四十九 迸る殺気
調査隊が禁域のある森近くで夜を明かしている頃。
倉庫街の一角にある、バンシャー商会の倉庫が激しく燃えていた。
炎は敷地内に収まっているとは言え、すでに屋根にまで到達し、炎を見上げる人々はただ建物が燃え尽きるのを見ている事しか出来なかった。
この事にバンシャー商会の屋敷では、事態の収拾と商会の命運を懸けた取り引きを成功させる為に、多くの幹部が慌ただしく動いていた。
「会長!」
悲鳴のような声で幹部の一人が部屋に入って来た。
狼狽える手下の顔に、部屋の主は苦虫を噛み潰したような顔で応えた。
「見っともねぇ! 騒ぐんじゃねぇよ!」
鼠獣人のシクリ・バンシャー。一代でバンシャー商会を立ち上げ、あらゆる手を使って大きくしてきた。
そして、今夜。更なる躍進のチャンスを手にしようと言う時に、大事な商品を保管している倉庫が焼けた。
物は石像だ。焼け残る可能性はある。
シクリはまだ諦めてはいない。今夜の取り引きには、商会と自身の命運が懸かっているのだから。
何があろうと、失敗するわけにはいかない。
焼けた倉庫のある場所は無人の倉庫街。何者かが狙って火を放ったのだとしたら、本当の狙いは今夜の取り引きを潰す事だろう。
苦悶の表情でシクリが叫ぶ。
「いいか、今夜の取り引きは絶対に失敗出来ん。誰が来ようと邪魔させるな、ぶっ殺せ!」
「は、はっ!」
シクリの怒気に気圧されて、幹部は転げるように部屋を出ていった。
「……二十年かけて、ここまで来たんだ。誰が相手でも容赦しねぇぞ」
魔族領にいた頃は力の弱い鼠獣人は虐げられ、アーク王国に流れ着いてからは、その見た目で苦しめられた。
それでもこの町にしがみついてきたのだ。
例えどんな手段を使ってでも、伸し上がる。それがシクリ・バンシャーの全てだ。
倉庫の火事が鎮火し焼け残った石像は用心の為、シクリの屋敷へと運ばれた。
そして屋敷に二人連れの男がやってきた。
厳戒態勢のなか、護衛に囲まれソファに座るシクリの下に案内された男達は対面のソファに座り、シクリの顔を一瞥し顔をしかめる。その表情は、これまでシクリが
何度も見てきた侮蔑の顔だ。
だが今はそれを無視して取り引きを始める。
「さて、そちらの要望はピナリー・デルタ・ウィルテッカーの身柄を引き渡す事。こちらの要望は、禁域に封じられた魔物を討伐する事。間違いないか?」
「あぁ、間違いない。すでに部隊は禁域付近に配置してある。取り引きが成立すれば封印を解き、解放された魔物は我が国の精鋭が討伐してくれよう」
シクリの後ろに控えていた男が緊張した面持ちで、対面の男の前に契約書を差し出した。
男が契約書にサインする。この契約書はシクリにとって命綱でもあるが、一連の悪事の証拠でもある。
この契約書は、バンシャー商会に話を持ちかけたアーク王国の重鎮の名によって成立している。もし、シクリの背後にいる者がバンシャー商会を切り捨てようとすればこの契約書を盾にする事が出来るが、この契約書を持っていることはバンシャー商会が関与している逃れようの無い証拠となる。
「では、王女の身柄を引き渡してもらおう」
「わかった。おい、持ってこい」
護衛の一人が退室しようと扉を開けると、血塗れの配下がよろめきながら入ってきた。
「か、会長……侵入、者で…」
血塗れの男の後ろ、通路の陰に人影が立つ。
「! クソがぁ!」
護衛の傭兵が血塗れの男を蹴飛ばし、強引に隙を作ると通路に向かって斬りかかる。
「おっと、味方に優しくねぇ奴だな」
味方ごと斬ろうとした剣が弾かれ、反撃の槍が傭兵の顔を貫く。
「何だ、てめぇら!」
「何だとは心外だな。わざわざ顔を出してやったと言うのに」
返り血を浴びたピナリーがランスとオースを従えて、部屋に入って来た。
「なっ……何故、お前が」
驚愕するシクリに、不敵に笑うピナリーが近付こうとするが、即座に傭兵が動く。
傭兵の剣を躱して、ピナリーの手刀の突きが傭兵の頬を掠めた。
予想以上に鋭い突きに、傭兵は思わず後退したが途端に足がふらついた。
「が……がぁ」
白目を剥き、泡を吹いて倒れた。
「まさか……毒手か」
青ざめる傭兵の言葉に答える代わりに、小瓶を取り出し中身の毒液を一気に飲み干す。
「おいおい、あんま飲み過ぎねぇで下さいよ」
「わかっている……が、憂さ晴らしには、まだ足りぬわ」
棒立ちの傭兵達に、血走った目でピナリーが迫る。
腰の引けた傭兵達の間を縫うように駆け抜け、通りすぎる時に数ヶ所を傷つける。それだけで傭兵達は昏倒し、瞬く間に護衛の傭兵は数を減らした。
「て、てめぇ本当に姫か? この化け物め……」
残された傭兵達を盾にして、シクリが毒突く。
「ふん。これでも私はCランク冒険者。当時の職業は、暗殺者だ」
毒を食らい、軽い身のこなしで駆け巡り闇に紛れる。
様々な耐性を持っている職業なのだが、それでも石化の呪いには対抗出来なかった。
その事が、石化から解放されてもピナリーの心を苛んでいた。
その苛立ちを払拭する為に、彼女は自らの手で戦う事を選んだ。
「こんな雑魚などいくら用意したも無駄だぞ。城で襲ってきた奴を出したら……」
「殿下!」
オースの叫び声に素早く反応し、飛び退く。
ピナリーの立っていた場所にナイフが突き刺さり、そのナイフを突然現れた男が引き抜く。
フードで顔を隠し、肩に魔蜥蜴を乗せた男。見覚えのある姿に、ピナリーは迸る殺気を抑え、笑った。
「私はピナリー・デルタ・ウィルテッカー。会いたかったぞ、あの時の男。名を聞こうか」
「くくく、怖いねぇ……尋常じゃないねぇ、この殺気。城でやり合った時とは比べ物にならない……俺はウルト、バンシャー商会の依頼で姫様を襲った男さ」
ピナリーは腰に下げていた鉤爪付きの手甲を嵌めて、男に相対する。