四十二 逃げるより立ち向かう
禁域の一つ、『吸血城』の定期調査隊を率いる事となったボルター・カルクイード男爵。四十五才、独身。
城勤めの文官であるが、趣味の筋トレで育てた肉体を見せびらかす為に、服は常にワンサイズ小さい物を着ている。
今日は、定期調査に掛かる見積りと予定旅路の確認の為、総責任者のピナリーの下へと向かっていた。
「禁域調査隊担当のボルター・カルクイードである。ピナリー殿下の取り次ぎを頼む」
「少々お待ち下さい」
警備の騎士が部屋に入っている間に、ボルターは軽く身嗜みを整える。服の襟を正し、幾つのポージングを決めて。
「よし、これでいくか」
しっくりくるポーズを決めると、入室許可を待つ。
ちなみに、部屋の警備は二人一組。残された騎士は、ボルターの奇行にも動揺せず、無視し続けていた。
「お待たせしました。ピナリー殿下がお会いになります」
「うむ。……ふんっ!」
最後に気合いを込めて一鳴きしてから、入室した。
「失礼致します。ボルター・カルクイード、参りました」
「カルクイード、何かと準備で忙しいだろ。書類の類いは自分では無く部下に持って来させても良いんだぞ」
「いえいえ、何か間違いがあってはいけません。殿下に直接お伝えする方が、確実です」
「……はぁ、そうか。では受け取ろう」
「どうぞ。去年の調査費用の決算を参考に組んだ予算案と現地までの複数の予定旅路です」
提出された書類に目を通すピナリーを、直立不動で見つめるボルター。
ボルターの視線の圧力に、ピナリーは居心地の悪さを感じて自然な仕草で顔を背ける。
ピナリーの関心を誘おうと、胸筋を踊らせるボルター。
「予算案は確認した、このまま進めて良い。調査隊の旅路は隊を率いるカルクイード、お前に一任する」
「はっ! お任せ下さい」
ボルターは報告を終えても立ち去らず、ピナリーをジっと見つめている。
「…………」
「…………」
「……もう下がって良いぞ」
「殿下、別件でお耳に入れたい事が」
ピナリーの側に来ると、顔を寄せて密かに匂いを吸い込み。
「サテル・オデークなる者が商業ギルドを通じて、特Aランクのアイテムを手に入れたと報告がありました」
「特A? 許可が無ければ購入出来ないランクだな。それで、何か不審な部分でもあったのか?」
商業ギルドの扱う特Aランクとは、アイテムの特殊性又は希少性を考慮して購入者を制限する為に設けられたランクである。
購入する為には、国の購入許可を必要とし、記録も残される。
「記録自体には不審な点はありませんでした。ただサテル・オデークは城下の役場に勤める下級貴族です。然程裕福な家ではないので、今回の購入もかなりの借金をして購入おります」
「ふむ……身の丈に合わぬ買い物か。あまり褒められた事ではないが、かと言って何かに違反している訳でも無かろう」
貴族として見栄を張り、借金を重ねて身を崩す。
呆れた話だが、珍しくもない。
「問題なのは、そのアイテムを今回の調査に同行する者に渡しておる事です。サテル・オデークは殿下に反抗的な態度を隠さぬ者で、今回の調査隊派遣に関しても、殿下が責任者である事に対して不満を周囲に漏らしているとか」
「成る程……私に敵対する者が、調査隊の者に自ら借金してまで手に入れたアイテムを渡した、か。ろくな目的では無さそうだな、購入したアイテムは何だ?」
「空間転移のアイテムです」
「移動用か……考えられるのは禁域の調査で悪さをして、その場から離脱する為の逃亡用かな?」
「おそらく。それとサテル・オデークは城下の冒険者ギルドに、Aランク冒険者を特定の日にアケルの街に派遣するよう依頼を出したようです。その日にちは調査隊の出発予定日の翌日です」
「……まるで歌劇のシナリオでも読んでいる気分だな。ここまで分かりやすいと、こちらを騙す偽情報ではないかと疑いたくなる」
自分に敵対心を持つ者が、ここまで情報を掴ませるだろうか? 呆れつつもサテル・オデークが囮で、別の悪事が進行している可能性があると考え、気を引き締める。
「サテル・オデークに関する情報が囮である可能性もある。奴に関しての調査は、引き続きこちらで行う。お前は、禁域の調査に抜かりがないように頼む」
「はっ! では、これで失礼致します」
ピナリーに一礼し、退室する前に胸一杯に息を吸い込んだボルターは、入室前に決めたポーズを取りピナリーにアピールして出ていった。
サテル・オデークに関しての追加調査で、例の空間転移アイテムの購入時に支払いを渋ったせいで粗悪品を掴まされた事がわかった。詳しいアイテムの知識も無いままに値段の高さだけを見て文句つけたらしい。
結果、商業ギルドのブラックリスト入りし、本来秘匿される購入記録も漏洩する羽目になった。
「いくら探ってもボルターの報告以上の事は出てこないか。だとすると、サテル・オデークは拙い計画を企てるだけの小物と言うことか」
何か裏があるのではと、警戒していたのが馬鹿らしくなる。禁域の調査隊派遣前の忙しい時期に、くだらない手間を取らされたピナリーは、サテル・オデークを追い詰め捕縛する計画を練り始めた。
現状では特に取り締まる理由が無い以上、手は出せない。決定的な証拠を掴むまで泳がせるかと考えていると部屋の外の騎士が入室し、部屋付きの侍女に封筒を手渡した。
「ピナリー殿下、ボルター・カルクイード様からお手紙です」
「ん、そうか」
侍女から封筒を受け取り、中の手紙を読む。
内容は、サテル・オデークに関して新しい情報を得たのだが、王族に関わる事なので内密に確認して貰いたいという物で、密会する場所として城の中庭が指定されていた。
「……この手紙はボルター本人が持ってきたのか?」
「いえ、使いの者が持ってきました」
「そうか……」
ピナリーはこの手紙を偽物と判断した。ボルターの性格なら、何かと理由をつけてピナリーの部屋に来る。
特に他聞を憚る事なら尚更、本人が伝えにきた筈である。
「ちょっと出てくる」
何者か知らないが罠を仕掛けているのなら、その罠を食い破ってやる。冒険者としての顔も持つピナリーは、そんな事を考えながら指定された中庭にやってきた。
罠を仕掛けた者の姿を探して中庭の奥へと進む。すると人気の無い中庭の一角にボルターの姿があった。
「? てっきり誰かの罠かと期待したんだが、本当にお前の手紙だったのか。意外だな、何の……」
一瞬の油断。普段、ボルターという男を信用していたが故の隙を突かれた。
ボルターの大きな手で首を絞められ、木陰に押さえ込まれてしまった。
「な、……ぐぅ」
容赦ない力で締め上げるボルターの手は、ピナリーの細腕ではとても振りほどけない。
咄嗟に服に隠していた暗器でボルターの右目を潰す。
これには堪らずボルターは手を放し、解放されたピナリーは咳き込みながらも素早く身を隠し、物陰からそっと覗き込み、様子を伺う。
「な、何だ……アレは」
身体を曲げ、蹲るボルターの輪郭が歪んでいる。
まるで身体の中で別の何かが暴れているかのようだ。
「あぁ、酷い事をする」
突如背後から声がする。
振り向いて確認するよりも先に、その場から飛んだ。
だが一歩遅く、ピナリーの左腕が衝撃と共に感覚を失った。
「くっ!」
見れば左腕が石と化していて、その重さにピナリーの動きは大きく制限された。
「へっへっへ、すばしっこい姫様だなぁ。でも、次は躱せねぇぜ」
目深にフードを被った男の肩には、一つ目の蜥蜴が乗っていた。
「魔蜥蜴か……」
「おぉ、賢いねぇ。そうさ、コイツは邪眼を持つ魔蜥蜴。でもってアンタが片目を潰したのが変幻獣さ」
逃げ切れないと悟ったピナリーは起死回生を狙って、暗器を握りしめ魔獣を操る男へと飛びかかろうとした。
だが地を蹴る寸前、魔蜥蜴の邪眼によって石像へと変えられてしまった。
「へっへっへ、意外と血の気の多い姫様だったなぁ。あとは……」
男は変幻獣の側に立つと。
「さぁ、今度はあの姫様の姿になりな。そして城内に行って、人目のある所で倒れるんだ。あとは指示があるまで寝たふりを続けろ」
それまでボルターだった変幻獣は、今度はピナリーの姿となり、男の指示通り城内へと向かった。
「さぁて、この姫様はアーク王国に恨みを持つ国に持って行けば、高く売れそうだな」
アイテムボックスを開き、石像をしまうと更なる暗がりへと消えていった。
程なくして、城内で人々が慌ただしく駆け回った。