2-19 落ちる海
◆シャポリダ城壁外部
「はっはー! 魔王の襲撃だというから来てみれば、蓋を開けてみればこの程度か! 勇者集団ポロニアンブレイバーズ、勇者ジバの銀鞭の一撃は痛かろう?」
城壁に押し寄せる不可思議な波と、それを吐き出すドラウンデッドの群れ。立ちふさがる防衛隊の中にあって一番派手に戦っているのが銀鞭のジバだった。
貴族風のコートを纏った金髪の優男ジバはこのシャポリダの隣国ポロニアの出身であり、勇者としては新参者であるため売名のためにこの地にいた。二つ名である銀鞭とは彼の持つ武器のことだ。ポロニアでは自国内の新規ダンジョンから発見されたものを征遺物と呼び、その中でも武器になり得るものの発見者を勇者として採用している。
彼の持つ銀鞭は、一言で言ってしまえばただのワイヤーだ。だがその細さと強靭さをギルドで再現できなかったため、武器として認められている。
中距離から繰り出される鋭い一撃は、その遠心力も相まってドラウンデッドを一撃で葬り去る。水死体の魔物なのでそこまで硬いわけでもないのだが、その鞭が月明かりで輝くせいで美しい残像を残し、周囲の冒険者たちの士気をあげていた。
「ふん、この程度の雑魚を倒したくらいでいい気になるな! それよりも司令部との連絡が途絶えているぞ。何かあったのではないか?」
盗賊勇者ダンタカは1人だけ陣形から外れるジバを窘めつつ、後方の動きの少なさを警戒していた。今この城の外周を守る勇者はジバとダンタカの2人。
戦力だけならジバだけでも十分だがどちらもソロの勇者であるためパーティでの連携が不得意であり、特に本業は斥候であるダンタカはジバのサポートに回っていた。
「城がこうも襲われているんだ。他の防衛隊との連絡で手一杯なのだろうさ! それに城にはボクと同じポロニアンブレイバーズ候補のパーティが居る。守りはバッチリだ」
「俺にはそうは思えん。手一杯ならもっと騒ぎになっているはずだ。それなのに静かすぎるぞ。なにか嫌な予感がする……」
ダンタカは場内にいる勇者付きへと共振石による通話を試みるが反応がない。
「思ったより状況は拙いかも知れん。勇者付きから返事がない。城内でも戦闘中の可能性があるぞ」
「ふは、面白い冗談だ! 勇者2人に冒険者が50を超えているこの戦場を一体いつ突破された? 海水の流入は仕方ないにせよ、魔物は1体も通してはいない。正面を守っていれば転移魔術でもなければ突破はあり得ないんだよ」
ジバの言葉にダンタカははっと振り返る。酒場での襲撃の際、最後まで現場に居た主人はロワンがまるで泡のように消えたと言っていた。やつの一度目の城への侵入も撤退は一瞬だったと聞いている。
ロワンは使えるのだ。失われた魔術の奥義である転移魔術を。恐らく魔王の使いとなることで得た能力なのだろうが、だとしたら本当の戦場は外ではない。
「ポロニアの勇者ジバよ! ここは任せた!」
「なに!? どこへ行くつもりだ?」
「城の中だ! やつとの先頭の際、やつは消えるように去っていった! やつはその転移魔術を使えるかもしれんのだ!」
ダンタカは助走をつけて飛び上がり、デザイアによって更に浮上。高速で錐揉み回転をしながら城の中央にある塔に向かって突き進んでいく。
「うおおおおおお!! 飛翔せよ! ダンタカトルネード!!」
「転移魔術なんて、あり得るわけ無いだろ? おっと! 通さねえぜ水死体野郎!」
ジバは1人で飛び出していったダンタカを暫く眺め、視界を横切るドラウンデッドを捉えた瞬間そこが戦場であったことを思い出す。
「変なおっさんが居なくなったくらいで、俺の銀鞭から逃げられるわけねえだろ! むしろ俺の攻撃範囲は広がってんだぜ! ……あん? 曇ってきたか?」
突然周囲を影が覆う。満月が雲にでも隠れただろうか。ふと見上げると天を覆っているのは雲ではなく、広大な海。
「ジバさん! 空にデケエ海竜の首がありますよ! あれが海竜魔王なんじゃないっすか!?」
「ああ。俺にも見えるが、いくら俺の銀鞭でもあんなとこまで届かねえぞ? ていうか死にかけなんじゃねえのか?」
ジバの見上げる海竜魔王の首は既に顔の半分以上が崩壊しており、魔力反応も強大ではあるがそのサイズには見合わないほどに薄く感じられる。
『我が半身に住まう愚かな人間どもよ……尽く、沈め!』
ジバはその考えが間違っていたと悟った。その強大な魔力は薄く感じられるほど広がっていただけだった。
落ちてくる海を前に、動けるものは居なかった。
◆城内
ロワンは水没した城の心臓部、玉座の間を前に少し緊張していた。
なにせここに入れるのは特別な式のときだけだったからだ。整然と並ぶ家臣と騎士たち、厳かに玉座に座る王とその横に佇む王女。いつかそこに自分が座るのだと、立派な王を目指そうと、そう信じて生きていた時期もあった。
深呼吸をする。新鮮だった空気は体内で腐敗し、吐き出す頃には生臭い死臭へと変わっている。
「……いくか」
ゆっくりと扉を押し開ける。自分よりも先に部屋へと侵入する海水が、今だけは疎ましい。
中に居たのは知らない顔の王と女王、そしてその膝で泣いている姫の3人だけだった。
「んー? てっきり騎士団や冒険者たちが待ち構えているのかと思っていたが、なんで誰も控えてねえんだ、おい?」
「私には不要だからだ」
「なっ!? なにしやがる!」
王は立ち上がり、王冠をロワンの足元に放り投げ、ロワンは咄嗟に飛び込むように拾い上げる。飛び込んだロワンによって大きな水しぶきが上がるが、幸い王冠は濡れなかった。
「おいてめえ!? 王がその役割を投げ出すなんてどういうつもりだ、おい!」
「ふ、ふはははははは。侵略者がそれを口にするのか。いや、その反応を見るに今は亡き12代目の王、ロワンの言葉は正しかったのだろうな」
「12代目……お前。知ってるのか、おい」
ひとしきり笑った王は、玉座ではなくその濡れた床に胡座をかいて座る。女王は取り乱すが、王は気にせずに笑う。
「あなた!? 端ないですよ!?」
「いいのだ。どうせ私はここで死ぬ。最後くらい好きにさせろ。ああ、海水に触れたのは久しぶりだ。初夏だというのに、随分冷たいのだな」
突然の王の暴挙にロワンも戸惑う。そんな中、月光の降り注ぐ天窓を突然巨大な影が遮る。
『我が半身に住まう愚かな人間どもよ……尽く、沈め!』
「なにごとだ!?」
「ああ!? 話が違うだろうが、おい!」
海竜魔王リヴィヤタンが辿り着いたのだ。だが魔王の展開する大量の海は聞いていない。
「チッ! 『深海歩きの牢獄』!」
「キャー!」
空から降り注ぐ海水を防ぐすべはない。あれは魔術によって転移してきた純粋な超大質量の水だ。一瞬のうちに城も街も飲まれて、海へと押し流されるだろう。しかし被害を緩和する方法はある。
それがロワンの魔術ディープ・プリズン。海の牢獄を作り出す、正確には海を転移させるこの魔術によって周囲を分厚い海で覆い尽くせば、落下による衝撃で多少のダメージは出ても、少なくとも押し流されていくことはない。
城と城壁との間に展開していたディープ・プリズンを更に大きく展開させ、城全体を海で覆い尽くす。
直後に巨大な何かが当たる大きな音と衝撃が場内に響き渡るが、城が崩壊することはなかった。
「おいおい、あんだけ大口叩いて最後はそれかよ。あっけねえなあ、おい」
ロワンは海竜魔王が今の一撃で力を使い果たし、その魂が消滅したことを知る。魔王を名乗っていても、所詮は一度滅んだ魔族の一体でしかないということか。
「生きてる……のか?」
「今はまだ用があるからなあ、おい?」
王は女王と娘を覆うように庇っていたが、周囲に静けさが戻ったことで緊張が解けたようにまたその場に座り込んでしまう。女王と娘は気を失っていたようだが、海竜魔王が死んだことで水が引き始めているため、溺れることはないだろう。
「王冠を投げ出すろくでもない野郎だと思っていたが、なかなか根性あるじゃねえか、おい。てっきり女王も姫も投げ出して逃げると思ってたぜ?」
「そんな事ができるわけがないだろう。自分も彼女たちも殺されるとわかっていても、その順番を後回しにできるならいくらでもこの身を使う。無能な王でも、そのくらいの甲斐性はあるつもりだ」
自虐的に笑う王は、床に座ったまま頭を下げる。
「魔王の使い、いや、真の12代目シャポリダ王継承者ロワンよ。私の後ろにいる2人には何の罪もない。どうか見逃してやってはくれまいか」
「ふぅん? 俺はここに来てもう何人もぶっ殺してるが、そいつらは何か罪があったから殺されたってのか?」
「……そうは、そんな話をしているわけではっ」
ロワンは王の前に座り、頬杖をついて笑う。
「安心しろよ王サマ。人は、いや、生きとし生けるもの全ては、他者の命を奪って生きている。殺して食って生きている。みんな平等に殺しをしてる。みんな等しく罪人だ」
「っ! だからといって、殺していい理由にはならないはずだ!」
掴みかかる王をロワンはするりと交わし、その背中に腰掛ける。
「うぐっ……!」
「王サマ。俺が言いてえのは、そんなつまんねえ理由をつけるんじゃねえよってことだ。罪がないから、なんてくだらねえ言葉を並べるんじゃなくて、もっと誠心誠意を込めて見逃せとお願いしろってんだよ。ま、見逃してやるかどうかは結局俺の気分次第なわけだが……お前の知るロワンは、俺の話をどこまでした?」
「12代目王ロワンは私の曾祖父にあたる人物だ。私が幼い頃に王位を継承したあとは、まだ閉鎖される前の別館でひっそりと暮らしていた」
「俺は今日そこから入ってきたんだぜ? その前もそうだったがなあ? どうせ閉鎖するならもっときちんと埋めちまえば、こんなことにはなっていなんだぜ?」
「あの噴水、なのだろう? 曽祖父が亡くなる直前に、家族だけを集めて懺悔していたよ。自分は本当は王ではなく、その従者であり影だったのだと」
「……」
「曾祖父は、ある夏の日にあの深い噴水で何かを無くしたと言っていた。それを取りに潜ろうとして、代わりにロワンが潜って行ってしまったと、そのまま戻らなかったと、そう聞いている」
「……へえ。罪の告白にしては、随分と言葉が足りてねえよなあ、おい?」
ロワンはすっと立ち上がり、王に首飾りを見せる。それは白く細い、骨でできた首飾りだった。
「それは……?」
「これが噴水に沈められた無くしものだぜ? 名前はシエナ。俺を慕って屋敷に押しかけて、俺と間違えてお前のじいさんに抱きついて、突き飛ばされて溺れて死んだ。お前のじいさんはいい仕事をしたよ。暗殺者だったら大変だからなあ? ふっとばして距離を取るのは正解だぜ? だがたまたま運悪くその方向には噴水があって、たまたま運悪く縁で頭を打って、そのまま沈んでいくのをたまたま俺が見ていた」
それは不幸な行き違い。ロワンと従者は双子と間違われるほどにうり二つだった。
「知ってるか? あの噴水はずっとずっと深くまで掘ってあって、途中から引き込まれるような流れがある。だからどんなに泳いでもシエナのほうが早く沈んで、ようやく抱きかかえたときには彼女は冷たくなっていた。その上どんどん引き込まれるからなあ。ついに俺たちは日の目を見ることはなかった」
「……それは、シエナのことは知らなかった。だが曾祖父は、いつかロワンが帰ってくるかも知れないからと、別館を閉鎖したあとでも噴水の閉鎖だけは許さなかったんだ」
「それで償いになると思ってるのか、おい?」
「わからない。それはあの世で直接聞いてみるとしよう」
「そりゃ無理だ。お前は今から、深海で生きるんだからな」
ロワンが王の首に手を伸ばし、掴まんとするその瞬間ロワンの腕が斬り落とされる。
「あ? なんだってんだ、おい?」
振り下ろされたのは、見えない剣だった。
「私はリィン! 魔王の使いロワン、これ以上あなたの好きにはさせないわ!」
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