百十三 弓と拳の戦い
一人、賊を追い掛けるペレッタは矢を手にしてスキルを発動させる。
『無動作射撃』
弓を使わずに、手に持っていた三本の矢が前を走る賊目掛けて飛んだ。
「ぅぐっ!」
三本のうち一本が足に命中し、賊は勢い余って転がり手にしていた箱も放り投げてしまった。
「……よしっ! 返して貰ったよ」
ペレッタは空中を舞う箱をキャッチし、無事に取り返したと思ったのもつかの間、手にした箱の重さに違和感を覚えた。
箱をよく見てみると鍵も付いていない。蓋を開けると中身は空。
「もう! 何だよ、偽物じゃん!」
囮の箱を掴まされた事に憤慨していたペレッタが何かを察知し、素早く木陰に身を隠すと同時に氷の矢が次々とペレッタの付近に突き刺さる。
氷の矢が命中した樹や地面が凍りつく。更に別方向からも魔法攻撃が飛んでくる。
間一髪で攻撃を躱し、呼吸を整える。
箱を失った賊達は逃走するのは止めてペレッタを始末する方向に切り替えたようだ。
「……ふぅ」
肌を刺すような殺気の中でペレッタは静かに魔眼を発動させ、夜の森に潜む賊の姿を捉えた。
(……相手は全部で、四人。地に二人、樹上に二人……違うっ! もう一人、後方から様子を伺う奴がいる。全部で、五人)
賊をフォローする役目なのか、最後の一人は離れた場所に留まり此方を監視している。すぐに行動する気が無いとみて、ペレッタはまず前の四人に集中した。
「波動弓、力を貸して……『麻痺矢』」
ペレッタが波動弓の弦を引くと魔力で構成された擬似矢が現れ、狙い定めた標的に向かって一直線に飛んだ。
魔力で造られた矢は森の木々をすり抜けて賊の一人に命中した。
「『隠密動作』」
続けてペレッタが発動した自身の姿や発する音を消すスキル効果で、賊に気付かれずに場所を移動したペレッタは二人目、三人目の賊を仕留めた。
だが四人目の賊は魔力を遮断する防壁を六重に張り、ペレッタの攻撃を防いだ。
最後の五人目は、一対一の状態になっても加勢する気配が無い。
「さて、どうしよか。あの六重防壁を突破するには魔力を相当込めないと……でも、五人目の動きが読めない」
五人目の戦いを想定するとなると六重防壁を破る為の魔力使用は極力抑えたい。
だが半端な攻撃で失敗した場合、四人目の反撃を食らってしまう。そこへ五人目が加われば形勢は逆転してしまうだろう。
「……うん、覚悟を決めた」
ペレッタは魔眼の魔力を波動弓へと注ぎ込み、矢筒の中から魔法鉱石の鏃を持つ矢を弓に番えた。
「出し惜しみ無しの全力でいくよ 『強射撃』!」
弾ける音とともに放たれた矢は六重防壁全てを貫通し、四人目の肩を木の幹に縫い付けた。
「いぃぎぃあぁ! か、肩がぁ……」
「はぁ……はぁ……あと、一人」
片膝をつき激しく呼吸を乱すペレッタは魔眼を解除し、腰のポーチから魔力ポーションを取り出すと一気に呷った。
完全回復とはいかないが、最後の五人目を相手するだけの魔力は確保出来た。
魔眼を解除した為、姿を確認する事は出来ないが五人目が移動した気配は無い。魔力不足と疲労感で震えそうになる手を必死に押さえつけ、ペレッタは弓を構える。
「……!」
余裕の表れなのか、五人目はゆっくりと近付いてくる。
そしてペレッタの前に姿を見せた。
「……ベルセナートさん」
そこには模擬戦でペレッタと競いあったベルセナートがいた。
イオリとペレッタが戦っている頃、ハルもまた賊に追いつき戦っていた。
「これで……最後!」
追っていた賊が仲間と合流し反撃に転じたが次々と撃破され、あっという間に最後の一人となり地面に叩きつけられていた。
周囲には手足の曲がった状態で呻き声を上げる賊達が転がっている。
「ふぅ……さて、箱も回収しましたし加勢に行きま……!」
ハルの頭上から巨躯の男が奇襲を仕掛けてきたが、寸前で身を躱し巨躯の男と距離を取る。
その際、手にしていた箱は男の傍に転がってしまった。
「まだ居ましたか……しかし、何故今頃? 味方は全滅しましたよ」
「ふん! 弱い者など邪魔なだけよ。貴様に受けた屈辱を晴らすのに他人の手など借りぬわっ!」
土煙が収まるとそこにいたのは、模擬戦でハルに敗れたグランレチェッタだった。
「あら、グランレチェッタさん。もう起き上がっても大丈夫なんですか?」
「黙れ! エルダーフルで無敵を誇るこの俺のプライドに傷をつけた劣等種が、余裕のつもりかっ!」
ハルを狙ったグランレチェッタの拳は躱され、狙いを外した拳は地面を砕いた。
「模擬戦では卑怯な不意打ちで勝った気になっているようだが、あんなもの一割も本気を出しておらんわ!」
「じゃあ今は、二割くらい?」
「喧しいっ! ちょこまかと逃げおって……そんなに俺の拳を食らうのが恐ろしいか!」
グランレチェッタの怒りに任せた大振りな攻撃は易々と見切られ、空を切る。
「はぁ……はぁ……おのれぇ。いつまでも逃げ果せると思うなよ」
グランレチェッタは小瓶の封を切り、毒々しい色をした液体を飲み干した。
「ぐっ……くぅ……くおおぉぉ!」
グランレチェッタの絶叫とともに身体から魔力が迸り、その魔力の全てが身体強化へと費やされた。
「これが特殊ポーションと我が魔法の融合奥義『身体狂化』だ! 最早貴様に勝ち目は無い……全てが終わった時に人の形を保っていられるかなぁ?」
グランレチェッタは身体中に漲る力に酔いしれ、これまでの鬱憤を込めた攻撃による暴虐の限りを尽くした処刑の果てに訪れる快感に思いを馳せて涎を垂らした。
「ふひひひ、全身隈無く潰してやるぞぉ!」
「『身体狂化』!」
下卑た笑みを浮かべているグランレチェッタの前で、ハルがグランレチェッタと同じ魔法をポーションの補助無しで使って見せた。
「な、何ぃ……」
「これで終わりじゃ無いですよ? 『身体狂化・速度特化』!」
驚愕するグランレチェッタの前からハルが消えた。消えたと同時にグランレチェッタの両肘と両膝が砕け散った。
「……っがぁ!」
ゆっくりと倒れるグランレチェッタに、ハルは治癒魔法を掛けた。但し、怪我を治す為では無く砕けた肘と膝を変形したまま固定する為に敢えて下級の治癒魔法を使い、傷口だけを塞いだのだ。これで簡単に元には戻らない。
「はぁ……はあぁぁ。ば、馬鹿な……何が起こった。何故俺は……倒れている?」
混乱しているグランレチェッタは必死に起き上がろうとするが、手足がまともに動かず地面の上を這いずるばかりだ。
「それじゃグランレチェッタさん、箱は返して貰いますね。お大事にぃ~」
その場を去ろうとするハルの前に一人のエルフが現れた。
「ちょっと待ってくれるかな。お嬢さん」
「……どちら様でしょう。グランレチェッタさんのお仲間さんですか?」
「如何にも。さらに言うなら私が彼らの纏め役でもある」
悠然と立ち塞がるエルフの顔に、焦りや恐れの感情は無い。目の前で巨躯の男が敗れたというのに気にもしていない。
「その箱は我々の物だ。置いていってもらおうか」
「あら、それは可笑しいですね。この箱は彼らが盗んだ物。元々、私達の物です」
「知っているとも、私が命令したのだから。君達の意見など聞いてはいないのだよ。早く此方に渡せ、劣等種」
エルフの男の目が一層険しくなる。
「お断りします」
「……ふふ。ふっははは! 所詮は世の理も解せぬ劣等種。生きる価値など無いな!」
侮蔑の言葉を投げつけ男はポーションを放り投げた。空を舞うポーションの落下地点にはグランレチェッタがいた。