1-7 勇者認定試験
◆セリア
「……は、え?……えっと、勇者になるために、勇者付きに復帰したいんですが……?」
「今更聞くのも野暮だけど、実績の極端に少ない冒険者や加盟国の騎士などを直に勇者として雇いたいと推薦された者を、ランクとは関係なく勇者として認める試験制度があるのは知ってるよね?」
「ええ……まあ……」
勇者認定試験。これはギルド内での貢献度を稼いでランクアップし勇者になるのではない、ギルドに所属して間もない者を勇者にするための飛び級システムだ。
例えば公認国家ではなかった都市が加盟した際に、ギルド側で用意されている勇者級パーティを雇用するのではなく、自国の冒険者や騎士を起用したい場合に用いられる。知っているところで言えばオルラーデがこれに当て嵌まる。
「それに受けて合格すれば、君は晴れて勇者だ。勇者付きに戻る必要はないし、ギルドカードの再交付もしやすい。というわけで、はいこれ」
手渡されたのはその試験への推薦状だった。傭兵ギルド、冒険者ギルド、ギルド本部の印が押された正式な書類。
「な、どうして……?」
「勇者付きセリア。我々ギルドは君を一度見捨てた。だがその判断は間違っていたということが君自身によって証明された。そしてそんな手酷い仕打ちを受けた君が、こうしてまたギルドのもとに戻りたいという意思を持っていることを心の底から嬉しく思う。それをはいそうですかと、ただ元の場所に戻すのでは他の職員に示しがつかないし、何より君に対して不義理だ。我々が用意できるのはこんなものしかないが、それでも君が勇者としてギルドのために働くというのなら、受け取って欲しい。君の目指す勇者になりなさい」
ルナの眼差しは真剣そのもので、今までのような気さくな態度でも、ふざけているような声音でもなかった。
「……はい。私勇者付きセリアはこの試験に合格し、勇者セリアになることを誓います。その時は、またこのギルドのために働かせてください」
「ありがとう。立場上頭を下げることのできないわたしを許してほしい」
「おい待て。勇者になったらお前はわたしのために働くのだぞ? 共に使命を、世界平和を果たすと約束したではないか」
キュリアスが騒ぎ出す。そういえばそんなことを言っていたような。しかし今は、なんというかこう、感動的な場面なので控えていてほしい。
「キュリアスちゃん。あなたにも話がある。セリアを救ってくれたことの礼も兼ねて、少し話がしたい」
「なに? そんなことをお前が気にする必要はないぞ。わたしにとっても都合が良かったから救っただけのこと。それに対して礼などと……」
「そう言わずにさ。本人の前では話しづらいこともあるだろう。セリアちゃん、悪いけど席を外してくれないかな? 試験の手続もあるだろうし、話が終わったら彼女は君のところまで送り届けるよ」
「わかりました。では失礼します、マスター・ルナ」
キュリアスを置いていくことに多少の懸念はあるが、いくらなんでもあれ以上の粗相はないだろう。
部屋を出ると情報管理局の職員が待っていた。
「セリアさん、こちらが新しいギルドカードになります。ランクは冒険者B相当のカードですが魔力は未登録、それから以前の情報引き継ぎも終わっていません。問題行動は起こさないように。それから以前のカードは引き継ぎに使用しますのでこちらへ」
「はい、これが私のカードです」
古いカードを渡し、新しいカードを受け取る。完全に新品の非常に珍しい状態のカードだ。通常は名前やランク、冒険者ならクランやパーティの紋章、勇者なら国章など自分の所属を刻んでいるが、このカードには名前しかない。
「それから公言は控えていただきますが、あなたの状況が解決するまでこのカードでの決済はすべてギルドで処理されます。事実上無制限に使えますが節度ある使用をお願いします。試験終了まで資金は気にしないようにとマスター・ルナからの配慮ですので」
「っ……はい。突然押しかけてしまったのに、何から何までありがとうございます」
「では私はこれで。書類の方は勇者管理局へお願いします」
用件が済むと足早に消えていく職員。この中央塔はいくつかの階層がそれぞれの尖塔と繋がっているため、各管理局へ向かうのにわざわざ1階まで降りる必要がない。
ルナの部屋にもう一度頭を下げ、私は勇者管理局である6号塔へと足を向けた。
◆キュリアス
「やっと2人っきりになれたねキュリアス」
笑うルナの顔は、本当に心の底から嬉しそうに明るい。突然抱きついてきたルナに対してキュリアスは困惑していた。普段の彼女は感情が顔に出にくいが今回は眉を歪めている。
「一体何のつもりだ。わたしはお前を知らないし、なぜそのように豹変したのかも見当がつかん」
「ふふ、あなたが知らなくてもわたしは知っている。わたしを知らないのは当然よね。あの頃はこんな感情を、こんな人格を得るなんて思ってもいなかったし」
「……お前、本当に何者だ?」
「本当に分からないの? まあいいわ。少しお喋りをしましょう。そうね、まずあなたが眠っている間に、神はその座を降りたわ」
「……知っている」
「そのせいでこの世界は穴だらけになってしまった。我々の子らがダンジョンと呼んでいるものがそれよ。ふらふらと揺れるこの世界が別の世界に接触した傷跡。本当はすべて潰してしまいたいけれど、アレのせいで今の私がある。神がいないのも難儀なものね」
「何の話だ?」
「結局のところ神は、人は、世界から奪い取った権能を制御しきれなかった。という話よ」
ぱっと立ち上がったルナは額に入った大きな絵の前に立つ。セリアにはわからなかったそれはこの世界を上空から見た地図だった。
「あなたにはこれが何を意味するものかわかるでしょう?」
「無論だ。私の知る頃よりも少しばかりずれているが、それはこの世界だろう?」
「そう。そしてこの5大陸のうち、人が人として生きているのはこのパストラリア大陸とこっちの東西ファルフェルト大陸だけ。あなたが滅ぼしたせいで名前が失われたここは現在暗黒大陸と呼ばれていて、魔族の領土になっている。南極はもっと酷いわ。今どうなっていると思う?」
「知らん。あの地を知る人間は居なかったからな。神も現れなかったために、わたしも特に気にかけていなかった。それよりも魔族とは何者だ?」
「ああ、そこからなのね…… あなたやあなたの仲間が生み出した眷属たち、その成れの果てとその末裔の相称よ。まあそっちはいいの。人々は恐れているけど同じ世界のものだから。ところ変わって南極よ。こっちはそうは行かない。誰も知らない土地にダンジョンが生まれた。気づいたときには遅かった。あそこは他の世界の神が住む、完全に別の世界になってしまっているわ」
「なに?」
「幸いなことに、というよりそこの神の、神話の性質なのかも知れないけれど、まだ動きはないわ。もちろん南極はめちゃくちゃだけど、すぐにどうこうなるようなものでもない」
「だからと言って許されるものか。世界が脅かされているのだぞ? わたしはすぐに向かう」
キュリアスの眉が怒りで釣り上がり、それに呼応するかのように魔力が渦巻いていく。無色透明、原初の魔力がキュリアスを包み込み、その右腕には崩れたガラスの剣が生み出されていた。
「まあまあ落ち着いてキュリアス。今のあなたではどうしようもないわ。そうでしょう? その身体、ちゃんと繋がってる?」
「……1割、と言ったところだ」
残念そうに頭を振るルナ。怒りで全力を出そうとしたキュリアスは、今になって自分の状況を正しく理解した。
「それもダンジョンの影響ね。キュリアス、この世界には足りないものがあるの。それがなければあなたはもはや十全に動けない」
「……それはなんだ?」
「あなたは認めないと思うけど、神と勇者よ。……理由はわかるでしょう? あらゆる生命は神という脅威を知ってしまった。世界が権能を手放すほどにね」
「ああ、そうだ。そのためにわたしが生み出された」
「でもあなたはその使命を全うできなかった。足掻いているのを見ていたわ。あなたの使命は終ぞ叶わず、勇者によって駆逐された。でもその勇者が求めていたもの、あなたは知っているでしょう?」
「世界平和。しかし……」
頷くルナ。世界平和。お互いに同じ使命を胸にし、しかし命をかけてすれ違っていった勇者。だが、やつもまた……
「しかし、わたしは知っているぞ。あの勇者クレイルですら、結局それは成し遂げていない」
「そう。彼の求めた世界平和もまた、別の願いによって八つ裂きにされた。でも彼の使命はまだ終わっていない。その願いは叶っていない。神がその座を降りたことで、人々の胸に不安がやどり、この願いは余計に強まった」
「……セリアか」
そこではたと気づく。なぜキュリアスは自分が勇者を求めていたのかを。なぜ自分では無理だと気づいていたのかを。それすらもまた、デザイアの強制力なのだと。
「あの子を見ていてあげてキュリアス。彼女こそ、この世界の新たな希望。真なる勇者の正当な後継者。そのために、勇者という名を残し続けてきたのだから」
「無論だ。あいつはそのために用意した。必ず世界平和を成し遂げる。今度こそな。だがお前の話では、神もまた必要なのではなかったか?」
「それは宛があるの。神の方は心配しないで。それじゃ、セリアをよろしくね。今は準備の期間。力を貯めて待つのは得意でしょう?」
話は終わったとばかりにルナはキュリアスの肩を掴み、扉に向かって歩き出す。
「そういえばなんでギルドの、勇者付きの制服を着ているの?」
「勇者には付き人が居て、これがその者の格好だと聞いたからだ。セリアのやつは着るべきではないとなにやら喚いていたがな」
「なるほどねえ。でもあなたも知っている通り、当時から勇者には仲間が居たでしょう? それにあなたが勇者の付き人というのは、態度も能力もかけ離れているし、そもそも現代に疎いあなたが勇者を戦闘以外でサポートできるとは思えないわ」
キュリアスに勇者付きはふさわしくない。彼女にはそんな細かいことを、現代の常識を当てはめるのは無理だ。立ち位置的には勇者の仲間として行動させるが、それにしてもこんなに態度の大きい仲間なんて……
「あ、そうだ」
「まだなにかあるのか?」
訝しむキュリアスに対してルナは三日月のように笑みを深める。
「あなたも勇者やらない?」
◆セリア
「推薦書はこちらへ。話は伺っていますので、申込用紙の記入だけお願いします。……セリアさんが戻って来られた事嬉しく思っています」
勇者管理局の職員は基本的に相手が勇者や勇者クラスの冒険者、国の高官ということもあり、現役の勇者付きや勇者の引退者であることが多い。
対応してくれた男性職員の顔に見覚えはないが、制服から勇者付きであることがわかった。
「正直私はまだ混乱しています。己の未熟でこのようなことになってしまったのを本当に喜んでいいのか。いえ、もちろんありがたい措置であることは承知しているのですが……」
「素直に喜べばいいと思いますけどね。運も実力の内、と言っていいのかわかりませんが、文字通り死ぬような目にあって戻ってきたんでしょう? もしそれで何もなければ僕ならギルドを辞めるかもしれない。そのくらいのボーナスがなければ誰も勇者付きなんてしませんよ」
「……そうですね。そうですよね。これはボーナス、見舞金代わり。そう考えると納得できるような気がしてきました。ありがとうございます。こちら、記入終わりました」
「僕からすればマスター・ルナに直接お会いして対応してもらったってだけで、十分な報酬に思ってしまいますけどね。……おや、記入漏れがありますよ」
返された申込用紙の未記入欄を指差される。その項目はパーティメンバーとそのランクだ。
「勇者付きから勇者になる場合、その項目に該当する対象は居ないはずですが……」
「ええ、通常はそうなんですが……上からの指示でデュオだと聞いていますけど?」
「おい。まさかわたし抜きで話を進めていたのではあるまいな?」
振り返るとそこに居たのはルナに肩を掴まれたキュリアスだった。
「マスター・ルナ!? 失礼します!」
「お勤めご苦労、楽にしていいよ」
突然の来訪に受付職員は立ち上がり敬礼をする。私も咄嗟に頭を下げるが、その前にルナから業務に戻るよう指示が出た。
「セリアちゃーん、借りていたものを返すよ。それとキュリアスちゃんは君のパートナー。デュオメンバーを書き忘れるなんて酷いじゃないか」
「えっと、マスター・ルナ。どういうことです?」
「お前に付いて回るといっただろう? だがこいつによると勇者付きというのは大変に面倒な職業だという。仲間だとしても勇者より大きな態度を取るなと言われた。勇者の威厳にかかわるそうだ。それにはわたしも同意しよう。お前には覇気がないからな。そこでいっその事わたしも勇者にならないかと言われたのだ。一度は諦めた身だが、肩書だけでも勇者というのは実に心躍る」
「というわけでセリアちゃんとキュリアスちゃんのパーティはダブル勇者になるんだよ。合格すればの話だけど、まあ落ちるわけないしね」
ルナに申込用紙を奪われ、戻ってきたときにはパーティメンバーにキュリアスの名が書き込まれていた。
「それは、了解しましたが…… キュリアス、キュリアス・エ=クレイル?」
「軽々しくその名を口にするな。こいつめ、一体どうやってその名を知ったのやら……」
「ふふ、知っているとも。わたしはそれを見ていたからね」
睨むキュリアスと微笑むルナ。彼女たちだけにしか伝わらない秘密があるのだろう。話があるというのもその件だったのかもしれない。
改めて申込用紙を職員に渡すべく振り返ると、
「と、尊い……女神は本当に居たんだ……神は死んでなんかいなかった……」
ルナのファンだったのであろう職員は、涙を流しながら遠い目をしていた。
◆
勇者の認定試験は不定期に行われているが、今すぐにと言うわけではない。今回は他にもパーティが居るため10日後に行われるということで、ひとまず宿が必要になった。
「この箱は便利だな。馬車よりも揺れず、早馬よりも早い。ここまで来たあの妙な馬車よりもだ。見ろ、先程までいた城がもうあんなに遠くにある。ところでこれに乗って一体どこまで行くつもりなのだ?」
「冒険者ギルド本部地所『レイラインズ』の宿屋です。それから試験のための準備もしなければなりません」
現在私たちが乗っているのは魔導列車。本部や各職業ギルド本拠地に張り巡らされたレールの上を走る乗り物だ。基本原理は魔導軌車と変わらないが、あちらよりも更に大型かつ高速で大量輸送に向いている。今は同じ車両に20人もいないが、混雑時には300人も乗っているとか。
「本部のホテルでもいいんですが、本部は勇者や政府高官を相手にしているせいで高級店ばかりなんですよ。レストランも武器屋も雑貨屋もみんな高級店で、ポーションですら2000アーツします」
安い店がないわけではないのだが、ギルドの制服を着て入るというのは悪目立ちする。何よりこれから勇者を目指そうとしているのに、ケチくさいと思われても癪だ。
「金ならあるだろう。あいつから聞いたがこのカードは何でも買えるらしい」
「マスター・ルナをあいつ呼ばわりいないでください。確かに必要経費はギルドで持つとは言っていましたが、無駄遣いは厳禁です。金銭感覚のテストという可能性もあります」
これは実際にあった話だが、冒険者時代に大盤振る舞いをし続けた男が勇者になったとき、その勇者を雇った国が経済的に傾いたという事件があった。そいつはどういう手口か自身の財産だけでなく国の予算にも手を付けたのだ。結果として現在その国は他国の地方都市の一つとして飲み込まれてしまった。
そんな下らない悲劇を起こさないために、ギルドでは勇者になる者の適性検査の一環としてギルドカードの資産状況をチェックされている。
「このカードでなくとも、金貨ならいくらでも、むぐっ」
「金貨? いくら? いくらなら確かに金貨を出さないと食べられないですね!(金貨を作れるなんて話を外でしないでください!)」
咄嗟にキュリアスの口を塞ぎ、無理やりに言葉を紡ぐ。それとなく周囲を観察するが、気に留められてはいないようだ。
「何にしても無駄遣いはダメです。お金も能力も。あと言い忘れてましたが、基本的に本部や各職業ギルド本部地所では金貨等の硬貨は使用できませんよ」
「ほう? だがお前はライツェとやらから受け取っていたはずだが?」
「ギルドは銀行業もしているので、そこでカードへの入金をするつもりでした」
「カードによるギルドでの資産の管理か。隠し事を防ぐための手段として徹底しているようだが、ではなぜ金貨などがまだある?」
「ギルド加盟国家全てが同じ文化水準にあるわけではないですからね。首都なら問題なくても地方都市なんかではギルドカードでの決済ができません。そもそもギルドの支部がないところだって多い。そのためカードの決済システムすら知らない人もいると聞きます。そういう場所では逆に現金の方が信用度が高いのです」
「便利なんだか不便なんだか、難儀なことだ」
ちなみにギルドがカードによる資産管理を行っているもう一つの理由はダンジョンの存在にある。かつて金が普遍的な価値を持ち最上位の資産として運用されていた時代、あるダンジョンから金が無限に採掘されるようになった。これによって最初のうちはそのダンジョンを管理した国は潤ったが、無限に産出される金貨のせいで急激なインフレが発生。金の価値は世界的に一気に暴落した。
数十年前の事件であるがこの事件を教訓に資産価値の指針を金ではなく魔石に変更。ギルド及び加盟国家での共通通貨アーツとなった。しかし魔石を持って歩くわけにも行かないので、ギルドカードや或いは同額の硬貨という形で運用されている。もちろん硬貨には偽造防止措置が施されているのだが、キュリアスは突破した。
更に補足だが魔石も実質無限にされる。しかしながら各ダンジョンからそれぞれにその規模に比例して同程度入手可能な上、入手するのには大なり小なり命がかかっているため特に大きな問題は起きていない。庶民にとっても制度は変わったが魔石を売って金に変えるのは変わっていない。要はどこかの誰かが一人勝ちしてるのを他の全員が許せないと言うだけの話だ。
「そろそろ着きますね」
冒険者ギルド本部地所。冒険者の街『レイラインズ』。連合の中でも最大規模の敷地面積を誇る都市であり、世界中の冒険者が一度は足を運ぶと呼ばれている観光地でもある。
名物は現役冒険者が実際に武器を振るって行う英雄譚の再現劇場。流石に魔物はいないが魔導具による疑似ゴーレムが敵方として用意されていて迫力満点だ。他にも過去の再現劇を映像を収めた映像館、各地の伝説や過去の英雄の武具を集めた資料館等がある。
しかし冒険者たちの目的はそれらだけではない。ギルドで管理している中で最大規模のダンジョンがあるのだ。いずれにしても他国とは一線を画す宝箱のような土地だ。
「おいテメエ、どこ見て歩ってんだよ!」
「ああ!? やんのかゴラ!」
駅を出てすぐ耳に入る売り言葉に買い言葉。冒険者の街ということもあり、訪れる人間もほぼ全員が冒険者であるため治安は悪くないが喧騒の絶えない場所だ。しかしこの程度なら田舎のギルドの酒場では見慣れた光景でもあり、気に留めるものは居ない。
「おお、凄まじいな。遠目に見えていたが実際に降り立ち、こうして見上げるとなるほど巨大だ。本部の塔よりも高いのではないか?」
「あちらよりも後から建造されたものなので、こちらのほうが大きいですね。【セントラルタワービル ホテル・アズマミ】。あの巨大な建物が全部宿屋なんですよ? 各部屋にシャワールームがあって、各フロアごとにレストランがあって、さらにオプションで執事やメイドも付けられます。屋上には海岸を模したプールがあって、ああ、まさに庶民の夢がすべて詰まった極楽施設なんですよ!」
「それは先程お前が言っていた高級店というやつなのではないか?」
「…………夢を壊さないでください。わかっていますよ。私たちが泊まるのは別のところです。こっちですよ」
キュリアスの言葉で冷静さを取り戻し、大通りから外れた脇道に入っていく。暫く進むとビルの影になるため少し暗いが、街灯が設置されているため問題はない。むしろ夕暮れ時には早いのに一足先に夜気分になれるこの通りが私は好きだ。
「あれはなんだ? 香ばしい匂いが…… おい、こっちのは甘そうだぞ」
「興味を唆られるのはわかりますが、まずは宿を取ってからです。あなたに付き合っていたら今日中に辿り着ける気がしません」
ここはどちらかと言えば地元向けの店が多く、地元と言っても住んでいるのは冒険者かギルドの職員なので出店が多い。串焼きや揚げ団子、惣菜の量り売りや器ごと食べられるスープなど一風変わった商品もあって、本部に勤めていた頃は休日に友人とたまに来ていた。
そんな通りの更に奥まった場所に目的の宿はある。
「着きましたよ。ここなら、部屋がないということはないはずです」
「趣深いな。古臭い佇まいに歴史の奥行きが見て取れる」
「おいおい、着いた瞬間に気にしてることズカズカ言いやがって。泊めねえぞ?」
入り口の前にいるのはギルドの制服を着た女性。だが彼女の上着は宿屋の法被だ。
隠れ宿、黄昏亭。
ここは宿屋でありながら勇者付き見習いの教育施設であり、私の第二の故郷でもある。
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