夜の中庭 (3)
王子の反応は、十分にベリンダの想定内だ。「星の魔女」という呼び名から「貧乏」を連想できる人なんて、いるわけがない。
戸惑い顔の王子に、彼女は笑いながら説明した。
「私がまだ小さかった頃に、家の屋根が強風で飛んでしまったことがあるんです」
「それは大変でしたね」
テオドールは気の毒そうに眉尻を下げる。
だが、話はまだこれからだ。
そのとき壊れたのは、屋根の一部にすぎない。壊れた原因は強風のせいというよりは、老朽化が進んでいたせいだった。だから他の部分だって、いつ壊れても不思議がない。ここを修理しても、すぐまた別の場所の修理が必要になる可能性は非常に高い。もう屋根全体を吹き替える時期が来ている、と様子を見に来た大工に言われてしまった。
それを聞いて、ベリンダの育て親である師匠モイラは途方に暮れた。手もとにそんな大金はなかったからだ。屋根全体の吹き替えとなれば、大工ひとりで簡単にできるものではない。人手も必要になるし、当然、費用だってかさむ。
幸い、ほとんど雨の降らない季節だったので、応急措置だけしてもらって、根本的な対策は先延ばしにした。
ところがやはり、屋根の傷みは進んでいたらしい。しばらくすると、他の部分の屋根が壊れてしまった。このときモイラは、もう修理せず放っておくことにした。どうせ後で屋根全体を吹き替えるのだから、まるでモグラ叩きのようにその場しのぎの修理を繰り返すよりは、いっそ壊れるにまかせてしまえ、と言うのだ。
そのとき壊れたのは、ちょうどモイラの寝室の上の部分だった。
雨漏りを心配するベリンダに、モイラは笑ってこう言ってのけた。
「この季節は当分、雨なんて降らないわよ。それより寝るときに星が見えるなんて、すてきでしょ」
幼かったベリンダは、うっかり「そうかもしれない」と納得してしまった。そして夜になると、モイラのベッドに一緒にもぐり込み、本当にベッドの上から星が見えることに大喜びした。
なんてすてきな寝室だろう。得意でたまらず、家に大人が訪れるたびに「ベッドから星が見えるの」と自慢する。自慢してよい話じゃないと気づいたのは、もう少し大きくなってからのことだ。
実を言えば、実際にモイラのベッドから星が見られたのは、修理費を工面するまでのほんのひと月ほどの間に過ぎない。けれどもベリンダが自慢したおかげで、この話は村中に広まってしまった。
かくしてモイラは「星の魔女」と呼ばれるようになったわけである。
つまり「星の魔女」とは、「屋根を修理するお金がなくて、ベッドから星が見えちゃうようなボロ家に住んでいる魔女」が由来だったのだ。
ベリンダはそう説明し終わると、すました顔で断言する。
「でももう今となっては『星の魔女』の由来なんて誰も覚えてないし、気にもしてませんよ。殿下の呼び名だって、きっと一緒です」
「そうかな」
「そうです!」
自信がなさそうに首をかしげるテオドール王子に向かって、ベリンダは深くうなずいて断言した。あまりにも自信たっぷりな彼女の様子に、テオドールは小さく笑う。
そこへフリッツが戻ってきて、うれしそうに声をかけた。
「おや、すっかり仲よくなってるじゃないか」
テオドールとベリンダは顔を見合わせた。まだ、仲よくなったというほど話をしたわけじゃない。でもちょっとした仲間意識は芽生えた気がする。ベリンダから一方的に、かもしれないが。
彼女は唇の前で人差し指を立てて、いたずらっぽく笑った。
「仲よくなったというか、秘密を共有した仲です」
「なにそれ」
ベリンダのわけのわからない説明に、フリッツは声を上げて笑う。別にたいした秘密でもないのだが、彼女は「秘密ですから、内緒です」と笑顔ではぐらかした。
フリッツはそれを追求することなく、肩をすくめて話題を変えた。
「ところでテオ。婚約者は決まったのか?」
「決まるわけがない」
「だよなあ」
力なく首を横に振るテオドール王子に、フリッツはため息をこぼした。
ベリンダは先ほどフリッツから事情を聞いているだけに、何とも言えない気持ちになる。けれども王子は、困ったような顔でこんなことを言う。
「危ない目に遭うとわかっているのに、誰だって嫌に決まっている」
「でも、それじゃテオが──」
「私はいいんだよ。仕方ない」
フリッツの言葉を遮るようにして、テオドールは弱々しく微笑んで諦めを口にする。
それを聞いてベリンダは、何だか胃のあたりがムカムカするのを感じた。納得いかない。世界を救うことを運命づけられてるような人が、自分は呪いで命を落としても仕方ないと諦めているだなんて。
そう思ったら我慢できなくなって、思わず眉間にしわを寄せて声を張り上げてしまった。
「いいわけないでしょ! 仕方がないなんて、諦めないでください!」
ベリンダの剣幕に驚いたのか、テオドールとフリッツは二人とも目を丸くして彼女を振り返る。だがベリンダは治まらない。
「だいたい、世界を救ってくださる英雄さまに、婚約者のひとりや二人が決まらないっておかしいでしょ!」
「婚約者はひとりでいいんだけど……」
「茶々を入れないでください」
「はい」
ベリンダのあまりの憤りように、おずおずと声をかけたフリッツだったが、据わった目でにらみ返されてしまい、おとなしく口をつぐんだ。
あっさり撃沈した友人を気の毒そうに横目で見やってから、テオドールはベリンダをなだめるべく事情の説明を試みる。
「ああ、あなたはご存じないのかな。私の婚約者になると、身に危険が及んでしまうんだよ」
「さっき、フリッツさまに伺いました」
「だったら、わかるでしょう? 誰だって命は惜しい。私はそんな立場を、どこのお嬢さんに対してでも強制したくはないんですよ」
ベリンダはムッと押し黙った。
テオドールの言い分は理解できる。ベリンダの受けた印象どおり、優しい人なのだろう。だが理解できることと、納得できるかどうかはまた別だ。全く納得できない。
そのとき、ふとある考えが彼女の頭の中にひらめいた。ひらめいたというか、控えの間で貴族の娘たちが言っていた「王子には魔女がお似合い」という言葉が、不意に頭の中に蘇ったのだ。義憤に駆られるにまかせ、深く考えることなくその考えを口にしてしまう。
「なら、私が殿下の婚約者になります」
ベリンダの口からその言葉がこぼれ落ちた瞬間、テオドールとフリッツはどちらも驚きに目を丸くして動きをとめた。