三十五 小悪党さん、出番です
王城の訓練場で盾を構えた壮年の騎士に、勇者候補のアオバが斬りかかる。
準備運動の走り込みでへばっていた頃に比べて、見違えるほど力強い剣撃を繰り出していた。
「もっと思い切って踏み込め! 中途半端な攻撃など効かんぞ!」
アオバの呼吸が荒くなり、教官の盾を揺らす事が出来なくなると叱咤の声が飛ぶ。
歯を食い縛り、渾身の一撃で教官を後退させると後衛の僧侶からの支援魔法が届く。
『彼の者を癒せ 休養』
教会から派遣された僧侶ルリの癒しの魔法によって、アオバの疲労が消え体力が回復した。
「おおぉぉ! 強剣斬!」
「甘い!」
剣士の攻撃スキルを教官は距離を詰める事で威力を殺し、剣と盾の押し合いになる寸前に身体の位置を入れ替えてアオバの後ろに回り込むと。
「盾打撃!」
無防備なアオバの背中に教官の攻撃が炸裂する。
小柄なアオバが宙を舞い、吹き飛ばされた。
「いってぇ……」
「そこまで」
アオバが立ち上がるよりも先に教官の剣がルリの首に突きつけられた。
勇者候補のアオバと従者のルリ。
一見すると剣士と僧侶で、バランスが良いように見えるが、実際には上手くいっていなかった。
アオバは攻撃に意識が寄り過ぎて後衛のルリとの連携が取れていない。ルリは戦闘経験が足りず、棒立ちになる事が多い。
まだ組んで間もない二人では上手くいかないのも仕方ないが、このまま修行の旅に出して良いものか。
アオバの教育担当教官は、もうしばらく様子を見るべきと判断していた。
「ふむ。二人の連携等を考えると、修行に出す前に実戦を経験させるべきだな」
教官からの報告書を読み、ピナリーは思案する。
訓練では得られない経験を二人にさせる。
ある程度は戦えるのだから、外で魔物相手に戦闘経験を積ませても問題ないだろう。
「そういえば禁域の定期調査もあったな」
アーク王国に存在する三つの禁域の一つ。『吸血城』の封印を確かめる為、近々調査隊が派遣される事が決定していた。ピナリーは、この調査隊に二人を同行させようかと考えた。
『吸血城』。数十年前に停戦した魔族との戦争時、アーク王国に攻め込んだ一人の上級吸血鬼がいた。
当時の勇者と王国軍が相応の被害を出しながらも苦労して、吸血鬼が拠点としていた城の中に封じ込めた。それが通称『吸血城』。
何故、勇者と数千の兵がいて一人の上級吸血鬼を封じ込めるに留めたのかは謎とされている。
それ以降、城の周囲一帯は禁域として人の立ち入りが制限され、封印状態を調べる為に年に一度、調査隊が訪れるだけとなっていた。
「毎年の調査だと、ほぼ問題無し。せいぜい行き帰りに小物の魔物と遭遇するくらいか。……これなら調査隊の護衛にアオバ達を加えても良さそうだな」
詳細を書いた指令書に印を押して、二人の参加を決定した。
同じ頃、城下の貴族邸の一室に、数人の男達が集まって酒盛りをしていた。いずれも下級貴族の家系で、王都の役所に勤める役人達だが、この日は昼間から飲み始めテーブルには何本も空の酒瓶がある。さらに新しい酒瓶を開けて、酒が溢れるのもお構い無しにグラスに注ぎ、乱暴に飲み干していた。
「それにしても腹立だしい。あの小娘は分という物を弁えぬ、聞けば陛下にすら意見するとか」
「この国が誰の物かも分からぬとは、女などその程度という事だ」
「全くだ。さっさと嫁にでも行って他国の機嫌でも取っていれば良いものを……あんな女がいるから我が国の発展が進まぬのだ」
かなり酒に酔っているのか。普段は心に押し込めている不満が、次々と溢れる。
「それに禁域の調査隊を率いる役目を、ボルター如きに任せるとは、忌々しい……失敗でもすれば良い!」
「ふん、護衛に囲まれて王都と禁域を往復するだけの役目だ。無能なボルターでも失敗しようがない」
その時、男達の一人がポツリと言った。
「失敗か……あり得なくもないな」
「何? どういう事だ」
呟いた男は、酔いが回り半ば自棄になっていた状態から打って変わり、囁くように話し始めた。
「もしも禁域の調査に失敗し、封印が解かれればどうなると思う?」
「まさか、調査隊に解かせるのか」
「無理だろう。そんな事をすれば真っ先に死ぬのは、当の本人だ。上手く逃れたとしても、解放された魔物はどうするというんだ」
「手の者には、空間転移のアイテムを使わせて逃がす。調査隊の拠点としていた街まで引かせて、そこでボルターが功を焦り、不用意に封印を解いたと吹聴させる」
己れの策略に酔いしれるかのように男は含み笑いを浮かべ、酒を呷った。
「魔物の方は?」
「たかが、上級吸血鬼一匹。王都の凄腕Aランク冒険者を手配してある。拠点の冒険者や兵士どもを使えば討ち漏らす事もあるまい」
「だがそれでは周到に用意した事を怪しまれるのではないか?」
「問題無い。私は事前にボルターの企みを知り、半信半疑ながらも出来うる限りの対策として冒険者を派遣したというシナリオさ。ついでに言えば、上級吸血鬼には派手に暴れてもらいたい。いっそ街を滅ぼすくらいね」
「まぁ、そこまで被害が出れば、倒す価値も上がり功もその分高まると言う事か」
「私がただ功一つに満足するとでも? いいか、禁域の一つが解放されれば、必ずそこは開発され新たに街が作られる事になる。そうなれば統治する者が必要だろう、その役目には解放の立役者となった私が選ばれる可能性は高い」
「おぉ! その時は是非、私も!」
「私もだ! 私は使えるぞ!」
街の代官。それが男の目的だ。
だが、いくら綿密な計画を立てても予想外の事は起こる。もしも計画が露見すれば、男の身は破滅する。
そんな事、男も分かっている。
だからその時の身代わりを、今確保したのだ。
「優秀な者は、常にあらゆる手を考えているものだ」
「? どういう意味だ?」
「何でもないさ」
自分の手のひらに転がされる哀れな者達を見て、男はせせら笑う。
「解き放たれた上級吸血鬼に潰されるのは、何と言う街だったかな。せめて慰霊碑でも建ててやらねばな」
「確か……アケルという名前だったな」