忌み地の地図 (1)
この半年というもの、ベリンダはほぼ毎日のようにテオドールと顔を合わせている。彼女は公爵邸に滞在していて、テオドールは公爵邸で食事をしているのだから、当然と言えば当然だ。テオドールのエスコートにも、いつの間にか慣れてしまった。最初のうちは、あれほど面映ゆく感じていたというのに。
テオドールはいつでもベリンダを「婚約者」として扱う。エスコートに慣れたのは、つまり、この婚約者扱いに慣れたわけだ。こうなると、王子さま相手でもあまり遠慮がなくなってきた。
フリッツがテオドールをいたずらを仕掛けたりしてからかっていると、ベリンダもその尻馬に乗って一緒に悪ふざけをする。こういうとき、フリッツとは不思議と息が合うのも、つい悪乗りしてしまう原因だ。
しかも生真面目なテオドールは、割とこりずに何度でもいたずらに引っかかる。一杯食わされるたびに呆れたような目を向けられるが、いたずらが成功してベリンダとフリッツが大笑いしていると、苦笑交じりながらも一緒に笑ってくれるので、どうしてもやめられない。本物の王子さま相手にこの仕打ちはどうかと思いつつも、少々子どもっぽいところのあるフリッツと一緒にいると、つい悪ふざけに乗ってしまうのだった。
ため息をつきながらも笑って許してくれるテオドールが、ベリンダは大好きだ。
もちろん、ふざけてばかりいたわけではない。テオドールとフリッツはコツコツと邪神探索を続けていた。と言っても残念ながら、その進行状況は決して順調とは言えなかった。確かに進んではいる。だが、まるで亀の歩みのようなのだ。これではたどり着くまでに、いったい何年かかるかわかったものではない。そもそも、現在どれだけ進められているのかさえわからない。
探索の進みが遅い原因は、忌み地に立ちこめる深い霧だ。視界が利かないため、一歩先に何があるかもわからず、慎重に進まざるを得ない。だからどうしても、歩みが遅くなるのだ。しかも霧のせいで、どれだけ進んだかも見当がつかない。終わりの見えない作業というのは、精神を疲弊させるものだ。忍耐強いテオドールとフリッツをもってしても、さすがに最近は焦りを見せるようになってきた。
探索に同行させてもらえないベリンダは、せめて間接的な形で協力しようと、あれこれ試している。けがをして帰還したときには、もちろん薬や知識を総動員して手当てをする。簡易的に魔物を撃退する道具も作った。撃退する道具と言っても、中身は非常にシンプルだ。コショウと唐辛子の粉を混ぜただけ。それを風魔法で飛ばして使用する。
試作品を試したときには、ちょっとした惨事になった。ほんの少しだけど、フリッツが吸い込んでしまったのだ。しばらく咳とくしゃみが止まらず、のたうち回っていた。
「ベリンダ! 凶悪だなこれ!」
「ええ、まあ。一応、それも武器ですから……」
これを使用するために、テオドールもフリッツも、風魔法を繊細に操作するための腕が上がったらしい。そしてこの手作りの爆弾は、実戦でもかなり有効らしかった。
そんなふうに日々、二人の様子を間近で見ているベリンダは、二人の精神的な消耗にも真っ先に気づいた。ある日、彼女は提案した。
「ねえ、テオさま。少し探索をお休みしませんか」
「いいえ、とても休んでいられる状況では……」
「だからですよ。だから、いったんお休みするんです」
「どういうことですか?」
いぶかしげに聞き返す王子に、ベリンダは自分の考えを説明した。探索を続けることは大事だが、効率を上げることだって同じくらい大事なはずだ。そのために探索を中断して、効率を上げるための調べ物をしたらどうだろう。
「なるほど。効率を上げる方法に、何か案がありますか?」
「忌み地の地図があったら、楽になると思うんです」
「それはもちろん、あったら楽です」
「でしょ?」
ベリンダが得意げに返すと、テオドールは困ったような顔をした。
「でも、そもそも人が足を踏み入れられない場所ですから、地図なんて存在しないんです」
「それは、『今』の話でしょ?」
テオドールの指摘は、もちろんベリンダだって承知していることだ。確かに現在の忌み地は、人が足を踏み入れることを拒んでいる。
けれども、忌み地が「忌み地」と呼ばれるようになる前だったら、どうだろう。きっと普通の土地だったに違いないのだ。その頃なら、地図が作られていてもおかしくない。とても古い地図だろうけど、もしそんなものが残されているなら、多少なりとも参考にできるはずだ。
ベリンダがそう説明すると、テオドールとフリッツはどちらも考え込むように眉根を寄せてから、互いに顔を見合わせた。ベリンダは満面の笑顔で、テオドールに向かって手のひらを上にして差し出す。
「テオさま、方位磁針を貸してくださいますか」
「え? あ、はい」
テオドールは素直にポケットから方位磁針を取り出し、ベリンダの手のひらに載せた。彼女は方位磁針に向かって、命令を発する。
「忌み地の地図がある場所を教えて」
果たして方位磁針の針は、くるりと向きを変える。ベリンダは得意満面の笑顔を王子に向けた。
「ふふ。あるみたいですよ」
「そうですね」
つられたように笑って同意するテオドールに、ベリンダは提案する。
「昼食の後、さっそく探しに行ってみませんか」
「そうしましょうか」
「ああ、ならテオと二人で行ってきて。僕はちょっと、近衛のほうに顔を出してくるわ。そろそろ来年度分の予算をまとめないといけない時期なんだよね」
フリッツが別行動をとりたいと言うので、ベリンダとテオドールの二人で資料探しに行くことになった。と言っても、馬車で王宮に向かうところまではフリッツも一緒だ。方位磁針はまっすぐに王宮の方角を指していたから。
玄関前で馬車を降りて王宮に入り、政務棟に向かうフリッツとは入り口で別れた。方位磁針を手にしたベリンダとテオドールは並んで歩き、針の指す場所を一緒に探す。通路を行き交う人々が、ときおりすれ違っていく。だが王子と一緒にいるベリンダに、敢えて声をかける者はいなかった。ただ二人に向かって軽く会釈し、通り過ぎて行くだけだ。
そんな中で、ひとり例外がいた。
最初ベリンダは、自分と同じ年頃の少女がひとり近づいてくるのに気づかなかった。
「ちょっと、そこのあなた」
近づかれたのに気づかないどころか、声をかけられてもなお気づかない始末だ。方位磁針の指す方角を確認しながら、うろうろと歩き続けていると、今度は罵声を浴びせられた。
「無視するとは、なんて失礼なの!」
「え? 私ですか?」
「そうよ! 他に誰がいると言うの」
至近距離でいきなり罵られ、ベリンダはあっけにとられた。
「無視したつもりはありませんでしたが、気づかず失礼しました」
「そうよ。本当に失礼だわ」
振り返って、形ばかりの謝罪を口にしながら、ベリンダは相手の少女に見覚えがあることに気づいた。この少女は、イリーネだ。どこぞの侯爵家の娘で、フリッツが大の苦手として逃げ回っている、あのイリーネだった。




