2-22 還る者たち
◆リィン
血が抜けすぎて身体がふらつき、気を抜けば意識を失いそうだ。
しかし意識だけは鮮明で、時が止まったかのように相手の動きがよく見える。
「シッ!」
床を滑るようにロワンとの距離を詰める。リィンは気がついていなかったが、彼女が一歩踏み出す度に足元がガラス化し、ロワンの魔術による床の水没化を無力化していた。
「どういう原理だクソが! これだからデザイアってやつはよお!」
明らかに先程よりも動きがいい。三流棒振り剣士だった勇者気取りが、今はまるで歴戦の剣豪だ。ロワンは回避こそできているものの、それはただ単純に後ろに下がっているだけであり、反撃のタイミングは完全に失っていた。
(どうする? 時間がねえってのにここに来てこの動き。そもそも深海歩きの呼吸術が効かなかったやつは初めてだぞ、おい!)
「お前たちの野望は、ここで斬り刻む! 舞え、セントグラス!」
リィンが聖剣を振るう度に飛び散っていた彼女の血。勇者の心臓から溢れたそれは、彼女の言葉とともにガラスの刃へと変化し、ロワンへと殺到する。
「ちぃっ!」
あらゆる方向から飛来する刃を完全に回避することは不可能。そう判断したロワンは魔力を海へと変化させ自身の周囲に展開するが、小さな刃であったも飛んでくるのは聖剣だ。ロワンの防御を容易く切り崩し、彼の崩れた皮膚を斬り刻む。
「ああ、クソ! クソがあ! もう身体が持たねえぞ、おい!」
「ここで倒れろ!」
セントグラスによる神速の突き。全身のバネを利用した見えていても回避ができないリィンの全力の攻撃は、ロワンへと吸い込まれるように命中し、
「時間切れだ。次は必ず沈めてやるぜ!?」
しかしその崩れた水死体の身体に、彼を構成する重要な要素は何もなかった。
ロワンは忌々しそうに口元を歪め、泡となって消えていく。あとに残されたのは少量の海水と、彼が回収を諦めた右腕の破片だけだった。
「……逃した……? うっ……!」
敵が居なくなった。ロワンの反応が周囲にない。それを悟ったリィンは突然胸を抑えてうずくまる。張り裂けそうなほどに鼓動していた勇者の心臓が、敵が消えたことでその限界を超えた活動を停止し、平常時に戻ろうとしている。
それはつまり限界を超えて動いていた、否、動かされていた彼女の肉体が止まるのと同義であり、気がつくとリィンは床に倒れ伏していた。
(……そう言えば、胸に穴が空いてたんだっけ……)
心臓の鼓動に合わせるように、胸に当てた手に血が溢れているのがわかる。身体は急に寒くなっているのに、腕だけが妙に温かい。
(ここで死ぬの……? まだ、私の夢には何もできていないのに……)
瞼を閉じれば勇者であった父の厳しくも優しい微笑みと、無邪気な弟の笑顔が思い出される。ああ、それはダメだ。死期が近い人間が見る幻想だ。
私は、彼らのために生きることを諦めるわけにはいかない。
重い瞼を必死に開き、そこで目に入ったのはセントグラスの刃を発生させるために使っていた柄。今はガラス剣ではないそれを見て、はっと思い出す。
リィンは勇者の心臓はガラス剣セントグラスを作り出すだけのものだと思っていた。だが先の戦闘では剣から離れた血液を刃に変えていた。そもそもこの身体が一番最初に作り出したのはガラスの剣ではない。
キュリアスに初めて出会ったあの日、あの執務室でのこと。彼女の黒い魔力に襲われた私の胸には、忌々しくも美しい花が咲いていた。
薄れゆく思考で思い描くのは、名も知らないガラスの花。リィンは残されたすべての魔力をかき集めデザイアを起動する。
「……セント、グラス……」
彼女を沈めていた血溜まりを中心に、ガラスの睡蓮が咲いた。
◆リンゴ
『復活魔王5号、リヴィヤタンの消滅を確認。別命なければ帰投するが、そちらの報告は?』
通信用の魔導具、とは名ばかりの衛星電話での通話。相手はルナの命令によって秘密裏に待機していた勇者だ。
「お疲れ様です。てっきり私は海に流されるかと思っていましたが、何があったんですか?」
リンゴは自分が今も生きて防衛隊司令部の椅子に座っていることが不思議だった。ドローンでの直上からの映像では確認できず、他のドローンを城に向かわせたときには既に海は殆ど残っていなかった。
『……城そのものは何らかのデザイアや魔術によって保護されていた。その後も降り注いだ海は城壁外部を押し流したが、別の勇者が地面を分断、海はその裂け目へと誘導された』
「あー…… あの割れた大地はそういうことだったんですね……」
リンゴはドローンで確認した大地の割れ目を思い出す。昔見たディザスタームービーのような空から降る津波を、ヒーロー映画のような力技で解決するとは、つくづくこの世界のデザイアという能力はイカれている。
『それよりもそちらの状況は?』
「侵入者の反応はなし、カメラにも映りません。んー……侵入していた海はすべて引いていますね。中は水死体だらけですが、ああ、王さまは生きていますよ」
『侵入者……魔王の使いはどうなっている? 反応がないというが、死体は?』
「今ドローンを操作しているんですが、んー? ガラスの棺に入ったお姫さまは居ますけど、ロワンの死体は見えませんね」
玉座の間には監視カメラを設置できていないのでリンゴの操るドローンによって直接確認をしたのだが、部屋の中は凄惨な状態になっていた。
先頭の余波によって至るところに斬られた跡があり、豪勢な調度品の数々は尽く破損、粉砕している。レッドカーペットも水没した後に踏みにじられたせいか泥まみれ。その上部屋中に血の跡がある。
そしてもっとも目を引くのが、部屋の中心にあるガラスの棺。正確にはガラスの花が咲き誇る少女とそれを覆うガラスの器だが、どうにも現代で見聞きした童話のせいで棺にしか見えない。
『その魔王の使い、ロワンの死体はないんだな?』
「殺害に成功したかは不明ですが、死体はありませんね」
『……了解した。他になにかあるか?』
「特にないかと。強いて言うなら、報告書と始末書書くの手伝ってください」
『状況終了』
「あ、あーあ。逃げられちゃいました」
一方的に通話を切られ、リンゴはため息をつく。私のためにルナが用意した護衛、エミニアの勇者ルアク。
彼が去ったということは、危機的状況は脱したということなのだろう。ドローンで確認した限りでは国外からスナイパーライフルで状況を覗いていただけにしか見えず、護衛というよりも私を殺しに来た暗殺者のようであったが。
「とりあえず、ロワンと最後まで戦っていたリィンさんの生存確認でもしますか」
◆セリア
大地を斬りつけて作り出した巨大な裂け目。空から降ってきた莫大な量の海は、その裂け目に飲み込まれ元の海へと還っていく。
「これで民への被害は防げたな。間に合わなかったとは言え、勇者の務めとしては及第点だろう」
海水の流れを植物によって捻じ曲げたキュリアスは満足そうに頷いているが、私にはこれが最善だとは思えないでいた。
流れ落ちていった大量の海。その中には逃げ遅れた冒険者が居たのを私は知っている。だが助けることはできなかった。落ちてきた時点で何人もの人が死んでしまっていた。
「……私が間に合えば……いえ、そもそも私が魔王と戦っていれば、こんなことには……!」
「セリア。それは英雄たちへの冒涜だ。彼らの役割はなんだ? 民を守るために戦うことだ。そして彼らは生きて帰らずとも、それだけは成し遂げた。彼らは成し遂げたんだ。それを否定するな」
「しかし……」
きっとキュリアスが正しいのだろう。だが、どうしても納得はできなかった。私の目指した勇者とは、誰であろうと救う勇者だ。その中には、戦場でともに戦う仲間も当然入る。
だが、救えなかった。
「戦わずに死なせたのなら、存分に悔やむがいい。だが戦うことを選んだのなら、そいつはその時点ですでに半分死んでいるのだ。戦場には生きるか死ぬかしかない。理由はどうあれ、彼らはそこに立つことを選んだ。逃げずに戦った。ならば巡りに旅立った彼らを称えこそすれ、救えなかったと嘆くことはするな」
「……」
「納得できんか? ならばそれはお前の未熟だ。せいぜい勇者の力を十全に発揮できるように努力し、次に備えよ」
次。キュリアスの言葉に身が引き締まる。そうだ、これですべてが終わるわけではない。魔王は倒れても、魔物が消えたわけではないのだから。
「姉さーん! セリアの姉さーん!」
声の方に振り返れば、そこには無事だったアーマーメイガスのメンバーたちがいた。今は機動力を上げるためか鎧を脱いでいたが。
「あなたたちは無事だったんですね、よかった……リィンはどこです?」
「それです、その話です! 小さい姉さん、じゃなかったリィンさんは、城に向かったんです! ですがその直後に海が落ちてきて……!」
「!? すぐに向かいます!」
返事をする前には身体が動き出していた。彼女の魔力反応は、微弱だが城にあった。海に流されてはいない。だが無事というわけでもない。そんな状況だ。
そもそも私は、私たちは彼女の護衛だったはずなのに。彼女がやりたいというからこんな危険な作戦に参加させてしまった。それ自体が本来ならありえないことだ。
勇者の力を過信していた。自分も、リィンも。今ほどそれを後悔した瞬間はない。
どうか無事でいて。そう願って一直線に彼女のもとに向かう。
果たしてリィンはガラスの花に包まれ、横たわっていた。周囲は切り刻まれ、血の跡が滲んでいる。余程凄惨な戦いだったのだろう。
「……リィンさん……!」
生命反応が殆どない。呼吸は止まっているし、魔力反応も小さくなっている。どれほどの無茶をしたというのか、勇者の心臓が辛うじて稼働しているという状態だ。
このままでは彼女は死ぬ。誰が見てもそれは明らかだった。
「……絶対に死なせません」
どうすればいいのかはわからない。だがこれ以上、自分の目の前で何かを諦めたくはなかった。
そっと彼女に近寄り、リィンの頭を押さえて顎を持ち上げる。咲き乱れたガラスの花が手や足に突き刺さるが、かまっている余裕はない。一度深呼吸をし、彼女と唇を重ね、魔力を込めて息を吹き込む。
一般的な心肺蘇生術だ。どれほど効果があるかはわからない。だがそれ以外に方法を知らなかった。こんなことなら回復魔術も修めておけばよかった。後悔がまたひとつ浮かび上がる。
2度息を送り込み、リィンの胸に手を当てる。心臓から生えているであろうガラスが刺さるが、これが彼女の生命線だ。取り除く訳にはいかない。そのまま垂直に押し込む。
「還ってきてください、リィンさん! あなたは国を作るんでしょう!? 父の仇を取るんでしょう!?」
何度も、何度も、彼女の心臓が動き出すまで、旨を押し込み続ける。魔力を込めた息を吹き込み、また心臓を押し込む。
「……! ぷはっ! ひゅぅっ! ごほっ、ごほっ!」
「!? リィンさん!」
意識を取り戻した彼女を思わず抱きしめる。ガラスの花が全身に刺さるが、痛みなど気にならなかった。
突然抱きしめられ一瞬何のことだから分からなかった様子のリィンは、それでも不敵に笑い抱き返しながら笑った。
「……ふん、勇者がこのくらいで死ぬわけないじゃない」
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