夜の中庭 (2)
返す言葉が見つからず、ベリンダがしばらく考え込んでいると、ふと目の前の空気が揺らいでから視界が遮られ、暗くなった。いったい何が起きたのかわからず、彼女は目をしばたたく。そして次の瞬間、驚きのあまり悲鳴を上げそうになった。
至近距離にどこからともなく姿を現したのは、テオドール王子だったのだ。
驚いたのは、王子のほうとて同じこと。ベリンダとフリッツの姿に気づくと、あわてたように後ずさりして数歩離れた。
「すみません、先客がいるとは気がつかず」
「逃げ出して来ちゃったか。気にせず、どうぞどうぞ」
フリッツはベンチから立ち上がると、その場所をテオドールに勧めた。ためらう王子の肩に手をかけ、ほとんど無理矢理のようにして座らせる。
「星の魔女どのは、今日が初めての夜会だそうだよ。お相手をしてあげて」
フリッツに言いくるめられた王子は、おずおずとベンチに腰を下ろした。身体が大きい割に身のこなしが軽やかで優雅なのを、ベリンダは意外に思う。
フリッツは流れるような動作でベリンダの手から皿とフォークを受け取り、「ちょっと片付けてくるね」と言い置いて立ち去ってしまった。置いてきぼりをくったみたいで、少々恨めしい。
ベリンダとテオドールは、どちらからともなく顔を見合わせた。
テオドールは途方に暮れた様子で、大きな体を縮こめるようにして座っている。そんな王子さまに、ベリンダは困ったように微笑みかけた。
「置いて行かれちゃいましたね」
「そうですね」
テオドールもベリンダに苦笑を返す。
そのまま会話が途切れ、二人の間に沈黙がおちた。何とも所在ない。ベンチの反対側の端に座るテオドールの様子を、ベリンダはそっと横目で盗み見てみた。王子の顔からはすでに苦笑が消えていて、王宮の屋根の上に広がる星空を静かに見つめている。その横顔は、どこか寂しそうだ。
初めて見たときには儚さとは縁のない容姿だと思ったけれども、その横顔には、まるで触れたら溶けて消えてしまう雪の結晶のような、儚さがあった。
雪だ。そう、この王子さまは「雪の王子」と呼ばれているのだった。
どうして「雪の王子」なのだろう。
ベリンダには、雪に例える理由が何も思いつかなかった。
だって「儚いから」とはちょっと思えない。確かに今、ベリンダは彼の表情の中に儚さを見たけれども、遠目には儚さとは縁がない。かと言って「冷たい人だから」とも思えなかった。ほんの少し言葉を交わしただけだが、おっとりとした気の優しそうな人物にしか見えない。
どれくらい優しそうかって、少しばかり不躾な質問をしても許してくれそうなくらいに優しそうだ。そんなことを考えていたベリンダは、深く考える前に質問を口にしていた。
「どうして『雪の王子』と呼ばれてらっしゃるんですか?」
「それは……」
ところがテオドール王子は、なぜか傷ついたような表情を見せて、目を伏せ、うつむいてしまう。
その様子を見て、ベリンダはあわてた。聞いてはいけないことを聞いてしまったようだ。やっぱり不躾すぎたのかもしれない。ベリンダはしょんぼりと謝罪した。
「失礼な質問だったなら、ごめんなさい」
「いえ」
テオドールは顔を上げると、ため息をついてから由来を説明した。
「雪だるまに似ているから、と」
「え」
ベリンダは言葉を失った。何だ、それは。雪は雪でも、雪だるま。そんな由来なんて、教えてもらわなければわかるわけがない。でも言われてみれば、ちょっと似てるかも……、と不覚にも思ってしまった。もちろん、決して口には出さない。だって、失礼すぎるではないか。
テオドールは、悲しそうに言葉を続けた。
「雪の王子と言われるたびに、体型を笑いものにされるのがいたたまれなくて……」
それはきつい。何がきついって、言っている側はまさか雪だるまだと思っていないところだ。わかっていたら、絶対に言わない。なのに言われたほうは傷つく。
ベリンダは自分が言われたかのように憤慨した。
「いったいどこのどなたですか、雪だるまだなんてひどいことを言うのは」
「姉たちが」
ベリンダは再び絶句した。
さすが身内、情け容赦がまったくない。それでも身内の間でからかっているだけなら、まだしもだ。なのにどういうわけだか「雪の王子」という呼称だけが独り歩きして国民の間に広く浸透してしまった、ということらしい。なぜ広めた。
事情を聞いて、ベリンダは頭を抱えたくなり、深くため息をついた。
「賭けてもいいけど、由来が雪だるまだなんて誰も思っていませんよ」
「どうでしょうか」
テオドールは目を伏せてうつむいたまま、顔を上げない。
その様子に、ベリンダは何だかとても悲しくなる。だから彼女のほうも、いつもなら決して明かさない秘密を明かすことにした。その秘密とは、「星の魔女」の由来だ。
「『星の魔女』と一緒ですね」
「どういうことですか?」
ここでやっと、テオドールは顔を上げた。そのことにホッとして、ベリンダは微笑みを浮かべる。そして人差し指を立てて、ビシッと王子の胸の前に突きつけた。
「知らない人には、由来なんてわかりっこないってことです」
案の定、テオドールは怪訝そうな顔をしている。ベリンダはわざとらしく真面目くさった表情を作って、尋ねた。
「殿下は、『星の魔女』の由来は何だと思います?」
「アステリ山脈は高地だから、星に近い土地に住んでる、という意味かと思ったけど、違うんですか」
「うふふ。はずれです」
ベリンダの思ったとおり、王子はとても「きれいな由来」を考え出してくれる。ベリンダの受けた印象のとおり、礼儀正しく優しい人だ。
彼女は姿勢を正し、真顔で厳かに正解を告げた。
「貧乏だからです」
「え?」
予想どおり、テオドール王子は「わけがわからない」とばかりに、あっけにとられた顔になる。それを見て、ベリンダは思わず吹き出した。




