2-20 海に還る
◆フィロー
『すべて沈むがいい! ディープ・ライジング!!』
海竜魔王の魔力が開放されるとともに海が巨大な柱のように束ねられ、上空にいる海竜魔王へと吸い上げられていく。
「はっ! それはもう見たんだよ!」
パトルタはその柱に巻き込まれる足場にしがみつき、魔力を込めたハルバートで何度も海を突き刺した。今までであれば魔力によって覆われていたその海は、刺される度にダメージを受けて血の代わりに海を溢れさせていた。
しかしこの吸い上げられる海は違った。今まで戦っていた海竜魔王の身体ではなく、ただ上空に向かって流れるだけの海だった。そのためどれだけ攻撃しようともただ水滴を散らすだけだ。
『ぬははは!! 無駄だ無駄だ! それは我が肉体ではない。ただの海よ! 人間がどれだけ海を斬ろうと何の意味もない!』
「それならそれでやりようはあるんだぜ! 魔弾生成!」
フィローは弾かれた高威力ミサイルではなく、貫通力の高い対潜ミサイルを生成し発射する。彼の思惑通りそれは何の抵抗もなく海を貫き、海竜魔王本体へと直撃。パトルタによって分断されていた胴体をさらに吹き飛ばす。
『ぐおおおおおお!!』
「どんな大技だか知らねえが、防げねえんじゃ意味がねえなあ! 大人しく地に落ちろ!」
『防げない? 防ぐ必要などもはやないのだ! 大いなる海の力、その身を持って味わうがいい!』
吸い上げられていた海が大きく広がり、天を埋め尽くす。先程まで見えていた満月が広がる海に遮られ、まるで泣いているように揺らいで見える。
「なんだ? ただの水の守りじゃねえのか?」
「!? マズいッス!」
『沈め』
海が落ちた。
空に広がった海が急に近づいて来る。フィローがそう感じたときには遅かった。
マルカはフィローを突き飛ばして足元の海へと回避を試みたが、その瞬間には2人の全身を猛烈な衝撃が襲った。
ただ落下しただけの海は、荒れた海も、元の地形も、そのすべてを巻き込んで大海へと帰っていく。
「フィロー!! マルカー!! 返事をしろー!!」
『あっけないものだ。あれほど暴れておいて、最後はこの程度か』
ただ1人吸い上げられる海の柱に居たパトルタだけはその落下に巻き込まれなかったが、彼も足場にしていたフィローの魔弾を失って海へと落ちていく。
「くそっ! こんなところで、何もしねえで俺が死ねるかよ!! オールベット!」
海に落ちたパトルタは天に浮かぶ海竜魔王を睨みつけ、手にしたハルバートに彼の持つ全てを込める。彼のデザイア『オールイン』は魔力や体力だけでなく、その命すらも賭けて放つ最期の一撃だ。当たれば賭けたすべてが帰ってくるが、その性質上パトルタはオールインを近接攻撃以外で放ったことはない。
だがこの場にパトルタを止めるものは居なかった。仮にこの攻撃が当たったとして、その後どうなるのかは彼自身にもわからない。
『ふん、見誤ったな。人間を押し流すのに海を使いすぎた。ディープ・ライジング』
「へへ、俺なんてもう眼中にないってか? その油断が命取りになるんだぜ! 墜ちろ魔王! オールイン!!」
パトルタが全力で投げたハルバートは命の煌きを纏い、空に向かう流星のようにも見えて。
『ぐが!? がああああああああああぁぁぁぁ!!!!』
魔王の肉体を貫き、乗せられたすべての魔力が開放される。体内で発生した魔力爆発は、海水を集めるために魔力防壁すら使用している海竜魔王に耐えられるはずもなく、
『が! がああああああ!!』
魔王の肉体とその身に纏う海を吹き飛ばしたパトルタの最期の光を見届けたのは、満月以外にはなにもなかった。
◆海竜魔王リヴィヤタン
侮っていた。驕っていた。慢心していた。
どれだけ攻撃をされようとも、どれほどダメージを受けようとも、たかが人間のすることだと、奴らに負けるはずがないと、信じ切っていた。
『が! がああああああ!!』
ほんの少し海を落とせば押し流されて消えていく。そんな儚い生物など、海を落としたあとには忘れていた。
だがそのか弱い生き物の放った、ほんの小魚のような槍の最期の一撃は、リヴィヤタンの残った肉体を内側から灼いていく。身体が崩れていく。魂が削れていく。
もはや選択肢はなかった。残された手段はその身体を諦め、首だけで逃走する他になかった。
認めるしかない。敗北したのだ。あのか弱いはずの3人に。島すら飲み込む巨体と魔力を持ってしても、勝てなかったのだ。
だが諦めるわけにはいかなかった。
『我が身が、我が魂が朽ち果てようとも! この国に眠る我が半身のためならば!』
それは完全に肉体の復活しきっていない今だからこそできる最後の手段。だがそれを使うということは、完全な復活は二度と望めなくなる。
それでもリヴィヤタンに躊躇いはなかった。
『待っていろ我が半身、我が全て! お前の上に積もるその尽く、全て沈めてくれようぞ!』
パトルタの放った最期の一撃の魔力爆発。首だけになったリヴィヤタンは集めた海水をクッションに、その爆発を利用して国の中心部へと向かう。
リヴィヤタンにも残された時間はない。ディープ・ライジングによって吸い上げた海と、自身に残されたすべての魔力を変えた海。本来の計画よりもずっと少ないが、街を洗い流すだけなら足りるだろう。
眼窩に映るのは重力に逆らって国を覆い尽くす海と、侵攻する波の群れ。至るところでロワンの用意した奇妙な怪物と人間が戦い、魔術の残光が煌めいている。
なんとも、なんとも憎たらしい。この地は本来地ではなかった。ここは我と我が半身の安息の地であった。
そこを我が物顔で練り歩き、帰ってきただけの海に歯向かうとは、人間のなんと傲慢なことか。
だがそれも終わる。
この地をすべて洗い流す。この地のすべてを押し流す。あとこのことはロワンが好きにすればいい。それが異世界の神の眷属だろうと、ここを海に戻すのならそれでいい。
『我が半身に住まう愚かな人間どもよ……尽く、沈め!』
すべての魔力を解き放ち、海と共に地に落ちる。
人間どもよ。怯えることはない。皆平等に、海へと還るのだから。
◆セリア
絶望が聞こえた。
振り返れば街の上には海としか言い表せない途方もない量の水の塊。その中心には大きな海竜の首。あれが海竜魔王リヴィヤタンなのだろう。
もはや既に死に体ではあったが、それでも魔王から感じられる魔力は憎悪に渦巻いていた。
「あれが魔王か。さて、あれだけの海をあのような高所から、一体どうするつもりなのであろうな?」
「落とすに決まっているでしょう! 一刻も早く止めなければ!」
目の前のハイドラバトルシップはその特殊な構造ゆえとにかくタフだ。時間をかけることができれば倒し切れる。しかし今は一刻の猶予もない。
危険な魔物だと理解しているが、あの海に比べれば優先順位は遥かに下だ。
「勝負は預けます!」
上空に向かっていくつもの聖剣を撃ち出す。それは射出の衝撃で空中分解し、細かく砕けて周囲に拡散する。
本来なら絶対に行えないガラスの霧の結界だ。退魔の聖剣なので当然魔物には有効だが、そもそもガラスなので人間の皮膚すら容易く切り裂く。短時間とはいえ、危険な技だ。
「セリア、お前の剣もなかなかえげつないな」
「あれは本当に剣なんでしょうか。自信がありませんが、ともかく急がなければ!」
上空の海は既に決壊し始めていた。端の方から徐々に溢れ始める海水は、制御できていないのだろう。
『我が半身に住まう愚かな人間どもよ……尽く、沈め!』
祈りが聞こえた。
それは耳で聞いたものではない。誰かが直接魂に祈っている。その声なき祈りが聞こえている。
「ああっ! 一体どうすれば……!」
海が落ちてくる。
落ちる海に向かって全力で空を走っているが、解決策は思いつかない。
「ワトラビー! さっき船を浮かべたあの魔法は!?」
「考えていることはわかりますが、私のグラビティでもあの量は無理です! どこかを支えれば、必ず何処かに負荷がかかります!」
「くっ! ヴォルグラスダート!」
少しでも可能性があればと聖剣を放つが、ほとんど断ち切れないし消滅もしない。降り注ぐのはただただ絶望的な量の海だ。
「城が!」
降り注ぐ海の中心部にあった城が飲み込まれる。城壁も、周囲で戦っていた勇者も、冒険者たちも、その全てが海に押しつぶされる。
「諦めるな! お前は勇者であろう!? 命ある限りその最後の瞬間まで抗え!」
キュリアスの全身から黒い業風が発生する。刺すほどに冷たい風は吹雪となり、流れ落ちる海を少しずつ凍らせていく。だがその質量差は覆らない。凍る速度よりも、降り注ぐ海のほうが遥かに早い。
「私も全力全開、『フリーズ』!」
ワトラビーもそれに加わるが、それでも落ちる海の面積が広すぎる。
「わ、私にできることは……! 今の私には、一体なにが……!」
どんな魔物だろうと斬ってみせる。それが魔王であろうと、魔力であるなら崩してみせる。
考えが甘かった。
相手が魔物でも魔力でもなんでもない、ただの自然災害であったとき、勇者はなんて無力なんだろうか。
そんな窮地から人を救うと決めたはずなのに、助けを求める声が多すぎて、どこから救えばいいのかわからない。
願いが聞こえた。
『もし私が地獄に落ちたら、その時は地面を割って助けに来てくれるんでしょう、□□□□?』
「! 斬るしかできない私でも、それなら!! ヴォルグラス!!」
空から降り注ぐ海を斬っても意味はない。だがその海はどこへゆくのか。坂を下って海へと還るというのなら、その進路を変えるくらいはできる。
「割れろおおおおおお!!」
どれだけ魔力を注いだのか、自分でもわからない。ただ横薙ぎに振り下ろしたヴォルグラスは、その目論見通りに大地を二つに分断した。
「! これなら行けます! キュリアスさん、あちらに流れ込むように氷で道を作ってください! 『グラビティ』!」
「私に細かい調整はできんが、道を作るくらいなら造作もない!」
ワトラビーは重力魔法で降り注ぐ海の落下地点をずらし、キュリアスは大地を揺るがす巨大な大樹をいくつも発生させて強引に道を作る。
国を押し潰し、大地を押し流すはずだった海は、ヴォルグラスで切り裂いた大地の裂け目に飲み込まれ、リヴィヤタンの死体とともに元の海へと還っていく。
奇跡の爪痕。
それがシャポリダの惨劇と呼ばれる魔王襲撃事件において、その国民にほとんど被害を出さなかった大地の割れ目に付いた名になる。
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