何か命じたようだった。けれど如何せん、人間の愚かしい性のためその言葉の前半は叱責と罵りとに無意味に費やされ、意思疎通の偉大な道具たる言葉というものの本来の効能を果たすべく発せられた音声はおそらくただ一言であった。この言葉は周囲の乗客達には聞き取れなかった。これは致し方ないこと。しかしこの出来事の当事者であろうこの二人の子どもたちの耳にはしっかりと届いたに違いない、と期待せざるを得ない、ものである。
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学校の帰り道、僕はお兄ちゃんとお姉ちゃんにつかまった。どうしたことだろう。今日はお父ちゃんとお母ちゃんと演奏会に行くはずだったのに。家に帰って支度をして、栄の芸術文化センターにはるばるヨーロッパのドレスデンからやって来た管弦楽団の演奏会を聴きに行くはずだったんだ。
なのに下校途中、家の方からあの二人がやって来て、二人とも私服だ、まあお兄ちゃんは大学生なんだからいつもの服装だけど、お姉ちゃんは高校からもう家に帰っていて着替えてきたみたい、この二人が僕をつかまえた。
「おう、来たか、ほんじゃこれから飯食って行こか」とお兄ちゃん、説明も何もない。行こかって言われても僕はランドセル背負ってるし、大体何で一緒に行くのがお父ちゃん達じゃなくてお兄ちゃん達なんだよ。
「お父さんたち急に法事ができちゃってね、すぐ東京に行かなくちゃならなくなって、今晩向こうで泊まりなの。それであたしたちがあんたと演奏会に行くことになったわけ。ついでに夕食もね」とお姉ちゃん、感心なことにちゃんと説明してくれる。
「要するにそういうことだわ。だでな、これから池下から地下鉄で栄まで行って、そこで軽く何か食ってちょこっとばかり腹の虫を黙らして、ほうしといてから芸術鑑賞に出かけようということだて。ほいじゃ行こか、何、ランドセル?ほんなもん背負ったまんま行きゃあええて。その方が子どもらしくてええわさ。立派な大人が子ども二人を連れて演奏会に行く、ええがね、絵になるがね。」
「ちょっと」とお姉ちゃん、「子ども二人って何なのよ、このちびちゃんは確かに子どもだけど、あたしはそれなりに大人なんだからね。」
「やかましいわ、偉そうに、三十分前はセーラー服着とったくせに。ほいで今はまあどうだかね、ほんなスコットランドの兵隊みたいな格好しよって。大人が聞いてあきれるわ、ガキでいいんだわ、ガキで。」
ファッションの面から攻められて、流石にお姉ちゃんもぎゃふんとなった。お兄ちゃんはそっち方面は疎いから、日頃そんな話は滅多にしない。だからお姉ちゃんも油断していたんだろう。栄に、しかもクラッシックの演奏会に、更に加えてヨーロッパの一流オーケストラのコンサートに行くのだからと張り切って、さてじゃあどんな服装で決めようかと鏡に向かったお姉ちゃんは、ついつい女の子らしい可愛い服を選んでしまったのだろう。そこのところをぐさりとやられ、お姉ちゃんも賢いから瞬時に全てを覚って、ぷいと横を向いて黙ってしまった。お兄ちゃんは上機嫌のままさっさと歩き始める。僕ら二人の子どもたちは大人しくその後について行った。
僕が二人につかまったのは水道みちのすぐ北の交差点、そこから池下の方へ向かう。さっき出た校門の前を通り過ぎて歩いて行く。歩道には下校途中の中学生高校生がちらほらしている。歩道の右手の車道には色々な車が行き交う。大人達はもうじき仕事が終わる時間だから、営業を終えてこれから事務所に帰るとか、配達の最後の追い込みとか、いやいや仕事はこれからなんだよとか、で忙しく軽自動車、貨物車、トラック、バンなんかを運転しているんだろう。歩道でぶらぶらしている学生さん達はこれから街の方へ繰り出すんだろう。遠くから小さく吹奏楽の響きが聞こえて来る。クラブ活動をしている生徒は確かにこれから本腰を入れ始めるんだ。皆にとってこれからが本番なんだ。家に帰るのもまだ仕事が続くのもうるさい学校の授業を終えて遊ぶのもクラブ活動に精を出すのも、みんなこれ本番なんだ。
そのうちに段々辺りが騒がしくなってくる。そろそろ池下に近付いてきた。そして急に歩道が狭くなる。色々なお店がごちゃごちゃと建ち並んで、我も我もと顔を突き出しているように見えてしまう。そのお陰で歩道が狭くなってしまっているんだろうか。とは言え今更お店の鼻面をちょん切って歩道を拡げるわけにもいかないし、どうにもならないよね。だからここでは人口密度が急激に高まっていて、とても普通には歩けない。なにしろ一方通行じゃない。駅の方へ向かう人、駅の方からやって来る人、それぞれがこの細い歩道を通るんだ。いきおい普通の歩行者は皆体を斜めにして、はい、ごめんなさい、すいません、どうもどうもと恐縮しつつジグザグに、或いは隅っこの方をそそくさと歩くことになる。勿論どこにでも、どんな時でもいる勘違い人間はやっぱりいて、自分はここを自由に歩いているんだ、お前らの方でどきやがれとでも言いたげな顔付、態度でのっしのっしと歩いている。当然誰もそんな阿呆の相手なんかしたくないから、そういう連中を避けつつよけつつ歩く人がほとんどだ。お兄ちゃんもお姉ちゃんもそれから僕も、そういうのからは離れつつ、その他の善良な人達の間を縫って駅を目指した。
けれど生憎と、池下の駅を目の前にして大きな交差点の赤信号に引っ掛かった。そこで長い時間待たされる。すぐ手前のドーナツ屋さんから流れて来る昔のアメリカ音楽を聞かされながら。その待ち時間の長さに歩行者がいらいらし始めた頃、歩行者信号が青に変わりやっと開放、横断歩道を渡って漸く地下鉄駅に到着した。
僕とお姉ちゃんはご多分に漏れず少々いらいらしていたけれど、お兄ちゃんは全く平気でさっきのアメリカ音楽の鼻歌なんぞ歌いながら券売機で人数分切符を買うと、僕に子ども用のものを、そしてお姉ちゃんには大人用のを手渡した。お姉ちゃんに渡すとき、お兄ちゃんはその切符にちょっと目を落とし、そのままお姉ちゃんの目を覗き込みながらにやりとした。お姉ちゃんも素敵な笑顔を浮かべつつお兄ちゃんを睨みつける。この様子を見て、僕はただ単に面白がった。
階段を下りて駅のホームへ。ホームは随分混んでいる。電車は直ぐにやって来たから、僕らは他の人達の後からゆっくりと乗り込んだ。電車の中もやや混み合っている。空いた席はいくつかあったけど、お兄ちゃんもお姉ちゃんも座る気なんてないから立ったまま。だから僕も一緒に立っていた。
「ところで今日の演目は何なんだ」とお兄ちゃん。ブラームスの交響曲とワーグナーの序曲や前奏曲らしい、と僕。「ふん、ほうか。親父さんがお前の情操教育のために入場券を手に入れてくれたげなけどが、高かったんだろ」価格は知らない、安くはないでしょう。「ほら高いわ。はるばるヨーロッパから楽団員と関係者が何十人も、下手したら三桁にもなるぞ、こんなとこまで飛行機でござるんだで。それに楽器もほうだわ。自分達のを持って来るんだろぉ。まさか段ボール箱に詰め込んで運んで来るわけにはいかんだろうで、特注の運搬方法―――となるとえらく金もかかるわなあ。その分は聴き手が払わなかんで、ほら高いわ。ほんな立派なもんを聴かしてもらえるとは、まあ、有難い有難い。畏れ多いことだて、なんまんだぶなんまんだぶ‥‥‥」
チケットを頑張って手に入れたのは自分のためばかりではない、お父ちゃん達も聞きたかったんだと思われる、だからお兄ちゃんもお父ちゃん達の分までちゃんと聴かなければならない、と僕はお兄ちゃんに意見した。
「分かっとる分かっとる、親父さんもお袋さんも今頃東京は日暮里の草葉の陰で悔しがってござるわ。だで代わりにしっかり拝聴することにするで。そうせな罰が当たるっちゅうもんだわ。ほかほか。ほいで‥‥‥何だったかな、今日の演目は。」
人の話、全然聞いてないみたいだ。しかもお兄ちゃんは地声が大きいからちょっと外聞が悪い。見かねてお姉ちゃんが横から「ブラームスの交響曲とワグナーの前奏曲だって。それからここは電車の中なんだから、あんまり大きな声は出さないでよ」お兄ちゃんは、しまったというような表情を浮かべ素直に声を落とした。「おお、ほうか、ブラームスとヴァグナーか、そりゃ良かった」「お兄ちゃんは室内楽系が好きみたいだから悪かったけど」「ああ、ええよ、そっち方面も別に嫌いなわけじゃないで。ただちょっと大仰で騒々しいとこがあるだろ、だで少しばかり苦手にしとるだけだわ」「それじゃあワグナーとかは具合が悪かったかしら?」「ほんなこたぁないわ、ヴァグナー、結構々々、多少やかましくても潔いでなあ。明るく聴こえても根の暗い音楽っつうのは案外あるでね。モオツァルトはなかなか曲者でな、奥底は辛気臭いぞ。ショパンなんかになったら重苦しくて気が滅入ってくる。あの、何だったかな、ほい、雨だれとかいうあだ名が付いとる曲があっただろ、あれなんか典型だわ。間違いなく今までに何人か殺しとるよ、なあ。そういう面ではショスタコーヴィチなんか最悪だけどが、ありゃあ見た目通りいかれとるだけだで、分かり易い、注意すりゃあええことだでね。」
こんな物騒なことをひと際でかいお兄ちゃんが、これもなかなか背の高いお姉ちゃんに向かってぼそぼそと喋ってるんだから、不気味なことこの上ない。「そうねえ、そんなところもあるかも知れないわねえ。確かにワグナー聴いたために世をはかなんで東尋坊から、とか富士の樹海へ、なんて話は聞かないわ」このホラー映画の主役みたいな大男を相手に、勇敢なお姉ちゃんは再びその声が大きくなりそうになると適切な身振りや口調で威嚇しつつ会話の手綱を握り、バグパイプの演奏のように抑揚を抑えた話し方でお兄ちゃんのお喋りを常識の範囲内へと持っていこうとしていた。実に大人の対応だった。
そんな風で、僕ら三人の乗った地下鉄が池下から今池、千種を過ぎて新栄に着き停車して、そして時間になって再び走り出そうとしたその時、駅のホームに突然凄まじい女の叫び声がとどろいた―――というわけだった。
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