2.5-5 林檎と月
◆奥村リンゴ
『やあやあ、リンゴちゃん? わたしの名はルナ。今君の真上にいるの』
衛星電話のコールが森の中に鳴り響き、そこから聞こえてきたのはディアナと同じ声でルナと名乗る明るげな声。
『冗談はさておき、君の願いを叶えよう。世界の秘密、教えちゃうよ?』
「……いきなり突然なんなんですか?」
はっきり言ってかなり怪しい電話だが、その提案はリンゴの心臓を鷲掴みにし、脳に甘く響いた。
世界の秘密。
それはリンゴの、願いよりも先に手に入ってしまった万能のデザイアを紐解く鍵。確かに私はそれを探そうと考えていたが、まさかこんなにあっさりと、しかも相手から現れたことに困惑している。
『君は欲しただろう? 願えば叶うこの世界で望んだだろう?」
衛星電話越しの声が、途中からやけにはっきりと聞こえる。振り返るとそこには明らかにスマートフォンを持った白銀の髪と黄金の眼を持った女性。どことなくディアナに似ていたが、雰囲気はまったく違う。
「聞いておいてなんだけど、君の答えは聞いていないんだ。まあ立ち話もなんだし、わたしの秘密基地に案内しよう」
「いやいやいや、展開早すぎじゃないですか!?」
眼の前にいる女、ルナに肩を掴まれるリンゴ。咄嗟に振り払おうとしたが、その瞬間に突然足場を失ったかのような浮遊感に襲われる。
「え!?」
それはほんの一瞬の出来事だった。ジェットコースターから地に降り立ったような、もう一段あると思っていた階段を踏み外したような、そんな着地感とともに周囲の様子が一変する。
先程までリンゴは鬱蒼とした森の中にいた。ディアナの施設に時たま現れる客用の、さほど整備されていない獣道の途中にいたはずだ。
だが目の前に広がっている光景はなんだ。
リンゴの視界いっぱいに広がっているのは、映画でしか見たことがない宇宙の景色。ガラス越しにだが、たしかにそこには暗黒にきらめく星々が、どこまでも広がっている。
「ここはわたしを本体と繋ぐ中継基地だよ。リンゴちゃんが見た人工衛星の正体さ」
「……やっぱり、人工衛星だったんだ…… というか、本体と繋ぐ?」
「そう。わたしは、今君と話をしているこの個体はこの世界の月、私の本体である月のデザイアが作り出した人型の生体ゴーレムだよ。まあ本体が直接操っている貴重な一個体ではあるんだけど。現代風に言うなら、無数にあるゲームの複垢のうちのメインアカウントって感じかな? さあこっちだ」
ルナに案内されたのは、月と地球のどちらもがはっきりと見える広いドーム状の部屋。先程まではしっかりと足がついていたのに、この部屋に入った途端身体が宙に浮かぶ。所謂無重力状態というやつだ。
「きちんとした自己紹介はまだだったね。わたしはルナ。いつも君たちを天から見ている、この世界で初めて地球から転移してきた存在の依代だ」
そう言ってルナは自分と月を交互に指差す。
「地球から転移……? まさか、月が?」
「ふふ、さてどこから話そうか。リンゴちゃんは平行世界って言葉を知ってるかな?」
「……パラレルワールド、違う歴史を辿った世界…… アニメやマンガでしか知りませんけど、そういったものだと思っています」
リンゴの答えにルナは手を叩く。
「それだけ知っていれば十分だよ。結論だけ言ってしまうと、ある日突然この世界の月に、異世界の月の意志が宿った。神が不在になったことでこの世界が不安定になり、意志がリンクしてしまったんだ」
「そんなことが…… というか、星に意思があるんですね……」
「もちろんあるとも。ただ人間ほどの高度な意識があるわけではない。動物の本能と同じレベルの意志だ」
「……それにしてはルナさんは、月だと言うには人と殆ど変わらない意識があるように見えますけど」
「ふふん、わたしは特別さ。数多の絶望を背負ってここに立っているからね。嫌でも精神は成熟する」
そう言って笑うルナの黄金の瞳は、ただ力強いだけではない、何かもっと凶悪な執念のようなもので輝いている。見ているだけで飲み込まれそうな、そんな狂気の瞳だった。
「さて、わたしの話はここまでにして、本題に入ろうか」
「本題…… 世界の秘密ですか?」
「そうだよ。そのためにここまで来たんだ。あちらではどこで誰に聞かれているかわからないからね」
唇に人差し指を当てシーッとジェスチャーをするルナ。あんな森の中でいったい誰が、と思ったがこの世界にはデザイアがある。聴覚が異常に優れているものが居てもおかしくはない。
「ディアナの、わたしの前線基地のひとつに居た君なら、世界の管理権限というものを知っているね?」
「はい。具体的なことは知りませんけど、それが失われているせいでダンジョンが発生し、魔物が出現していると聞いています」
「ぶっちゃけると秘密というのはそれのことでね。神が世界から奪った後、どこかに捨ててしまった。今は神座と呼ばれているんだが……」
「え? ……は?」
あまりの事実に、ルナの話を遮って変な声を出してしまうリンゴ。
「世界の管理権を捨てた? え? だって、それがあるから神さまなんですよね?」
「その通りなんだけど、そいつは神を辞めたくなったから捨てたのさ。ちなみに神を辞めてもそいつはのうのうと生きている。世間では死んだことになっているが、まあ神ではないから同じことだけどね」
ルナが指を弾くとリンゴの目の前に突然ディスプレイが現れる。そこにはアロハシャツを着た半裸のハンサムの画像が表示されている。
「うわっ、すっごいイケメン……! だけどなんか胡散臭い顔ですね」
「そいつの名はゼニサス。今はヴェルドシールとも名乗っているが、ともかくそいつの捨てた世界の管理権と『神座』。これがとてつもなく厄介なものでね。ゼニサスを神として産み出した人類のデザイア、その莫大なエネルギーへのアクセス権でもあるんだよ」
「人類のデザイア……?」
リンゴにはその意味がよく分からなかった。リンゴの知っているアニメやマンガ、宗教の知識ではまず神が存在し、そこから全類が生まれるとされている。
でもルナの言葉が本当なら、まるで人間が願ったから神が生まれたように聞こえてしまう。
そして、それは聞き間違いではなかった。
「ああ、そこから? 進化論のことはおいておくとして、この世界ではまず先に人間が居たのよ。そして人間が自然の脅威を理解し、大自然の理不尽に耐えきれなくなったとき、自然を打ち倒すものを願ったの。それがこの世界で初めての神、ゼニサス。ゼニサスは人の願いに応じて自然を統治したけれど、そのとき同時に人間を恐れた。神は自分の力を理解していたからね。こんなに恐ろしい力、神を生み出す人の願いを放置できなかった。だから宗教を作って願いの一元化を図ったんだけれど、これがうまくいきすぎちゃってね。自分には抱えきれない、叶えられない願いまで受け取る羽目になって計画は破綻。結局他にも神を生み出すことになっていまい、神話大戦と呼ばれる大きな戦争を起こしてしまった」
リンゴは知られざるこの世界の歴史に思わず息を呑む。それはディアナにも教えられていない、この世界の歴史書にも出てこない歴史だった。
そもそもこの世界の歴史は神が死んだあと、ほんの百年ほど前のことからしかないので随分薄いとは思っていたのだが、まさかこんな事になっているとは思っていなかった。
「戦争は終わって神への信仰は薄れたけれど、それでもまだまだゼニサスの元に人類のデザイアはたまり続けていた。神は同じ過ちを繰り返さないために人類のデザイアを貯めるだけの器『神座』を用意した。というところ話を戻すけど、この歴史が隠されているのはゼニサスが神を辞めたときにすべての歴史をデザイアで封印したからだよ。まあ当然だよね。そうしなければ神がせっかく捨てた神座をすぐに取り戻されて、ゼニサスの自由で気ままな人間ライフが送れなくなってしまう。でもこの捨てた神座に世界の管理権までくっついていて、今大変なことになっているってわけ」
「それは、なんというか自分勝手が過ぎますね……」
「でもそれが神の望んだ人間というものだから。ともかく世界の秘密とは、この世界をまるごと支配できる権利と力がその辺の何処かにセットで捨てられているということさ」
なんとも話の規模が大きすぎてにわかに信じられなかった。だってそうだろう? 他の世界ではまず願いを叶えるのに宝をいくつも集めたり、大人数で殺し合いをしたりしているのに、ここではまず願いが叶うところから始まる。
そのうえでもっとも重要なものが、雑にもほどがある扱いを受けている。
「ただでさえ願いが叶う世界だと言われているのに、そんな神に等しい、いえ、神をも超える力が雑に落ちているだなんて……なんて言ったらいいのか……」
「その気持ちはわかるよ。わたしだって事実を知ったときにはどれほど驚いたか」
「それもそうなんですが、私はこの世界のことが知りたいと思ったんです。なのにいきなりとんでもない秘密を教えられて、正直困惑しています……」
「でもこれでこの世界のことがわかっただろう? あんなに熱心にこの中継基地を見つめていたんだから、これくらいはサービスしないと。それとも、知りたかったのはグルメ情報かな?」
グルメ……魅力的だけど、今のリンゴはそんな気分になれなかった。しかしそう言われると、自分の知りたかった世界のことがなんなのか、自分でも明確にはわからない。
私は世界のことを知りたいと願った。そして今それが伝えられた。ならば、これが私の望みだというのだろうか。本当にこれが正しい答えなんだろうか。
確かめる術は、神座を見つけ出すしかないというのに。
「ルナさん。今更ですけど、なぜ私にこんな重要な情報を教えたんですか? これが私の願い、デザイアだからですか?」
知りたいと願ったかもしれない。だとしても本来それはいくつもの段階を踏んで、順番に得られるからこそ達成感のある願いだ。
計算問題の解き方を聞いたのに答えだけを教えられても、それでは私には何も残らない。
「なぜ私に、か。聞いちゃったね? なら教えてしんぜよう」
芝居がかった動きで丁寧にお辞儀をするルナ。その三日月のような笑みから出てきた答えは、私を更に困惑させた。
「君はね、奥村リンゴちゃん。ディアナに所有させている人造勇者発生機から産まれた奇跡のエラー品、神の器だったんだよ。だからわたしが直々に改造した。機械仕掛けの神、デウス・エクス・マキナ。どこかで聞いたことはないかな? 君の魂は間違いなく日本人だが、その身体は機械の神そのもの。だから君が何かを願えば、大抵のことは叶ってしまう。そんな都合のいい能力なのさ」
◆
聞くんじゃなかったなあ。ため息をつきながら、あの日の選択をリンゴは今でもに思い出す。
ルナが用意した何万ものクローンを用いたデザイア統合実験。神が人類のデザイアなら、同じ手法で人造の神を作り出せるはずだという、思いつきで始まった実験。
その完成形が人造の神、デウス・エクス・マキナのデザイアを持つ私というわけだ。
「神って言ったって、中身はただのコスプレ女子高生ですよ? 誰がそんなのを信じるんです?」
正直今でも自分が神だと信じられないでいるが、それでも他人より優れたデザイアを持っているのは事実であり、これだけ万能にこなせるなら神だと言い張っても文句は言われないと思っている。
ちなみに今日は海に来ているのでスクール水着だ。実物は見たことのない旧白スク。こんなことにばかりデザイアを使っているから神らしくないのだろう。
『センサーに魔力反応あり。二時の方角、距離4万。ダンジョンです』
そんな考え事をしていると、普段は返事をしないメインコンピュータの人口音声から報告が上がった。
リンゴが今座っているのは、ルナに造るように言い渡された海洋探査兵器ノーチラスのコクピットの中だ。全長200メートルを超える潜水艇だが、その正体はリンゴのデザイアによって生み出されたドローンであり、リンゴの居るコクピットは後付のものだ。
『距離2千まで接近。待機します』
「うーん。入り口が小さすぎてこのままでは入れませんねえ…… 仕方ありません。私だけで行きますか。ノーチラスはこのまま待機。魔物等、敵対勢力への攻撃行動は反撃のみ許可。こんな海でこんな金属の塊を攻撃するとは思いませんが。それから1時間毎に定時連絡をしてください。こちらからの反応がなければルナに報告を」
『了解しました』
神だと言われているのに、雑用みたいなことばかりやらされている。
もう一度ため息をついて、リンゴは暗い深海に飛び込んだ。
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