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半年ぶりの帰宅

 公爵邸の自室のベッドで、ベリンダは毛布を頭からかぶって泣いた。あんなふうにテオドールから別れを告げられたことが、悲しかった。実はベリンダは、別れるどころか本当の婚約者になってほしいと言ってもらえるのではないかと、心のどこかで期待していたのだ。恥ずかしい。


 ばかみたいだ。本当に、ばかみたい。涙があふれてとまらない。


 こうなることは、最初からわかっていたのに。こうなるとわかった上で、ベリンダのほうから提案したことだったのに。


 テオドールが優しいから、つい勘違いしてしまった。テオドールはいつだって、彼女に対して本物の婚約者のように接してくれたから。いつしかテオドールのエスコートを当たり前に感じるようになっていたほどだ。最初のうちは戸惑っていたくせに。


 ベリンダはテオドールが好きだった。


 いつから好きだったかなんて、もう覚えていない。たぶんきっと、最初から好きだった。初対面のときから、彼を元気づけるためなら「星の魔女」の秘密を打ち明けてもよいと思う程度には好きだったのだ。


 テオドールのきれいな若草色の瞳が好きだ。落ち着きのある、あの低い声も好き。


 自分だって邪神に呪われているくせに、自分の命よりも婚約者のことばかり心配している、気の優しいところが大好きだ。


 モイラを思い出して彼女が泣いてしまったとき、何も言わずにそっと寄り添ってくれた、思いやりにあふれたところが好きだ。ベリンダがフリッツと一緒になって悪ふざけをしても、ただ呆れたように苦笑いするだけで、決してやり返したりしない、大人なところも好き。


 邪神探索がうまくいかなかったときにも、腐ったり愚痴をこぼしたりすることなく、冷静に辛抱強く努力を重ねていけるところは、とても格好いいと思う。自分は何を言われても相手をとがめたりしないのに、ベリンダがイリーネからおとしめられたときには、本気で怒ってくれたのが、うれしかった。


 毎日のように一緒に食事をして、その日の報告を聞くのは楽しかった。一緒にいてうれしかったこと、楽しかったことを思い出すたびに、涙がこぼれる。当たり前のように来る日も来る日も一緒にいたから、これからもずっと一緒にいられるような気がしてしまっていた。


 でも、もう、これでおしまい。


 悲しい。ベリンダは泣いて、泣いて、悲しすぎてもう眠れないかと思ったのに、気がついたら泣き疲れて眠ってしまっていた。



 * * *



 翌日の朝食の席で、ベリンダは公爵夫妻に挨拶をした。


「長い間、何から何までお世話になりました。お役御免になりましたので、これで自宅に戻ります。今まで、本当にありがとうございました」


 公爵夫妻は、どちらも驚いたように食事の手をとめる。


「どうしたんだ? ずっとここに居てくれていいんだよ」

「そうよ。何も、そんなにすぐに帰らなくてもいいじゃないの」


 公爵夫妻は口々に引き留めようとするが、ベリンダの意思は固かった。


「お気持ちはうれしく思います。でも長いこと家を空けたので、そろそろ帰らないと」


 しばらく押し問答を繰り返したが、ベリンダの決意が変わらないことを理解すると、夫妻は折れた。


「そうか。残念だな」

「いつでも好きなときに、また泊まりにいらっしゃい。きっとまた来てちょうだいね」

「はい」


 フリッツは何か言いたげな顔でそのやり取りを眺めていたが、口を出すことはなかった。


 ベリンダは朝食の後、すぐに荷物をまとめる。持って帰る荷物は、ほとんどなかった。王都に出てきたときに持ってきた荷物を持って帰るだけだから、ローブが一式と水筒くらいだ。あとホウキ。公爵家で用意してくれた衣類や小物は、すべて置いていく。今までずっと使わせてもらってはいたけれども、すべては借り物なのだから。


 ベリンダはドレスを脱いで、王都に出てきたときに着ていた田舎風のワンピースに着替えた。荷物とホウキを手にして、公爵夫妻に別れの挨拶に行く。朝食のときに伝えはしたが、出がけにもう一度きちんと挨拶したかった。


 公爵は、金貨の詰まった小さな袋をベリンダに手渡した。近衛魔術師団に薬を卸した代金だそうだ。いくら何でも多すぎるのではないかと思ったが、「王家に納める品物の対価としては、これくらいで普通だよ」と公爵が断言するので、ありがたく受け取ることにする。受け取った袋を大事そうにベリンダがしまうのを見ながら、公爵は声をかけた。


「気をつけて帰りなさい」

「はい」


 ベリンダは公爵に深々と頭を下げてから、次は公爵夫人に挨拶に行く。夫人は彼女に宝飾品を持たせようとしたが、さすがにそれは固辞した。


 すると今度は、大きなバスケットに一杯の食事を料理人に用意させてきた。いったい何人でピクニックに行くのかと思うほどの、とんでもない量だ。昼食用の軽食はもちろん、保存の利く燻製肉や腸詰めがずっしりと何種類も入っていた。それだけでなく野菜の酢漬けの瓶詰めや、さらには王都でしか手に入らないような高価な果物までが、これでもかとばかりに詰め込まれている。


 なのに、公爵夫人はバスケットをベリンダに渡しながら、心配そうだ。


「これで今日のお食事は何とかなるかしら」

「余裕で一週間分くらいありそうですよ。ありがとうございます」


 夫妻の心遣いに胸が温まって、ほんの少しだが傷心が癒えていくような気がした。昨夜あんなに泣いたのに、今度はまた違う涙がこぼれそうだ。夫人に礼を言って別れ、最後にフリッツに挨拶をした。彼は何か含みのありそうな顔をしたが、相変わらず何も言わずに、ただ別れの挨拶だけを口にした。


「ときどき遊びに行くよ。またな」

「はい」


 転移座標を登録済みのフリッツなら、確かに気軽に来られそうだ。手を振って別れ、玄関の外でホウキにまたがる。ホウキで空を飛ぶのは、ずいぶん久しぶりのような気がした。アステリ山脈で暮らしていた頃は、毎日のように飛んでいたのに。


 何も考えずにぼんやりと飛んでいたからか、王都からの飛行はあっという間だった。


 扉を開けると、我が家の懐かしい匂いがする。王都の公爵邸に比べたら、小屋と言ってよいほどの大きさなのに、不思議とガランとして広く感じた。


「ただいま」


 声を出しても、「おかえり」と返事をしてくれるモイラはもういない。ベリンダは公爵夫人から持たされたバスケットの持ち手をキュッと握りしめ、すっかり緩んでしまった涙腺からこぼれ落ちた涙を、乱暴に手の甲でぬぐった。


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