97 竜の鱗
地面に落ちた腐死竜の身体が日に焼かれる事で生じた有毒な煙りが辺りに漂っている。
「これは……腐死竜か」
「イオリさん、もっと距離を取りましょう! 溶けだした腐肉に触れたら致命的なダメージを受けます!」
直ちにハルが防護魔法を唱え三人の身体が光りの膜に覆われたがそれでも万全とは言い難い。腐死竜の濁った眼が何を見ているのか知らないが、近くにいる俺達ではなく別の方向、何かに気を取られているうちに退避すべきだ。
「ひとまずアオバ達と合流してアケルに戻るぞ!」
腐死竜の気を引かないように注意しながら軍隊狼達を腐死竜の死角に回らせて、すぐ近くにいたアオバ達の所へ向かった。
「アオバ、すぐに移動するぞ! 乗れ!」
声を張り上げてアオバ達を急かしたが、突如出現した腐死竜の姿に言葉を失い立ち尽くしている。
「おい、急げ! 逃げるぞ!」
「逃げる……? 悪いけど、逃げるならおっさん達だけ逃げてくれ。俺は逃げねぇ」
「何を馬鹿な事言ってんだ、あの竜のヤバさがわからないのかっ! あの竜はただの竜じゃないアンデッドだ。ルリやシェリアの魔法ならまだしもお前の剣技は有効打にならないんだぞ!」
「そんな事、わかってんだよ! だけど俺は勇者だ。強敵を前にして尻尾巻いて逃げるわけにはいかねぇんだ。それに……見てみろよ。あの竜の見ている方角……アケルの街の方角だ」
「! 確かに……まさか、奴はアケルに狙いを定めているのか」
腐死竜の視線の先にあるもの。それは大勢の人々が住むアケルの街だ。
「イオリさん、アンデッド系の魔物は野放しの状態だと人々の持つ生命力や魔力に惹かれて行動します。ここだと森の中の魔物よりもアケルの街の方がよりアンデッドの気を引くと思います。アオバはまだ未熟な勇者ですが、私は彼を守らなくてはいけませんので……私も残ります」
放心状態だったルリが自分の頬を叩き、気合いを入れ直すと覚悟を決めた表情で俺を見た。
「ならば私も残る。仲間だから。それに貴族に名を連ねる者として人々の危機に立ち向かわなくてはいけないからな」
シェリアも同意したようだ。ここで問答している場合ではないが、どうしたものか。
ハルやペレッタと視線を交わす。どうやら二人は俺の胸中を察しているのか無言のまま頷き、俺に判断を任せてくれるようだ。
「……わかった。俺達も協力しよう」
「へへ。さっすが、おっさん! わかってんじゃん」
「うるせぇよ。但し、打つ手なしとなったら即座に退くぞ」
まずはルリ、ハル、俺が別れ、それぞれアオバ、シェリア、ペレッタが軍隊狼の背に同乗した。三頭の軍隊狼が二人ずつ乗せて移動する。まずは小手調べ。
種族『人間 伊織 奏』 『』
職業『召喚術士』 『僧侶』
「聖なる神の加護を与えよ 祝福」
ペレッタの矢筒の矢に聖属性を付与し、腐死竜が動き出す前に先制攻撃を仕掛ける。
「それで、どこ狙えば良い?」
「アンデッドなら頭を破壊しても止まらない可能性がある。狙うなら胸の奥にある魔石か」
「届くか自信無いけど……炸裂矢!」
聖属性を乗せて放たれた矢は胸の鱗に傷を付けただけで弾かれた。
「駄目か」
「いくらアンデッドに有効な聖属性の矢でも竜の鱗を射抜くのは一苦労だよ」
二の矢、三の矢も弾かれてしまう。
シェリアの魔法、アオバの剣技も同様に腐死竜の鱗に阻まれ有効打にならない。竜の鱗ってのは鋼鉄のように硬いのか。
そうこうしている間に腐死竜が動き始めた。
ゆっくりと歩き出した腐死竜の進む先はやはりアケルの街の方角だ。とにかく動きを止めないなければ。
「光りを束ね、外法の獣を縛れ 聖光鎖」
魔方陣から光りの鎖が飛び出し腐死竜の首に巻き付く。
「よし、これで……!」
次の手を考える時間が稼げると思いきや、巻き付いていた鎖が砕けて消えた。
「どういう事だよ……」
「あの鱗だよ。あの鱗の所為で魔法効果も効きにくいんだと思う」
「だとすると、物理攻撃にしろ魔法攻撃にしろ半端な攻撃は意味が無いな……ハル達と合流するぞ!」
軍隊狼が踵を返し、腐死竜の傍を並走するハルとルリの軍隊狼と合流した。
「ハル、ルリ! 聖魔法で一ヶ所に集中攻撃しよう」
「それしかないですね。狙いは腹部。良いですかルリさん」
「はい! やりましょう」
「よし、残りの三人は俺達が聖魔法を放った後に可能なら追撃しろ」
俺達を無視して歩く腐死竜の傍を三頭の軍隊狼が連なって走り、三人が一斉に詠唱を開始する。
「降り注げ浄化の陽よ、一切の容赦もなく」
「邪を払い、魔を滅し、二度と蘇る事の無いよう」
「欠片も残さず焼き払え」
三人が腐死竜の腹部に狙いを定めた時、その魔力の高まりを感知したのか腐死竜が太い尾をくねらせて邪魔をしてきた。
「土よ、我が前に壁を 土石壁!」
足元の土が盛り上がり、そこを足場に軍隊狼が飛び上がって腐死竜の尾を躱した。
「もう、邪魔すんな! 魔装・巨神の矢!」
ペレッタはありったけの魔力を矢に注ぎ込み放った。矢に込められた魔力が解き放たれ巨大な鏃を形成する。そして鏃の先端は腐死竜の尾の鱗を貫き大穴を穿った。
ペレッタの矢の威力で尾が大地に縫い止められ、腐死竜の動きが一瞬止まった。
「神聖陽光!」
「神聖陽光!」
「神聖陽光!」
三発の大魔法が白い激流となって腐死竜を飲み込んだ。
咄嗟に躱そうと腐死竜が身動きしたがそれよりも先に聖魔法の光りが竜の鱗を砕き、腐肉を焼き払い、毒液を消し飛ばした。
衝撃で周囲に煙幕が立ち込め、腐肉竜の姿が確認出来ない。が、視界を遮る煙幕の向こう側に動く巨大な影が見えた。
まだ終わっていない。
「ぅおりゃああぁっ! 斬層飛剣!」
飛び出したアオバの剣が赤く発光し振り下ろされた。空中に赤く描かれた剣筋が幾つもの刃となって腐肉竜を襲う。
鱗と肉を切り裂く確かな音が聞こえた。
「よっしゃ効いたか。へへ、竜って案外大した事……」
「アオバ、逃げてぇ!」
手応えを感じて気を抜いたアオバに腐肉竜の反撃が迫る。半壊した尾が地面を削り瓦礫を巻き上げながらアオバを打ち据え、その直撃を食らったアオバが吹き飛ばされた。
「っつぅ……」
「アオバ!」
煙幕を吹き飛ばし姿を現した腐肉竜は前脚一本を失い、半身に大きな傷を負いながらもしぶとく生き残っていた。三発の聖魔法を前脚で強引に抑え込み、脚を犠牲にしながらも凌ぎ切っていたようだ。
腐肉竜の口が大きく開き、黒い光りが収束していく。至近距離から腐肉竜が吐息攻撃を仕掛けてくる。
狙いはダメージを受けて身動きが取れず一人孤立したアオバだ。
「アオバ、急いで逃げろ!」
人の足では間に合わない。咄嗟に軍隊狼を救助に走らせるが腐肉竜が吐息攻撃を放つ前に離脱出来るかどうか。
「アオバ、今行くから!」
「ルリ、待て!」
軍隊狼の背にルリがしがみついている。アオバを拾い上げるつもりか。
駄目だ。間に合わない。
「友を守る壁となれ 守護壁!」
シェリアの魔法障壁が発動すると同時に腐肉竜の吐息攻撃が放たれた。
二人を守ろうとシェリアが懸命に張った魔法障壁も瞬く間に破壊され、大地と森を削って最後に空を焼いて黒い光線は消えた。
吐息を放ち、一時的に魔力が減少した腐肉竜は攻撃の意思を失い、またアケルの街に向けて歩き出した。
「アオバ、ルリ無事かっ!?」
「そんな、そんな……アオバ! ルリィ!」
急いで二人の元に行くとアオバに覆い被さるようにルリが倒れていた。