2.5-2 フィローと最後の神
◆フィロー
「なぜオレの名を知っている?」
フィローを睨むアロハ男のこの反応、やはりこいつがゼニサスで間違いないのだろう。
「何故も何も、これを書いて回ったのはお前自身だろう?」
ゼニサスは睨んでこそいるが、そこに悪意や敵意のようなものはないためフィローは気圧されない。コトートは少し緊張しているようだが、フィローは気にせずに彼のカバンから例の書きかけの依頼書を取り出す。
「古代文字で書かれた依頼書だ。依頼者の名前はゼニサス。これを書いていたところを見ているやつは何人もいる。みんな口を揃えて派手な格好の半裸の男だと言っていたぞ」
「派手な格好の半裸の男はお前も一緒じゃないか? つーかゼニサスって誰なんだよ。こいつはヴェルだぞ?」
メリーが余計な口を挟むが無視して続ける。
「ヴェル? まあ名前はともかく、俺はこの依頼書の謎を追ってここまで来たんだ。同時に複数のギルドで見つかった古代文字の依頼書。それを書いていたやつが、どうも俺の知っている人間のような気がしてな。ただの勘で初めて俺がこの世界に来たこの場所に来ればなにかあると思っていたんだが、ビンゴ、ってわけよ」
「へえ…… それはギルドの実力が知りたくて気まぐれで書いてみたんだけど、やっぱり途中でやめたんだ。でも読める人間は残っていたんだね。なかなかやるじゃないか」
ゼニサスは表情を崩し、胡散臭い貼り付けたような笑顔に戻る。
「いや、これを読めたのは俺だけだ。歴史研究ギルドっつー神殿やら遺跡やらの資料を集めてる連中もいるんだが、そいつらには解読できなかった」
「ふぅん? もしかしてそれを読めたのも勘か?」
「いいや俺にははっきりと読める。神殿の壁画も、集められていた資料の文字も、きちんと解読している。あんたが何者なのかも、俺は知ってるぜ?」
「なあ、私にも見せろよ」
「あ、おい」
ゼニサスが現れたことで置いてきぼりになっていたメリーは、フィローから依頼書を奪う。同じ依頼書は何枚もあるし、それ自体は複製なので奪われても困らない。見た目の年齢よりも落ち着きがないやつだと飽きれたが、その後に続く彼女の言葉にフィローは驚いた。
「……さっきから読むだの解読だのと言ってるが、この紙に書いてあるのは絵じゃねえのか?」
「は? お前読めないのか?」
「いやいや、こんなデフォルメされた動物のスタンプみたいな落書きが文字なわけなくない?」
「あのなあ、この文字はこの絵ひとつで文章を現してんだよ。めちゃくちゃ複雑な漢字みたいなもんだ。この下の部分が人を指していて……ってことは、お前本当に読めないのか?」
「そう言ってんだろ? 逆になんでお前これ読めるんだよ。お前の話ではお前しか読めないんだろ? なんでそれがあってるってわかるんだ?」
メリーには読めない? そこでフィローの中に新たな疑問が浮かぶ。
そもそも彼がこの文字を読めたのは、自分が異世界から来た人間だからだと思っていた。よくあるゲームやマンガの設定として、世界そのものから知識を得るというやつだ。
しかしフィローがそうだと思いこんでいた前提は、同じ異世界である日本から来たメリーの言葉によって否定される。
彼女にはこの文字が読めない。冷静に考えれば世界を移動したからと言って、文字や言葉をそうすんなりと得られるはずがない。日本に居た頃ですら日本語に英語、伊独仏葡露中韓印…… いったいどれだけの文字と言葉が存在したのか。少なくともフィローは、それらを異世界から来たくらいですべて覚えて自在に扱える自信がない。
この世界で一般的に普及している文字と言葉はバベル文字と呼ばれる統一された言語だ。冷静に考えるとその文字は日本語や英語やその他の言語の混ざったもの、つまり現代日本の言葉にかなり近い。
だから言葉に違和感を感じていなかったのだが、異世界人同士の古代文字の認識の違いによって、彼の信じていた前提が崩れる。
彼女の言うとおりだ。なぜ俺はこれが読める?
そもそも、なぜこの世界はこんなにも異世界人に都合がいいようにできているんだ?
「……なるほど。メリーの言うことももっともだ。他の人たちが読めていないなら、それが正しいとは言いきれない。なぜ君は読めて、それが正しいと確信したんだ?」
「確かに……勇者の言うことには基本的にみな従いますが、なぜ誰も疑問にも思わなかったんでしょう」
ゼニサスの言葉にコトートまで首を捻り、フィローがそれを横目に睨む。
「ちっ、俺は主人公だぞ? 読めて当然だ。お前も惑わされるな。いいか、その紙にある依頼者の名前はゼニサス、依頼内容は神座を探せ、だ。あってるだろ?」
フィローはゼニサスを睨むが、彼は腕を組んでにやりと口を歪めるだけ。先程この名前に反応したことからも少なくともゼニサスは古代文字を理解しているはずなのだが、その態度がフィローを苛立たせる。
「じゃあこっちだ。これは……どこの神殿かは知らないが神についての壁画だ。そいつは美を司る神だったが、人間の作り出した造形物に嫉妬し、それを司る鍛冶の神を嫌って武器を壊し回っていたとある」
「ふは、懐かしいな。生きものの美しさと造りものの美しさを同一視したアウラは、最終的に究極の美を太陽に見出してそれを取り込もうとし、焼かれて死んだよ。あの時は誰もが息を呑んだね。それはそれは、本当に美しく燃え上がっていた。でもそんな愚かな彼女のおかげで人間はこの世界の外側を認識し、太陽を司る神を得た。まあ、その太陽の神は7人くらいいたしもうみんないけどね」
くつくつと笑うゼニサス。それは初めて聞く情報だったし、ここには書かれていない神の名前まで出てきた。やはりこいつが最後の神ゼニサスで間違いないだろう。
「見たところ君の持っている資料は随分あとのものばかりのようだ。ということはオレたちがほとんど去ってからの、言いたい放題書かれていた頃のもの。自ら座を降りたオレが言えた義理じゃないが、それでも仲間の醜聞は聞くに堪えない」
「なら、やっぱりお前が書いて回ったんだな?」
ゼニサスは大げさに頷いて笑みを深める。
「そうだ。知っているだろうが、改めて自己紹介しよう。オレはゼニサス、ゼニサス・ヴェルドシール。人より出て人を統べ、人に憧れて人になったアロハの似合う色男だ。ヴェルドシールはポロニアでの、人間としての名前だ。気軽にヴェルと呼んでくれ。むしろゼニサスと呼ばないでくれ」
「マジかよ。ヴェルにそんな名前があったのか」
隣りにいたメリーが驚いた表情でゼニサス、いやヴェルの顔を見上げている。
「なんで一緒に居て知らなかったんだ?」
「お前さあ、ヴェルって名乗られて他に名前はないのかって、普通確認するか?」
「普通はしないですね」
「コトートお前…… まあ確かに俺だって偽名みたいなもんだからそれはいいとして、話を戻すぞ。俺はこの古代文字で書かれた依頼書の謎を追ってここに来た。そしてその依頼者がここに居た」
「書きかけだけどね」
「ヴェル。俺はこの神座ってものがどれだけヤベえものなのかを少しは分かってるつもりだ。そのうえで聞くが、なぜそんなものを探させる? また神に戻るつもりなのか?」
「は? ヴェルお前、神だったのか?」
フィローの問に、ゼニサスは芝居がかったように首を振って肩を竦める。
「元だけどね。でも元神だから言わせてもらうが、神になりたいなんてやつはイカれてる。オレはもうあんな退屈な日々は懲り懲りだ」
「ならなぜだ? 退屈かは知らねえが、そんな気軽に表に出していいもんじゃねえだろ?」
「なんというかフェアじゃないと思ったから、かな? 勇者になった君なら知ってると思うが、ここも含めてダンジョンとはこの世界ではない何処かの世界の残滓だ。オレが神だった頃にそんなものはなかった。ということは神が居なくなったせいで発生した世界の不具合だと言える」
歴史研究ギルドのロットがそんなことを言っていたな。神が居た頃にはダンジョンはなかったと。
「……聞いたことがあります。ダンジョンは不安定に動き回る世界が、他の世界に接触してできた傷跡のようなものだと。そして魔物はその傷を維持するためにこの世界から魔力を奪う害獣だとか……」
「それ正解。でその傷が生まれないように世界を安定化させるのが神の仕事ってわけだ。正確には、神の仕事になっていたって感じだけど、それは今はいい」
「ぱっと聞いただけじゃ確かに面白くなさそうな役割だが、それを差し引いても神ってのはすげえもんだと俺は思ってるぜ。それがフェアじゃねえってのは何の話だ?」
神とて世界を治める存在だ。面白いことばかりではないだろうが、それをするだけの力があるのもまた事実。フィローはこの勇者生活が飽きたら権力者になり、遊んで暮らすつもりでいる。神はそのライフモデルの最上位形だと勝手に考えていた。
「今この世界には、この世界の神になりたがってるやつがいる。それも1人や2人じゃない。君は海竜魔王と戦っただろう? あんな思想の奴らが、挙って神を目指している」
「マジかよ。だがそう簡単に神にはなれねえだろ? ……だからか。そのための神座か?」
「正解。他のみんなはそれを知っているのに、神に最も近い人間がそれを知らないのは不公平だとオレは考えた。……読めたのが君だけだったというのは予想外だけどね」
◆
元神から聞いた書きかけの依頼書の謎。
結論から言えば、それは神になるための生存競争に出遅れている人間へのフォローだったらしい。
かと言って神座の場所やそれがどういったものなのかというヒントは聞くことができなかったので、人類が有利になったという訳ではない。
あくまでスタート地点を揃えただけなのだと元神のヴェルは語った。
「……それはいいとして、なんでこんなところでバーベーキューをしてんだ?」
「メリーから夏には集団で開放的な立食パーティーをする文化があると聞いていてね。一度試してみたかったんだ。こんな風に調理しながら食べるなんて初めてだよ!」
「居雀家特製焼きそばいっちょ上がり! フィロー、焦げちまうから早く皿に盛れ! 次は肉行くぜ!」
「酒買ってきやした! シャポリダ名物塩レモンジュースもありやすぜ!」
「おう、気が効くじゃねえか!」
「…………ォゥ!」
コンダラ三兄弟もすっかりメリーのパシリにされて両手に荷物を抱えて戻ってきた。
コトートはブロック肉をいい具合に切り分けて串に差し、メリーがそれを焼いていく。食べているのは現在ヴェルだけだ。
「このできたての焼きそばはいいね! 何度か屋台のを食べたが、それとはまた違った味わいがある」
「私のは麺が違うんだよ、麺が。そのへんの屋台の輪ゴムそばと一緒にしないでほしいね! そら、串焼きももうできるぜ!」
「んーっ、これはいい羊肉だ! 柔らかくて口の中で溶けるようだ。コトートと言ったな。君もオレのシェフに加えたいくらいだ」
「ヴェルさん! グラスが空いてやすぜ! ささ、もういっぱいどうぞ!」
ヴェルは本当に神だったのか怪しいぐらい人に馴染んで食事を楽しんでいる。今はその顔に貼り付けた営業スマイルはなく、本当に楽しそうに微笑んでいた。
「フィロー、それに他のみんなも好きに食べ、飲んでくれ。オレだけが楽しんでいたら貴族の食事会と変わらん。冒険者流の騒ぎ方をぜひ見せてほしい」
「もちろんでさあ! 騒ぐのは得意ですぜ!」
「そのために酒を樽で用意しやしたからね!」
「…………ォゥ!」
「俺はあんまり騒いで食うのは苦手なんだよ。なんつうか、行儀が悪い。お前らも食ったまま喋るなよ」
フィローがそう言ってコンダラたちに注意をするとメリーは吹き出して笑う。
「ぶはっ、お前マジか。そんな悪の中ボスみたいな入れ墨入れまくってて行儀とかマナーとか、どの口で言ってんだ? ウチは居酒屋だったけど、客同士で殴り合うのは普通だったぜ?」
「へえ、メリーさんは酒場やってたんすか! 確かに冒険者は酒が入ったら喧嘩は殴り合いと相場が決まってますからね!」
「お前の店治安が終わってるだろ。しかしギルドの酒場じゃ見なかったが、そういうもんなのか?」
「ギルドの施設は酒場だろうと賭場だろうとギルドの監視がありますから、あっちはお上品な冒険者向けッス。オレたちみてえなガクのない田舎冒険者はすぐに手が出る。だからそんな店には居ないんですわ」
ああ、なるほどとフィローは頷く。なんだかんだ言ってフィローはパトルタから過保護にされていたのだと悟った。こっちに来てからのオトナな遊びはだいたいパトルタが案内していたし、その殆どがギルドの施設だった。
酒は性に合わなかったので一緒にやる機会は少なかったが、彼だけで呑みに行くときはフィローたちとは別行動だった。
ふと大柄な老人の笑い声が聞こえた気がした。
「もっと飲んどけばよかったな……」
「フィローさん、なに言ってるんすか! まだまだありますよ!」
コンダラが笑って取り出す冷えたビール瓶。いつもは苦手なアルコールが、今日だけはうまい気がした。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
よろしければブックマーク、いいね、ご意見、ご感想、高評価よろしくお願いします。