109 エルフの街で買い物
翌日、エルダーフルの役人を引き連れたミーネが俺達が滞在する部屋にやって来た。
「おはようございます。今日の午後に行われる調印式の段取りを確認したいと思いますが、よろしいですか?」
アーク王国側の役人がミーネ達と話し合いをしている間、俺達は暇であるがアートも暇そうにしている。
「アンタ、使節団の代表なんだろ。話し合いをちゃんと聞いてなくていいのかよ」
「あぁ、いいのいいの。俺は使節団の『顔』で部下達が『頭脳』なんだよ。俺の仕事は公の場で言われた通りに動く事だけ、中身の確認なんて後で部下から聞けば済む話しさ。それより、ミアネスティーナ殿」
「はい? 何でしょう」
「城下町に遊びに行ってもいいかな? エルフの街に興味があるんだよ」
仮にも国を代表する王族が国益に関わる重要な協議を前にして遊びに行く許可を求めてくる事に、軽い目眩を覚えるミーネではあったが此方が事前に頼んでいた事もあり、付き添いの者を手配してくれた。
「午後の二の鐘までに城に戻って下さい。それと城下町で買い物をなさるのなら、こちらをどうぞ」
ミーネは金貨の入った小袋を渡してきた。
「エルダーフルでは他国の貨幣は使えませんから、支払いにはその金貨をお使い下さい」
「これはどうも、気配り感謝する。では、イオリ、ハル、ペレッタ、いざ城下町へ遊びに行こうではないか!」
軽い足取りで俺達を引き連れ部屋を後にするアート。部屋付きの使用人の案内で城の正門まで行くとそこには見知った顔の騎士がいた。
「ん? あれは、チェルトと……ペレッタと戦ったベル……」
「ベルセナートさんね……おはようございます、ベルセナートさん、チェルトフィーナさん。お二人もお出掛けですか?」
「いや、我々はお前達の付き添いと案内役を仰せつかった」
ペレッタは彼らの名前は覚えていたようだ。ベルセナートの方は、昨日に比べれば幾分か態度は柔らかくなっているように感じた。
無言で立つチェルトは相変わらずの仏頂面だ。まだ機嫌が悪そうなので触れないようにしよう。
「買い物を希望しているという事ですが、急な申し出なので行き先は下層の市場となりますが構いませんね?」
「中層や上層では駄目なのかい?」
「上層には商店はありません。中層の店のほとんどが上層の住人向けな所ばかりなので他国の人々が気軽に利用出来るのは下層ですね」
上層に住むのは上流階級の貴族のみで、中層に店を構える商会はそういった富裕層の専属店となっていて、一見さんは利用しづらく相手にされないそうだ。
そうした理由から下層の方が店の種類も多く他国の人間も利用しやすいわけだ。
「同じ種族でも、下層で暮らす人は中層や上層には行けないの?」
何気なくペレッタがベルセナートに尋ねた。
「行けないわけじゃない。ただ層を移動するには通常、途中でチェックが入る。当然、上に上がるにつれチェックは厳しくなるからな。生活のほとんどが下層で済ませられる者には、あまり上の層に行きたいという欲求はないな。むしろ上層の者が下層にお忍びで行くってのが多い」
「え、何で?」
ペレッタの疑問点には、ベルセナートではなくアートが答えた。
「当然だな! 綺麗で静かで喧騒とは程遠い街など、心の栄養が摂れないじゃないか!」
「こ、心の栄養?」
「そう! 人の欲望が満たされてこそ街の生活は成り立つものだ。酒を飲み、上手い飯を食い、馬鹿騒ぎに興じる。それこそ人生というものよ」
「あ~……殿下の考えに同意するわけではないが、普段から行儀良く暮らしている者ほど刺激に飢えているという事だ。なので下層で何かトラブルがあっても、安易に行動するのは控えて欲しい。ただの喧嘩が貴族相手の国際問題になっては困るので」
ベルセナートは正門を出て下層行きの魔方陣の前で此方を向き、注意事項を述べた。
「買い物をする時は、基本的には俺かチェルトフィーナを通してくれ。商店の中には他国の人間相手に無茶な値段で商売する奴もいるからな」
魔方陣を下りると下層の賑やかな噴水広間があった。
「俺はエルダーフル産の茶葉が欲しいな。あと酒と……そうそう、エルダーフル名産の乾物も買って帰ろう。ついでに酒場にも行きたいな!」
「そんな所に行けるわけ……って、勝手に行くな、オイっ! くそ、残りの連中は頼んだぞチェルトフィーナ」
ふらふらと勝手に移動するアートを追ってベルセナートもいなくなった。
「……じゃあ俺達も行こうか」
「市場に行ってみたい。あと軽く食事をしてみるのもいいよね」
「……はぁ、わかった。だがベルの言った事は守ってくれよ」
チェルトの案内で市場を散策する。野菜や果物、小物細工、この辺りはアケルとそう変わらないが中には珍しい魔法道具を売っている店があった。
店員は不在なのか姿が見えないが、閉店しているわけでは無さそうだ。店内で待っていようかと思い、足を向けると。
「おい、この店は止めておけ」
ハルやペレッタは興味津々で店に入ろうとしていたがチェルトが入店を止めてきた。
「え、この店は何か駄目なんですか?」
「見た所……綺麗なお店に見えるけど」
整然と陳列された商品も怪しい物は無い。だとするとぼったくりの店なのか?
「ほら、さっさと他の店に行くぞ」
「おい、実家に挨拶せんとは何事だ」
「あぎぃぁ!」
やたらと移動を急かすチェルトの背後から見知らぬ女性の声がして、女性は持っていた扇子でチェルトの尻を叩いた。
「相変わらず色気のない声だしやがって……おっとお客さんかい、失礼したね。ゆっくり見ていっておくれ」
チェルトより頭一つ分背の低い小柄な女性だ。顔もよく似ているし、さっき実家と言っていたな。
「もしかして、チェルトの妹さんか?」
「わぁ~、可愛い。私、ペレッタっていうの」
「はじめまして、チェルトさんに市場を案内をしてもらっているんです」
「……いやいや、こりゃ参ったね。チェルの妹だなんて……そんなそんな、あはは。私も捨てたもんじゃないねぇ」
クネクネ身をよじって照れている女性を見てチェルトは面白くなさそうな顔で。
「何をその気になってんだ。人間にエルフの年が分かるわけないだろ、ボケ母」
「うるさいよ、馬鹿娘」
ん?
「むす、め……?」
「えぇ! 見えない!」
「あら~……」
「ついでに言えば四人の子持ちで六人の孫もいるれっきとした婆ぁだ」
「うるっさいよ、まったく……コホンッ。チェルの母親のパルレスだ。見ての通り、魔法具店の主だよ」
エルフの年は外見では判断出来ないな。あ、でもよくよく見るとちょっと小皺が……いや、止めよう。あまりジロジロ見ると怒りを買いそうだ。
「よろしく。アーク王国から来たイオリだ」
「ペレッタです」
「ハルです。よろしくお願いいたします」
自己紹介を終えると店の品を眺めつつ、ちょっとした雑談が始まった。
「上の三人はパートナーを見つけているというのに……末っ子だからと好きにさせていたら修行だなんだと言って見合い話を全部蹴りやがって……終いには自分より弱い奴など認めないなんて言い出すし……」
「あ~あ~、うるさいなぁ……だから来たくなかったんだ」
パルレスとチェルトとハルがお茶を飲みながら寛ぐ傍ら、俺とペレッタは店の魔法具を見ていた。
戦闘で使うような物ではなく、家で使える日用品が多い。大量の水が入る小瓶、発熱する小石、自動で回る小型風車などなど。
「鍛えすぎて『光刃剣』なんて物騒な二つ名が付くようになって、ますますガサツになってしまってねぇ……」
「あ~昨日、見ました。凄かったですよ、負けちゃいましたけど」
「ば、馬鹿! しぃー!」
「負けた? 負けた! アンタ遂に……誰に負けたんだい、騎士団の誰かだろ。デートの一つも申し込んでおいたか? はぁ、漸くこのカタブツに春が来たかぁ」
この鏡は二枚セットか……おっ! 片方の鏡に映った映像がもう片方にも映るのか。
「もう行くぞ! さっさと買い物を済ませて城に戻らなくちゃいけないんだ!」
「近いうちに相手を紹介しろよ。そこのアンタ、今なら特別祝いに二割引きで売ってやるぞ!」
「あ、そう? じゃあ、この鏡をくれ」
「私は、こっちの指輪を下さいな」
チェルトに押し出されるように魔法具店を出ると市場散策を再開した。