アステリ山脈 (1)
三時間の道のりは、同行者が二人もいたおかげで、王都に行ったときと比べてずいぶん短く感じた。体感では半分以下だ。
家の前でホウキを降りると、フリッツとテオドールはさっそく座標を記録する。それから、興味深そうにあたりを見回した。
「かわいらしい家ですね」
「ふふふ。ものは言いようですねえ」
テオドールの感想に、ベリンダは笑う。「小さい」と言わずに「かわいらしい」と表現する気遣いが、さすが王子さまだと思った。
三日ぶりの我が家だ。玄関の鍵を開け、扉を開いて二人を招き入れる。
「狭いけど、中へどうぞ」
応接間なんてものはないので、居間のソファーに腰を下ろすよう勧めた。
「すぐ取ってくるので、ちょっと待っててくださいね」
二階へ上がり、自分の部屋にある机の引き出しから、手のひらサイズの方位磁針を取り出した。見た目には、何の変哲もない方位磁針だ。それを持って居間に戻り、テオドールに差し出した。
「どうぞ。これが失せ物探し用の方位磁針です」
「ありがとう」
テオドールは方位磁針を受け取ると、手のひらに載せてしげしげと眺める。
「これは、どのように使うのですか?」
「命じてやるだけですよ」
明らかにテオドールがわかっていない顔なので、ベリンダはその手から方位磁針を受け取ってから命じてみせる。
「王都の方角を教えて」
ベリンダが言い終わるが早いか、方位磁針の針はくるりと向きを変えた。それを見て、テオドールとフリッツは顔を見合わせ、「合ってそうだね」と互いに確認し合う。
ベリンダは試しに、別の命令を発してみた。
「邪神のいる方角を教えて」
ベリンダの命令に、針はわずかに左右に揺れる。だが、最終的に指し示す方角は王都と変わらなかった。それを見て彼女は、しょんぼりと肩を落とす。
「ダメみたいですね。動かなくなっちゃいました」
「いや、たぶん正しく動いてます」
がっかりするベリンダの手から方位磁針を取り上げ、テオドールは真剣な顔で盤面を見つめた。王子によれば、忌み地はアステリ山脈から見てちょうど王都の向こう側にあるのだと言う。だから方角としては、王都と同じで間違っていないのだそうだ。
テオドールは少し考えてから、方位磁針に向かって命令を二つ、少しだけ時間をおいて発した。
「アステリ山脈の霊峰スペシアの方角を教えてくれ。──邪神のいる方角を教えてくれ」
テオドールの最初の命令に従って、針はくるりと回って霊峰スペシアの方角を指す。続いて次の命令に従って、再び王都の方向を指す。王子は満足そうにうなずいた。
「うん、ちゃんと指してるように見えるね」
「忌み地でも動いてくれるといいけどなあ」
「そうだね。明日さっそく試してみるよ」
テオドールがフリッツと話し込んでいる横で、ベリンダは羽織っていたストールをたたんでからエプロンを身につけた。男性陣は転移して屋敷に戻れば食事が用意されているだろうが、ベリンダはそうはいかない。この家では料理をしてくれる人なんていないから、そろそろ食事の支度を始めなくてはならない時間だった。
「あれ。ベリンダ、どうしたの?」
「そろそろご飯を作らないと」
「そんなの、僕が運んでくるのに」
王都の屋敷から食事を持ってくるなんて、ベリンダには思いつきもしなかった。転移魔法は自分ひとりしか移動できないけれども、荷物はある程度運べるらしい。せっかくだからお願いしようかと思い、口を開きかけた瞬間に、少しだけいたずら心がわいた。
「せっかくだから、田舎のお料理を食べていきます?」
「え、いいの?」
「お言葉に甘えようかな」
完全に冗談のつもりだったのだが、フリッツが食いつき、テオドールは礼儀正しく誘いに乗った。こうなるともう、引っ込みがつかない。
ベリンダは「田舎の庶民料理ですよ?」と念を押したが、二人とも愛想よく「わかってるよ」とうなずくので、彼女は諦めて肩をすくめた。事前に警告した上で了承があったからには、遠慮なく手抜き料理を供することにする。何しろもう日が傾いており、夕食までに時間がない。手の込んだ料理なんて作っている時間的余裕がなかった。
メイン料理は、豚肉だ。保存用として、塩漬けの豚肉を煮込んだ上でいぶしてあったのを、スライスした。ソースを作る時間もないので、粒マスタードを添えておく。さらにキャベツの漬物と、ふかしたじゃがいもを添え、裏庭で摘んだハーブを少々添えて出来上がり。調理が必要なのは、じゃがいもをふかすことくらい。あとは切ってよそうだけという、大変にお手軽な料理だ。
保存食って、すばらしい。
キッチンのテーブルの上に、料理と食器類を並べる。小さな家には、ダイニングなんて部屋はないのだ。幸い、椅子は四脚あるので三人で食事するのに問題はない。ずっとモイラと二人暮らしではあったが、モイラの知り合いが訪ねてきて一緒に食事したりすることもあったから、来客用に予備の椅子があるおかげだ。
ベリンダは二人の客人をキッチンに招き入れ、食事を勧めた。
「さあ、どうぞ。召し上がれ」
「すごいな。手際がいいんだね」
「そりゃ、毎日のことですからね。慣れますよ」
フリッツはベリンダの手際を褒めながら、物珍しそうに料理に手をつける。意外にもテオドールのほうが慣れた様子で料理を口にしていた。
「テオは食べたことあるの?」
「うん。魔物討伐で遠征したときなんかに、よく出てくるね」
転移すれば一瞬で王宮に戻れるとはいえ、泊まりがけになるような遠征の場合、王宮でのんびり食事しているような時間を取れないことが多い。寝るときだけは自室に戻り、食事は出先で兵士たちと一緒にとることが多いのだと言う。だからテオドールは、近衛隊のトップとして王都から離れることのあまりないフリッツよりも、庶民の味に慣れ親しんでいるというわけだった。
食事の雑談の合間に、テオドールが何げなくベリンダに質問する。
「明日は何時にここを出ますか?」
「朝食を片付けてから、お昼に王都に着くくらいに出るつもりです。だから九時くらいかな」
「わかりました」
なぜそんな質問をされるのだろうかと、ベリンダは少しだけいぶかしく思った。が、すぐに話題が変わって、聞かれたことすらも忘れてしまった。
食事が終わると、二人は長居することなく「また明日」と帰って行った。客人がいなくなると、途端に家の中がしんとする。ここ数日、王都の公爵邸で過ごしたおかげで、ベリンダはいつでも誰かしら周りに人がいるのに慣れてしまっていた。
ほんの数日ぶりにすぎないのに、何だか家の中が妙にがらんとして、どうにも寂しく感じられる。




