二十三 気苦労
勇者召喚から数日後。
「三人の候補達は、とりあえず勇者を目指す事になったか」
執務室で目頭を押さえ、首の凝りを解しながら報告書を読み終えたピナリーが、控え室の侍女を呼び。
「すまないがメイクを頼む。このままじゃ陛下の前に出られないからな」
「まぁ、またですの! いい加減、自室でお休み下さいませ! 見た目だけ取り繕っても、御倒れになっては意味が御座いませんよ!」
「ああ、気をつける」
侍女の諫言もあまり響かない。侍女の方も半分諦めた様子で溜め息をついて、メイクの準備を始める。
「終わったら起こしてくれ。『僅かな眠りを 短時間睡眠』」
いよいよ侍女の溜め息も重くなる。自分の主は、己の事に無頓着過ぎる。
出来るだけ時間をかけて休ませてやりたいが、それをすれば遅れを取り戻そうと更に無理をしてしまう。
侍女に出来る事は、望み通り短時間で終わらせて無駄とは思いつつ忠告する事だけだろう。
せめて、少しでも疲れが取れるように念入りにマッサージする。
貴婦人のメイク時間としてはあり得ない位の短さで作業を終えると、そっと肩を揺らし。
「殿下、ピナリー殿下。終わりました」
「……ん、ありがと」
「殿下。無駄とは思いますが」
「わかってる。今、抱えてる件が済めば休みを取る」
こんなやり取りを何度したことか。侍女もそれ以上は食い下がらず一礼をしてピナリーを見送った。
召喚された三人の勇者候補達の報告書を国王に提出する前に、候補達の様子を見ておくかと、少し回り道をして様子を窺う事にした。
今、候補達の運動能力とスキル確認の為に、訓練場でテストをしている筈だ。
正直ピナリーは、異世界から召喚された候補達にあまり期待していなかった。元の世界では戦いとは無縁の生活をしていた者達だ、果たしてどれだけ厳しい訓練に食らいついていけるだろうか。
「父上は単純に戦力になると考えるだろうが……」
数百年もの間、魔族と争い続けていたが、現魔王の代で停戦条約が結ばれて数十年。
魔族との争いが無くなると、人間世界では序列争いが目立つようになった。国力の低い弱小国であるアーク王国には希少なミスリル鉱脈が存在する。そのミスリル鉱脈を持っているせいで周囲の国々との付き合い方も、なかなか難しいものになっているのだ。
ミスリル鉱脈と三つの禁域、この正と負の財産を持つアーク王国と周辺国の微妙なバランスを崩しかねないのが、勇者という存在だ。
魔族との戦争を覚えている者は、勇者という力が欲しいだろう。例え弱小国を滅ぼしてでも。
そんな問題を考えると、素直には喜べない。
ピナリーの溜め息も多くなるというものだ。
ピナリーの考えとしては、民が平和に暮らせるなら国定勇者など必要ないと思っている。歴史の中でアーク王国が脚光を浴びることなどないほうが幸せではないのか。むしろ、下手に力を付けた事で、悪い方に向かうのではないかと思ってしまうのだ。
「周辺国との話し合いをもう少し増やして、我が国の立場を理解してもらった方がいいか」
望み薄でもしないよりはマシ。他国との会談予定について思案していると、訓練場で特訓する候補達の声が聞こえてきた。
「……無理、もう無理……よ、ろい、重い」
「何を言っとるか! まだ半周も走っとらんぞ!」
剣聖術を持つアオバが軽量の鎧を纏って、最初の走り込みを開始した所で倒れこんでいた。
「だぁかぁらぁ! 魔力の流れとか言われても、わかんねぇって! もっと、こぅCGみたいに見た目でわかるようにしてくれよ」
「しかし、しぃじぃと言われましても……それに魔法の基本は自身の魔力を感じとる事が」
「あぁ! 知らね知らね! 俺はもっと簡単に魔法を使いたいの!」
射撃場でイイダが担当官と揉めていた。どうやら魔法の発動まで至っていないようだ。これでは彼の持つ魔力量・極大がどれ程のものか確認出来ない。
ウエダは鉄剣を手にして固まっていた。
目の前には担当官が抑え込んでいる小鬼がいる。
適当に捕まえてきたのだろう。担当官の指示でウエダに倒させようとしているが、青い顔で首を振る。
「こ、殺すとか、無理」
「殺す必要はないが多少弱らせないと君の従魔術は発動しない。安心しろ、反撃してくる事はないから。思いっきりやれ!」
訓練を見る限り、彼らが試練を乗り越えて、歴史に記されているような覚醒勇者の力を持つにはまだかなりの時間がかかる。もしかしたら、試練を乗り越える事が出来ないかもしれない。そういったあらゆる可能性を考慮して王国の方針を決めなくてはいけない。
国王の自室の前で警護にあたる二人の兵士に声をかける。
「陛下に御報告する事がある。陛下は居られるか?」
「少々、御待ち下さい」
一人が中に入り、少しして扉が開き中へと招かれた。
「おお、ピナリー。一体どうしたのだ?」
ソファで寛ぎ、紅茶を飲んでいた国王アーベルト・シグマ・ウィルテッカーがピナリーに対面の席を勧めて、問うてきた。
「会議の前に、勇者候補達について陛下に御報告をと思いまして」
アーベルトの顔が曇った。
召喚された勇者候補達について、アーベルトとピナリーの間では意見が分かれていた。
「その事か……お前は、あまり勇者達の事を良く思っていないようだな」
「彼らの事を大々的に広めるのは反対です。未だ、彼らの能力は一般人と変わりません。将来が未知数である以上、勇者という肩書きは、今の彼らには重荷に成りかねません。せめて、最初はただの冒険者として修練し、実力を付けたあとに勇者候補として活動するのが望ましいと思います」
「だがなぁ、折角の勇者だ。我が国の将来を考えれば早いうちから自覚を持たせた方がいいのではないか? ただの冒険者では、他国の介入もあり得る。立ち位置の不確かな冒険者より、国定勇者とした方が我が国の国益となるだろう」
「国定勇者など早過ぎます。国益云々を語る前に彼らがちゃんと成長するか見守る方が大事でしょう!」
ピナリーが懸念していた通り、国王の頭の中では既に候補達を戦力として計算に入れて勢威を振るおうという計画が進んでいるようだ。
「陛下、まさか彼らを他国との戦争に使おうなどと思ってはいないでしょうな」
「ぬぅ、それは……だが国の大事に備えておく必要はあろう」
「それは勿論です。ですが、その為には状況を正しく把握し、間違っても敵を見誤る事の無いようにしなくてはなりません。迂闊な行動が、敵を増やす結果とならぬように!」
ピナリーの厳しい視線が国王に向けられる。
国王はピナリーの目を正面から受け止められず、心の動揺を紅茶を飲む事で誤魔化すと、話しを打ち切った。
「お前の考えは良くわかった。だが勇者達をどう扱い、この国がどう進むかは、会議で決める。話しは以上だ、出ていけ」
ピナリーとしては十分と言えず不満ではあるが、釘を刺すくらいにはなったかと思い、引き下がる事にした。
国王の言う通り。大事なのは、この後の会議だ。
国王同様に、勇者候補に過度の期待をしている者は多い。ここでしくじれば、アーク王国は衰退の危機に瀕する事になる。
弱小であっても、永く続いた歴史あるアーク王国。
愛する祖国を守る為ならば、ピナリーはどんな事でもする覚悟はある。
しかし、勇者候補達は違う。心身ともにひ弱な彼らが戦いの中で正しく成長するならば良い。だが、もし恐ろしさのあまり心を病み、歪んでしまったなら。
その力の矛先は、一体どこに、誰に向くのか。
ピナリーの気苦労は、もうしばらく続くことになりそうだ。