2.5-7 人魚とリンゴと死んだ男
◆タマラ
「へえ。タマラちゃんは陸の世界が見たいんですね」
「うん! でも足がないから外を歩けないの! そのためにお金を稼ぐ必要があるんだって! パトルタが言ってた!」
「そうなんですか。でもあの海流を操る魔術があれば必要ない気もしますけどね」
『その魔術は俺が教えたんだ。ついさっきな』
リンゴは首を傾げるが、タマラもそれに習って首を首をひねる。
『タマラじゃ話にならねえ。元々は陸に上がるための装備を整えるために金が必要で、タマラは魔石くらいしか金の稼ぎ方を知らなかった。そんなとき冒険者の話題からダンジョンの話になってな。タマラがダンジョンを知ってるっつうんで案内させたらここだった。話の流れから攻略することになったんだが、見ての通りの水晶洞窟。歩けねえタマラでは攻略は不可能だ。そんなとき水流を操る魔術を思い出してな。タマラならできるんじゃねえかと教えて、今に至るってわけよ』
「なるほどー。解説痛み入ります」
リンゴは頭を下げて礼を言う。現状では片腕のない白スク水の異世界人という不審人物だが、悪い人間ではなさそうだ。
「ねえ、リンゴはなんで腕がないの?」
「ええ……?」
『タマラ、お前……さっき俺の斬撃で何かを斬っただろ? それがそいつだよ』
「そうだっけ? ごめん!」
空気の読めないタマラの質問にリンゴは困惑したが、すぐに悪意のない笑顔で謝罪されたので言い返す言葉が思いつかなかった。
もっともリンゴにとってはこの程度怪我の内には入らない。戦闘中ならいざしらず、今のような状況では言われるまで左腕がないことを忘れていたくらいだ。
「……はあ。私もステルスモードで追跡していたわけですし、避けられなかったのは単純な実力不足。人魚と喋る武器に免じて許しましょう」
『そいつはありがてえが、腕はどうするんだ? タマラはさっきの魔術しか使えないし、俺だって回復なんてできねえぞ?』
「ご心配なく。この程度かすり傷ですよ」
リンゴが右手を傷口にかざすと、斬られた腕が徐々に復元されていく。しかしそれは回復魔術やデザイアのようなそれとは異なり、まるで粘土が積み上がっていくような不思議なものだった。
「はい、直りました」
「すごい! 腕が生えてきた!」
『俺もいろんなデザイアを見てきたが、嬢ちゃんみてえな回復魔術は初めて見るな。デザイアなんだろうが、なんつーかゴーレムの生成や建物の建造魔術に近い。何を願ったらそんな風になるんだ?』
「さあ? 私の願いとこの能力は別のものですから。神さまでも願ったんじゃないですか?」
はぐらかすわけでもなく、リンゴは本当に知らないというように首をすくめる。
「せっかくなので私からも聞きたいんですけど、タマラちゃんはどうして何も着ていないんですか? 私のイメージでは、人魚って貝殻や海藻なんかで胸元を隠したりしてるんですけど」
「なんでみんな隠したがる? 胸を隠すのは戦士とお母さんだけだよ?」
人魚にはそもそも服や装飾の文化がない。
まず服の機能の1つに温度調整の役割があるが、水温が急激に変わることはないし、水温が変わるときは渡りの時期だからこの機能は必要としない。
次に防具として考えた場合だが、海中の生物や魔物で脅威になるものは極端な進化をした種が多く、生半可な防具では役に立たない。それに人魚は遊泳速度に優れているため、服を着ると泳ぐ際に水の抵抗が増えてしまうためむしろ足を引っ張ってしまう。
そういったわけで人魚は最低限心臓を守る必要のある戦士と、子育ての時期にだけ子供を抱えやすいように母親となる人魚が服を着るのだ。
ちなみに股関部を覆う衣服も当然ないが、その辺は半人半魚の複雑な生命の神秘のコーナーになるのでここでは割愛する。卵生ではない。
「うーん。何ていうか、見てるこっちが恥ずかしいんですよねぇ……」
『そうは言うがこんな海の底に服なんて落ちてるわけがねえ。陸に上がる前には用意させるつもりでいるが、今はどうしようもねえぞ? 嬢ちゃんの着てるやつを脱いで、タマラに着せるわけにはいかねえしな』
「ああ、そうですね。それ採用」
『あ?』
リンゴはパトルタの意見からなにかを閃き、手を叩く。パトルタは訝しんだが、流石にダンジョンの中でストリップをするわけではない。
「なければ作ればいいんですよ! 『デウス・エクス・マキナ』、私はタマラの服を望みます」
リンゴが両手をタマラに伸ばして魔力を集中させると、直後に彼女の背後に歪な女神が現れる。顕現したのは一瞬で、女神を中心に周囲を塗りつぶすような鈍色の光が放たれる。
「わ、わっ! なに!?」
『わからねえ! 一体何をしやがった!?』
光が収まり視界が戻る。タマラは周囲を探るが、特に異常はない。
「何がおきたの?」
『わからねえ…… って、タマラお前、その服は一体どうしたんだ?』
「え? わっ、タマラ服着てる!?」
いつの間にかタマラは水着を着せられていた。へその上から胸元を覆うぴっちりとした、紺色のスクール水着。タマラは人魚なのでセパレートタイプのものを上だけ着せられている状態だ。裾の部分にはフリルがあしらわれていて、胸元には大きく「たまら」と書かれたゼッケンが貼られている。
「ふっふっふ…… それは私からのプレゼントです」
「いいの!? パトルタ、服貰っちゃった!」
『……タマラがいいならそれでいいが。嬢ちゃん、さっきのは一体何だってんだ?』
「デザイアですよ、デザイア。タマラちゃん、その服はとっても頑丈で、魔力を込めれば上級クラスの魔力防壁も構築できます。そこら辺の防具よりとっても頑丈だから、いっぱい使ってくださいね」
「やったー! 服貰っちゃった! これもたからもの!」
タマラは器用に海水を操り、その場で跳ねて喜ぶ。
『おいおい、嬉しいのはわかったから、あんまり俺を振り回すんじゃねえ』
「ふふ、せっかくなのでタマラちゃんたちはこのダンジョンを攻略したあとどうするつもりですか?」
「どうするって? なにがあるの?」
『ああそうか。いいかタマラ。冒険者を率いる親分のギルドとしては、ダンジョンってのは制圧して運営するのか、それともぶっ壊すのかが重要なんだ』
パトルタはタマラの冒険を優先していたため、現在の冒険者としての在り方を説明していなかった。
「それってどう違うの?」
『制圧して運営するにはダンジョンコアってもんの書き換えが必要だ。俺にはできねえから、攻略したあとでギルドの人間を呼ぶしかねえ。そんときはダンジョンの権利はギルドと半々だな。もっともこんな海底のダンジョンまでギルドが来れるのかわからねえけどな』
「それなら私できますよ? タマラちゃんが望むなら手伝いましょう!」
キメ顔で腕を組み、胸を反らすリンゴ。タマラは喜ぶが、パトルタにとっては謎が深まる話だ。
「リンゴ凄い! パトルタができないことできる!」
『確かにすげえが、アレは国が秘密裏に制圧するのを防ぐため、ギルドの戦闘職員クラスでないと使用できないある種の契約魔術だぜ?』
「ふふん、それができるんですよ。私はこう見えてもギルドマスター・ルナの秘書官です。まあ魔術に頼らなくても私のデザイアで一発ですけどね」
『はっ、傭兵ギルドの初代マスターにして現役マスターの魔女に秘書官が居たとはな。俺は冒険者になって長いし、フィローの坊主が勇者になったとき本人に会ったが、お前みたいな女は連れていなかったぞ? いつもの顔を隠した情報管理局の職員だけだ』
「うーん、それがいつか分かりませんけど、私が秘書にされたのはだいぶ最近なんですよねえ……そもそも普段から一緒には行動していませんし……」
リンゴは腕を組んだまま顎に手を当て、いかにも悩んでいるようにうんうん唸る。
「リンゴ、制圧できないの?」
『制圧魔術が使えるってのを疑ってるわけじゃねえ。そもそもそんな嘘をつく理由がねえからな。俺が疑ってるのはマスター・ルナの秘書官ってところだ。ギルドの制服でもなく、ギルドカードも首から下げてねえ。なんかそういう証拠はねえのかよ?』
「そうは言われましても、服装なんて自由時自在ですから」
リンゴはため息を付きながら指を鳴らす。すると彼女の姿が一瞬で白スクからセーラー服に変わった。その後も何度か指を鳴らすたびにメイド服になり、軍服になり、勇者付きの制服になった。
「すごい! リンゴ服いっぱい持ってる!」
「タマラちゃんは純粋でいいですねぇ。実際はデザイアで服装ごと肉体の再構成をしているから、実質全裸なんですけど」
『おいおい、なんかサラッととんでもねえこと言わなかったか?』
「せっかくなので今日の私は今から勇者付きです! さあ勇者タマラ、ダンジョン攻略にいきましょう!」
「おー!」
勢いに身を任せ、先導をするように歩き出すリンゴ。話に乗せられやすいタマラはパトルタを振り上げ海流とともについて行くが、そのパトルタは勢いに流されない。
『行くのはいいが、話を勝手に終わらせるんじゃねえよ』
「とは言え証拠がないのでこれ以上の議論は無駄です。そう言えば先程勇者フィローの名が出ていましたが、お知り合いですか?」
『知り合いも何も、俺はあいつのパーティメンバーだぜ? ……今は違うけどな』
パトルタがそう言うとリンゴは足を止め、その場で振り返る。
「どうかした?」
「……あなたが……? 海流魔王リヴィヤタンに致命傷を与え、その後海に飲まれたあの老兵が、パトルタさんですか?」
『へへ、俺の一撃が致命傷になったのか。それが聞けたのは嬉しいね』
「?」
タマラは話についていけず首を傾げるが、リンゴはその場で頭を下げた。
「あの日、王城で指揮を取っていたのは私でした。今だから言いましょう。ルナの指示はシャポリダの国民を使い、魔王の脅威を正しく世界に知ら示させること、でした。私を含め、あの魔王を排除する人員は、揃っていた。しかしそれは、シャポリダが滅んだあとに動く別働隊でした。……結果として、あなた達の活躍によりシャポリダは滅んでいません。国民への被害は最小限と言えるでしょう。ですが……本当なら、1人も犠牲者を出すことなく解決できた道もあったはずなんです……私の責任なんです。本当に、すみませ」
『謝るんじゃねえ!』
「っ!?」
突然の怒声が水晶洞窟に響き渡る。タマラは耳を塞ぎ、リンゴも思わず顔を上げた。
『いいか? お前が何者で、どんな立場だったかは関係がねえんだ! 冒険者は、勇者は! あの日あのときできることを全力でやっていた。なるべくして結果があるんだ! 他に方法があっただと? そんなもん後からならなんとでも言える! 全員ぶん殴ってでも国から出せば死者は居なかっただろうよ。遺跡ごと吹き飛ばしちまえば、もっと早くに魔王の相手をできただろうよ。俺にだってこのくらい思いつくんだ。頭がいいやつはもっと傲慢な良案を出すだろうよ。誰だって後からなんとでも言える。その上でだ、あのときはそれが最善だと誰もが信じていたんだ。だから誰も逃げなかった。だからみんな戦った。あの場に居たのは、俺も含めて戦うことしか脳のねえバカどもだ。尊い犠牲だなんて言わねえ。だがその覚悟を、その勇姿を、お前みてえな小娘が勝手に自分の責任にするんじゃねえ!』
「で、でも、私は……ルナの指示で……」
『指示があったのはお前だけじゃねえ。そもそも冒険者も勇者もギルドに、あの女に雇われてあの場にいたんだ。全員が死を覚悟してあの場にいたんだ。そいつらの命は、そいつらの責任だ。お前が勝手に責任を奪うんじゃねえ。それにシャポリダは滅んでねえんだろ? シャポリダの人間が生きて朝を迎えたんだろ? なら俺たちの勝ちじゃねえか。俺たちは命をかけて国を救った。それが俺たち死んだバカどもにとっての報酬だ。お前が責任を奪うなら、その勝利すらお前が持ち逃げすることになる。そうなりゃそれこそ掛け値なしに無駄死にだ。俺はそれだけは許さねえぞ?』
タマラは黙って聞いていた。それが伝説の武器だと思っているパトルタの、難しいけどありがたい言葉なのだと信じているからだ。
『死んでいった俺や他の冒険者のことを想うんなら、必要なのは謝罪じゃねえ。記念碑でも建て、つまらねえ歌でも作ればいい』
「……でも……」
『……わかったぜ。お前誰かと一緒に戦ったことがないんだろ? 誰かの死に立ち会ったことがないんだろ? だからそんな薄っぺらい、言い訳がましい謝罪が出てくるんだ。それはお前が楽になるためだけの謝罪だ。そんなに謝りたければ勝手に謝ればいい。だがな、そんな謝罪は誰も受け取らないぜ? そんな言い訳誰にも響かねえし、そんな謝罪じゃ誰もお前を許さない』
リンゴは全身から熱が引いていくのを感じていた。言われてから気がついたのだ。リンゴは言い訳を並べ立て、それから謝ろうとした。薄っぺらい謝罪だと言われても仕方がない。
そもそも本当に謝るつもりがあったなら初めて出会ったときに、タマラがパトルタと呼んでいたときに、気がつくべきだったのだ。
だけどリンゴはそうしなかった。フィローの話になって、魔王の話題から彼に思い至った。それはなぜか。
理由は単純だが、冷酷なものだ。リンゴはいちいち死んでいった人間の名前など覚えていなかった。だから名前が出てきても気が付かなかったのだ。
「……じゃあ、じゃあ、私は……どうすればいいんですか……」
『話を聞いてなかったのか? 名前を刻んだ記念碑でも建てて、あることないこと話を膨らませて歌にしてやれ。冒険者の最期なんてのは大抵くだらねえもんだ。酒場で死んでりゃ御の字で、ベッドで死ぬなんてありえない。だいたいダンジョンで魔物のエサになって死んでいくんだ。それが俺たちときたらもれなく国を救った英雄だ。こんな名誉はそうそうねえ』
「え! 冒険者は魔物に食べられちゃうの?」
『昔はな。今はそうでもないらしいが、引き際のわからねえ新人とジジイの冒険者はだいたいそうやって死ぬ。むしろ死ぬためにダンジョンに潜るやつもいる。ともかくだ。お前がなんで謝りたくなったのかは聞かねえけどな、それは誰にとっても良いことがなんにもねえ。お前にとってもだぜ? あんな謝罪で誰かの死の責任が許されたら、なにしたって謝れば許されると思い上がる。そもそもお前の責任ですらねえしな』
リンゴは返事ができなかった。なぜ謝ろうと思ったのか。なぜ許されたかったのか。なぜ許されると思っていたのか。
自分がした謝罪のはずなのに、自分で自分が分からなかった。
『話は終わりだ。タマラ、ダンジョン攻略の続きに行くぞ』
「うん。でも、リンゴはいいの?」
タマラは海流を操り奥に向かって進み始めたが、リンゴは俯いたままその場に立ち尽くしていた。
『放っておけ。誰にだってああいう時期が来る。頭のなかと心のなかの思ってることがちぐはぐで、何が正しいのかわかんなくなっちまうんだ』
パトルタは自分がハルバートになる前の、はるか昔の新人冒険者時代を思い出していた。仲間の死と、そのせいで助かった自分。今のリンゴの葛藤が重なって見えたから、つい熱くなってしまった。
『ああなったら、誰もが足を止めて悩むしかなくなる。そのときに何を信じるのか、何を選ぶのか、それを決めるのはどうしたって本人しかいねえんだ』
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