108 三番勝負・拳
ハルは試合開始と同時に突進し、グランレチェッタは宣言通り仁王立ちして待ち構える。
最初の手刀がグランレチェッタの喉を打ち抜き、掌底が鳩尾にめり込み、最後に腰を落として放った正拳突きがグランレチェッタの股間を打ち抜いた。
「…………」
「…………」
「…………」
ひぇ……。いや、確かに言ったけど。
だがそこまで容赦なくやるか、普通。
もしかしてペレッタの受けた嫌がらせに対する憤りの所為か。怒ってたんだなハル。
不思議な静寂の後、ゆっくりとグランレチェッタが倒れた。
「……お、おい。早く医務室へ運べ」
ボルノスカーノの言葉に反応して騎士達が動き出し、ハルの周りを大きく避けてグランレチェッタを担架に乗せて運び出していく。
「さっすがハル姉、強い!」
「お、おぅ……そう、だな」
敵ながら同情はするが、自分で蒔いた種でもある。せめて再生治療が上手くいくよう祈ってやるか。
「最後だ。チェルトフィーナ、出ろ」
幾らか元気を無くした雰囲気だが試合は続行される。最後の騎士、剣を携えた女騎士チェルトフィーナが俺を見ている。
「イオリさん、頑張って!」
「頑張って下さい。でも、やり過ぎてはいけませんよ」
二人に送り出されて、俺はチェルトフィーナの前に立った。最初の頃に比べて控える騎士達の視線からは此方を侮るようなものは減り、逆に焦りを感じる。きっと圧勝すると考えていたんだろうが、いざ試合が始まってみれば勝敗は一対一、だが実際には対等な一対一ではない。
弓勝負ではギリギリの勝利、拳勝負では秒殺された。馬鹿でも分かる状況なのだ、この最後の勝負は何がなんでも勝ちに来る筈。
「チェルトフィーナだ。正直、貴様らを見くびっていた。この勝負は全力でいく」
「俺はイオリだ。此方こそ宜しくな……え~と」
チェルトフィーナ、縮めるとチーナ? チーネ?
「宜しくな、チーネ」
その瞬間、目の前のチェルトフィーナや周りの騎士達がざわついた。
「なっ……き、貴様」
チェルトフィーナの顔がみるみる怒りで赤くなる。
「信じられん……こんな所で」
「なんて破廉恥な奴だ。チーネの心を乱すつもりか」
「……面白い奴だ。チェルトフィーナ相手に……ぷぷ」
なんかおかしな雰囲気だ。
「あれ? チーネって言っちゃ駄目なのか」
「またしても! この恥知らずがっ!」
恥知らず? え、一体どこが? 名前を縮めただけなのに。ミーネは何も文句は言ってなかったのに。
「あ、もしかして勝手に名前を縮めたのが駄目なのか? そりゃスマンかった」
「二度と間違えるな! 私はチェルトフィーナ。『チーネ』だ! 二度とチ、チーネなどと呼ぶな!」
「? チーネと言っているんだが? チーネは駄目なのか? チーネって、普通に縮めて呼んだだけなのに……」
「き、貴様ぁ!」
駄目だ。どういうわけかチェルトフィーナの機嫌がどんどん悪くなる。
「イオリ殿」
ボルノスカーノがゴミを見るような目で俺を見ている。
「チーネは私の大切な部下だ。これ以上、彼女を辱しめるのは止めてもらおう」
は、辱しめてるつもりは無いんですけど。
どうも発音の違いで、彼らの言う『チーネ』と俺が言う『チーネ』は全然意味が違うらしい。俺には違いがわからんのだが。
「え~と、何と呼べばいいんだ……」
「……チェルトと呼べ、この変態!」
変態呼ばわりされたよ。エルフの耳にはチーネがどういう意味で聞こえているんだろう。
「イオリさん……」
「良くないと思います」
あれ? ハル達にも呆れられているんだが。
「いや、不可抗力つ~か。俺には違いが分からんのだが」
そうこうしている間にもチェルトが親の仇を見るような目で睨み付けてくる。
もう大人しく試合をしよう。
「では……」
「ブッ殺す」
お互いに剣を抜き、構える。
「死ねぇ!」
感情任せに攻め立てるチェルトの剣を躱し、身を翻して背後に回る。それにしても『死ね』とは……嫌われたものだな。
回転斬りを躱して間合いを詰める。刃と刃をぶつけてせめぎ合う。
「あのさ、さっきの失言については俺が悪かった。エルフの文化に疎いもんで、意味を理解してないんだ」
「黙れ!」
チェルトの鋭い三段突きを防ぎながら踏み込み肘打ちを食らわせる。
しかし食らう寸前で右腕を上げて防ぎつつ、肘打ちをしようとした俺の左腕を掴み、足払いを仕掛けてきた。
咄嗟に後方宙返りで躱すと大きく間合いを空けた。
「ふぅ、危ねぇ」
「よく躱したな。この身軽な猿がぁ!」
怒り心頭なチェルトは剣を地面に突き立て、ガリガリと削りながら向かってくる。そして剣の間合いの外で石や砂を巻き上げて此方に飛ばしてきた。
察知していた俺は目潰しの小石に惑わされずチェルトの動きを注視している。
間合いからは数歩離れた場所でチェルトが突きの構えを取っている。
刃の届く距離ではないと気付いていたが、それでもチェルトは突きを繰り出してくる。あえて避けなくても当たりはしない。そう思った瞬間、俺の身体は大きく仰け反りチェルトの剣を躱していた。
「ちぃ! 勘の良い奴め」
「あっぶねぇ……」
躱すタイミングが遅かった為、頬をざっくり斬られていた。あの一瞬、思考よりも先に身体の感覚が反応してくれたお陰で命拾いしたな。
どういう仕組みかと思えば、剣士スキルの『魔波刃』だ。ただし、恐ろしく素早く発動させて、造った刃も切っ先に数センチ程度。地味で小さい力だ。
しかしそれが逆に俺の認識を誤らせて、効果的に俺を殺せる方法になっている。
「光刃剣のチェルトフィーナ。それが私の二つ名だ」
「なるほど、実感したわ」
そこからは繰り出される剣撃全てを避けざるを得なくなった。
間合いを誤認させる攻撃や突きの剣から横薙ぎの刃が発生したり振り下ろしの剣の幅が増加したり、実体の剣以上に魔力の刃が厄介だ。
「はっはっはっ! どうした、手も足も出ないか!」
此方を煽るチェルトだが、まだ有効な一撃を与えていない事に焦りも感じているようだ。
小技での攻撃を諦めたのか、チェルトは魔力を剣に込め巨大な『魔波刃』を発動させる。
「これで……」
大剣クラスにまで巨大化させた刃を振りかざし向かってくる。
焦って大振りな攻撃になっている。隙だらけだ。
懐に飛び込んで間合いを殺しトドメをさす。
そのつもりで襲い来る刃を見ていて、再び俺の直感が警告する。これは、囮だ。
種族『人間 伊織 奏』 『』
職業『僧侶』 『呪術士』
「死ねえぇ!」
振り下ろされた剣を前に俺は詰める事で刃を躱し、チェルトの目の前に立った。その瞬間、チェルトは勝利を確信したかのように笑みを浮かべていた。
膝から発生させた魔波刃が膝蹴りとともに、真下から俺の身体を貫き、衝撃で身体が宙に浮いた。
その隙を狙って魔波刃を纏わせた手刀、蹴り、肘打ちの怒涛のラッシュが俺の身体を容赦なく斬り裂く。
「身体全てが刃となる、故に『光刃剣』だ」
連続攻撃全てを命中させ、崩れ落ちる俺にチェルトは背を向けた。
「チェルト! 油断するな!」
「……!」
仲間の忠告が飛び、チェルトが此方を振り向こうとする。が、臨戦態勢を取られるより先に俺はチェルトの首を掴んだ。
「馬鹿な動ける筈が……」
「ありがとよ。威力を抑えてくれたのと油断してくれたお陰だわ」
治癒魔法の効果で頬を始めとした身体中の傷が癒えていく。
「受けた痛みは返すぜ……『幻痛負荷』」
「なっ……ぐぅあっ!」
チェルトは自身の攻撃ダメージ分の痛みを一気にぶつけられ気を失った。
「ふぅ……痛てて」
これで二対一で模擬戦は俺達の勝利だな。
「いや~随分と白熱した試合でしたね。ボルノスカーノ殿」
「う、うむ。やはり竜を倒す者の力、見くびってはならないな」
「では、賭けは此方の勝ちという事で。騎士の派遣、宜しくお願いしますね」
「ああ、騎士に二言は無い」
倒れたチェルトは担架で医務室へと運ばれたがズタボロにやられた俺には医務室への誘いは無い。
「まぁ別に? いいですけど? 結構、斬られましたけどね?」
「イオリさん、大丈夫? 部屋で休む?」
「傷口が塞がっても流れた血はすぐには戻りませんから無理しちゃ駄目ですよ」
ペレッタやハルが気遣ってくれなかったら不貞寝していたかもな。