王宮の昼食会 (1)
翌日、ベリンダはフリッツに連れられて王宮に向かった。
昼食会よりは、少し早めの時間だ。二人は応接室に通された。ほどなくしてテオドール王子が一枚の紙を手にして入ってくる。
「フリッツ、ベリンダ嬢、おはよう」
ベリンダとフリッツが口々に挨拶を返すと、テオドールは二人の前のソファーに腰掛けて、手にしていた紙をベリンダのほうへ差し出した。
「これが、先日約束した、食事のリストです」
「ありがとうございます」
ベリンダはさっそく受け取って、内容を確認する。
そして絶望した。
何に絶望したかって、何が書いてあるのか、さっぱりわからないのだ。いや、単語は読み取れる。しかし意味がわからない。
たとえば昼食のメニューは、次のような具合だ。
『エスト湾産ホタルイカ アロマオイルでコンフィにし、竹の子と菜の花のペニエを添え、ロメスコソースで(一人分)』
『すずきのカルパッチョ きゅうりのタルタル コキアージュのスープ イルクナーの平原風味(一人分)』
『クエ 香ばしくローストし、カレー風味のほうれん草とオリエンタル・シヴェソースとともに(一人分)』
『グラスフェッドなラムチョップステーキ ローズマリー風味 あらびきマスタード添え(一人分)』
『栗のムースとさくさくのアステリアンメレンゲ(一人分)』
せっかく記録してもらったものの、これでは何の意味もなかった。
どんな料理なのか、さっぱりわからない。もはや素材さえわからない料理まである始末だ。イカやすずきが魚介類であるくらいはわかるし、ラムもまあ、部位はともかく子羊肉とわかるけれども、クエとはいったい何なのだ。実は「幻の魚」とも呼ばれる超高級魚なのだが、平民育ちのベリンダには知るよしもない。
しかも、何をどれくらい食べているのかを把握したくて頼んだのに、どれもこれも「一人分」ときた。その「一人分」がどれほどの量か次第で、対応策が変わってくるというのに。もっともそれ以前に、料理の内容が全然つかめないわけなのだけど。
ベリンダが困り果てて深くため息をつくと、フリッツがそれに気づいて「どうしたの?」と尋ねた。
「内容がさっぱりわからなくて」
「うん? どれどれ」
フリッツはベリンダに顔を寄せ、手もとの紙をのぞき込む。そして内容をざっと一読すると、「なるほど。こりゃわからん」と言って、はじけるように笑い出した。ベリンダとフリッツの反応を見て、テオドールは肩を落とす。
「料理長に頼んでメニューを書き出してもらったのですが、ダメでしたか」
「僕は何となくわかるけど、これじゃベリンダにはどんな料理か想像がつかないんじゃないかな」
フリッツは隣に座っているベリンダの肩を、慰めるように軽く叩いた。
「ベリンダが知りたかったことは、だいたい見当がつく。だけど僕が思うに、たぶん料理の問題じゃないんだよね」
「そうなんですか?」
「実際の食事を見てくるのが早い。昼食会で、確認しておいで」
「はい」
ベリンダがうなずくと、フリッツは「さて」と言いながら立ち上がった。
「僕は仕事があるから、ここで失礼するよ。ベリンダ、楽しんでおいで。また後でね」
てっきりフリッツも一緒に昼食会に参加するとばかり思っていたので、置いていかれたことにベリンダは少しばかり心細くなった。それでつい、ぽろりとこぼしてしまった。
「お仕事って、何かしら」
「ああ、彼は近衛魔術師団の副団長なんですよ」
聞くからにすごそうな肩書きに驚いて、ベリンダは目を見開いた。
「団長は、リンツブルク公爵です。でも団長は名誉職みたいなものなので、実質的には彼が近衛魔術師団のトップですね」
「そうなんですか」
近衛魔術師団は、王宮と王族の警護に当たる師団で、貴族出身の魔術師が多いそうだ。
一方で魔物討伐を主に請け負うのは、平民が多くを占める警備隊だ。テオドールは魔物討伐に参戦することが多いため、平民出身の魔術師と行動を共にすることが多いと言う。きっとそんなところも、国民全体から親しまれているゆえんなのだろう、とベリンダは思った。
テオドールから魔術師たちに関連する組織の話を聞いているうちに、ベリンダとテオドールは互いに名前で呼び合うようになっていた。ちょうど話がひと区切りした頃に、侍従が部屋を訪れる。
「お食事のご用意が整いましてございます」
テオドールは侍従に「ありがとう」と声をかけて立ち上がり、ベリンダに向かって手を差し出した。意味がわからず彼女がきょとんとしていると、王子は笑みを浮かべて「お手をどうぞ」と言う。ベリンダが手を差し出すと、その手をとって、彼女が立ち上がるのを手助けしてから、彼の腕にかけさせた。
テオドールは彼女に微笑みかけて、説明する。
「貴族の男性は、こうして女性をエスコートするものなんですよ」
なるほど、これがエスコートというものらしい。まるでお姫さまにでもなったような気分で、ドキドキする。テオドールはベリンダに歩調を合わせて歩きながら、彼女をのぞき込むようにして話しかけた。
「今日はローブではないんですね」
「はい。公爵夫人が用意してくださいました」
「よく似合ってますよ」
「ありがとうございます」
社交辞令とわかっていても、褒められればうれしい。
ベリンダの頬はほんのりと紅潮した。面はゆくて、照れ隠しにテオドールから視線を外し、周囲に目を向ける。
通路には、そこかしこに人物画が飾られていた。
その中に、彼女の養母であり師匠でもあるモイラに似た姿が描かれているのを見た気がして、思わず振り返って二度見してしまった。
「どうしました?」
「あ、いえ。師匠に似た人が描かれているなと思って、見ただけです」
「どれですか?」
「そこの大きい絵です」
足を止めて、通り過ぎたばかりの絵を指さす。赤ん坊を抱いた若い女性とその夫らしき男性、初老の夫妻、そして幼い少女三人が描かれている。モイラに似ていると思ったのは、初老夫婦の妻のほうだ。
「これは両親と祖父母の絵ですね。子どもは私と姉たちです」
「じゃあ、この赤ちゃんが殿下ですか?」
「はい」
ベリンダは一歩引いて、絵全体を眺めてみる。若いほうの男女が、国王夫妻の若い頃なのだろう。けれども、どうしても彼女の視線は、モイラに似た女性の上に戻ってしまう。
絵を見つめるベリンダを、テオドールは決してせかそうとはしなかった。それどころか逆に、彼女の思い出について質問する。
「お師匠は、どんなかたでした?」
「魔法と行儀作法には厳しいけど、とても優しく辛抱強い人でした」
テオドールは静かな声で相づちを打ちながら、じっとベリンダの話に耳を傾ける。王子は「それで?」「それから?」などと上手に水を向けるので、彼女はひとつずつ師匠の思い出話を語って聞かせた。
「モイラは私のお披露目を、それは楽しみにしていたんです。こんなふうに王宮にお食事に招かれたと聞いたら、きっと『まあ! それは大変!』と言って、大騒ぎをしたと思います」
自分で言っておきながら、まるで本当にモイラの声が聞こえたような気がして、ついベリンダは話をとめて耳を澄ませる。急に押し黙ってしまった彼女に、テオドール王子はそっとハンカチを手渡した。手触りのよい上質なハンカチを渡されて初めて、ベリンダは自分の目から涙がこぼれ落ちていることに気づいた。
「大事な人だったんですね」
「はい。ただの師匠じゃなくて、拾って育ててくれた恩人ですから」
モイラの葬儀のときだって、泣いたりはしなかったのに。なぜか涙がとまらない。はらはらと涙をこぼす彼女の背中に、テオドールの大きく温かい手が回された。




