九十四 腐死竜、出現
エルフ。人種の中でも飛び抜けて高い魔法適性を持ち悠久の時を生きる種族。他の人種に比べて筋力、生命力等は劣るが持ち前の魔法によってその差を補う事が出来る。また長い寿命を持つ為、修練に費やす時間も相応に長く、エルフの治める国エルダーフルは数ある大国の中でも魔法、武術、あらゆる技術の達人揃いの国として圧倒的な存在感を放っている。
そんな大国エルダーフルの領地にも比較的規模の大きなダンジョンがあり、そのダンジョン近くには多数の国民が生活する都市が存在した。ダンジョンという特殊な環境下で生まれる希少な魔物を狩り、その素材を目当てに他国の商人が訪れていた。
「大変だっ! ダンジョン内から大型の魔物が外に出ようとしている!」
ダンジョン入り口近くに設置された監視小屋に一人の兵士が飛び込んできた。
そのエルフの兵士はダンジョン入り口で警備を担当する班の一人で、入り口近くで発生した異常事態を知らせる為に駆け込んできたのだ。
「落ち着け、何を慌てている。ダンジョンから抜け出そうとする異常種が出たなら訓練通りに対処すればいいだろ。何が出たんだ?」
兵士達を束ねる隊長が駆け込んできた兵士を落ち着かせようとゆっくりと話を聞いた。
ダンジョン内で生まれた魔物は基本的に外には出ない。ダンジョンマスターに支配されているからだ。
しかし、ごく稀にその支配から抜け出す魔物が存在する。そういった異常行動を取る魔物が
ダンジョンから出てくるのを阻止する為、常に監視の目を光らせているのだ。
「今、ダンジョンの一層に……腐死竜が……入り口を目指しています。多層結界を張っていますが止められません!」
「な、何ぃ! 竜だと!?」
この世界において最強種と呼ばれる存在。多大な魔力を持ち、その生命力は首だけになってなお闘いを止めないとされる。それが竜だ。
硬い鱗は物理的攻撃のみならずエルフが得意とする魔法でさえ通さない。爪や牙で破壊出来ない物は無く、歴代の勇者の中には討伐に失敗し命を落とした者もいた。
竜よりは劣るとされる亜竜種ですら、人類はもて余す事がある。竜を相手にするとなると一国の軍隊を出動させなければ対処は難しいだろう。
「くっ……愚かなダンジョンマスターめ、分不相応な魔物を生み出して暴走させたか。何としても食い止めるぞ、総員ただちに出動! 都市にも連絡、城壁の結界出力を上げさせろ!」
隊長が激を飛ばし、小屋周辺の兵士達を総動員してダンジョンへと向かった。
「ダンジョン入り口を封鎖しろ! 土魔法で埋めるんだ!」
地下へと続くダンジョン入り口に幾重にも岩壁が覆い被さり、完全に塞がれた。
運が良ければ腐死竜が進路を変えてダンジョン奥へと消えてくれるかもしれない。
そんな期待を打ち砕くかのように、入り口を塞ぐ岩壁の内側から黒い光りが漏れ出すと、一瞬にして吹き飛んだ。
「クソ……竜の吐息か」
大穴が空いた入り口から巨大な竜がゆっくりと外へと歩いてくる。
陽の光りを浴びた身体から黒い煙りを生じさせながらも腐死竜は四本脚でしっかりと大地を踏みしめ、まるで自由の身になった事を宣言するかのように天に向かって吠えた。
「総員、攻撃開始!!」
待機していたエルフ達が次々と魔法を放つ。火、土、風、様々な魔法を放つがどれも竜鱗に阻まれ消えてしまった。唯一の救いは腐死竜の能力が生前の頃と違い魔法を完全に防ぎきれず魔法を防いだ鱗が幾らか剥がれ落ちた事か。
このまま攻撃を続けて腐死竜の竜鱗を剥がしていけばいずれ有効打を与える事が出来るかもしれない。
隊を指揮する隊長がそんな事を考えていると、ふいに腐死竜が遠くを見つめるように顔を背けた。
「何だ……何を見ている」
腐死竜の見つめる先。その遥か先には大勢が住む都市がある。
そこに狙いを定めたかのように腐死竜の口内に黒い光りが集まる。
「いかん、吐息攻撃だっ! 都市を狙っているぞ、撃たせるな!」
自分達の家族が住む都市を守る為、兵士達が渾身の力で腐死竜に攻撃する。
しかし魔法も剣も矢も腐死竜の動きを止められず、口内の光りが収束していく。
「どうすれば……! 足場だ。足元の地面を隆起させろ!」
腐死竜の吐息が放たれる寸前、隊長の指示により前脚の地面が盛り上がり、狙いを大きく外した黒い光線が空へと撃ち上がった。
「な、何とか防いだか……だが次は」
攻撃の邪魔をされた事で腐死竜の怒りは周囲を囲む兵士達に向けられた。その怒りのままに竜が暴れれば、数十人の兵士など数分で全滅だ。
「隊長、どうすれば……」
「やむを得ん。強制転移だ! 腐死竜を大砂漠まで強制転移させろ!」
大陸には国一つ入るほどの砂の海がある。その陽の光りを遮る物がない大砂漠に腐死竜を飛ばす事が出来れば消滅させられる。
「しかし腐死竜には魔法を打ち消す竜鱗があります。例え転移させられたとしても、転移先に狂いが出てしまいます」
「それでもやるしかない! 我々が全滅すれば、次は都市が狙われる。今出来る事はコレしか無い!」
隊長の苦しい表情に部下の兵士もその胸中を察した。
狙い通り大砂漠に飛ばせる可能性は低い。失敗すれば他国の生活圏に腐死竜を押し付ける事になる。だがやらなければ自分達の家族が死に絶える。どちらかを選ばなければならない。
「……総員、ありったけの魔力を絞り出せ! 少しでも遠くへ! 大砂漠の近くへ飛ばせ!」
転移の魔方陣が腐死竜を包み込むが、竜鱗に触れた部分が泡のように消えてしまう。だが、その上から新たな魔方陣が覆い被さる。
数十の魔方陣が腐死竜を包むとようやく強制転移の魔法が発動した。
全ての魔力を失ったエルフの兵士達が次々と倒れ、辛うじて隊長だけが意識を保っていた。
一瞬にして消え去った腐死竜。
少なくとも感知出来る範囲にはいない。
「すぐに……追跡、しなくて……どこかの……民、よ……すま、ぬ」
都市から派遣された応援部隊が遠くから近づいてくるのを感じながら、エルフの隊長は意識を失った。