リンツブルク公爵家 (1)
夜会はまだ続いているが、半ばにしてベリンダはフリッツとともに辞した。
会場に入るときには名前を呼ばれたりして仰々しかったのに、出るときにはあっさりしたものだ。テオドールに別れの挨拶をしただけで、賑やかなホールを後にした。
フリッツの家へは、普通に馬車で向かった。転移を使うのかと期待してワクワクしていたので、少々ベリンダは拍子抜けした。
だが魔術師であっても、非常の時を除いて、家に転移するのは無作法とされているのだそうだ。「転移の使用は、家の敷地外に限る」というのが不文律だと言う。そもそも招待客のベリンダを置いて、ひとりだけ先に転移で帰るわけにはいかない。
フリッツは貸馬車の御者に、宿への伝言を託した。ベリンダは今夜からフリッツの家に泊まること、後でフリッツの家から遣いの者が荷物を引き取りに行くことを、御者から宿の主人に伝えてもらうことになっている。
予定より早く仕事が終わることになり、御者は喜んで伝言役を引き受けた。
フリッツの家は、王宮ほどではないというだけで、十分に大きく立派な屋敷だった。
もう夜も遅いからと、まっすぐに客間に案内される。着替え用に、すばらしく手触りのよい寝衣が用意されていた。
疲れていたので、ありがたく着替えてベッドにもぐり込む。
これまた、すばらしくふかふかのベッドだった。それも、絵本でしか見たことのない、天蓋付きのベッドだ。どれだけ寝返りを打っても落ちようがないほど広い。上掛けは肌触りがよく、暖かかった。そしてなぜか、枕が三つも置かれている。枕なんて、ひとつあれば十分なのに。
重ねてみたが、さすがに高すぎる。これはどう使うものなのだろう。頭を悩ませているうち、あることに気がついた。三つの枕は、それぞれ柔らかさが違うのだ。ふわふわに柔らかいもの、固めで少し高さのあるもの、その中間のもの。いつも使っている自分の枕に近い、中間の柔らかさのものを選んで使うことにした。
枕に頭を乗せ、毛布を首まで引き上げて、目を閉じる。
あくびが出るし、眠たく感じているはずなのに、どこか頭の芯の部分が興奮しているのか、すぐには寝付けなかった。それも当然だ。
本物の王子さまとじかにお話しし、その上、あろうことかだまし討ちのようにして婚約者となる約束をしてしまった。そしてなぜか、初対面の青年貴族の家に招待されて、泊まっているのだ。何という一日だろう。
ふわふわの毛布に包まれて、夜会の出来事をひとつひとつ思い返しているうちに、寝付けないと思っていたはずなのに、いつの間にかベリンダは眠りに落ちていた。
* * *
翌朝、ベリンダは部屋の扉をノックする音で目が覚めた。
眠い目をこすりながら返事をすると、部屋の外から女性の声がする。
「お嬢さま、お目覚めでございましょうか」
「今、起きました」
「入ってもよろしゅうございますか」
「はい、どうぞ」
扉が開き、ベリンダよりはいくつか年上と見られる侍女が、衣類を手にして入ってきた。
「おはようございます。どうぞ、こちらにお召し替えくださいませ」
なんと着替えの服まで用意されていた。
夜会に着て行ったローブをまた着るつもりでいたので、戸惑う。が、せっかくなので、ありがたく着替えを借りることにした。とはいえ、侍女が着付けまでしてくれることは想定外だ。服を着付けてもらうだなんて、自分ではまだうまくできなかった幼い頃以来だった。
けれども着付けが進むうち、理由を理解する。
彼女がいつも着ている服とは、構造が違うのだ。ひもを背中で結ぶ必要があったりして、自分ひとりで着られる作りになっていない。
着替えが終わると、食堂ホールに案内された。
すでにフリッツと、壮年の男女ひとりずつが朝食の席に着いている。フリッツはベリンダに気づくと、笑顔で「おはよう」と声をかけてきた。彼女も会釈とともに「おはようございます」と挨拶を返す。
給仕がフリッツの隣の椅子を引いたので、そこに座ると、フリッツは彼女に正面に座っている壮年の男女を紹介した。
「こちらが、父と母。父はリンツブルク公爵だ」
「あなたがベリンダ嬢だね。フリッツから事情は聞いているよ。我が家へようこそ」
「どうぞ、お好きなだけゆっくり滞在して行ってね」
それぞれの挨拶に会釈を返しながら、ベリンダは思わず目を見開いて首をかしげてしまった。それを見とがめ、フリッツが尋ねる。
「ベリンダ、どうしたの?」
「昨夜は伯爵と呼ばれていらしたから」
「ああ。父は公爵なんだ。僕は、余った爵位を名乗ってるだけ」
爵位って、余るものなのか。
ベリンダがきょとんとしていると、フリッツがさらに説明してくれた。爵位というのは、勲章と同じようなもので、ひとりにいくつも授けられることがある。そのようにして複数の爵位を持つ者は、その中の一番高い爵位を名乗るものだ。その者に子があれば、使っていない爵位を名乗らせることもある、ということなのだそうだ。
伯爵と聞いただけでも驚いたのに、公爵家だなんて。
ベリンダは胸の内で、ひそかに嘆息した。
「自分の家と思って、何か足りないものがあれば、いつでも言ってね」
「はい」
フリッツの言葉に素直にうなずきはしたものの、さすがに自宅と思うには無理がある気がした。一時のこととはいえ、屋根が壊れてベッドから星が見えちゃってたようなあばら屋とは、あまりにも違いすぎる。
曖昧な微笑で聞き流そうとしたベリンダに、フリッツはさらにとんでもないことを言い出した。
「僕のことは、兄だと思ってよ。そうだ、『お兄さま』と呼んでごらん」
「え」
さすがにちょっと、悪ふざけが過ぎるのではないだろうか。困り果てたベリンダは公爵夫妻に視線を向けたが、残念ながら救いの手が差し伸べられることはなかった。それどころか、追い打ちをかけられる始末だ。
「あら、いいわね。わたくしのことは母だと思って、『お母さま』と呼んでちょうだい」
無理でしょ。彼女が目を白黒させて公爵に目を向けると、彼は期待に目を輝かせて「『お父さま』だよ」と言いながらうなずいていた。ダメだ、こりゃ。
もう、こうなればやけくそである。
「お父さま、お母さま、お兄さま、しばらくお世話になります」
腹をくくってリクエストどおりに呼んで挨拶したら、なぜか三人からうれしそうに歓声が上がった。その様子に困惑しつつも、ベリンダの口もとにも笑みが浮かぶ。本当にこんな人たちが家族だったらいいのに。今この瞬間だけでも、ままごとを楽しもう。




