2-11 魔王の影
◆ラガーリ
突如齎された2つの重大な情報。それは城の防衛隊司令部に大きな衝撃を与えた。
「遺跡に隠れた巨大な影に、酒場に現れた魔王の使いを名乗る男か。特に魔王の使いの言っていた次の満月の夜というのが気になるな!」
「背格好や衣服などの特徴は城に現れた男と似ているな」
「その言葉を信じるのであれば15日後ということになりますが……」
司令官のラガーリや文官たちは、報告書に目を通しながら各々の意見を口に出す。
西部の冒険者横丁と呼ばれる、比較的治安の悪い町で起きた前代未聞の襲撃事件。
海竜魔王の使い『深海歩きのロワン』を名乗る男は冒険者2人を瞬く間に溺死させ、逃げようとした残りの4人も彼の展開する魔術によって現れた凶悪な水棲の魔物に食い殺された。
事件現場に居た生き残りは店主の男と、彼の魔術から逃げ出せた盗賊勇者ダンタカの2人のみだ。
「周囲に居た目撃者の話では、突然店全体が海で覆われたそうです。似たような魔術やデザイアは確認されていますが、中に魔物が存在するまま海そのものの召喚となると聞いたこともありません」
「ですがこれは十分な脅威です。海はともかく、やつは魔物を召喚できる。特に水棲の魔物となると外の冒険者では討伐経験も多くはないはず……」
通常の生物なら陸に上げた時点で呼吸ができなくなるが、魔物は呼吸そのものをしていない種も多く一般的な常識が通用しない。
それだけならまだしも水棲の魔物は水中で活動できるだけでなく、種によっては魔物自身の能力によって活動域を増やしていくことができる。
つまり空飛ぶサメも周囲を海に変えるイカも、当然のように存在するのだ。
「防衛隊には水棲の魔物対策を再確認させましょう」
「それはするべきだろうが、もし経験が足りなかった場合どうする? 今から訓練でもするのか?」
「水棲の魔物となると西部の管理ダンジョン『難海』になるが、あそこの素材は貴重なものが多いぞ? 外の冒険者を入れることに反対の者も多く、未だに海軍と勇者しか入れていない。政治部がなんと言うか」
「政治部は吾輩が説得しよう! 素材は報酬としてくれてやれ。外の者であろうとこの国のために、国民のために命をかけて戦うのだ! 我が国もそのくらいの度量を見せねば、この難を逃れた後に世界中から笑いものにされる!」
そもそも魔王の討伐に成功しなければ、この国そのものがどうなるかわかったものではない。小金を惜しんで身を滅ぼすなどあってはならないのだ。
「しかし相手の言った期限が嘘という可能性もあります。防衛隊を少なくするための陽動かも知れない」
「それに加え各地には地元の冒険者も居ます。彼らは防衛隊ではないが、母国のために戦う覚悟があるのは我々と同じ。敵の戦力の一部が判明した今なら、ランクなどに拘らず彼らを徴用すればよいのでは?」
「冒険者の権利はギルドで守られている。勇者を確保するためにギルドを頼った以上、オマケの冒険者を防衛隊から外すことはできん。かと言ってこれ以上防衛隊を増やす財源の確保も難しい。魔王を倒した後に素寒貧では他国からの攻撃に耐えられない」
「どうあれ、まずは防衛隊の戦力調査からだな! 水棲の魔物に対して対策があるならそれで良し! 対策が不十分であれば『難海』での訓練期間を設ける。対策ができていなくても彼らはBランク以上の冒険者パーティだ。すぐに対応できるようになるだろう!」
ラガーリの言葉に会議室に居た文官たちは頷く。この議題はここで終わり、ではなく1人の文官が挙手をする。
「魔物対策はそれでいいかもしれませんが、問題はそんな強力な魔術を使える魔王の使いロワン本人でしょう。魔物や海の召喚というのはデザイアの力があれば可能。ですがそんな強力なデザイアに加えて、触れただけで相手を溺死させる魔術というのが気がかりだ。もしこれもデザイアであれば、対策のしようがない」
「確かに。現場には勇者も居たのだろう? 勇者が逃げ出すほどの力、本当に戦えるのか?」
盗賊勇者ダンタカ。ライオンのような髪型に強面、クマのような大男で倒した魔物の素材で作られた革鎧を纏うインパクトのある人物だが、文官の1人が首を振る。
「それに関しては、言い方は悪いが彼には期待しない方がいい。勇者ダンタカ。盗賊を自称する大柄な男だが、彼の本業はデザイアを活かしたダンジョンへの単独侵入だ。戦闘能力には期待できない」
ダンタカの名乗る盗賊とは野盗や山賊のような荒くれ者の強盗ではなく、斥候や偵察、罠はずし等を主軸にした物語に出てくるタイプの方だった。
彼が手甲に装備した魔物の爪で攻撃するのは繊細で器用な指先を守るためであり、空中浮遊ができるのは罠を回避するためのデザイア『エアウォーカー』の応用だ。
「……なぜそんな勇者がこの国に?」
「誰であろうと来るのは自由だ! 偶然居合わせただけだろう! 現に彼は防衛隊ではない!」
「それはともかく、能力が厄介なことに変わりはない。この魔術に対策はあるのか?」
「ギルドに似たような能力がないか確認させよう。しかし問題は魔術だけではないぞ。報告書によるとロワンはダンタカの攻撃を受けて死亡したとある。実際には死んだふりで、運び出そうと近づいた冒険者をその魔術により溺死させたそうだが、起き上がった彼には切られた傷跡がそのまま残っていたとのことだ。間近で目撃していた酒場の主人は溺死体のようだったと言っているが…… その辺りはどうなんだ?」
「流石に見間違いじゃないのか? 勇者の戦闘能力は大したことがないんだろう? その後の惨劇のせいで記憶が混同しているんだ。傷跡と言ってもかすり傷だったに違いない」
「そもそも身体強化系のデザイアは、既に一般魔術レベルになるまで研究されている。ラガーリ司令官だって一兵卒の太刀筋ではその皮膚に傷すら付けられん」
デザイアはその複雑な工程をすべて省いて結果だけを具現化する大魔術である、ということは既に判明している。
過去に大魔法とされていたものは実際にはデザイアであり、更にデザイアである以上魔術であるという考察から、いくつもの伝説の魔法が魔術として解明されている。流石にデザイアのほうが強力ではあるが。
会議の結果、防衛隊の冒険者パーティのうち水棲の魔物対策ができていないパーティはローテでダンジョン『難海』での訓練を決定。その際の防衛隊の不足分は、地元の冒険者を日雇いで参加させることになった。
実際には仮にもBランク冒険者パーティ。他国まで足を伸ばすフットワークの軽い連中なだけあって、水棲の魔物対策がないパーティはほとんど居なかった。ギルドでの討伐歴も確認したので、強襲を受けなければ問題はなさそうだ。
またロワンの溺死魔術についての詳細は分からなかったが、水中行動を可能をするために魔力を空気に変える魔術や有害なガスを吸わないために身体を空気の膜で覆う魔術、そもそも接触をさせない結界魔術などで対策ができるのではないか、という結論で落ち着いた。
こればかりは実際に敵対しないとわからないため仕方がない。
「さて魔王の使いに関しては大方纏まったと思うが、崩れた遺跡内で発見された巨大な影。これについての意見が聞きたい。信用していない訳では無いが、この写真とやらだけでは判断がつかん!」
ケシニの勇者フィローによって撮影された複数枚の写真。崩れた洞窟の内部にあった遺跡には彼らの探していた古代文字の壁画や石碑の他に、倒壊した石像ととぐろを巻く巨大な影があった。
「黒い巨大な蛇か海竜種に見えますが、よく見ると背景が透けているような……」
「ああ、それで影なのか」
「報告には魔力が滲んで見えたとありますが、写真にそれは写っていないようですね」
「その報告者は昨日の会議で騒ぎを起こした入れ墨男だろう? 自作自演じゃないのか?」
魔王の正体を知るものはいないのか。そんな言葉で会議を荒らした青年は古代文字が読めると宣っていた。
たしかに写真にはそれらしきものもあるが、そもそもこの撮影された遺跡の入り口は崩壊していて入ることができない。つまり誰も事実確認をできないのだ。
「崩壊さえしていなければすぐにでも偵察をするのだが……」
「念のため水中探索も可能な冒険者を派遣している。しかし事実だったとしてどうする? 攻勢に出るには道を作り直さなければならん。どれほど費用がかかるかわからん上に、そんな大規模工事をすれば相手に見つかってしまう」
「影というのも気になります。実体はないのでしょうか?」
「影なんて幻影魔術の初歩だ。やはり私は例の勇者の点数稼ぎのためのでっちあげだと思うのだが……」
「そいつらは今どうしている?」
「別室で待機させています。古代文字の解読を進めているそうですが、風化が酷くて読みづらいとか」
「当てにならんな。やはり自作自演……」
そんな会話をしていると、騎士の一人が慌てた様子で会議室に入ってくる。
「司令官、例の勇者より報告があります!」
「例とはどっちだ! 今回の会議では2人の勇者から報告を受けている!」
「失礼しました。ケシニの、入れ墨の方の勇者です! 古代文字の解読に成功したと」
「なに? すぐに彼らをここへ連れてくるのだ!」
◆フィロー
昨日よりはずいぶん小さい会議室に通されると、座っていた全員の目がフィローに集まった。文官たちの何処か冷ややかな目は、やはり昨日の一件のせいだろう。
「勇者フィロー。古代文字の解読ができたそうだな! すぐに発表したまえ!」
「アイアイサー司令官。既に聞いていると思うが、俺は今日遺跡で魔王の影と遭遇した」
「この写真だけでは魔王と判断できないだろう」
「俺も写真を見て肩を落としたよ。魔力ってのは写真に写らねえんだな。だがたしかにその影からは青黒い魔力が溢れていた。周囲の景色を歪ませるほどに滲んでいたんだ」
これは嘘ではない。その姿を見ただけで思わず誘導弾の操作を手放しそうになるほどに、フィローはビビっていた。
「そのことについては今はいい! 君を呼んだのは古代文字についてだ! 海竜魔王の正体がわかったのだろう?」
「おっと、そうだった。あの影が魔王だと確信したのは、なにもその強力な魔力だけじゃねえ。壁画に書いてあったんだよ。海の神と海の魔王の戦いの歴史がな!」
それはどれほど昔のことかは分からないが、かつてこの地で起きた戦争の歴史だった。海の神の名は風化していたが、敵の名前はリヴィヤタンで間違いなかった。……魔王とは書いていなかったが。
「リヴィヤタンは海の神を倒すために、まずその力の源である海辺の人間を殺し回った。その方法はただ食い殺すわけじゃねえ。海に引きずり込んで溺死させるんだ」
「魔王の使いの能力に似ているな」
「ああ。そのことも似たような事が書いてあった。リヴィヤタンは溺死させるだけじゃなく、その溺死体を操って自分の軍隊を作り上げたんだと。どんな術かは知らねえが、かなり狡猾な奴だったらしい」
「それは、対策はないのか?」
「そういうのは書いてなかったか、風化しちまったかでわからねえ。ともかくやつは海と共に攻めてくるらしい。壁画には溺死体の他にもサメやらタコやら書いてあった。絵は写真にあるから、なんとなくわかるだろ?」
写真には確かに大波とその中に人や水生生物の絵が描かれている。
フィローは知らなかったが、それは魔王の使いロワンが使った術とそっくりだった。
「それは、ロワンの使っていた術と全く同じ……」
「魔王の使いというのはただの使者ではなく、その能力まで使えるのか?」
「そんなもの、魔王が増えているのと同じではないか!」
「だとすると拙いぞ。もしそれが事実だとして、ロワンの他にも魔王の使いが現れたら……!」
「皆落ち着け! そのための防衛隊だ!」
騒然とする文官たちを一括するラガーリ。騒いでいた者たちは押し黙るが、その顔は青いままだ。
「勇者フィロー、魔王についてはよくわかった。だが壁画が残っているということは神が勝利し、人間は生き残ったということだ。そのことについてはなにかないのか?」
「もちろんある、と言いたいところだが……今の俺たちに、アレは無理だと思うぜ?」
「無理でもどうにかするしかないだろう? その方法とはなんなんだ? かつての人類は、一体どうやって魔王に勝利したんだ?」
確かに神は勝ったし人類は生き残った。しかしその勝利方法が問題だったのだ。
フィローは写真の一枚を手にとって、改めてそこに書いてあった古代文字を読み上げる。
「世界を耕すゼニサス、その大いなる力を振るうとき、海は大地へと変わる。……要するに、クッソ強いこの世界の始まりの神サマが、チート能力でまるごと埋め立てちまったんだよ。その死体の上にあるのが、この国ってわけだ」
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