2-21 リィンvsロワン
◆リィン
『我が半身に住まう愚かな人間どもよ……尽く、沈め!』
海が落ちてくる。
リィンは止まりかけていた足を全力で動かし、城へと向かう。
そこは落下する海に一番近い場所だ。しかし敵の目的が城にあるなら破壊はしないはずだと考えた。予想通り城の周りを水が取り囲み、その衝撃から保護しようとしているのが確認できる。
「でも、入れなければ私は終わりね……!」
足に絡みつく奇怪な海と奇妙な波を振り払い、とにかく走る。リィンにはワトラビーの飛行魔法もキュリアスの翼もない。セリアの空を走る技もない。だがリィンはセリアからその技を教えてもらっていた。
「ぶっつけ本番だけど、ここは空じゃなくて海! 足がつくなら走れない道理はない!」
勇者の心臓の力、その聖剣生成能力の応用による足場の作成。
セリアは剣の柄がなければ聖剣を作り出すことができない。しかしそれは魔力効率の問題でガラス剣全体を作れないのであって、刃だけなら、それも足場にする小さな剣を短時間生成するだけなら、
「! 走れる! 私にも見えない足場を作れる!」
踏み出した足の裏に感じる、ガラスの砕ける確かな感触。リィンは海の上を走っていた。
聖剣を踏みつけているようで少し心苦しいが、そもそも敵を斬るから聖剣なのだ。そして私は今、敵の作り出した海を斬って歩いている。腕で斬るか、足で斬るかの違いでしかない。そう割り切ることにした。
「なにしてるの!? あなた達も早く逃げなさい!」
「わかっちゃいるが、波が絡まって……!」
城壁の外でドラウンデッドと戦っていた冒険者たちにも声をかけるが、彼らの機動力は完全に削がれている。このままでは生存は絶望的だろう。
「嬢ちゃん! 俺たちは置いて先にいけ! 俺たちは冒険者だ! 覚悟はできてる!」
「でもっ……!」
「時間がないのはあんたも一緒だろ!?」
「……っ!」
足を止めることはできなかった。彼らに行けと言われたからではない。彼らを助ける方法が思いつかなかったからだ。
聖剣セントグラスは何だって斬ってみせる。海だろうが魔王だろうが、必ず斬る。だが、斬ったところでどうしようもないものもある。
「う、うううう、ああああああああああ!!」
城壁ごと覆う水の壁。海の魔物も泳ぐそれを全力の聖剣セントグラスで横薙ぎにし、斬り開いた瞬間に城内に侵入する。
直後に衝撃と轟音が場内に響き渡る。海がこの城に降り注いだのだろう。
振り返らなかった。
いや、振り返れなかった。
見捨てた事実を突きつけられるのが恐ろしかった。
「……みなさんの仇は、必ず取ります……!」
水没した廊下には、ドラウンデッドではない水死体が浮いていた。
「……ひどい……」
それは騎士であったり、文官であったり、メイドであったりと様々だったが全員が苦悶の表情で溺れていた。
扉のひとつを開けると、部屋が重力を無視して満水になっており書類や水死体が中を舞っていた。扉が空いているのに水が漏れることはなく、ただただ不気味だった。
「誰か! 誰か生きているものはおらぬのか!?」
「ラガーリ司令官! ここは危険ですから、部屋に戻りましょう!」
上の階から大声で人を探す声が聞こえる。階段を登るとそこには防衛隊の指揮官と文官たちが居た。
「外が水没しておるのだ! 危険なのはどこも同じだろう! 1人でも生存者を探し、国王のもとに向かう! それが今我々にできる最善だ! む?」
「どうしました司令官? おや、あなたは……?」
「私は東部防衛担当の勇者パーティのメンバー、リィンです」
「そうかリィン殿! 東部担当ということは外に居たはずだが、なぜここにいる?」
「東部の状況は安定しているため、こちらの援護に参りました」
頭部が安定しているというのは口から出任せだ。今落下してきた海のせいで状況は一変しているはずだが、私には別に目的がある。
「単刀直入に聞きますが、王さまはどちらに?」
先程から勇者の心臓が鳴り止まない。助けを求める声なき声が聞こえている。
「お前のような冒険者を、我らが王の前に出すはずがないだろう!?」
「いや、ここは1人でも多くの戦力が欲しい! 王は2階上の玉座の間だ! 一番大きな扉がある。その前で守護に努めよ! 我々も後で向かう!」
「わかりました」
文官は不服そうだったが、ラガーリは話の分かる人間だった。場所を聞き出した瞬間に走り出す。
ふと気がつくとあれだけ重力に逆らって室内を水没させていた海が引き始めている。外の魔王は誰かが倒したのだろうか。
階段を上り廊下を抜けると、玉座の間の扉は既に開かれていた。
跪く王とその首に手を伸ばすロワン。
「お前は今から、深海で生きるんだからな」
ロワンの白い腕が王の首に掴みかかる。恐らく溺死させる魔術を使うつもりなのだろう。だが、この距離なら十分に届く!
水に足を取られないのなら、キュリアスとの訓練で習得した体術が十全に発揮できる。両脚に魔力を込めて走る。ただそれだけの行為だが、それは肉体強化系デザイアに勝るとも劣らない能力を発揮する。
ロワンの頭上を飛び越え、伸ばされたロワンの腕に聖剣セントグラスを振るう。
「あ? なんだってんだ、おい?」
「私はリィン! 魔王の使いロワン、これ以上あなたの好きにはさせないわ!」
リィンは王の前に立ちはだかるように着地し、間髪入れずに聖剣を振るう。だがその一閃は蹌踉めくような体捌きで躱された。
「き、君は。いったい……?」
「王さま、早く2人を連れて下がってください!」
「あ、ああ……!」
一瞬の出来事に王は硬直していたが、すぐに状況を理解して王女と娘を抱きかかえる。細身の王ではあったが、仮にも港の国を収める王だ。若い頃は船にも乗っていた彼は、妻と娘を抱いて運ぶくらいの事はできる。
リィンはその様子を横目に収めながらも、ロワンから視線を外さなかった。しかしそのロワンはニヤニヤと笑うだけで、王に追撃をしようという気配はない。
「こんなガキまで戦場に出てくるとは、この国も落ちぶれたもんだなあ、おい」
「ガキではありません。私はいずれファルフェルトと戦う女。あなたも魔王も、その前の前座、踏み台に過ぎません」
「大きく出たな、おい? 夢が大きいのはいいことだが、現実も見ねえと足元を掬われるぜ? こんな風になあ!? 『深海歩きの歩行術』!」
「きゃっ!?」
突然リィンの足元が水没する。正確に言うのなら、足元の床が海へと置き換わる。
「な!? 床はそのままなのに、私だけが沈んでる!?」
リィンは咄嗟に飛び退くがその着地点もまた海に代わり、沈む訳では無いが脛の辺りまでが海に囚われ続けるという、奇妙な感覚に襲われる。
「はっはっはっはっ! お遊びみてえな魔術だが、その足に纏わりつくのは紛れもない海そのもの。お前は足が速え見てえだからなあ? まずはその機動力を削ぎ落としてやるぜ、おい?」
足元が沈んでいるのはリィンだけではなく、ロワンもまた同じだった。しかし彼はこの妙な海を自在に動き、距離を詰める。
「くっ、この!」
「剣の腕は素人か? 珍しい剣だが、動きは見え見えなんだよ! 深海歩きの呼吸術!」
距離を詰められまいとリィンは大ぶりにガラス剣を振るうが、ロワンはその剣筋を読んで巧みに躱し、時には床下に潜り込み、リィンの喉へと左腕を伸ばす。
「来るとわかっていれば、腕を避けることくらい……!」
「腕を避ければ防げるってか? わかってるじゃねえか。だが、避けられればの話だがなあ?」
ロワンの左腕をリィンはしゃがんで交わす。それは間違いではなかった。しかしその直後にリィンの首に真下から衝撃が伝わる。
「ぐほっ!?」
「自分で斬った腕をわすれんなよ、おい?」
急いで息を吸わなければ、いや、水中行動のための空気の膜? 対策は練られていたはずだが、混乱する頭では思考が纏まらない。
「お前も一緒に沈めてやるよ」
「ごぱっ……!? ごぽっ! ごぽぽ……!」
リィンの肺の中を一瞬で海水で満たされ、残っていた空気が口から溢れ出す。本来ならそれだけで終わりだ。
「……ああん?」
しかしリィンの目は死んでいなかった。口や鼻から海水を溢れさせ、全身を小刻みに震わせながらも、左手で首を握るロワンの右腕を掴み、充血する蒼い目はロワンを睨みつけていた。
「何だってんだその目は! そのまま沈みやがれ!」
ロワンは左腕でリィンの頭を掴み、そのまま地面に引き倒す。リィンは掴まれた瞬間に剣を握った右腕を前に出すが、反撃虚しく足で抑え込まれ、逆に自らの胸を貫く形で倒されてしまう。
鮮血に濡れたガラスの刃がリィンの胸を貫き背中に生え、周囲には夥しい量の血が溢れ返る。
「はっ! その根性は認めてやるが、経験不足だったなあ、おい。腕は返してもらうぜ?」
ロワンはその血溜まりに足を踏み入れ、斬られた右腕を拾い上げようとして違和感を覚える。
(この女、なぜ沈んでいない?)
彼の使う深海歩きの歩行術の効果はまだ切れていない。この術は小範囲ではあるが空間そのものを改変するものであり、現にロワンの両足はまだ沈んだままだ。
しかしリィンの死体はしっかりと地面に横たわっている。深海歩きの呼吸術をかけ続ければ、肺だけでなくその他の臓器も海水で満たす。本来であれば引き倒した時に沈んでいるはずだ。脂肪が多すぎる場合でも浮かび上がるだけで、地面に横たわるということはない。
「……考えすぎか……?」
だが、どんな理由であれリィンは既に死んだ。魔力反応はその残滓が薄く残るのみで、身体はピクリとも動かない。
どの道ロワンには時間がなかった。リヴィヤタンが死に、海が引いた今ロワンの地上での活動時間は限られている。
(さっさと腕を回収して、海に帰ろう。この国はまた取りに来ればいい)
そう考え、血に濡れた右腕を拾い上げた瞬間、その右腕が内側から爆ぜた。
「ああ!? なんだってんだ、おい!?」
右腕を手にした左手を貫く痛み。それはロワンの死後、久しぶりに味わった痛み。拾い上げた右腕は爆発したわけではなかったが、内側からガラス片が飛び出し既に肉片と化している。
「ああ、クソ! 俺の右腕が……! っ!?」
痛みを受けたからこそ思い出した、殺気。深海歩きの歩行術状態だったからこそ回避できた横薙ぎの聖剣は、ロワンの首を正確に捉えていた。
この場にいる聖剣の持ち主は、当然リィンのみであり、
「ゴホッ! ゴホッゴホッ! あー、苦しかった……!」
「お前……! なぜまだ生きていやがる!」
ふらふらと幽鬼のごとく立ち上がる血まみれの勇者は、同じく血に染まったガラスの聖剣を構えて苦々しく笑う。
「勇者がこのくらいで死ぬわけないじゃない。さあ、反撃開始よ……!」
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