39 お前は何者だ
日が沈み月が顔を出し、どれほど経っただろうか。
アケルの街も明かりが灯る酒場などの歓楽街を除けば静かなもので、倉庫区画に立ち入る者など誰もいない。
このまま何事も無ければ、楽なクエストなんだが。そんな楽なクエストに、高い報酬は付けないよな。
依頼を出した側も何かが起きると予期しているんじゃないかと思う。
月明かりが雲で隠れ、倉庫区画は暗闇に覆われた。常人では目の前の物を視認する事も出来ないだろうが、今の俺は夜目の効く猫だ。そして猫の聴覚は遠くから屋根づたいに疾走する存在を感知している。他の無人の倉庫には目もくれず、一直線にこちらに近づいてくる。
「ナゥ(来た)」
隣の倉庫で立ち止まり、静かに辺りの様子を伺っているようだ。
顔はわからないが、女か。侵入者の女が屋根を飛び降りて、倉庫の敷地に着地した。
すぐさま影蛇が襲い掛かるが、女が腕を振るうだけで弾けてしまった。
影蛇は、追跡・感知能力は高いが戦闘能力は普通の蛇より低いんだよな。
次々と消されていく影蛇達。しかしいくら弱いと言っても、何も見えない暗闇から襲い来る影蛇を一匹も取り零す事なく倒してしまうとは。
「ニャウゥ……(厄介な……)」
最早、影蛇では対処出来ない。倉庫周りに出していた幻も消して、自分で対応するしかない。
種族『人間 伊織 奏』 職業『魔法使い』
『光よ弾けろ 閃光!』
侵入者の女の目の前で、強烈な光源を作り出し目を眩ませた。予期せぬ光で女の足が止まった隙に、間合いを詰めて足払いをかける。
『身体の自由を奪え 麻痺衝撃』
地面に倒れた女を魔法で痺れさせ、動かなくなった所で縛り上げようと近づくと不意打ちで蹴りを食らってしまった。
「ぐぇっ!」
油断した。麻痺攻撃は食らっていても自力で回復していたらしい。コイツ、回復魔法が使えるのか?
種族『人間 伊織 奏』 職業『格闘家』
正面から相対しても暗くて顔がわからない。女の蹴りを躱しながら、間合いを詰めようとしても一定の距離を保つように下がる。
何だか、女の動きに覚えがあるような気がする。
こちらが大きく後退し、距離をとると向こうが一気に踏み込んできた。
身体を左右に大きく振る独特な動き、間違いない。
体当たりするように前に出ると、衝突の寸前に女は飛び上がって俺の背後を取った。
「何をしてんだ、ハル」
後方からの裏拳を食らう寸前で、攻撃が止まった。
「あ、あれ、イオリさん?」
「まさか、バンシャー商会の倉庫番をイオリさんが受けていたなんて」
先日見た物とは違うマスク、黒い虎模様のマスクと黒を基調とした別のコスチュームで目の前に立つハル・ウェルナー。
すでに警戒を解いているようだが、こっちはまだ怪しんでいるぞ。どういうつもりで倉庫に侵入しようとしたのか、ハッキリさせないとな。
「いくら知り合いだからって、仕事は仕事。倉庫に侵入する為に来たんだろ?」
「はい、そうです。でも、ここへ盗みに来たんじゃないですよ? 中に入って調べたい事があるんです」
そう言って倉庫の扉に近づこうとするのを止める。
「中に入らせるわけにはいかないぞ。倉庫を守るのが俺の仕事だからな」
「本当に中を見るだけですよ。実は、バンシャー商会にある噂がありまして、それの真偽を確かめる為にはこの中の荷物を調べる必要があるんです」
「まるで役人みたいな事を言う。必要な事だと言うなら正面から来ればいいだろ、こんな夜中にコソコソと忍び込もうとするのは噂の信憑性が薄いって事だろ」
いつもの笑みを浮かべたまま、ハルの動きが止まりこちらをジッと見ている。
「……確かに。疑わしいというだけで、確たる証拠もありません。しかし、だからと言って放置してよい問題ではないんですよ」
ゆっくりとこちらを向き、両腕を構えた。
押し通るという事か。
「悪いがこちらも仕事でね。甘い顔は出来ない」
同じように構えて、少し間が空いた。
そして戦いはハルの飛び膝蹴りから始まった。
両手で防ぎ、後退しつつハルの連続蹴りを躱す。
蹴りを躱すと同時に間合いを詰めて右の肘打ちを繰り出すが、ハルは身を捻って躱した。
躱す為に姿勢を崩したハルに向けて右拳を振り下ろそうとするが、先にハルの上段蹴りを食らった。
俺の動きが止まった所で、ハルは連続のバク転で距離を取り暗闇に溶け込んでしまった。ハルはこの暗闇でも影蛇を難なく倒せる奴だ。このままじゃ不利だな。
種族『人間 伊織 奏』 職業『死霊術士』
格闘家としての実力はハルの方が上。ここは別の手段でいこう。
『未練を残し、地上を彷徨う魂よ 亡霊召喚』
多数の浮遊霊が現れて、周囲を漂い始めた。ハルを狙って動くわけではなく、その場を彷徨うだけだが触れてしまうと瘴気にあてられ体調不良に追い込まれる。しかし、僧侶のスキルも持つハルならば容易く対処出来るだろう。
種族『人間 伊織 奏』 職業『魔法使い』
『身体の自由を奪え 麻痺衝撃』
死霊の相手をしている所に魔法攻撃だ。
「えっ! ち、ちょっとこれは……」
さすがに手一杯だろう。咄嗟に麻痺の魔法はレジストしたようだが、その隙に死霊に集られて倒れ込んだ。
「勝負ありだな、ハル」
「うぅ~負けですぅ」
死霊を送還し、ハルを縄で縛る。元から本気でやり合う気は無かったのか、負けを認めてからは大人しく縛られている。
「バンシャー商会の噂、イオリさんはご存知ですか?」
「知らない。と言うか、バンシャーが商会の名前という事も今知った」
「あれ? そうなんですか。では、聞いて下さい。噂というのは、そのバンシャー商会が違法な人身売買に関わっているというものなんです」
違法な、か。基本、この世界では奴隷という形で人が売り買いされている。借金や犯罪などで奴隷という身分に落ちる。だがそれでも契約によって奴隷も最低限守られている。
その最低限の守りさえないのが、違法な人身売買というわけだ。
「もしかして、この倉庫に売り飛ばされる人間がいるのか確認しに来たのか」
ハルは確信しているようだが、どうだろうね。
夕方からずっとここにいるが、倉庫からは物音一つ聞こえてはいない。遠方から走ってきたハルの足音は聞こえたのに、倉庫内の人の声や物音に気付かなかったとは考えにくい。
いくら音漏れしないように対策していたとしても、この距離で聞き漏らすとは思えない。
「なぁ、ハル。本当に噂の真偽を確かめに来たのか? 普通、そんな理由でヤバい橋を渡ったりしないだろ」
「この街に暮らす者として、違法な人身売買など許せません! 噂通り、バンシャー商会が悪事に手を染めているというなら、この手で暴くまでです!」
う~ん。ハルの性格的に嘘は言ってないんだろうが。
「何か怪しい」
「な、何がです?」
このクエストはバンシャー商会が冒険者ギルドに正式に発注し、承認されたクエストだ。
違法な人身売買に利用された倉庫番なんて冒険者ギルドが事前調査で見抜けなかったのだろうか。
冒険者ギルドが街の噂を知らないわけがない。
噂、噂、噂……
「……何故、バンシャー商会はクエストを出したんだ?」
「え? どういう意味です?」
「街の噂となっているなら、当然バンシャー商会だって耳にしている筈。そこへきて怪しまれている倉庫の番を信用ならない冒険者ギルドに出した……狙いは何だ?」
普通なら倉庫内を見られてしまう。それが狙いか?
……いや、それだけじゃない。
「本当の狙いは……ハルか?」
「え? 私?」
「疑われている事を自覚しているバンシャー商会が、敢えて見せようとするなら、ただの冒険者では不十分だ。バンシャー商会を疑っている者に直接見せて、疑いを晴らそうとするだろう。そして直接確かめに来たのは、ハルお前だ」
「……」
「バンシャー商会の狙いは、冒険者ギルドよりも夜中に確かめに来た者だ。だとすれば、ハルお前は……どこの誰だ?」
バンシャー商会が警戒しているのは冒険者ギルドではない。もっと別の組織。
街と人を守る為に、正体を隠している者。ランスのような。
「……第八騎士団」
「あ、あぅ」
どうやら当たりか。