1-8 キュリアスの勇者
◆セリア
「2人で……そうですね、一応1ヶ月お願いできますか?」
「聞いたよ、ダンジョンで死にかけたんだって? 戻ってきてくれて嬉しいよ。これから勇者付きになるっていうのに、先輩が死んでるなんて聞きたくないからね」
受付の見習いは笑うが、実際には死んだことになっているので反応しづらい。ダンジョンでの死は珍しいことでもないので、彼女の未来に影を落とさなかったのは良かったが。
「しかも今回の試験で勇者になるんだって? あんたらで4パーティ目。2人部屋しかないけど問題ないよね?」
「ええ、それで構いません。しかし4パーティですか。多いですね」
「旧エミニアのあたりでねー。領主どもが挙って参加表明し始めて、でも勇者を雇う余裕がないから自前の騎士やら兵士長やらを無理矢理にって感じ。うちだけじゃないから試験当日はもっと多いと思うよ? 知ってると思うけど朝食はサービス、夕飯は必要なら賄いを出すよ。んじゃ、ごゆっくりー」
「ありがとうございます。では行きましょうか」
宿の受付で鍵を受け取りキュリアスを連れて部屋へと向かう。
この宿は勇者が職業として周囲に認知され始めた頃に勇者付きの教育施設としてギルドによって建てられたもので、当時の運営は冒険者ギルドだったが今は私営となっている。しかし伝統的に現在でも副業として多数の勇者付きの研修生が業務を熟している。賃金も発生し実績にもなるので資金繰りの厳しい研修生たちには特に人気であり、私もここのお世話になっていた。
部屋に着いたらまずは湯船の準備とベッドメイクのチェックだ。
「懐かしい。見てくださいこの正確な位置で固く仕舞い込まれたシーツ。弾力があって皺のない枕とカバー。畳まれたバスローブの位置にも規則があるんですよ」
「……なぜそんなもので燥いでいるんだ?」
「当時はよく先輩に叱られたものです。急いでいるときは見えない部分のシーツなどが雑になるんですが、時々引っ張り出してチェックされるんですよ。内側の部分でも皺があるとやり直しにさせられて……」
キュリアスに話しながら丁寧に仕上げられたシーツを剥がす。悪い伝統だとは思っているが、後輩の仕事ぶりを確認しないと気がすまないのだ。
「いい仕事をしています。私が指導したわけではないですが、これならどこに出しても恥ずかしくない勇者付きになることでしょう」
「そうか。わたしは寝床にそこまでの思い入れはないが、付き人は苦労するのだな」
「睡眠の質は重要ですよ。疲れた身体と脳を癒せるのは最終的には自然治癒しかありません。その中でも特に睡眠は他に変えようがない。そもそも人は人生の3割を寝て過ごしています。であれば睡眠の質に拘るのは当然のことであり、勇者に万全の状態で居てほしい勇者付きがそれに努めるのもまた当然の責務です」
「なるほど、道理だな。ところでなぜ湯を流したまま放置している。あれは無駄遣いではないのか?」
キュリアスが言っているのは湯船のことだろう。それほど時間は立っていないためまだまだ水量は少ない。
「これは風呂と言って簡易的な温泉を準備しているんです。温かいお湯に浸かると血行が良くなり、疲労回復効果が高まります。そうでなくても私たちは長時間馬車旅をしてきたんですから、洗体をしませんとね。服も身体も洗ってさっぱりしましょう」
「なるほど。確かに多少匂うか」
「……人前でそんな事しないでくださいね。言うのも禁止です」
キュリアスは自分ではなく私の匂いを嗅いでそう言った。これでも香水などで気を使っているのに、外で言われていたら殴っていたかもしれない。
「せっかくなので私が勇者付きとしてのお手本を見せします。ささ、キュリアスさんも服を脱いで、一緒に入りましょう」
「む? わかった」
素直に応じるキュリアスの後ろに回ってやや大きめの制服を脱がしはじめる。勇者付きの戦闘服は特殊で、まず腰のベルトを外さなければならない。これを外すとスカートと上着の留具が着脱可能になり、一般的な衣服のように上着が脱げる。その過程でスカートが落ちるが些細な問題だ。
しかしここからが通常の衣服とは異なる。戦闘服には身体にピッタリと張り付くインナースーツが付属されている。耐魔術、防刃仕様の非常に心強いもので、股間部を除いて踵から首まである一体型のスーツだ。装着時には余裕があるのだが、着用した後に魔術陣を起動することによって引き締まるようになっている。
一度着てしまえば違和感は全くないのだが、これを脱ぐのが非常に面倒なのだ。首のあたりにある魔術陣を起動するとスーツの拘束は解除される。しかし即座に元の置きさに戻るようなものではなく、皮を剥がすようにスーツを摘んで伸ばしていかなければならない。そのため一番手っ取り早いのは、伸ばした隙間に手をいれることなのだ。
「では、失礼します」
首にあるスーツの境目から指を這わせてゆっくりと下へ。力を入れすぎないように、キュリアスの柔らかく滑らかな肌を撫でていく。まずは首の周りを一周させ、背中から肩甲骨へ。あまり腕を入れ過ぎると首がキツくなってしまうので腰まで行く前に戻し、首周りのスーツを広げる。次は鎖骨をなぞるように両肩へ手を這わせ、余裕ができたら胸へと手を下ろす。小ぶりだが張りのある吸い付くような胸と、その頂点にある小さな突起。ここは最もデリケートな部分なので手の平でゆっくりと丁寧に。ここまでくれば上半身は腕以外の拘束は解除完了だ。
キュリアスのスーツを胸の下までずらす。次は腰回り、そして太もも、ふくらはぎと……
「おい」
「はい?」
「楽しんでいないか?」
「いいえ?」
咎めるような視線を受けるが、これは女性勇者付きに代々実技と口伝のみで継承されている技なのだ。決していやらしい行為ではない。
半分まで脱がしたスーツの隙間に両手を入れて腰から臀部にかけて愛撫、そのまま腕を前に回し鼠径部をなぞって下腹部から上に腕を戻す。残すところは両腕と両脚だけだ。
腕の拘束はそのままに正面へ回り込む。キュリアスが今穿いているのはライツェの派手な紐パンだが、今日ばかりは脱がしやすくて助かる。両サイドの結び目に指をかければ下着はただの薄布となって地に落ちる。出会った日にも目に入っていたが、こんな至近距離で見ても美しく人形のように整っていて、昔神殿で見た天使の彫像のようだ。
ふっと息を吹きかけると少しだけ身体が跳ねる。
「くすぐったい」
「そういうものですから。片脚ずつ外すので肩に掴まってください」
あまり時間をかけて弄ぶと蹴られるかも知れない。彼女の両手を私の両肩に載せ、まず右足を手に取る。履きっぱなしだったキュリアスのブーツを脱がし、そういえば靴下は着用していなかったか。買いに行かないとなと考えながら、踵の隙間から指を這わせて、絡めるように脛やふくらはぎ、太ももへと手を伸ばしていく。臀部まで下げたスーツへと貫通したところで腕を戻し、次は左足。これが終わったら後は両腕だけだ。
もし何も知らない他人が今のキュリアスを見たら、あられもない姿と言うだろう。しかしこれが勇者付きの伝統技術であり、見本を見せるといった言葉に偽りはない。現にここに務めている研修生は全員この辱めを受けている。
男性の勇者付きは知らないが、噂好きの友人によればそういう行為はないそうだ。
「はい、これで終わりです。両腕は自分でできますよね? 手首のところから簡単に……」
「私にもやらせろ」
「え?」
「実に良い手本であった。そこで気がついたのだが、わたしも勇者の付き人を目指す身。お前の手本に恥じないよう、お前の身体を使って試してやろう」
「いえ、私は結構です。自分でできますから、自分でできますって、ちょ、止めてください!」
これはあくまでスーツの脱衣術であり、スーツの拘束を解除していない私は、それはもう力任せに身体中を撫で回されたが、あまりにも酷い目にあったのでここでは割愛する。
◆
「嗚呼、いいお湯です。これが温泉であればなお良かったのですが、砕いた魔石でも十分癒やされますねえ……」
「それはいいが、なぜこの狭い湯船に2人で入る必要がある」
「お湯の節約のためですよ」
「ではなぜ後ろから両腕を回している」
「スペースが足りませんからね」
「ではなぜその両手がわたしの胸を揉んでいる」
「仕返しです」
密着したスーツを無理に引き剥がされた際に結構な痛みを受けた。やられたこともやったこともなかったので知らなかったが、皮を剥がされるような気分だった。未だにところどころヒリヒリと痛む。
いやそれだけではないか。正直に言うと今日の私はどこかテンションがおかしい。ルナに会った後からどこか浮足立っているような、酒に酔ったように精神がふわふわとしている。
「古巣に戻ってきたからでしょうか。あの頃はいつもこんな他愛のない、馬鹿なことをしていた気がします」
「…………」
「今更ですが、キュリアスさん。あなたはいったいなんなんですか? 何者でもないと言いながら勇者を語り、強力な能力を持ちながらその使命を私にも押し付ける。秘密があるのはわかっていますが、私にもそうあれと言うなら、教えてください」
「わかったから胸の先をつまむのをやめろ。とは言ってもどこから話したものか。そうだな。お前は神についてどの程度知っている?」
神について知られていることはあまり多くない。人類にデザイアを残し死んだとされる最後の神。名も忘れられていた神は確かにこの地上に存在していた。その最後は妖精たちの領域でひっそりと眠りについたとされている。当時の妖精の国は人類とも交流があり、神官たちと側仕えの巫女がその最後を看取ったらしい。神が死んでからは隔離された領域となっている。
改めて問われると少し不自然だ。今から100年ほど前の話なのにギルドにすら情報がない。ギルドのほうは100年以上の歴史があり、多少なりとも資料があっても不思議ではないのだが。
「神が死にデザイアが生まれたということくらいで、詳しいことはあまり。地上に神が居たことは知っていますが、神像を見たことがあるくらいで名前も知りません」
「信仰が失われたのだろうな。哀れなことだ。始まりの神の名はゼニサス。人類が生み出した原初のデザイアだ」
「…………え?」
神が、デザイア? にわかには信じられない言葉だ。
「原初の時代、人はその知恵を持って生存域を拡大していった。武器を持って獣を倒し、火を持って夜を明かし、衣服によってどこにでも住処を作り出した。か弱い存在だったが、その数と執念の前にはどんな獣も太刀打ちできなかった。だがそんな人類にも手の施しようのない怪物があった」
「それは、いったい……」
「自然だ。母なる大地は、恵みの雨は、生命の海は、時として牙を向き簡単に命を奪う。その圧倒的な力は、人類の知恵程度ではどうしようもなかった。どんな動植物もそれを受け入れて生きている。だが人類だけはそれを許せなかった。そう考えてしまう程度には、世界中に蔓延っていたんだ」
キュリアスが語っているのは、神が生まれる前の世界の話だ。ギルドの歴史書にもない、もっと古い世界の話。空想だと切って捨てるのは容易いが、とてもそうとは思えない実感がキュリアスの言葉にはある。
「長年にわたって自然の前に打ち捨てられた数多の命の絶望と、生き残っていった人類の執念が一つになった時、ゼニサスはこの地上に生み出された。やつの能力は絶大だった。吹き荒れる嵐をそよ風に、荒れ果てた大地を草原に、火山の噴火を雨に変え、暴れ川を小川と湿原に変えた。自然の驚異を完全に治めてしまったんだ」
「まさか、そんなことが……でも、現代でもそれらは脅威ですし、すぐさま収まることもありません。天候を操るデザイア使いはいても、そこまでの能力は持っていませんよ」
「当然だ。それこそ神ゆえの力であるし、その神はもう居ない。だがやつの能力は大きな問題を抱えていた。やつの作り出す管理された自然は、人類に望まれた自然でしかない。そこに居たその他のあらゆる生命を無視して、人類だけが住みよい環境に何もかもを変えた。これを、この結果をその他のすべての生命が許すと思うか?」
「……いえ。流石に言いたいことはわかります」
人が水中で生きられないように、魚は地上で生きられない。書き換えられた自然とは、つまりそういうことなのだろう。
「そうだ。どんな自然であろうと、どんなに驚異的な環境であろうと、そこにはそこにしか生きられない生物が当然居た。人類はその無知ゆえに、それらの人類など優に超える数多の生命を踏み躙った。ああそうとも、人類の願いが自然を治める神であったように、人類以外のすべての生命も願いを持った。神を滅ぼせ、と。元の世界を返せ、と。それがわたしだ。神殺しのデザイア。大自然の救世主。世界平和の担い手。そうあれと望まれ続け、その全てを未だ成し遂げられていないがな。ああ、神は死んだのだったか? 私が生きている以上、神はまだこの世界にいるぞ?」
私の腕の内にいる可憐な少女が、デザイア? 信じがたいことだが、彼女の行いと能力を思い返せば、それが事実なのだろうと思えてくる。
それに、神は生きているとはどういうことなのか。
「ちょ、ちょっと待ってください。いきなりのことで理解が追いつきません。神がデザイアで、それに敵対する形で生まれたのがキュリアスさん? それに神が死の際に残していった奇跡がデザイアであるはずなのに、神は生きているってどういう事なんですか?」
「それは順序が逆だ。そもそもゼニサスという人類の統一された願望が発現するよりも前から、人は願いを持っていた。欲望と言い換えてもいい。その欲望に向かう衝動、欲に向かって付き進む推進力こそデザイアの源だ。神が生まれる以前から、人は魔法という形でデザイアを持っていた」
「魔法は知っています。妖精や魔族、魔物の使う原始的な魔術の一種だと。え? その話が本当ならデザイアは神が残したのではなく……もしかして、神が居たから使用できなかった……?」
「その通りだ。ゼニサスは顕現すると同時にその権能を、自然を作り変えるデザイアを存分に振るった。だが、それと同時に理解してしまったんだ。自分がどのような存在であるかを。人類という種族の願望が生み出した超常の存在ではあっても、所詮は魔法生物。その身に宿る魔力が尽きれば消滅してしまう。そこでゼニサスは自身の存在を維持し続けるために人々の願いを集め始めた。それが信仰と宗教の始まりだ。各地に自身を崇めさせる偶像を設置し、人々から少しずつ願いの力を得る。ほんの僅かな感謝の念でも、人類という種族全体からかき集めれば莫大な量になる」
「神殿と神像にそんな意味があったなんて…… しかし、以前廃棄された神殿跡地に行ったことがあるのですが、神の像は1つではありませんでした。それぞれ顔も性別も違った像が何体もあったはずです」
この冒険者ギルド本部地所にも神殿が1ヶ所ある。現在は博物館として運用されているため、修理こそされているものの神殿内部の装飾等は当時から代わっていない。その神殿の中央広間にはいくつもの神像が並んでいた。
「それこそがゼニサスの誤算だ。やつは自身の行い以上に崇められた。それどころか自身に備わっていない奇跡を望まれた。自然を書き換える力はあっても豊穣までは約束できない。雨をどれほど降らせても旨い酒は作れない。山を鉱山に変えようとも武器は生み出せない。できないが、できると信じて望まれ続けた結果、必要以上の願いが集まってしまった。いかに神とて所詮は人の想像できる範囲の器でしかない。これでは逆に身が持たないと悟った神は、それらの願いをそれぞれに叶えられる神として別の器を用意した。お前の見たという像はこいつらだろう。この神々も新たな問題を引き起こすのだが、それは今はいいか」
始まりの神ゼニサスとそこから別れた新たな神々。どの歴史書にも載っていない、失われた神話の時代。神殿があるのに、そんな話は聞いたことがない。或いは誰かが意図的に隠している?
「神々がさらなる人類の発展のために自然を蹂躙していたころに、わたしは生まれた。はじめの頃は順調だった。神々は何体もいたし、人類はどこにでもいた。まだ失われていない純粋な自然の中から、ゆっくりと神を駆逐していった。わたしが大陸の1つを自然に還したころに、人々もわたしに気づいた。自然が人類に牙を向き始めたと。神々もそれに応え大きな戦いになったが、その程度で我々の進軍は止まりはしなかった。そもそもわたしは神殺し。神などでは相手にならないし、神々に願いを捧げ続けた人間共もかつての魔法を忘れ、ただの獣の前から泣いて逃げ出すほどに弱くなっていた。……だがそれが拙かったのだろう。逃げ出した人間はわたしという脅威を知った。大地の怒り、自然の反逆は、わたしという個体の力なのだと認識し、共有した。そしてそれは、人類の希望という形で神にも届いた」
「……人類の希望……それって、」
「わたしを、我々を、人類に徒なす全ての存在を打ち倒すためだけの機能を願われたデザイア。それが勇者のデザイアだ。人類の希望は、まずゼニサスに託され新たな神となった。しかしどんな能力であろうと、それを振るうのが神ではダメだった。わたしは神殺しだからな。手傷を与えられようとも打倒されることはなく、返り討ちにしてやった。そこで神は勇者のデザイアを人間に与えた。ああ、今でも覚えているさ。怒りと悲しみに満ち溢れた目で笑いながら斬りかかる神の人形、勇者クレイル。わたしは恐怖など持ち合わせていないが、やつだけは天敵だった」
クレイル。キュリアスが軽々しく口にするなと言った名前は、勇者だったのか。となると始まりの勇者はクレイルということになるが、やはりその名前に聞き覚えはない。私は学生時代に勇者についてかなり調べたが、ギルド史に残る始まりの勇者の名はサンハルト。その功績を讃えられ、現在もファルフェルト王国でサンハルト家として名を残している勇者の名門だ。今は少し落ち目らしいが。
「思い出すだけでも忌々しい。やつとは何度もやりあった。その度に世界平和のために死ねと言われ続けた。おかしな話だ。使命は同じはずなのに、どうして闘う必要があるのかとな。結果としてわたしは奴らの思惑通り打倒され、巡りに旅立った。後のことは、今はいいか。次に目覚めた時、目の前にあったのは死の淵に居たお前の顔だからな」
「……なんとなく、整理がついてきました。神殺しと世界平和のデザイアであるキュリアスさんが再び現れたのは、この今の世界が平和ではない、平和ではなくなったから、ということなんですね?」
「そうだな。ルナに話を聞いたが、どうやらやつでも手に負えない脅威があるらしい」
「っ……! それで、その使命をかつてのあなただけでは成し得なかったから、私に託した」
「結果的にはそうなるが、それを望んだのはお前だぞ。押し付けたわけではない。一時的にとは言え勇者はそれを成し得たのだ。自然が諦める程度には、だがな。わたしは諦めてはいない」
私はあの時、確かに勇者を望んだ。キュリアスの話をすべて受け入れるなら、それは正しく叶えられた。彼女が勇者に固執するのも、彼女が達成出来なかった世界平和を遂げたからなのだろう。
だが、それでも疑問は残る。
「……なぜ、勇者と敵対していたあなたが勇者の力を持っていたんですか? 私を勇者にしたとキュリアスさんは言っていました。そのために身体を作り変えたのだと。今までの話が事実なら、勇者のデザイアは神か勇者が持っているはずです。なぜそれをあなたが……?」
「ん? ああ、そういうことか。わたしは勇者のデザイアなぞ持ってはいない。だが、そもそも勇者とは人間だ。神々から祝福という形で魂以外の全てを壊されていたが、アレはたしかに生物だった。であればあらゆる生物のデザイアであるわたしが同じことを出来ないはずがない」
「……? えっと? どういうことですか?」
「デザイアはお前ら人間だけのものではない、ということだ。人間は自身のためにデザイアを使うが自然界の生物は生存のために、種族のためにデザイアを使う。それをお前らは進化と呼ぶらしいが、わたしはそれらの願いの集合体だ。故に最古の種族から最新の個体の能力まで、あらゆる生物のデザイアを持っている。この指を見ろ」
キュリアスは人差し指を立て、その指先からまず花が生えた。そこから指全体が植物のように成長し、枝分かれし、その枝先がそれぞれに蛇に変わり、猫に変わり、魚に代わって湯船に落ちる。
「ひぃっ!?」
落ちた魚はしばらく泳ぐと水面に浮かび、それがまた浮草になって花を咲かせる。ふと見ればキュリアスの指は元に戻っていた。
「勇者の能力を、その身体を再現するだけなら造作もない。だがそれだけでは器に成り得なかった。言っただろう? わたしは勇者になれなかったと。なにかが足りなかったのだ。そう考えた時、いつの間にか目の前に勇者になると叫ぶ魂があった。それがお前だ。大した手間でもないので、物は試しとお前の身体を勇者に作り変えてみたのだが、これがうまくいった。思惑通り勇者のデザイアはお前に無事注ぎ込まれたようだしな」
「…………あ、ああ!? まさかあの時、オルラーデの執務室のときですか?」
「そうだ。あの変な女と別れ、馬車に乗る前のことだ。なにか大きな力を受け取った感覚はなかったか? ずいぶん動きづらそうにしていたが」
それならば納得がいく。勇者の身体と、勇者のデザイア。これらはキュリアスの中では別々のものだったのだ。何度も言われ続けていた彼女の中の勇者の正体がようやくわかった気がする。
「色々腑に落ちましたが、正直なところ、今の話も理解はできても実感はありません。突然力を与えられたと言われても、何をすればいいのやら……」
「お前が望んだのだ。お前の理想の勇者になればいい。わたしはお前の理想のその先に世界平和があるのだと確信している」
「そう言われても、私の理想はぼんやりとしたものです。小さな頃に助けられたから、自分もいつか目の前で困っている人を助けたい。そんなちっぽけなものですよ」
「ならばそれはすでに達成できている。もっと自信を持て。お前はお前の理想像に確実に近づいているぞ」
「え? どうでしょうか……そうであればいいのですけど」
そう言われても誰か助けただろうか。勇者付きとして殿を務めたことか? だとしても大した役には……
「記憶に無いか。ならそれでいい。無自覚に人を助けるのもまた勇者の素質の1つだ。ところで、わたしからも聞きたいことがあるのだが」
「はい。何でも聞いてください」
「お前、いつまで胸を揉んでいるつもりだ? ……おい、手を股にいれるな。鬱陶しい」
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