2-15 フィローと戦いの朝
◆フィロー
魔王の影に動きがあったのは、襲撃を予告された当日の早朝からだった。
「ああ、クソ! また破壊された! あいつ俺の弾に気がついてやがるな」
「フィローさん、魔力ポーションです」
「いつどうなるか分からねえから全員起こしておけ。あの監視役のバカどももな」
フィローはポーションを流し込んでもう一度魔弾を作り直す。今朝になって既に20発目。いつもならこの程度どうということはないが、ほとんど休みなく10日以上監視をしていたため疲労はとっくの昔にピークを迎えている。
限界を超えてなお彼が監視を続けているのは、勇者としてのプライドだった。
「魔力が脈打つように鼓動しているのはわかるが、その魔力も黒すぎて何も見えねえ!」
「襲撃はどうせ今日なんだ。外から攻撃して崩落させるって手段もあるが……」
「それは許可できない!」
フィローとパトルタの会話を聞いていたであろうシャポリダの調査員が口を挟む。
「崩れているとは言え歴史的な遺跡だ。国の所有物である以上、それを巻き込んで攻撃するなど看過できない。それが他国の勇者であればなおさらだ!」
「国の所有物だってんなら遺跡への通路の復旧工事くらいしておけよな! 心配しなくてもそんな攻撃しねえよ」
「じゃあどうするってんだ? 現時点でフィローだけでは監視の継続は困難になっている。そもそも限界超えて働いてんだ。お前らにはなにか案があるんだろうな?」
「……本部と協議中だ」
パトルタは思わず拳を握りしめるが、マルカに目で制される。だがそのマルカの目もいつもの明るい表情ではなく、熱のない鋭いものだ。
彼ら調査員たちが協議中だと言い始めたのは何も昨日今日のことではない。そもそも監視任務を開始した1日目の夜には既にトラブルを起こしている。
勇者であるフィローを休ませるべきだと判断し眠らせたのだが、調査員たちは監視はフィローのデザイアでしか行いので休ませるなと言い始めたのだ。
強がりなフィローは売り言葉に買い言葉で今の今まで動いているが、魔導具やポーションなどで回復できる体力、精神力には限界がある。誰の目にもフィローが限界であるのは明白だった。
コトートもギルドを通じて監視の増援や任務内容の緩和などを求めたが、返ってきたのはわずかばかりの追加報酬。ギルドにとってもこの任務は必須だったということなのだろうが、それでも不信感は拭えなかった。
「それよりも相手に動きがあったんだ。まさか報告ぐらいはしたんだろうな?」
「ギルドからは現場の判断、つまり防衛隊に任せるとのことです」
「で、その防衛隊本部の方はどうなってんだよ?」
全員の目が調査員の方へ向く。彼は視線を彷徨わせ、大きく息を吐いてから俯いたままに言葉を漏らす。
「…………協議中だ」
「はいはい知ってた知ってた、知ってましたよクソッタレ!」
「もしかしたら他の現場でも動きがあったのかもな。それなら監視を後回しにしているのも頷けるが……」
「僕の方でギルド支部とリアルタイムに通信していますけど、特に動きはありません。強いて言うなら今まで封鎖されていた遠海の海流が戻りつつあるとか」
「そうか。それも襲撃のための前準備なんだろ。壁画通りなら海が攻めてくるんだ。津波か高潮か、そういった自然現象を起こすつもりじゃねえか?」
「それで邪魔になる海流を自分で戻したってわけか……だとすると拙いぞ? 少し前に村で聞いたが、酷い嵐の日にはこの辺は沈むらしい。嵐じゃなくたって、魔王が行動を開始したら俺たちもすぐに沈むんじゃねえのか?」
「その可能性は十分ありえますね。それを踏まえて監視を継続なんて、あなた達も見捨てられたのでは?」
コトートは調査員たちを刺したが、それはフィローたちも同じだ。誰もが押し黙るがそんな中、静観していたマルカが口を開く。
「……この場所が嵐で沈むなら、村にも同様の被害が出るはずです。そちらはどの様な対応を?」
静かな、普段のマルカからは考えられないような凛とした声。間違いなくマルカの声だが、誰もが一瞬その声の主を探してしまう。
「久しぶりにその声を聞いたから、一瞬誰だか分からなかったぜ……」
「パトルタさん?」
「おっと、結論から言うと村に被害は出ない。正確には村のある場所は沈むが、人間や家は無事だ」
「ああ? どうなってんだそりゃ?」
「あー、なんつーか、家が船になってる? みてえな?」
フィローは首を傾げるが、その答えは調査員が引き継いだ。
「彼らは自分たちの始まりは海にあると信仰している、かつて異教徒と呼ばれた者たちの村だ。神が死んだので今は私たちと変わりないが、その信仰は今でも続いている。そして先程の答えだが彼らの村の家は土台から浮き上がるように設計されていて、完全に密閉状態になるように工夫されている。そのため嵐であろうと津波であろうと、家にいれば無事だ。流されてしまうが、死にはしない」
波を耐えるのではなく、流れに乗って受け流すという仕組みにフィローは感心する。しかしそれだけでは自分たちの安全には繋がらない。
「仕組みはわかったが、それでどうしろっつーんだ。俺の判断で逃げていいのか?」
「フィローさん、勇者が魔王を前にして逃げるのですか? 魔王との対決は、あなたも望んでいたでしょう?」
「っ……!」
マルカの突き刺すような目にフィローは一瞬怯む。久しぶりに見た、初めて出会ったときの目。
「それに海が襲ってくるのなら、逃げる場所なんてありませんよ?」
「へ、へへ……逃げる? 言い間違いだな、こいつらを逃していいのか?」
「待て! 私は防衛隊の調査員として、この場を離れるわけには……!」
フィローはマルカの言葉を、その裏を理解した。もう動かなければならないのだ。マルカのスイッチが入った以上、もう既にこちらは後手。
ここからの最善手のためには、まず護衛対象の監視が邪魔だ。
調査員はそれを拒んでいるが、フィローは彼らも逃げられない立場なのだと知っている。
「相手の規模が分からねえ以上、安全な場所はねえ。沈むのを前提に行動するなら、なにかあってからじゃ遅い。勇者としてこれ以上の監視、調査は危険だと言っているんだ」
「こちらの任務には護衛も含まれています。事前の避難行動は十分適用内かと」
「よし、ならコトートはそいつらを連れて村まで戻れ! 村の施設なら沈まないんだろ? 勇者権限でも何でも使ってそいつら突っ込んでおけ!」
「わかりました。さ、あなた方も避難の準備をしてください。最悪の場合は殴って連れていきますからね」
コトートは調査員たちをテントに戻らせ、書類をカバンにまとめる。
「僕はフィローさんたちの実力を正確には知りません。ですが、あなたは見た目よりも立派な勇者です。ご武運を。必ず戻ってくださいね」
「心配するなよ。俺が負けるわけねえだろ?」
フィローはボウガンを構え、いつものようにニヤリと笑う。
「俺はこの世界の主人公だからな」
◆
調査員たちを引き連れコトートが去った後、フィローはふと口を開く。
「そういやあんこの入ったたい焼きを食ってねえ。あいつ忘れてやがったな」
今手元にあるのはクリームの入ったたい焼きだ。それも昨日村人が差し入れで持ってきたもので、とっくに冷めて固くなっている。
「おいおい、戦いの前に飯の話をすんじゃねえよ。未練があると思われて死神が寄ってくるぞ」
「はっ、神が死んだ世界にも死神はいるのかよ?」
「そりゃいるだろ。出なけりゃ神が死ぬはずもねえ」
パトルタは笑いながら酒を飲む。最近ハマっていた自家製レモネードの割材ではなく、いつも重要な戦いの前に準備している母国の酒だ。いつかのダンジョンで勇者になった女にかけた、弔いのための酒。
パトルタは何かを殺す前に、必ずそれを用意している。彼なりのジンクスなのだろう。
「フィローさん、そろそろ」
「ああ。なんだかその状態だと別人に見えて、少し戸惑うな」
「あー、俺は、その少し用を足してくる」
「全部はしませんよ」
パトルタは気を使ってその場を離れようとするが、マルカは気にしない様子で微笑む。
フィローとマルカがこれからするのは、簡単に言えばキスだ。だがそれはもちろんただの口づけではない。
『ライフ・ストック』
マルカのデザイアのうちのひとつ。彼女は魂を、正確には本来寿命として使い切るはずだった生命エネルギーを魂という単位でストックしておくことができる。
彼女のデザイアは魂の受け渡しも可能としており、生命エネルギーの塊である魂を他人に分け与えれば疲労や魔力の回復だけではなく、肉体の完全再生すらも行うことができる。簡単に言ってしまえば、誰かの魂でもう一度やり直しができる能力だ。
フィローはマルカの腰を優しく抱きしめ、唇を重ねる。幾度となく行ってきたただのキスが、今は妙に気恥ずかしい。マルカの舌がゆっくりとフィローの口内に侵入し、口の中に魔力が広がっていく。今日はチョコ味だった。
この能力は彼女がスイッチの入った今の状態でないと受け渡しができないと言っていたので、実際に使用されるのは今回が初めて。いつもなら彼女の舌を弄んだり、自分も舌を入れたりと楽しむのだが、今は勝手が分からなかった。
どれだけそうしていただろうか。マルカの方から胸に手を当てられ、ゆっくりと離れていく。
「3つ、渡しました。ひとつは疲労や魔力の回復のためにすぐに使用されます。残りはそれぞれ魔力反応と生体反応の停止に対応して起動します。一瞬で蒸発しない限りはたとえ頭を失おうとも再生しますが、記憶と魂の記録は別のものです。復活直後にもう一度死にたくなければ、頭は守ってください」
「……わかった」
「ふう。じゃあこれでいつものマルカに戻るッス! もしストックを使い切ってもダメそうなら、マルカがやっちゃうッスよ!」
「相変わらずすげえ変化だ。本当に同一人物とは思えないな」
先程まで海を眺めていたパトルタは、マルカの声が戻ったことで振り返る。
「女はいくつもの顔を使い分けて生きてるッスよ」
「そうかよ。ところで俺にはそれくれねえのか?」
「ええー? パトルタさんは口が臭いから嫌ッス! それに、パトルタさんはそんな小細工いらねえって言っちゃうッスよ!」
「はっはっは! そりゃ間違いねえ! 誰かから貰うなんてまっぴらだ。ほしいもんは掴み取るんだよ」
そう言って笑うパトルタは、既に両腕にハルバートを構えて臨戦態勢だ。前回のスカイフィッシュとはろくに戦えなかったため、久しぶりの大物に高ぶっている。我流二槍の体捌きは、今でも衰えてはいない。
「俺の方もバッチリ回復したぜ! 魔弾生成!」
ライフ・ストックによって全快以上に回復したフィローは、全力で魔弾を作りまくる。今の自分なら何でも作れると言わんばかりに大小様々な、バリスタの弾から誘導弾、更には形だけ真似た大型ミサイルまで次々に浜辺に並べていく。
「おいおい、そんなに使い切れるのか?」
「相手は魔王だ。どんだけ準備しても倒しきれるか分からねえ」
「そもそもまだ遺跡の中にいるッス! どうやってやつを引きずり出すッスか?」
マルカの問にフィローは笑い、ミサイルのひとつに手を当てる。それだけで発射準備は完了だ。魔力によって勝手に飛んでいくため、ここまで来ると発射機は必要ない。
「知らん! 出てくるまで試すだけだ! フォイエ!」
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