夏至の夜会 (2)
ホール内のすべての人々の耳目を集めているのに少しも動じることなく、公爵はベリンダに「こちらへおいで」と静かに声をかけた。呼ばれたベリンダが公爵の横へ歩み寄ると、公爵は彼女の背に手を当てて、言葉を続けた。
「こちらが、幼少期にさらわれたまま行方のわからなくなっていた我が家の娘、ルイーゼです」
父の紹介に合わせて、ベリンダはお辞儀をする。その姿に、乾杯のとき以上のどよめきがホール内に広がった。ベリンダの視界の端には、あっけにとられているテオドールの顔が映った。
国王はかすかに眉根を寄せて、公爵に問う。
「最初から、星の魔女がルイーゼだと知っていたのか?」
「いいえ。先日、王太后さまからお手紙をいただいて、初めて知りました」
「なんだと。母も生きているのか?」
「いえ、残念ながら。一昨年の冬に、お亡くなりになったそうです」
「そうか……」
リンツブルク公爵はポケットから手紙を取り出し、それを国王に差し出す。
「どうぞ、お読みください」
「ああ。これは確かに、母の字だ」
国王は受け取った封筒から手紙を取り出して広げると、目もとを赤くして声を詰まらせた。手紙がかすかに震えてカサカサと小さな音を立てるのを、見ていられないような気持ちになってベリンダはうつむく。
国王が手紙を読むのを、ホール内の人々は固唾をのんで見守っていた。
やがて手紙を読み終わったらしい国王は、上のほうを見上げて視線をさまよわせる。あふれ出るものをこらえるように何度かまばたきをした後、手紙を封筒に戻してから「ありがとう」と公爵に返却した。そして、まさに感無量といった面持ちでベリンダをじっと見つめる。
「本当に、よく無事でいてくれたね」
これには何と返したらよいのかわからず、ベリンダはうなずくような、会釈をするような、曖昧な動きで頭を下げた。国王はそれを見て、ふっと口もとを和らげてから、声を張り上げて息子の名を呼んだ。
「テオドール!」
「はい」
テオドールはどこか呆然とした表情のまま、しかし素直に父王のもとに歩み寄る。
「こちらのお嬢さんが、ルイーゼ・リンツブルク。お前の婚約者だ」
国王の紹介を受けて、ベリンダはテオドールに膝を折って挨拶した。
「ルイーゼ・ベリンダ・リンツブルクです」
彼女が口もとに笑みをたたえたまま、挑戦的な目でじっとテオドールを見つめると、王子はわずかにひるんだように見えた。状況を把握できていない様子のテオドールに、ベリンダはなぜこうなったのかを説明してやった。
「テオさま。私たちの婚約は、ずっと結ばれたままだったのですって」
得意顔でそう明かしたベリンダを、少しの間テオドールは言葉を失ったまま見つめる。ややあってから、彼は細く長く息を吐き出し、「そうでしたか」と言って淡く微笑んだ。
国王はテオドールの肩を叩き、手紙の内容を要約して話して聞かせる。
「ルイーゼと母は魔獣に殺されたと思われていたが、実際には、からくも逃げ切れたそうだ。だが、そのまま戻っては危ないと判断し、アステリ山脈へ逃げて、名を変えて暮らしていたと手紙に書かれていた」
テオドールに向かって話すという形はとっているが、その実、ホール内にいるすべての人々に聞かせていた。少しも声量を抑えていないので、張りのあるよく通る声がホール内の隅々にまで響き渡っている。
国王がもらした手紙の内容に驚いた人々が、最初はさわさわとささやき声で会話を始め、やがてホール内はざわめきで満たされた。楽団の演奏も始まり、通常どおりの夜会が始まる。
人々の意識が自分たちからそれたのを見計らって、ベリンダは国王に声をかけた。本当にきちんと呪いが解けたのか、まず確認したい。
「陛下、お願いがあります」
「何だね?」
「テオさまに、ひとり分のお料理を取り分けてくださいますか」
「なんだ、そんなことか。いいとも」
国王は笑いながら食事のコーナーに移動し、空の皿を手に取る。そして手際よく数種類の料理を少量ずつきれいに皿の上に盛り付けて、息子に手渡した。
「ほら」
「ありがとうございます」
テオドールは戸惑いつつも、礼を言って受け取る。その皿の中身を見て、ベリンダは深く息を吐き出した。きちんと普通のひとり分だ。安堵のあまり、涙がこぼれそうだ。
「よかった。ちゃんと呪いが解けてますね」
「うん? どういうことかな?」
「邪神がテオさまにかけた呪いのことです」
ベリンダの言葉に、国王が首をかしげたので、彼女は詳しく説明した。
邪神がテオドールにかけた呪いは、実はテオドール自身に直接かけられたものではなかった。テオドール自身は魔力も魔法防御力も高く、邪神といえども遠隔で人間を繰っているだけの状態では、直接呪うことができなかったのだろう。だから代わりに、周囲の人間を呪った。幼い英雄に、過食させるように。
テオドールの呪いが誰にも解けなかったのも、当然だ。本人には直接呪いなんてかけられていなかったのだから。解けるわけがない。
ベリンダがそう説明すると、国王は目を見開いた。「いや、まさか……」と視線をさまよわせながら何か考え込んでいたが、そのうち「何ということだ」と頭を抱えてしまった。
「大事な息子に、私はとんでもないことをしてきたんだな」
「そういう呪いでしたから、仕方ありませんよ」
顔色を失った国王を、ベリンダは眉尻を下げてなぐさめる。国王の心情を思うと、もうそれ以外に言葉のかけようがなかった。
それに、過ぎたことを悔いても意味はない。それよりは完全な解呪を目指すほうがずっと建設的だと、彼女は思う。と言うのも、おおむね解呪できてはいるが、いくらか抜けがあるからだ。
なるべく効率よく解呪するために、当時の夜会に参加していた者は、可能な限りもれなく今回の夜会にも招待するよう、リンツブルク公爵に根回ししてもらった。
けれども、中には婚姻や職務により国外に出た者など、事情があって参加していない者もいるのだ。今後は、そうした者たちにも「癒やしの花」から作った飲み物をとってもらい、完全に解呪したいと、ベリンダは考えている。
身近な人々の解呪はできたから、実質的にはもうさほど困ることはないだろう。けれども、今後の外交なども考えたら、しっかり解呪しておくのが互いの幸せのためだと思うのだ。だから、そのための力を貸してほしい、とベリンダが頭を下げると、やっと国王の顔に弱々しいながらも笑みが戻った。
「もちろんだとも。ぜひ協力させてくれたまえ」
「はい。よろしくお願いします」
 




