2.5-6 海底のダンジョン
◆タマラ
『……こいつはすげえ』
肉体を失い、ハルバートに憑依したパトルタは思わず息を呑む。
タマラが知っていると案内したダンジョン。海底にポッカリと空いた横穴の先には、未知の世界が広がっていた。
「この前見つけたの! 弱いし魔石を落とさない魔物がいっぱいいるよ」
人魚のタマラが指差すのは白くブヨブヨとした人型の魔物。子供くらいの大きさで口からは絶えず水を吐き続け、よたよたとダンジョン内を歩き回っている。溺死体のようだが、壁や天井も這って回っているのでスライムやナメクジに近い性質なのかもしれない。
おかしなことにそいつらの吐き出す水は、必ずそいつの足元に溜まっていく。天井にいるものが吐いている水は、天井に向かって落ちていく。訳の分からない光景だ。
ちなみに入り口までは浸水しているが、奥に続くダンジョンはところどころ水たまりがあるだけで、基本的にはキラキラと光る結晶でできた洞窟のような構造だ。なお水たまりは当然魔物が吐いている水にほかならない。
『タマラ、弱いってのを知っているってことは、こいつらと戦ったのか?』
「ううん。前に来たときは武器を持ってなかったから戦ってない。でも弱い。こいつがダンジョンの外に出るのを見たけど、すぐに魚に食べられて消えちゃった」
魔物の基本構造は魔力でできた外側だけの生物であり、コアである魔石の魔力によって成り立つ風船のような存在だ。ダメージを負っても魔石の魔力により瞬時に回復するが、魔石の魔力が尽きれば死ぬし、魔石との繋がりが断たれても死ぬ。
陸の魔物も自然界の肉食生物に負けることはままあるが、しかし魚のような小型の生物に捕食される魔物というのはパトルタも聞いたことがなかった。
『魚に食われる魔物ってのは興味深いが、それよりも魔物が外に出ているってのは少しマズいかもな』
「? どうして?」
『さっきも言ったが、ダンジョンってのは異世界だ。偶然発生した異世界に住む魔物にとって、ダンジョンの中ってのは楽園だ。そいつがわざわざ外に出る状況ってのはなにか。ギルドではこう考えられている。1つは資源不足。大体のダンジョンはこれが原因で外に魔物が溢れてくる。だがそうなったときの魔物ってのは飢えているからもっと凶暴だし、もっと強い。それにダンジョン内にも魔物が溢れかえっている』
「大繁殖しちゃったってこと? でもそんなにいっぱいいないよ?」
タマラはダンジョン内を見回すが、それほど多いようには見えない。大きな洞窟だが、それでも視界に入る数は6体ほどだ。
『そしてもう1つの可能性だが、ダンジョン内が元いた魔物にとって安全ではなくなった場合。つまり外から来た何者かによって、ダンジョンという巣を奪われた場合だ』
「なるほど、縄張り争いに負けたんだ! それならわかる。こいつら鈍くて弱いし」
『そういうことだ。で、どうする?』
「どうするって、なにを?」
タマラは首を傾げる。彼女はダンジョンの価値を知らないからだ。
『いいかタマラ。このダンジョンは誰にも発見されていない、未知の、危険地帯だ』
「うん」
『そしてその奥には必ずダンジョンコアという宝が眠っている。タマラ、冒険者になりたくねえか?』
「うん! タマラ冒険者になりたい!」
『なら決まりだ! タマラ、このダンジョンを攻略するぞ!』
「ダンジョン攻略するぞー!」
深海の洞窟に響き渡る大きな双り言。人魚と喋るハルバートの物語はこのダンジョンから始まった。
◆
「でもタマラ、陸に上がれないよ?」
『うーむ。すっかり忘れてたぜ』
冒険は始まったが、その第一歩目は未だに踏み出せていなかった。
なぜならタマラは人魚だ。足がない。水晶洞窟の、いかにも尖そうな床を這っていくのは試すまでもなく危険だし、そもそも魔物がいるダンジョンでそんな無防備な体勢でいるのはありえないことだ。
無防備と言うなら、武器しか持たないほとんど全裸の人魚ほど無防備な格好もないだろうが。
『あんまりこういう事を勧めるのは良くねえんだが…… その前に1つ質問だ。タマラ、お前の願い、お前の望みはなんだ?』
「海の外の世界を見ること!」
『立派な願いだな。それで、それは叶ったのか?』
「まだ!」
『ふむ? おかしいな。本来ならそれでデザイアが覚醒し、なにかしらの能力があるはずなんだが……』
パトルタは心のなかで首を傾げる。デザイアとは願いを叶える力だ。これだけ純粋でわかりやすい願いなら願いは叶っていてもおかしくないはずだ。
例えばパトルタのデザイア、すべての命をかけた一撃『オールイン』は元々死ぬつもりで放った一撃だった。しかし実際には相手に命と等価のダメージを与えたとき、自分の命が戻るという謎のおまけが付いてきた。これのせいで今も生きているのだが、そんなおまけが付くほどデザイアとは強力に願いを叶えてしまう。
たとえそこまでは望んでいなくても。
ならたかが海の外を見るくらい叶っているはずだ。かつてのスカイフィッシュのように空中遊泳能力を得たり、あるいは普通に飛行や浮遊能力を得たりしていてもおかしくはない。
そう考えていたのだが、タマラはすでにそれを持っていることに気がついた。
「あ! デザイアなら知ってる! タマラ、デザイア持ってるよ!」
『なんだって? どんな能力なんだ?』
「タマラね、海の外が見たかったんだ。でもタマラの群れはそれを禁止していたの! 人魚は群れでいないと生活できない弱い生き物なんだって。だからタマラはお願いしたの! 1人でも生きていける強い人魚になれますようにって! そうしたら、群れ長から出て行ってもいいって言われたの!」
タマラは嬉しそうに話すが、パトルタは少し落胆した。
タマラの能力は、所謂肉体強化系のデザイアだ。それが悪いとは言わないが、ギルドでは解析が進んでいる魔術体系であり、それなりに代用が効くデザイアに成り下がってしまっている。もちろんパッシブで常時発動しているデザイアのほうが強力ではあるのだが。
せっかくの冒険の始まりだというのに、こんなところで躓くなんて思っても見なかった。
そこでパトルタはふと思い至る。そんな雑な願いで得たデザイアなら、もっと応用が効くのではないかと。強いとは別に肉体面だけの話ではない。魔力が強化されていても別段おかしなことはない。
『なあタマラ、魔術って知ってるか?』
「知ってるけど知らない! 群れの長老が本を持っていて、それに書いてあるって言ってた。けど群れで使える人は殆ど居なくて、水鉄砲みたいな魔術だった!」
タマラは祈るように両手を組んで手のひらの中に水を溜め、その両手を押し潰すことで水を発射してみせた。
「こんな感じの、もっとすごいやつ! 鳥を落とすのに使ってた!」
『どんなものかを知ってるなら話は早い。俺が魔術を教えてやるよ。そいつを使って、空中に海を作るんだ。そうすればタマラ、お前はどこにだっていけるようになるぜ?』
かつての獲物スカイフィッシュは、空中に魔力で道を作っていたという。
かつての強敵海竜魔王は、その仮の肉体を海水で補い固定していた。
つまるところ、どちらも魔力による力技。魔術で再現できない道理はない。できるのなら、それを水の魔術で作ればいいい。
「空に、海を?」
それは忌々しくも仲間を飲み込んだ魔王の奥義だった。だがパトルタは確信している。あの程度で死ぬ仲間ではない。俺ですら生きているのだから、きっと今頃は俺を弔ってよろしくやっているはずだ。次の子の名前はパトルタにしようなんて笑っているに違いない。
せっかく食らった技、覚えているなら使わなければ損だ。
『ディープ・ライジング、だったか? オールインでぶん取った技、お前にやるよ』
◆
「あはははははは!! はやーい! 楽しーい!」
『おいおい、気をつけろよ。奥にはこいつらを追い出した強敵がいるかも知れないんだぜ?』
パトルタの読み通り、いやそれ以上に、タマラの魔力は強大だった。
魔力操作の初期段階こそ時間がかかったが、センスがいいのかパトルタの教えがいいのか、タマラはすぐに海竜魔王の奥義とも呼ぶべき大技を習得し、今もこうして結晶洞窟を水没させるような勢いで使いこなしている。
『おい、前に敵がいるぞ』
「見えてるよ!」
「キシャァァアア!?」
外から迷い込んだのか、元々このダンジョンの魔物なのか、サメの頭部を持つ人型の巨人のような魔物と遭遇した。
タマラは波に乗ったまま真正面から突進し、パトルタの宿ったハルバートを振り下ろす。
一閃。
ただの一撃でサメ巨人は魔力へと霧散し、手のひらサイズのサメの歯を落とした。
『うーむ。明らかに切れ味がいいな。常時オールインを発動してるような威力だ。そのくせ魔力が減っている感じもしねえ。いったいどれだけ魔王の魔力を吸ったんだ?』
「なに喋ってるの?」
『ん? 今の俺は最強のハルバートって話だよ。それよりさっきのやつが落とした歯、拾わなくていいのか? アレは魔石だぜ?』
「え! 魔石って石だけだと思ってた!」
『低レベルの魔物ってのは、その魔物にとって象徴となる部分が最後に残るんだ。雑魚は魔物としての自己が確立してねえから石っころしか落とさねえが、少し成長するとああやって歯や爪みたいな、そいつにとって重要だった部分を残すようになる』
なおここで言う低レベルの魔物とは種としての強さではなく、その個体が発生してからの成長具合を指す。そのため産まれたばかりのドラゴンでも小さな魔石しか落とさないし、角の生えたウサギでも1年生きていればその立派な角を魔石に落とす。
「ふーん。そしたらタマラ、石じゃない魔石捨てちゃってたかもしれない」
『ない話じゃねえな。だが今は魔力が使えるようになったんだ。少し集中すれば魔力の気配がわかるはずだぜ。少し試してみろよ』
「わかった! ……そこになにかいる!」
タマラはパトルタに言われたように魔力への感覚を研ぎ澄ます。元々自然界を泳ぎ回っていた人魚だけあって、気配察知はお手の物だ。
そして魔力の感覚を集中させた瞬間、その違和感に気が付いた。
自分の操る海の中に、魔力が通らない場所がある。それが何なのかはわからなかったが、とにかくそれは異物であり、タマラは刹那の動きでパトルタで突いた。
違和感のある場所までの距離は近くはなかったが、パトルタから発生した衝撃波だけでも岩を斬り裂く破壊力がある。
違和感の正体はその衝撃波の危険性に気がついたが、間一髪間に合わず……
「ぎゃーっ!? いきなり何をするんですか! 死ぬところでしたよ!?」
「! なにもないところから人が出てきた!」
『人、まあ人なんだろうが…… いったいどうなっていやがるんだ?』
魔力防壁を失い、タマラの操る海から地に落ちたのは一人の少女だった。
黒い髪に黒い目を持ち、白いピッチリとしたインナーのようなものだけを身に纏った少女は、パトルタから発せられた衝撃波で左腕を失い、しかしその断面からは血は出ていない。
『おい、嬢ちゃん。お前、何者だ?』
「うう、人の腕を吹き飛ばしておいてなんて言い草。見た目は女の子なのに声は老人とかどんなギャップ…… って、人魚!? すごい、私初めて見た!」
「タマラは人魚だけど、長老みたいなのはこっちのたからもの」
「なっ……! タマラちゃんと言うんですね。それにしても、人魚もすごいけど喋る武器もすごい。私が知ってるのは喋る人形くらいですよ」
リンゴは何事もなかったかのように立ち上がると右手を差し出し、握手を求めた。
「私は奥村リンゴ。異世界から来ました。よろしくねタマラちゃん」
それがパトルタの、この世界で3人目に出会った異世界人だった。
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