王宮の昼食会 (2)
ベリンダの涙がとまるまでしばらくの間、テオドールは彼女の背に手を当てたまま静かに立ち尽くしていた。
「泣いたりして、ごめんなさい」
「謝らないで。悲しいときに涙が出るのは、当たり前です。泣いたっていいんですよ。ずっと我慢してたのでしょう?」
そんなふうに優しい言葉をかけられると、また涙腺がゆるんでしまいそうになる。うつむいて目をしばたたき、涙をこらえた。その間ずっとテオドールの手は、ベリンダの背中に当てられていた。
大きな手から伝わる熱で、背中だけでなく心まで温まるような気がする。何とも言えず、不思議な安心感があった。モイラが亡くなって以来ずっとひそかに抱えていた心細さが、溶けていくようだ。
やっと気持ちが落ち着いて顔を上げてみれば、どうやらテオドールはずっと見守っていたらしい。ベリンダと目が合うと、王子は柔らかく微笑んだ。
「もう大丈夫ですか?」
「はい。ハンカチ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
ベリンダは、この優しい王子さまのことがすっかり好きになっていたけれども、声も好きだと思う。フリッツの明るく少しハスキーな高めの声とは対照的に、テオドールの声はつやのある落ち着いた低音だ。聞いているだけで、ちょっとドキドキする。
泣いたばかりだというのに、なぜか今度は動悸がうるさい。自分の感情が乱高下するのを持て余し、ベリンダはもう少し落ち着いて話せそうな話題に転換した。
「テオさまは、お顔がお母さまに、体格はお父さまに似てらっしゃるんですね」
「そうですか?」
ベリンダの感想に、テオドールが不思議そうな顔をする。その反応が、逆に彼女には不思議だった。ベリンダは首をかしげて問い返す。
「よく言われませんか?」
「記憶にある限り、これが初めてです。自分で鏡を見ても、それほど似ている気はしませんし」
そっくりなのに。そう思うベリンダは、テオドールの答えに戸惑って目をまたたかせる。
王妃はかつて傾国の美姫ともうたわれた、輝くばかりの美貌の持ち主だ。もちろん今でも美しい。その王妃に、テオドールの顔立ちはそっくりだとベリンダは思う。まあ、今は太りすぎているせいで、顔まで丸くなってしまっているけれども。でもちょっと痩せれば、輪郭だってよく似ているはずだ。
一方で国王は、長身で筋肉質な美丈夫だ。テオドールも、背が高い。筋肉もかなり蓄えていると、ベリンダは見ている。だってもしも筋肉量の少ない人だったら、この体重でこうも軽やかに体を動かすことなどできるわけがないではないか。今は脂肪に覆い隠されてしまっているから、見た目にわかりづらいだけだ。
ベリンダは一生懸命にそう説明してみたものの、テオドールには今ひとつうまく伝わっていないような、もどかしさを感じた。だが、何と説明したらよいのか頭を悩ませている間に、食堂ホールに到着してしまう。
事前に聞いていたとおり、この食事会は本当に個人的なもののようだった。テオドールの他には国王夫妻しかいない。彼らは前々日とは違い、夜会服ではなく砕けた服装をしていた。ただし「砕けた服装」であっても、ベリンダの普段着とはまるで比較にならないほど上質かつ上品だ。公爵夫人が何よりも服装の準備を最優先したのは、とても合理的な判断だったのだな、と彼女は思った。
全員が食事の席につくと、国王がにこやかにベリンダに声をかける。
「よく来てくれたね」
「今日はお招きくださり、ありがとうございます」
彼女が会釈とともに挨拶すると、国王は苦笑した。
「ああ、そんなにかしこまらないで。近所のおじさんの家に遊びに来たと思って、のんびり食事していってよ」
それはちょっと難しいなあ、と内心ベリンダは苦笑した。ベリンダのご近所には、宮殿住まいのおじさんなんていない。そもそも宮殿がない。けれども緊張を解こうとする国王の気遣いには感謝したので、素直に笑顔で「はい」と返事しておいた。
王妃も優しげな微笑みを浮かべて、しげしげとベリンダを眺める。
「今日はローブではないのね。その色、とても似合ってるわ」
「ありがとうございます」
「テオの目の色とよく似てるわね。わたくしも好きな色よ」
王妃の言葉に、思わずベリンダはテオドールのほうを振り返った。すると、王子もまた彼女のほうを振り向いて、目が合ってしまう。ベリンダを見つめるテオドール王子の瞳の色は、確かに彼女のドレスの色とよく似ていた。
目を引いた色を選んだだけなのに。
しかしその「目を引いた」のは、テオドールの目の色が頭の中のどこかに残っていて、無意識のうちにそれを思い出していたのかもしれない。そう思ったら急に恥ずかしくなり、ベリンダの顔は真っ赤に染まった。つられたのか、なぜかテオドールまで赤面する。
そんな二人の様子を見て、王妃は楽しそうにころころと笑った。
「あら。あらあら」
「ずいぶん仲がよさそうだな。テオ、婚約を申し込んでみたらどうだ」
国王まで息子をからかい始めた。
だが実のところ、すでに婚約は申し込み済みである。しかも、ベリンダのほうから。それもかなり強引に。けれども騙し討ちのようにして口約束をとりつけた、なんて話は、とてもベリンダの口からは説明するわけにはいかなかった。婚約そのもの以上に、これは極秘事項だ。
困ってしまったベリンダは、横目でチラリとテオドールをうかがう。王子はため息をついて、両親をいさめた。
「やめてください。せっかく善意で指導を申し出てくれた彼女を、困らせたくありません」
「そうだな。すまなかった」
国王の引き際は潔い。すぐに謝った。
このやり取りにベリンダは「なるほど」と心の中でうなずいた。やはりテオドールは、両親に秘密の婚約のことを話すつもりはないらしい。秘密なのだから当たり前ではあるのだが、少しだけ不思議に思った。
なぜなら、フリッツは両親にだけは話してしまっているから。国王夫妻が信用ならない人たちとは思えないのに。もっともこの疑問は、すぐに彼女の頭の中から消えてしまった。食事の席で、それどころじゃなくびっくりする出来事があったのだ。
この日の食事は、大皿で食卓に運ばれたものを国王が取り分けて、各人に配る方式だった。ベリンダには馴染みのない食事スタイルだが、別にそれはいい。
彼女がギョッとしたのは、取り分ける量だ。彼女の分は、適量がきれいに盛り付けられている。国王夫妻のものも同様だ。しかし、テオドールの皿の上に置かれている料理の量が、おかしかった。他の皿に比べて、軽く三倍以上ある。
驚きのあまり、つい素朴な疑問が口をついて出てしまった。
「ちょっと多すぎませんか?」
「いや、それはない。魔獣討伐にもよく参加して体を動かしている分、しっかり食べさせないといけないんだよ」
しかし彼女の疑問は、即座に国王に否定された。言っていることは筋が通っているから、たちが悪い。だが、ものには限度がある。いくら何でもこれは多過ぎだ。ベリンダは声をひそめて、テオドールに尋ねてみた。
「もしかして、これが『一人分』なんですか?」
「そうです」
なるほど。フリッツが言っていた「実際の食事を見てくるのが早い」とは、こういうことだったのか、と合点がいった。単純に量が多すぎるのだ。一応、念のために、もうひとつ質問しておく。
「いつもお食事の取り分けは、陛下がなさるんですか?」
「そうですね」
つまり、自分では量の調整ができないということ。そして「出されたものはきれいに平らげるのが礼儀」と教えられていたら、残すこともできやしない。なるほど、これでは肥満にもなるわけだ。原因はわかったが、さきほどの国王の反応から推測するに、盛り付けの量を減らしてもらうよう説得するのは骨が折れそうだ。どうしたらよいのだろう。




