夜の中庭 (1)
ベリンダはフリッツの誘導に従って、テラスから中庭に出る。そして噴水近くまで歩いて、ベンチに腰を下ろした。月明かりに照らされた噴水が、幻想的だ。
夜の庭園を眺めながら、豪華な食事に口をつける。フリッツは料理を頬張りながら、こんな感想をもらした。
「これは、ちょっとしたピクニックだな」
「ずいぶん贅沢なピクニックですね」
フリッツの感想に、ベリンダはくすくすと笑う。でも確かに、これはピクニックだ。
「フリッツさまは、王子殿下と仲よしなんですね」
「うん。歳が一緒な上に、子どもの頃から家族ぐるみで付き合いがあったからね」
食事を楽しみながら、たわいのない会話を交わす。フリッツは貴族ではあっても気さくで、田舎育ちのベリンダにとっては親しみやすい人物だった。
やがて会話が途切れ、しばらく二人とも静かに中庭の景色を眺めていたが、ベリンダはふと気になったことを尋ねてみることにした。
「もしかして王子さまは、お誕生日がうれしくないのでしょうか」
「え? どうしてそんなふうに思ったの?」
「さっきご挨拶したとき、憂鬱そうなお顔でいらしたから」
「ああ。今日は誕生日祝いだけでなく、婚約者捜しを兼ねてるからだろうな」
婚約者捜しを兼ねた会だと、なぜ憂鬱なのだろう。
ベリンダが不思議に思って首をかしげると、その様子を見たフリッツが意外そうに眉を上げた。
「聞いたことない? 呪いがかかってるんだよ。気の毒なやつなんだ」
不穏な情報にベリンダは目を見開き、「ありません」と首を横に振る。フリッツは「知らない人もいるのか」と驚いた顔を見せながらも、説明してくれた。
ベリンダも知るとおり、テオドールは王子でありながら世界で屈指の魔術師だ。それと同時に、世界を救うことを運命づけられた英雄でもある。それというのも彼が生まれたとき、先見の魔術師から「将来、邪神を倒すだろう」と予言されているからだ。
テオドールが生まれたのは、遠い昔に封印されていた邪神がちょうど目覚めた頃だ。
目覚めたばかりの頃の邪神は、まだ力も弱かった。もっとも、弱いとは言え、普通の人間に太刀打ちできる存在ではない。人間たちは、邪神が繰り出す魔物たちから身を守るので精一杯だった。
テオドールは予言どおり、幼い頃から魔術の才を発揮した。育つにつれて、人並み外れた才能をぐんぐんと伸ばしていく。
しかし邪神だって、宿敵が育つのを手をこまぬいて待ち続けているわけがない。テオドールが幼いうちに殺してしまおうと、あの手この手でテオドールを狙う。そうした襲撃から幼いテオドールを守るために、国内外の魔術師が結束した。
人間たちにとって幸いだったのは、邪神は「忌み地」と呼ばれる住み処からは決して離れようとしないことだった。忌み地から離れると弱体化するのではないか、と見られている。邪神がテオドールを狙うのには、常に魔物が使われた。しかしどれも、テオドールに危害を加えるどころか王都にさえ入れずに、兵士や魔術師たちに討伐される。
ところがテオドールが六歳の誕生日を迎えたときに、事件が起きた。
邪神に繰られた人間が、テオドールの誕生祝いの宴席にまんまともぐり込んでしまったのだ。そうして邪神は繰り人形経由で、テオドールに死の呪いをかけた。ただし、死の呪いにしては弱く、「二十年後くらいまでに死ぬ」という、何ともアバウトかつ気の長い呪いだった。どうやらこれが、邪神の限界だったようだ。
もっとも、どれほどアバウトだろうが、呪いは呪いである。
魔術師たちはこぞって解呪を試みたが、誰にも解くことはできなかった。そんな中で、当代の魔女たちの中で最も力があると言われていた魔女が、テオドール王子に祝福を授けた。
「あなたの婚約者が、あなたの命を救うでしょう」
呪いが解けないのであれば、せめてそれを和らげる祝福を与えようというわけだ。
だが残念なことに、この祝福はあまり効果的とは言えなかった。
当時まだテオドールに婚約者はいなかったが、この祝福のおかげで、婚約者に名乗りを上げようとする者がほぼいなくなってしまったのだ。本来であれば王子という身分にある彼には、縁談なんて降るほどあるはずなのに。
この祝福が成就されるためには、王子と婚約した者が、邪神の呪いから彼の命を救わなくてはならない。そんな自信のある者などいるはずもなかった。
誰もが尻込みをする中、とある貴族だけが縁談に応じた。
そしてまだ赤ん坊だった娘と、テオドールの婚約がととのったのだった。
しかしこれは、別の悲劇の始まりだった。
それまでテオドールを狙っていた邪神の矛先が、婚約者である娘に向いてしまったからだ。その貴族の家と所領は、たびたび魔物の襲撃を受けるようになる。
魔術師を多く輩出する家として知られたその家では、その都度、自力で魔物を退けた。けれどもある日、婚約者の娘がさらわれてしまう。魔物の襲撃を受けて魔術師たちが出払い、屋敷の警備が手薄になった隙を狙われたのだ。
王家も捜索に手を貸したが、結局、娘が生きて帰ることはかなわなかった。
魔物の襲撃を退けたその先に、変わり果てた姿で発見された。
この事件の後、テオドールの婚約者には二度と誰も名乗り出なかった。
テオドール自身も、婚約者をほしいとは決して言わない。まだ赤ん坊にすぎない、幼い婚約者を失ったことが、心の傷になっているのだろう。もう自分自身については、諦めている節がある。
もっとも、テオドール自身が諦めてしまっていても、親である国王夫妻は諦めていない。
彼らは息子のために、何とかして婚約者を見繕おうとし続けている。ところが一方、貴族たちはテオドールの活躍に感謝はすれども、絶対に娘を差し出そうとはしない。かくして双方の思惑によって微妙な空気が流れる中、毎年、テオドールの誕生祝いの夜会が開かれることになるのだった。
邪神を倒す前にテオドールが呪いに倒れれば、結局は自分たちが困ることになるにもかかわらず、「もう邪神を倒せなくても仕方ない」と言い出す者さえ出始める始末だ。それもこれも、テオドールが有能であるがゆえである。
どういうことかと言うと、テオドールは邪教の神殿を探し出しては破壊することにより、着実に邪神を弱体化しつつあり、そのおかげで騎士団や民間の狩人たちだけでも魔物を撃退できるようになってきたのだ。
つまり、テオドールが呪いにより倒れることがあっても、自分たちに被害が及ぶことはないと、人々は考えるようになってしまったというわけだった。
こうなると、誰しも我が身がかわいい。なんだかんだと理由をつけて、誰もが婚約の打診から逃れようとする。
こうしたテオドールの事情を説明し、フリッツはこう締めくくった。
「そんなわけで、まあ、憂鬱にもなるってものなんだよ」
フリッツの話を聞き終わって、ベリンダは少しの間、言葉を失う。何とも、やるせない話だった。




