夜会 (3)
フリッツは顔が広いようで、ひっきりなしに声をかけられる。その都度、相手にベリンダを紹介しながら、彼女に相手のことを紹介してくれた。
田舎育ちのベリンダは、社交界のことなど何も知らない。社交界どころか、これまで王侯貴族というものに縁がなかった。そんなベリンダが困ることのないよう、エスコート役を買って出てくれたフリッツはひとつひとつ、丁寧に解説してくれる。
「会場へは、名前を呼ばれた順に入場することになってるんだ。基本的には身分順だね。ほら、公爵閣下が呼ばれていくよ」
それならば、身分もなく年若い自分は一番最後だろう、とベリンダは思った。けれども予想に反して、呼ばれた順は意外に早かった。
控え室の入り口とは反対側にある扉の前で、侍従がよく通る声を張り上げて会場に案内していく。公爵家、侯爵家と続いた後に、フリッツとベリンダが呼ばれた。
「イルクナー伯爵フリードリッヒさま、および星の魔女ベリンダさま」
この呼び声のおかげで、フリッツが伯爵だとわかった。この若さにして、すでに爵位持ちらしい。しかも、数ある伯爵家の中で最初に呼ばれる家柄ということだ。
そんなフリッツと、身分などないに等しいベリンダが同時に呼ばれたのが不思議だった。が、どうやらそれは、フリッツが手配したことのようだ。
手配したと言っても、いったいどうやって侍従に連絡したのだろう。だって彼は、片時も彼女のそばを離れることはなかったはずだ。彼女が首をかしげていると、フリッツが種明かしをしてくれた。
「給仕に伝言を頼んだんだよ」
聞けば納得の、極めて単純な方法だ。魔法でも使ったのかと思っていただけに、ちょっと拍子抜けした。
フリッツの腕に手をかけたまま、控え室の扉を抜けて会場に入る。すると会場の入り口には、主催者が出迎えに立っていた。
王宮での主催者だから、つまりは王族だ。絵姿でだけ見知った人々の姿を目の前にして、ベリンダの頭の中は真っ白になった。まさか王族が直々に出迎えるなどとは、想像もしていなかったのだ。
「お目にかかるのは、お初かな。どうぞ楽しんで行ってください」
優しい笑顔の国王に声をかけられ、ハッと我に返ったベリンダはあわててお辞儀とともに挨拶した。
「本日は、お招きありがとうございます」
国王夫妻の隣にいるのが、今日の主役であるテオドール王子だろうか。
「雪の王子」という通り名から想像していたのとは、だいぶ印象が違うことにベリンダは驚く。雪と言うからには、触れたら溶けて消えてしまいそうな儚げな人を想像していた。だが実物は、まったく想像からはかけ離れている。少なくとも物理的な儚さはどこにもない。
何というか、控えめに言っても少々ふくよかなのだ。いや、少々どころではない。要するに、歯に衣着せずに言ってしまうと、長身なだけでなく、主に水平方向に大変サイズの大きな人物だった。
ふとベリンダの脳裏に、貴族の娘たちの話していた「殿下はお相手に容色をお求めではないと思う」という言葉が蘇った。なるほど、これが理由か、と納得する。
きっと彼女たちは「ご自分が容姿を気になさらないかた」という意味を込めていたのだ。意味がわかると、ますます感じの悪い人たちだったなあ、という感想が強まった。
王子の体格に驚いたベリンダだったが、今はそれ以上に彼の表情が気になってしまった。
物憂げで、今日の主役だというのにちっとも楽しそうではない。見るからに家族から愛され、こんな盛大な誕生祝いを開かれている人のする表情ではなかった。
どうしてあんな顔をしているのだろう。
王子の表情につられて、何となく少しだけ悲しい気持ちになってしまったベリンダの横で、フリッツが明るく王子に声をかけた。
「テオ、誕生日おめでとう」
「ありがとう、フリッツ」
フリッツの気安い挨拶に、テオドール王子も笑みを浮かべて挨拶を返す。どうやらこの二人は、互いに気の置けない友人のようだ。フリッツは王子に手を振って、その場を離れた。ベリンダはフリッツに誘導されるままに、会場の奥へと向かう。
比較的人の少ない壁際にたどり着くと、ベリンダはホッと安堵の息を吐き出した。あまり自覚はしていなかったけれども、慣れない人いきれに少々気分が悪くなりかけていた。
「人が多くて疲れたでしょう。ここなら少し楽かな?」
「はい。ありがとうございます」
心配そうに顔をのぞき込むフリッツに、ベリンダは笑顔を作って礼を言う。彼女の顔色が悪くなったことに気づいて、こうして気遣ってくれたのだとわかり、うれしくなった。なんとすばらしく気配りのできる人だろう。
やがて給仕が乾杯用のグラスを渡して回る。そうこうするうちに、招待客も全員入場したようだ。国王の短い挨拶の後、乾杯のかけ声とともに招待客は手にしたグラスを少し掲げてから、中身を飲み干した。
フリッツが気を利かせて、ベリンダ用にはアルコールがほとんど入っていない、甘いりんご酒を給仕に頼んでくれた。おかげで周りと一緒に乾杯できる。本当によく気のつく人だ。
乾杯が終わると、宮廷楽士たちの演奏が始まった。さっそくダンスを始める人がいれば、顔見知りを見つけておしゃべりを始める人もいる。上流階級の人々は食事にがっつくこともないようで、料理の置かれたコーナーはまだ人がまばらだった。
料理のテーブルには、ベリンダが見たこともないような、彩りの美しい料理が並んでいた。どれもすばらしくおいしそうである。彼女の視線に気づいたらしく、フリッツが笑いながら声をかけてきた。
「料理を選んで、外で食べてみる?」
意外な提案に、ベリンダは驚いて目をまたたいた。
「そんなことして、いいんですか?」
「もちろん。ただ、まあ、本当は若いお嬢さんはこういう誘いには乗っちゃいけないものなんだけど、僕に下心はないから安心して」
フリッツは「いい」と言っているそばから「いけない」と言っている。ベリンダは本当に外に出てよいものなのかどうか判断をつけかねて、困った顔で首をかしげた。
フリッツは彼女の様子に、声を上げて笑った。
「うん、本当に大丈夫。さあ、料理を選ぼう。どれが食べたい?」
ベリンダの選ぶ料理を、フリッツは手際よく皿に盛り付けてくれる。
盛り付けた皿を彼女に渡し、彼は自分の分の料理を取り分けてから、ベリンダを外に通じる扉に案内した。扉の脇に直立している衛兵に声をかけ、扉を開けてもらう。衛兵は、扉を開けながら注意事項を口にした。
「噴水より奥へは行かないようお願いします。もう暗いので、お足もとにはどうかお気を付けて」
「はい、わかりました。どうもありがとう」
扉をくぐると、ひんやりとした新鮮な夜の空気が心地よい。
空には満月が輝いていて、衛兵が言うほど暗くはなかった。テラスの向こう側には色とりどりの花が咲き乱れた見事な庭園が広がっている。ベリンダは歓声を上げそうになった。