125 悪い顔
「久しいな、ハルにイオリ」
「お久し振りでございます。ピナリー殿下」
「久しぶり、姫さん」
王族用の馬車から従者を引き連れて降りてきたピナリーは俺を一瞥して、軽く溜め息をつき。
「相変わらずだな、貴様は。まあ、エルダーフルでよく働いてくれた事に感謝し、とやかくは言うまい……お前達に少し話しがある。中へ案内してくれるか?」
ピナリーが屋敷に向かうと慌ててハルが先行し、その後に続いて荷物持ちの従者が屋敷に入っていく。
ピナリーがアケルに向かって来ている事は聞いていたが、てっきり試合観戦だけが目的だと思ったんだが一体うちに何の用なんだ?
一階のソファーがある休憩室にピナリーを案内すると、ハルが内にいた子供達を部屋の外に出しお茶を用意する為、部屋を出ていった。
ソファーにピナリーが座りその後ろに従者二人が直立不動で立っている。メイド服を着た女性と髪に白い物が混じった壮年の黒服を着た男。護衛を兼ねた者達なのか、隙の無い所作で此方を見ている。
「エルダーフルでは兄上が苦労を掛けたな。大変だったろう」
ハルを待つ間、暇潰しなのかピナリーが口を開いた。
「兄上はあの性格だからな。私もほとほと手を焼いているんだ」
「庶民の俺から見てもちょっと問題がありそうな兄貴だったな。有能そうだが、あまり関わりたくない奴だったよ」
王族に対する礼儀などまるで無視した、歯に衣着せぬ物言いにメイド服の女が顔をしかめ、男の表情は変わらなかった。
年の功なのか、感情を表に出さない男を見てこいつは敵に回すと厄介な気がした。
「ふふふ、兄上の事で何か気になる事は無かったか? 違和感や不自然な事など無かったかな?」
これはもしかしてアートの『洗脳』スキルについて探りを入れてる? アートが『洗脳』スキルを使ったか、或いはアートの『洗脳』スキルを俺が知っているかどうか確認しようとしてるのか?
「不自然ねぇ……そう言われても、自分勝手で軽薄、人の都合など考えない奴ってのが俺の感想だよ。王族として、これが普通なのかどうか俺には分からん」
「そうか……まぁその辺は兄上の性格だ。面倒を掛けたな」
あのアートにはピナリーも苦労させられているのかその言葉には重みを感じた。
そうしてピナリーと雑談していると人数分のお茶を用意したハルが戻ってきた。
受皿に乗せたカップに飲み物を注いでいく。
「……この香りは紅茶ではないな」
「ああ、エルダーフルで買ったコーヒーだよ。ハルのお気に入りでね、お好みでミルクと砂糖を入れるんだがどうする?」
「コーヒー……か。初めて飲むからお任せしよう」
飲みやすいようにミルクと砂糖を多めに入れてピナリーと後ろの従者二人にも渡した。
「……ほぅ」
いつも厳しい目付きのピナリーが年相応の顔で瞠目した。
後ろの女は一口飲んでその苦味に閉口し、男の方は一切顔色を変えずに飲み干していた。
「なかなかイケるな……王都でも飲めるようにしたい所だが交易の枠はすでに埋まっていて駄目だな……」
「あっははは、そりゃ残念だったな。今の所、コーヒー豆が手に入るのはうちだけだよ。買ってくかい?」
冗談半分で提案してみると意外と乗り気なようで。
「そうだな、小袋で幾つか買っていこう」
「毎度あり」
コーヒー豆の小袋を金貨一枚で買ってくれた。あまりに高過ぎると此方が値引きしようとしたが、ピナリーはエルダーフル産の貴重な輸入品ならば妥当な値段だと言って譲らなかった。コーヒー豆の売買に関して知人に少量売る程度なら問題無いが、商業ギルドなどに売る時はあまり安値で売らないで欲しいと言われた。いつかコーヒー豆をエルダーフルから輸入した時に市場が混乱する可能性があるそうだ。
「さて、そろそろ本題に入ろうか。今日、私がここへ来たのは剣闘士『暴走の血』に関してお前達に話しておかなければならない事があったからだ」
また一口、コーヒーを飲みながらピナリーは話し始めた。
その内容によると以前ピナリーを襲い、アケルの街で取り逃がした従魔術士の男とその黒幕と思しき他国の貴族が、『暴走の血』を支援し俺達と試合をするように仕組んだようだ。
「奴らの目的は『暴走の血』を勝たせる事では無いだろう。いくら凄腕の剣闘士といえど冒険者パーティー『聖なる盾』を相手にして勝ち目があるなどとは初めから思ってはいない筈だ。表向きには売名目的として試合を仕組み、裏では別の目的があるのではないかと、私は見ている」
裏の目的か。初めから勝つ気がないのなら……一体、何が狙いだろう。
「そういえばロギ……ロゼスだったか? そこの大物貴族が試合を観戦しに来ているとかって聞いたな」
「私の方でも掴んでいる情報だな。ロゼス王国の貴族、名前は確か……ティターノ伯爵だったか。以前、私が取り逃がした配下のウルトと共に街に来ているな」
「やっぱり捕まえるのは無理なのか?」
「他国の高位貴族が絡むとそう簡単ではないのだ。極端な話し、例えこの国で人を殺したとしてもこの国で裁くのは難しい。立場を利用して適当な理由を付けて本国に逃げられてしまう」
では泣き寝入りするしかないのかと思っていたら、ピナリーは悪意ある表情でニヤリと笑い。
「正攻法が通じないのなら、別方向から攻めればいいのさ。形式さえ整っていれば多少不自然な事も有耶無耶になる……闇に葬り去るなんてのは良くある……ん?」
話しの途中でピナリーが何かに気付き、黙り込んだ。時折、ブツブツと独り言を呟きながら思考を巡らせ、しばらくして考えが纏まったかと思うと急に席を立った。
「すまんが少し所用が出来た。失礼する」
「あぁ、わかった……」
唐突に屋敷を後にしようとした。去り際に。
「今度の試合では何が起こっても不思議では無い。試合中は勿論だが、試合の前後も気を付けておけ」
そう言い残し、馬車は去っていった。
ピナリーは一体、何に気付いたのだろう。俺達に話さなかったのは、余計な先入観を持たせない為か。気になる。
そして試合の日となり、俺達は闘技場の控え室に入った。
「観客席は満員だそうですよ」
更衣室でコスチュームに着替えたハルがマスクを被り、ストレッチを開始した。
「なんだかんだ言って剣闘士の『暴走の血』は知名度だけはあるから派手な試合になるのを期待してるんじゃないかな」
ペレッタがハルの後ろでマスクの紐を結びながら観客の望んでいる試合を予想した。
まぁ、あの性格で小綺麗な試合などしないだろう。前々からルール無用の反則行為を連発するコンビだと聞いているし、油断せず対処すれば良い。それより気になった事をハルに聞いてみた。
「試合運びはどうしたらいいんだ? もしやれるようなら速攻で倒してもいいのかな」
相手を舐めているわけでは無いが極端に短い試合になったら観客が怒って暴動にでもならないかと心配になった。
「勿論、倒せるようなら倒して構いません。観客を入れてのショービジネスとはいえ、真剣勝負には変わりませんから」
「承知した。それじゃあ遠慮なくやらせてもらおう」
確認も取れた事だし『暴走の血』がおかしな動きをする前に潰してしまおう。ピナリーにも言われたが試合後に異変が起こる可能性もある。余力は残しておく方がいいだろう。
「ところで……イオリ」
「ん? 何だ、ハル」
「折角、こうして闘技場の舞台に上がるわけですから……思いきってこれを」
そう言ってハルが手渡してきたのはハルの被っている物とは色違いバージョンのマスクだった。
「…………いや、断る」
「えぇ!? で、でもでも片方だけがマスクをしてたらイオリ、浮いちゃいますよ。ね? ここは統一感を出す為にも着けませんか? きっと似合いますよ~。よっ! 闘技場のニューヒーロー!」
「お断りします」
「ハル姉、土壇場で急に言われてもイオリさん、困っちゃうよ。諦めよ?」
「えぇ~……」
ペレッタに諭されてハルは肩を落として渋々諦めた。
ハルには悪いが揃いのマスクなんて御免だ。ハルは慣れているから気にしないんだろうが、知り合いだって観に来ている中で正体バレバレのマスク姿は、ちょっと恥ずかしい。あいつ、ハシャいでんなぁとか思われそうだ。
マスクを被るなら絶対に正体がバレないようにしないと無理。という事で、今回は諦めてもらう。