2-4 リィンノート
◆セリア
「……仮に、仮にその妄想が事実であったとしてですよ? それはつまり、神器としての勇者の心臓、セントグラスはもうないということですよね?」
「そうだろうな。その場合は武器としての機能も失われているだろう。能力としてガラス剣を出せるだろうが、それは武器とは呼ばん」
「……それでは意味がないのです。私の、いえ、ファルフェルトが探しているのは神器としての勇者の心臓。私や弟の中にそれがあっても……」
それはそうだろう。武器を探しに来たのに別の使用法を試して消滅しました、で納得するものはいない。
「どちらにせよ、私たちはリィンノートさんの言う方の勇者の心臓は持っていません。なんだかこんがらがって来たので私たちのものをヴォルグラス、ファルフェルトのものをセントグラスと呼びますが、とにかくセントグラスはないのです」
「……正直に言って納得はできませんが、私は諦めています。実際に神器なしにガラス剣を生成してみせたあなた方は、たしかにセントグラスを持っていないのでしょう。ですが、そんなことでファルフェルトは諦めません。もしあなたの言葉が正しいのなら、正しいかどうかは関係がなく、それを確かめるために弟を解体してでもセントグラスを回収するでしょう……」
俯くリィンノートの手は強く握られ、わずかに震えている。
「事実かどうかもわからない妄想のために弟は殺され、それでも神器があればまだいいでしょう。少なくとも誇りは守られる。ですが、もしそこに何もなければ、弟は無駄死にです。……でもそれでは、父は一体何のために神器を、サンハルトの誇りを捨てたと言うんですか!? レインノートも助けられず、神器も失い、祖国から遠く離れたこんな地で、一体何のために……!」
「リィンノートさん……」
彼女が必要としているのは神器である勇者の心臓だが、それを欲している理由は彼女の弟、レインノートにあるのだろう。
彼女の名乗った勇者爵とは、ファルフェルト内における勇者のための優遇措置だ。神器の後継者であっても、神器がなければその爵位は効力を失う。
後継者ではない彼女が祖国を離れ、自ら神器を探しに来た理由はそれ以外に考えられない。
「何だよ入れるじゃないか! 取り込み中失礼、邪魔をする」
「な……あなたが、なぜここに!?」
突然部屋に入ってきたのは大柄な青年だった。
ファルフェルト人に多い銀髪と蒼い目、厳しいが美丈夫であり、2メートル近い巨体に礼服の上からでもわかる鍛え上げられた筋肉を持ち合わせ、彼が相当な手練れだと見て取れる。
気になるのは背負っている巨大な盾と、礼服には似合わない金属製のブーツだ。
「誰だ?」
「彼は勇者爵シルバン・Δ・シールデン。私と同じファルフェルトの勇者爵です」
「サンハルト勇者爵。いや、もうすぐその爵位も失われるのか。ああ、それではなんと呼べばいいのやら。勇者でもない娘の名前など覚えておらん。失礼だが名前は何だったかな?」
なるほど、彼は勇者らしい。であれば装備の理由もわかる。
「わたしはキュリアスだ」
「君には聞いていないが、まあいい。サンハルト勇者爵、先代が死んですでに半年、後継者も目を覚まさない上に神器である勇者の心臓を失ったサンハルトよ。暫定的に与えられたお前の爵位は1年、つまりあと半年あるわけだが、事情が変わった」
「…………」
「サンハルト勇者爵。今から俺が言うのはファルフェルト政府からの公式の言葉として受け止めろ。勇者爵リィンノート・α・サンハルト。勇者損失及び、神器紛失の件について、そのすべての責任を現当主の罪科とし、国外追放を言い渡す」
「え?」
「…………なん、そんなことが! そんなことが許されるわけ無いでしょう!?」
突然のことで私には理解が及ばず、思わず疑問符が口から漏れる。
リィンノートはシルバンに掴みかかるが、彼の態度は変わらない。
「ふざけないでください! どんな理由があれば突然そんなことになるというのですか!?」
「正統後継者でない君に伝える義務はないが、強いて言うなら早急に勇者が必要になった、とだけ教えてやろう」
シルバンは机に載ったガラス片を横目にふっと笑う。
「ずいぶん探し回ったようだが、俺の知る勇者の心臓の創り出す剣はもっと透明で美しい。こんな出来の悪い偽物を掴まされて他国の勇者を呼びつけるなど、君らにもずいぶん迷惑を掛けたようだな」
「いえ、それはまあ……」
「それでは父は何のために! 今まで何のために国に仕えていたというのですか! 父も弟も、一体何のためにこんなところまで来ていたと……! ……うっ、くぅぅううう……!!」
突然全てを失ったリィンノートは泣き崩れ、シルバンはそんな彼女の肩を掴みソファへと座らせる。彼は膝をつき、視線を合わせてゆっくりと語る。
「遠い異国でこんなことになったお前には同情しよう。勇者の好だ。君の弟であるサンハルトの後継者は、俺が責任を持って勇者にしてやる」
それで話は終わったのか、シルバンは踵を返す。彼の背負った盾の中心には、大きな掌が描かれていた。
「そうだ。同じファルフェルトの人間が迷惑をかけた詫びをしたい。終わったら俺を訪ねてくれ」
◆
シルバンが出ていくとワトラビーやファルフェルトの大使館職員が入ってきた。職員たちはリィンノートを落ち着かせると言って彼女を連れ出し、暫くしてシルバンの居る執務室へと向かうよう案内された。
「いやー、戻ろうとしても部屋に入れなくて困っていたんですよ。魔力防壁だろうとは思ったんですが、一応他国の領土ですから壊すのは拙いと思いましてねえ。しかしファルフェルトの方々も急ぎの用があるとかで慌てていまして、そしたらしびれを切らした勇者シルバンが現れて、扉を開けて入っていったんですよ」
「彼が入ってきたときには防壁を解いていたのですか?」
「いや? やつが入ってきたのは純粋に実力だろう。やつのデザイアか、やつの背負った神器かは知らんがな」
シルバンの背負った盾に描かれた掌。うっすらと漂う魔力からなんとなくそんな気はしていたが、
「……あの盾も、勇者クレイルの一部、ですか」
「恐らく左手だろうな。基本的には両手に聖剣を発生させて戦っていたが、それでも遠距離からの攻撃や魔法に対しては主に左手を前に出して防いでいた」
不死身の肉体を持ってしても防がざるをえない攻撃か。想像できないが、キュリアスならそれをやってのけるのだろう。
話しているうちに大使館の最上階にある、勇者のための部屋み着いていた。ちなみに今更だがファルフェルトの職員は着いてきていない。ワトラビーが勇者付きであるのもそうだが、シルバンの指示で私たちだけで来るように言われたらしい。
「失礼します」
ワトラビーが決まった手順で扉を開き、私とキュリアスが後に続く。シルバンはソファに座って優雅にお茶を飲み、彼の勇者付きが私たちのための紅茶を用意していた。
「遅かったな。先に始めさせてもらった。まあゆっくりしてくれ」
「いえ、他国の貴族の前にそんな……」
「お互い勇者同士、身分はほとんど同じようなものだろう?」
シルバンはにやりと笑い、キュリアスは臆することなくソファに腰を沈める。ワトラビーは勇者付きのためソファの後ろで待機だ。
「ふむ? 独特の香りだが悪くないな」
「祖国のものだ。パストラリアでは馴染みが薄いだろうが、よかったら輸入してくれ」
「……そんなことよりも、用件はなんですか?」
彼は詫びがしたいと言っていたが、そんな理由で人払いをしてまで会う必要はない。勇者同士だとしてもそこまでの準備は必要ないし、むしろ何らかのトラブルが起きたときのために人払いなどしない方がいい。
「気が早いな。彼女、キュリアスだったか? 勇者なら彼女くらい大胆にあるべきだ。……まあ、少しくらい礼節は持ってほしいがな」
苦笑するシルバンの視線の先では、キュリアスが茶菓子を両手に掴んで頬張っていた。
「……キュリアスさん、リスだってもう少し慎みがありますよ」
「奴らは頬張った木の実を忘れ、口の中で腐らせる。わたしはそんなことはしない。きちんと味わっている」
「さて、お前たちをわざわざ呼び出したのは他でもない。リィンノートの件だ」
リィンノート。つい先程祖国から追放された少女。勇者の心臓の話かと思ったが、彼女にまだなにかあるのだろうか。というか名前知ってるじゃないか。
「正式な書面は後で用意するが、お前たちには彼女の護衛を頼みたい。期間は半年くらいか、人並みに暮らせるようになるまで面倒を見てくれ」
「……つまり、生活資金の工面が出来るように、独り立ちできるようにしろと? 彼女、一応貴族ですよね? 無茶をしなければ1人で暮らすくらいはどうにでもなるのでは?」
ファルフェルトの貴族がどれほどの金持ちかは知らないが、私はオルラーデしか貴族を知らないため、金遣いの荒い成金というイメージがある。
ナルシックのバカは1日で1年分の食費を使っていると経理が文句を言っていたのを今でも覚えている。
「知らないだろうが、あいつは神器の捜索のためにとんでもない金額を費やした。それこそ神器が見つかってなお、すぐには取り戻せないほどの額だ。しかし神器はもうない。どのみち戻っても国に居場所はなかった」
「……なぜ神器がないと?」
「それは話せないが、俺は先代サンハルトとこの国で行動を共にしていた。今はそれだけで十分だろ?」
シルバンの目がすっと鋭くなる。
「わかっていたなら、なぜ彼女を止めなかったんですか?」
「それが先代の望みだ。リィンノートが後継者に選ばれなかったのも含めて、すべて彼女の父の計画だ。何も知らない娘は、何も知らないままファルフェルトを恨んで去る。それが彼の望みだ」
「もしわたしたちがこのことを彼女に伝えたら、とは考えなかったのか?」
「喋っても構わないが、その上でリィンノートに出来ることなど何もない。金を失い、権力を失い、力のない小娘が相手にできるほど、国ってのは小さくない。勇者ならわかるだろ? 知らない不幸より、知る不幸もある」
シルバンの言うことは正しい。そもそも国とは人の集合体の最上位存在だ。国を成り立たせるための歯車の1つが歯向かったところでどうにもならない。
しかし彼は1つ勘違いをしている。金や権力のことは知らない。だが、彼女には力はある。まだ小さい力だが、彼女の胸にはシルバンからないと言われた勇者の心臓がある。
それに、国か。そういえばルナにもそんなことを言われていた気がする。
「いいでしょう。リィンノートの護衛を引き受けます」
「そうか。正直なところ勇者の仕事ではないが、一応あれでも元貴族なんでな。感謝する」
「ですが、1つだけ条件を」
シルバンはふっと息を吐き、しかし私の言葉に訝しむ。
「なんだ? 金額なら相応に用意するが……」
「彼女の自立支援、その内容は我々に任せてください」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
よろしければブックマーク、いいね、高評価、低評価、よろしくお願いします。
あなたの10秒が励みになります。