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深夜の電話はイヤだねぇ

 それからまた数十分が過ぎ、何人かの住人が準夜勤務から戻って来たが、その中にユキさんはいなかった。母の言った通り、帰って来た誰もが、暗いエントランスに座っている僕を見てハッと驚き、そして怪訝そうな顔をする。

 最初に横の非常口の扉が開き、帰って来たのは永海さんだった。永海さんは入って来るなり僕の姿を見て「ひゃっ!」と驚いて十センチぐらい飛び上がった。

「ああびっくりした。ちょっと何してるのこんなとこで」

「驚ろかせてごめんなさい。人を待っているんです」

「もしかして宮崎先輩?」

「どうしてわかるんですか?」

「だろうなって思った。今日大変だったんだよね。わたしもここの住人だからね、いろいろ聞かれたよ」

「そうらしいですね。山田さんから聞きました」

「うん。あ、それとね、わたし病院辞めることになったの」

「え? なんで?」

「うん、ちょっといろいろあってね、実家に戻らないといけないの」

「そうなんですか? それは残念です」

「短い間だったけどいろいろありがとう。じゃあお疲れ様です。頑張ってね」

 そう言って永海さんはあっさりと階段を上がって行った。ユキさんだけではなく彼女もここを出て行くのか。残念だ。年が近くて一番話が合ったのに……。


 ユキさんはまだ戻らない。

 やはりもう帰って来ないのだろうか。心の中が不安でいっぱいに満たされ始めた深夜十二時を少し過ぎたころ、カーテンの向こうに人影が見えた。非常口の鍵が外側から回され、蝶番がきぃっと小さな音を立てる。

 ユキさんだ! 皆の予想に反して、ユキさんは美芳館へ戻って来た。しかも一人だ。朝出て行った時と変わらないジーンズ姿のユキさんが目の前に立っている。

「ああ、ヒデ君。ただいま。こんな夜中にどうしたの」

 薄暗い中に立つ僕の姿を見て、驚いたように彼女は言った。

 僕は慌てて非常口から外に飛び出した。通りに出て辺りを見回したがあの派手な車も小田本人の姿もどこにも見えなかった。本当に一人で戻ったようだ。

「心配しなくてもあたししかいないわ」

「ユキさん……」

 それまで張り詰めていた心の糸が切れた。

「ユキさん、帰って来てくれてほんとにありがとう」

 言葉にするのはそれが精一杯だった。ユキさんはそっと僕を抱いてやさしく頭を撫でてくれる。

「バカね」

「あんたがバカだよ!」

 振り向くと母が立っていた。

「みんなどれほど心配したと思ってるんだい」

「ごめんなさい。おばさん」

「謝るのなら一番心配してるヒデに謝りな。ここでずっとあんたを待ってたんだ」

「ごめんね、ヒデ君。でももう大丈夫」

「あんた今日、どこへ行ってたのさ?」

「約束通り、お部屋を探しに行きました」

「ほぅ。小田といっしょだったんじゃないのかい?」

「いいえ。本当は夕べ彼からいっしょにここを離れようって言われていたけれど、あたし、結局、待ち合わせの駅には行かなかったわ。だから彼のことは知りません」

「ふうん、最後の最後に、よく我慢したね」

「おばさん、あたしね、ヒデ君には話したけれど、子供の頃、義理の父に乱暴され続けたの。欲望のままにね。だから、今のあたしはそうなんじゃないかなって思ったわ。あたしの欲望のために、先生の奥さんも子供さんも酷く傷付けているって」

「悪いのは男だ。けどあんたの判断は間違っちゃいないよ」

 その時、管理人室のカウンターの上にある電話が鳴った。

「深夜の電話はイヤだねぇ」

 そう言って母は受話器を上げた。

「はい、もしもし、美芳館ですが。ああ、あんたかい。お疲れ様だね。え? 何だって! ほんとかいそれ!」

 暗いエントランスに母の声が響く。その声のトーンから、きっと悪い知らせに違いない。

「いつ? そうかい。まあそっちも大変だろうけど頑張っておくれ」

「母さん、誰なの?」

「ああ、山田さんだった。病院からだよ」

 あの三人の会話の後、彼女は深夜勤に出掛けると言っていた。わざわざこんな時間に病院から電話して来ると言うことは余程のことだろう。

「よくお聞き」

 母が真剣な眼差しでユキさんに言う。

「小田さんが亡くなったそうだ」

                                     続く  

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