2-24 デウス・エクス・マキナ
今回で第二章は完結となります。
◆セリア
海竜魔王リヴィヤタン襲撃事件から3週間。国の中枢はまだまだ完全復活とはいっていないようだが、街は活気を取り戻しつつあった。
「ギルドへの報告もこれで終わり。ようやく開放されましたねー。氷菓子でも買って帰りましょう」
ワトラビーは明るく振る舞っているが、私の気分は未だに晴れていない。
今回の事件、勇者が10人以上居たにも関わらず、冒険者を含めた死者行方不明者の人数はシャポリダ全体で1万人を超えている。たとえそれが人口の1%に満たない数字だったとしても、目の前で失われていった人数は数え知れない。
「下ばかり見ていても何もありませんよ? 勇者は常に前を向いて居なければなりません」
「……わかっています」
「助けられなかった人たちよりも、助けられた人たちを見てあげてください。セリアさんが大地を斬らなければ、今歩いているこの場所には、誰も居なくなっていました」
ワトラビーの言うことは正しいのだろう。あの時あの方法以外で、空から降り注ぐ海を防ぐ手段はなかった。
だがその裂け目に流されて落ちていく冒険者を見捨てたのも、また事実だ。
きっと全員の意識が失われていたわけではない。全員の命が失われたわけではない。街に流されていれば、あるいはどこかで引っかかって助かったかも知れない。
夜になる度に、瞼を閉じる度に、その光景が脳裏に蘇ってくる。
自分は生きているのに、なぜ彼らは死んでいったのか。
彼らを救えるような勇者になるのではなかったのか。
どれだけ自問しても、答えは出ない。
「よう嬢ちゃん。あんた本当に勇者だったんだな」
ぼんやりと道を歩いていると、露天商に声をかけられる。それは初めてこの町に来た日にジュースを売っていた屋台の男だ。
「あなたは……」
「この街を救ってくれて、ありがとうな。ギルドの連中は逃げろ逃げろと言っていたが、俺たちには魔王ってのがどれほどの危機かわかっていなかった。……本当に、心から感謝する」
「……いえ……その、ご無事で何よりです……」
感謝の言葉を口にして頭を下げる男に、どう返せばいいのか分からなかった。
私の中では、この街を救えてはいない。それなのに感謝されるのが、どうにも後ろめたかった。
「こいつはほんの気持ちだ。受け取ってくれ」
「そんな……売り物を頂くわけには……」
「今日は流石に仕事中じゃねえだろ? いいから持って行ってくれ」
それはいつか断った蜂蜜酒。決して安いものではなかったはずだが、断っても彼は差し出した手を戻さない。
「はいはーい、ありがとうございますー。私が代わりに持ちますねー?」
「お? 男装の勇者にエルフの勇者付き。格好いいねえ!」
いつまでもそうしていると、先に行っていたワトラビーが戻ってきて蜂蜜酒の瓶を受け取る。
「受け取ってくださいよセリアさん。あなたがどう思っていようと、彼らの評価だけが勇者の判断基準です。さ、行きましょう。ありがとうございましたー!」
思えば、助けた人からの感謝をきちんと受け止めたのは初めてかも知れない。
それは勇者になる以前、勇者付きの頃から。もっと言えばその前のギルドの訓練学校にいた時から、助けることは当たり前であり、そこに見返りを求めてはいなかった。
だから、何かが返ってくるなんて考えたこともなかった。
ワトラビーに手を引かれ、気がつけばホテルの部屋に戻っていた。
彼女が受け取った蜂蜜酒は早々にグラスに注がれ、目の前に置かれる。
「昼間から酒? いいご身分ですね」
「リィンさんにも飲む権利が、いいえ、飲む義務があります。これはセリアさんが助けた街の人から貰ったお酒です。勇者として、そのメンバーとして、感謝の心を味わってください」
「ふむ? ならば頂くとするか」
ワトラビーは合計4つのグラスに酒を分け、そのひとつを高く掲げる。
「セリアさんたちの勝利を祝して。そして街の復興を願って。乾杯!」
勝利だけなら、きっと私は口をつけなかっただろう。だが街の復興を願われたなら、それは飲まざるを得ない。
「……乾杯」
「「乾杯」」
澄んだ琥珀色の酒は思ったよりも軽やかで、舌の上に優しい甘さが染み渡っていく。
助けられたものが返してくれたこの酒は、助けられなかったものだけを見つめて凍えていた私の心臓を温める。
勇者の肉体を持つこの身体は酒に酔えない。だからそれは錯覚に過ぎない。
それでも、ああ願わくば、散っていった同胞たちにも安寧がありますように。
そんな祈りを抱いて、微睡みに意識を預けていった。
◆リンゴ
「……以上が復活魔王5号、リヴィヤタン襲撃事件に関しての報告になります」
得体の知れないクリスタルで包まれた広い部屋。映画でよく見る使い勝手の悪そうな長テーブルに着く面々の顔を見てから、リンゴは頭を下げて着席する。
「はい報告ご苦労さま。初めての任務、初めての実戦、緊張したでしょー? 彼女は新人なんだから、もっとチヤホヤしなきゃー。みんなも拍手してあげてー?」
ルナは大げさに振る舞い拍手を促すが、それに反応するのは1人も居なかった。そもそもルナ自身も拍手などしていない。
「ノリが悪いなー?」
「ひとつ確認するが、魔王の使いを名乗るロワンはまだ生きている。これは間違いないんだな?」
「……ええ、はい。相対していた者が取り逃がしたと。致命傷となるダメージを与えたそうですが、泡になって消えたと……」
学ランのような軍服を着込んだ男、エミニアの勇者ルアクの問に落ち着いて答えを返す。ルナ曰くここでは彼と自分は同僚だそうだが、私は新参。彼はだいぶ古参だそうで、その話を聞いた時に報告書を押し付けようとしていたことを後悔した。
答え終わると同時にルナの隣に座っていた女性が笑う。隣と言っても席同士の間隔は空いているが。
「ふふふははは。水死体が泡になって消えた? 海から現れたものが海に還るのは、いったいどこの話だったかな?」
「人魚姫じゃない? よく覚えてないけど」
彼女も現代の知識を持った人物なのだろう。会議の前にルナからミスカカオだと紹介された彼女はその名のとおりに濃いチョコレートのような肌をしていているのだが、その髪と目はイチゴとブルーベリーを煮詰めたような紫色だ。もしゲームに出てきたら確実に毒属性だと言い切れる。
ちなみになぜかセーラー服を着ているので、ルアクと合わせて立っているとどこかの学校のようにも思える組み合わせだ。
なお私も今日は学級委員長スタイルでブレザーを着ているため、あまり人の格好を言える立場にはない。
「魔王が死んでいるのに生きているということは、直接の支配下にあったわけではなさそうですね」
「ああ、それなんだけど、魔王とその魔王の使いって特に繋がりはないっぽいよ」
ルアクの膝の上に座る銀妖精アイの言葉にルナが返す。彼女もまたエミニアの勇者であり、リヴィヤタンの魂を消し去った最終報告者だ。どうやったのかは聞かされていないが、他の面々はその報告だけで納得していた。
「そうなんですか?」
「うん。アウトナンバーズを使って実験した。魔王はゼニサスによって封印されていた存在ってとこまではみんな知ってると思うけど、やつらは所詮神に負けた魂に過ぎない。復活と言っても魂だけで彷徨いてる。そんな力のない魔王にはどうしても自分の手足となって動く存在が必要だ。それが魔王の使い」
「そこまでは前々回で話した推察どおりですね」
「だけど魂しかない雑魚が、いったいどうやって強力な能力を持つ魔王の使いを用意しているのか不思議で仕方がなかった。んで実際に魔王の魂に引き合わせてみたら、これがもうがっかりだよ。魔王は人間の欲望を掻き立てるように振る舞うだけ。じゃあどうやって能力を? 答えは簡単。デザイアだ。ただし肉体と魂の限界を超えちゃってるから、その辺は魔王、というより魔族の技術っぽいけどね」
雑談のように話すルナだが、それはギルドにも知れ渡っていない危険な情報だ。もしその情報が本当なら、冒険者や勇者は、いや全ての人間が挙ってそのデザイアを手に入れようとするだろう。
「強力な能力をそいつ、魔王の使いは魔王のおかげでそれが手に入ったと思っているから、勝手に信奉者になるってわけ。実際にはデザイアだから魔王との服従関係はなし。私も用意したアウトナンバーズに裏切らせたらあっさり裏切れたし、魔王もそれは理解しているのか諦めて消滅したよ」
「魔王の魂は私にくれる約束では?」
「……てへ」
「笑って許されることではありませんよ? 神話の時代の魂はレアなんですから、どんな雑魚でも役に立つんです!」
おどけて笑うルナの頭をポカポカと叩くアイ。光景だけなら微笑ましいものだが、その会話の内容は危険極まりない。
「見苦しいぞ時女神。月女神の、その破片に消される程度の魂など有象無象に過ぎん。木を見て森を見ず。魔王などに拘らず好き勝手に食い散らかせばよかろう」
「私は正しい神になるんです。あなたとは対極の、善なる神です。良い神は無闇に魂を食べません。あくまで、悪の存在を散らしているに過ぎないのです。なので神になる過程であろうと、悪行に手を出すわけにはいきません」
「はっはっはっはっは……! 善の神とは笑わせる。私を悪の神とは片腹痛い。私を呼び出したお前らの行い。よもや忘れたとは言わせんぞ?」
「またその話ですか。忘れるはずがありませんし、当然覚えていますとも。それに彼らはみな、わたしたちの中で生きています。今から全員の名前を呼びましょうか? その度にあなたの口から返事が聞けることでしょう」
「はいはい、その話はもうやめー! リンゴちゃんが困ってるでしょう?」
ミスカカオとアイの間に不穏な雰囲気が漂っていたが、ルナがかき消す。
「話を戻しましょう。えーと魔王の話はどこまでしたかな?」
「魔王と、その使いに関する話題から逸れた。戻すのならリヴィヤタンとロワンの関係性が適当だろう」
「ああそれそれ。ルアクは記憶力がいいね」
「報告書を読む限りロワンは死体だった。シャポリダの王の話が事実なら70年以上前の人物らしい。となればリヴィヤタンによって能力を得たと言うには無理がある。死体は何も願わない」
それはリンゴも気になっていた点だ。最初ロワンはリヴィヤタンによって蘇らされていたシャポリダに恨みのある人物だと思っていたのだが、ルナの話では開放された直後の魔王たちにそんな能力はないらしい。
リヴィヤタンがどこかで力をつけていた可能性もあるが、それならそれでロワンの強力な能力の数々の説明がつかない。
「フィローという勇者が確認した遺跡の壁画には、リヴィヤタンが水死体や海の魔物を操るとあったそうですが、それにしてはロワンの能力は少々強すぎる気もします」
「んー。70年前ならデザイア黎明期だから、何かを願って生きていたというのは十分に考えられるかな。もしくは願ったけれども死んでしまい、蘇って更に限界を超えて強化された……とか?」
「……海にも穴は開くの?」
それまで沈黙を守っていた上座に座る少女が口を開く。
彼女はエミニアの女王。夜空のような長髪を床に広げ、銀河のような瞳は一切瞬きをしない。この場において一番目立つはずなのに、最も存在感のない奇妙な存在だ。
「ええ、ええ。ダンジョンのことなら、可能性はありますよ女王陛下」
「なるほど。ロワンは海底のダンジョンに居た可能性もあるのか」
ルナの返答に納得したように頷くルアク。
「不快」
「わかっていますとも。そのために今新型の海洋探査兵器を開発中ですから」
「……」
「くくく。自分の手元にありながら、その果実が蝕まれるのがそんなにいやなら、さっさと喰らえばいいものを」
「……うるさい」
ミスカカオが嘲笑すると、エミニアの女王は不服げに頬を赤らめて手元にある紅茶に視線を落とす。
「早く滅びればいいのに」
「そんな物騒なことは言わないでください女王陛下。それに後10億年もすれば勝手に滅びますよ」
「悠長よな。それに月女神よ。お前の来た未来ではあと100年もしないうちに滅びたのではなかったか?」
「黙れ混沌。そうさせないために、わたしはここにいるのよ」
また殺伐とした雰囲気が漂い始めたところで、アイが呆れたように口を開く。
「……この辺でお開きにしましょうか。帰りましょうルアくん」
「そうだな」
この世界ではまだ実用化出来ていないことになっている転移魔導具で消えていくアイとルアク。
「え、ちょっ、そんな感じなんですかコレ?」
「だいたいいつもこんな感じよ。まあ魔王に関しては報告もしたし、わたしたちも帰りましょ」
ルナがリンゴの肩を掴み指を鳴らせば、そこはギルド本部のルナの私室だった。
「あー疲れた。リンゴちゃんもおつかれー」
「……なんというか、いつ戦いが起きるのかずっと冷やしやしてましたよ……」
「あそこのメンバーで? 戦いなんて起きない起きない。ああ見えてカカオも女王陛下もこの星が大好きなの。じゃれ合ってるだけだからさっさと慣れてね」
「そんな無茶な……」
緊張の糸が切れ、リンゴは寝そべるようにソファへとダイブする。
「……そう言えば、海底のダンジョンを探すための海洋探査兵器って、すごいですね。いや人工衛星も十分すごいんですけど、私がいた現代でも宇宙より海のほうが研究が進んでいないって話もありましたし」
ふとルナとエミニアの女王の会話を思い出す。兵器というのは気になるが、地球とほとんど変わらない上に凶悪生物が出るこの世界で海洋探査とは想像もつかなかった。
「ああうん。あれはウソ。今からって感じかな」
「…………ええぇぇ?」
ルナはにっこりと笑ってタブレットを取り出す。そこに表示されていたのは、いつか見たマンガに出てくるような人型兵器。
「いやあ、設計自体はあるんだけど。どうしても後回しにしていてね? でも急かされちゃったらやるしかないね。というわけで期待しているよ? デウス・エクス・マキナのデザイア能力者、奥村リンゴちゃん?」
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